血と束縛と

北川とも

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第18話

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「――先生、今晩は何が食べたい?」
 ショッピングセンターを並んで歩いていると、突然三田村が、大事なことを思い出したような顔で問いかけてきた。しかも、真剣な口調で。
 休みが取れた三田村とともに必要なものを買いに来たのだが、献立は人任せなところがある和彦は、面と向かってこう問われると、けっこう悩む。
 目を丸くしたあと、なんでもいいと言いかけて、思いとどまる。実は先日、テレビでたまたま観てから、なんとなく気になっているものがあったのだ。
「なんでもいいのか?」
 和彦が問い返すと、頷いた三田村の目が一際優しくなる。もっとも和彦以外の人間が見れば、いつもの無表情との違いに気づかないかもしれない。
「……鍋が、いい」
 鍋、と小さな声で三田村が反芻し、何か思案するように軽く眉をひそめる。
「ちゃんこにすき焼き、しゃぶしゃぶ。この場合、湯豆腐も鍋料理に入れていいのか……。なんにしても、ちょっと調べたら、鍋料理を食わせてくれる店はいくらでも――」
「そうじゃない。外で食べたいわけじゃなくて、部屋で食べたい。……いままで、人と鍋を囲んだことがないんだ。それで、この間テレビを観ていて、ちょっといいなと思って……」
 なんだか言い訳めいたことを言っているなと、和彦は自分自身の行動に、内心で苦笑を洩らす。相手が三田村でなければ、口が裂けても言えないわがままだ。そんなこと、と笑われても不思議ではないのだが、三田村が浮かべたのは、どこか嬉しげにも見える淡い微笑だった。
「先生の貴重な経験を、俺が作った鍋で済ませていいのかな」
「キッチンで包丁を握っているあんたを見るのは好きだ」
 三田村は、困惑気味に視線をさまよわせながら、口元を手で覆う。もしかすると、有能な若頭補佐なりの照れ隠しなのかもしれない。
「あまり……俺の腕に期待しないでくれ。そう器用になんでも作れるわけじゃないんだ」
「鍋って、適当に材料を切って、水と一緒に放り込んで煮ればいいんじゃないのか?」
 一瞬口ごもった三田村に連れられて、近くのベンチへと移動する。和彦だけをベンチに座らせると、傍らに立った三田村はこちらに背を向け、携帯電話でどこかにかけ始める。聞くつもりはないのだが、ぼそぼそと抑えた話し声が聞こえてきた。鍋料理に必要なものを尋ねているようだ。
 おそらく電話の相手は、長嶺の本宅で台所を任されている組員だろう。和彦もよく、美味しいものを食べさせてもらっている。
 数分ほど話してから電話を切った三田村が、決まり悪そうに和彦を振り返る。和彦は、そ知らぬ顔で問いかけた。
「それで、何から買いに行くんだ?」


 鍋料理は、作る人間の性格が如実に表れるなと、椀を手にした和彦は素直に感心していた。
 今日買ったばかりの土鍋の中には、鶏肉や野菜、豆腐などが実にバランスよく配置されており、煮立っている。和彦もアクを取るぐらいのことはしたが、それ以外はすべて三田村がやってくれた。
 材料を入れる順番からタイミング、ダシの味つけまで、三田村が難しい顔で試行錯誤しているのを見ていると、材料と水を鍋に放り込めばいいと簡単に考えていたことが、和彦としては申し訳ない――というより、恥ずかしくなってくる。
 和彦がなかなか箸をつけられずにいると、テーブルの向かいに座った三田村が、立ちのぼる湯気越しに首を傾げた。
「食べないのか、先生」
「……食べる。ちょっと感動してた」
「単なる水炊きもどきの鍋でそう言われると、申し訳なくなるな。先生には、もっと手の込んだものを食わせてやりたいのに」
「若頭補佐は、ぼくに甘すぎる」
 わざと顔をしかめて苦言を呈すると、三田村は柔らかな微笑を浮かべた。
「そういう先生は、周囲にわがままを言ってくれないから、俺みたいな奴がいてちょうどいいんだ」
 思わず声を洩らして笑った和彦は、さっそく水炊き鍋を味わう。三田村も自分の椀に取り分け始めたが、その姿を和彦はそっとうかがい見ていた。
 自分が誰かと向き合って、こうして鍋をつついている光景が不思議であり、同時にくすぐったくもある。数日前の賢吾の言葉ではないが、大勢でにぎやかに食事をするのも好きだが、三田村と二人きりで味わう食事も好きだった。行き交う空気がひたすら温かく、優しいのだ。
 和彦の視線に気づいたのか、前触れもなく顔を上げた三田村と目が合う。反応に困っていると、三田村がこんな言葉をかけてくれた。
「先生の希望に、少しは応えられたか?」
 背に虎を背負っているくせに、どうしてこの男はこんなにも優しいのだろうか。
 ふっとそんなことを考えた和彦がテーブルの下で足を動かした途端、三田村と爪先が触れた。
「少しどころか、ぼくの希望以上だ」

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