血と束縛と

北川とも

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第18話

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『本当ならもっと早くに、わしらにとって大事な先生を招待したかったんだが、賢吾のほうが慎重でな。その点では、千尋は単純だ。大事な先生を一刻も早くわしに紹介して、一層囲い込みたいと思っていたようだ。……子供の執着心というのは、分別のつく大人より性質が悪くて頑迷だと、あれを見ているとよく思う。ただ、それがあったからこそ、長嶺の男たちは、先生と知り合えたとも言えるんだが』
 守光の言葉に下手な相槌は打てないが、千尋と知り合ったことですべてが始まったのは事実だ。和彦はつい苦い笑みを洩らす。
『時間は要したが、年が明けてから状況が変わった。すでにもう二回、わしとあんたは顔を合わせて、会話も交わしている。わしとしては、息子と孫の大事な人に対して、十分敬意は払ったつもりだ』
「それは、ええ……。過分なほど気をつかっていただいたと思っています」
『そう、畏まらなくていい。――あんたは、何もかもが、千尋の母親とは対照的だな。一番の違いが性別というのは、皮肉な話だが……』
 守光は、和彦の気持ちを巧みに刺激する。聞き流せない話題を、さりげなく耳元に吹き込んできたのだ。
『先生一人を野獣の檻に放り込むのは可哀想だと言って、千尋も今晩、うちに来ることになっている。にぎやかな坊主がいれば、あんたもさほど緊張しなくて済むんじゃないかね』
 ここまで言われて断れるはずもない。守光の言うとおり、千尋も同席するということで、いくらか気持ちも楽になっていた。
 あまり言い訳めいたことを口にして、守光の機嫌を損ねたくないという思いもあり、和彦はこう答える。
「クリニックを閉めたあと、うかがいます」
『それはよかった。手土産なんてことは考えず、身一つで来てくれたらいい』
 電話を切ったあと、自分の肩がひどく強張っていることに和彦は気づく。肩をゆっくりと揉みながら無意識に口を突いて出たのは、困惑による唸り声だった。
 年が明けてから、総和会――というより守光からの急接近ぶりは、さすがに何かの前触れを感じさせる。
 例えば、波乱のようなものを。


 総和会のオフィスについて、かつて中嶋から、簡単ではあるが説明を受けたことがあった。
 カムフラージュのために総和会と名乗っているオフィスと、表向きは違う看板をかけて、ビジネス街のビルの中で何食わぬ顔をして業務を行っているオフィスがあると。もちろん和彦は、そういった場所に足を運んだことはない。医者として、総和会の息がかかった場所に出向き治療を行ってはきたが、そこから総和会という組織の内を知ることはできなかった。
 だが、今晩は違う。
 和彦はシートの上で慎重に身じろいで、ウィンドーから外の様子をうかがう。さきほどから車は住宅街を走っており、夕方とはいえすでに辺りは薄暗く、街灯が点り始めている。帰宅途中の高校生らしき姿も見え、ここがごく普通の場所なのだと教えてくれる。
 そんな場所に溶け込むように、総和会会長宅はあった。
 車がスピードを落とし、四階建てのマンションの前で停まる。立派な作りのアプローチにはスーツ姿の男が立っており、車に歩み寄ると、実に滑らかな動作で後部座席のドアを開けた。
「いらっしゃいませ、佐伯先生」
 仰々しい出迎えに臆しながらも和彦は車から降りる。そして、改めてマンションを見上げた。豪奢と表現できる外観だった。
 二階から、まるで舞台のように迫り出しているのは、広いテラスなのだろうかと考えている背後で、ドアが閉まる音がする。振り返ると、和彦が乗ってきた車が走り去るところだった。
 促されるままエントランスホールに足を踏み入れると、心細さに加え、奇妙な違和感と圧迫感に襲われる。
 足元は絨毯敷きとなっており、壁も天井も木目調のタイルで覆われ、暖かなオレンジ色の照明を反射している。全体として柔らかな印象を受けるが、よく見ると、エントランスの数か所に監視カメラが取り付けられている。住人や来客に応対するためのものか、カウンターが設置されてはいるものの、人がいないどころか、何も置いていないのも、なんだか不思議だ。
 それに、中に入って気づいたが、手入れされた外の植木が巧みな衝立となって、エントランスホールの様子を外からうかがわせないようになっている。
 まだ探せば、いろいろと発見がありそうだ。和彦はそんなことを思いながら、注意深く辺りを見回す。
 ふいに、エレベーターホールに通じる自動ドアが開き、千尋が姿を見せた。和彦を見るなりパッと表情を輝かせ、その顔を見て和彦は小さく安堵の吐息を洩らす。
「先生、待ってたよっ」
 駆け寄ってきた千尋にいきなり腕を取られて引っ張られる。
「千尋っ――」
「なんか新鮮だなー。先生を、じいちゃんの家で出迎えるなんて」

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