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第17話
(1)
しおりを挟む軽く肩を揺すられ、和彦はゆっくりと目を開く。なぜか、三田村に顔を覗き込まれていた。
「――こんなところで寝ていたら、湯冷めする」
三田村に言われてようやく、自分が湯に浸かり、バスタブの縁に頭を預けた状態であることに気づいた和彦は、慌てて体を起こそうとする。つい居眠りをしてしまったようだ。
派手な水音を立てて身じろぐと、すかさず三田村が片手を差し出してくれる。和彦はその手を掴んで立ち上がった。
浴室を出てバスマットの上に立った和彦の体を、当然のように三田村がバスタオルで拭いてくれる。されるに任せながら和彦は、風呂に入る前までの自分の行動を思い返す。
中嶋とベッドの上で絡み合い、その中嶋を見送ったあと、ゆっくりと湯に浸かりたくなったのだ。
優しい手つきで髪を拭いてもらいながら、和彦はじっと三田村の顔を見つめる。三田村は、無表情だった。
「……何があったのか、知っている顔だな」
「中嶋が先生にひどいことをしていたなら、只じゃ済ませない」
ここで三田村が、軽く眉をひそめて和彦の左頬に触れてくる。
「少し赤くなっている」
「引っぱたかれただけだ。大丈夫。中嶋くんは力加減をしてくれた。……ヤクザのくせに平手で殴るなんて、ずいぶん良心的だ」
「平手だろうが、先生に手を上げた」
「一度きりだ。彼に、ぼくを殴らせるのは、今日が最初で最後。――前に、ぼくに同じことを言った男がいたな」
その場に居合わせた三田村は、和彦が誰のことを言っているのか、わからないはずがない。ようやく口元に微かな笑みを刻んだ。
「相手が中嶋だったから、平手で済んだ。もし、本気で先生を傷つけようとしている相手だったなら、どうなっていたか……」
「本物のヤクザは、容易に手を出さない。しかも、ぼく相手に傷をつけるような、下手なやり方はしないだろ」
「傷をつけずに相手を痛めつけるやり方なんて、いくらでもある」
「……あまり、怖い相手と向き合っているという意識はなかった。〈女〉なんだ。秦が絡むときの中嶋くんは。だから……、どこかで愛しいという気持ちもある。ぼくと似たものを感じるからだろうな」
「だがあいつは、自分でヤクザになることを選んだ男だ。先生とは根本的に違う」
まだ言い足りないような顔をして、三田村がバスローブを肩にかけてくれる。和彦は袖を通しながら、三田村の様子をうかがう。
互いに落ち着いた様子で話しているが、妙な感じだった。和彦と中嶋の間にあった出来事を、当然のように三田村は把握している。それを隠す素振りも見せない。和彦も感づいていると思っているのだろう。
ドアを開けた三田村が振り返り、促がされるように和彦は廊下に出た。
まっすぐキッチンに向かい、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出す。水を一気に飲んで喉の渇きを癒してから、ほっと一息をついた和彦はぼそりと洩らした。
「やっぱり、盗聴器をつけたままなんだな」
「あくまで、防犯のためだ」
ヤクザの口から『防犯』とは、どんな冗談だと、怒る気にもなれず和彦は苦笑を洩らす。賢吾のことなので、部屋に盗聴器は仕掛けたままだと思ってはいたのだ。
「組長がこのマンションを選んだのは、近くに長嶺組が別名義で借りている部屋があるからだ。そこに盗聴器の受信用アンテナを置いてある。ただ、常に先生の部屋の物音を聞いているわけじゃない。異変があったときだけ組長に連絡して許可を取ったあと、録音している――らしい」
「らしい?」
「俺は、その方面の仕事には関わっていないから、詳しいことは知らされない。ただ今晩は、先生の状況を電話で知らされて、様子を見に行くよう言われた。……俺に求められているのは、必要なときに、こうして先生の元に駆けつけることだ」
賢吾や千尋が頻繁にこの部屋を訪れることを思えば、組が室内での様子に気を配るのも理解できる。決して気分はよくないが、こういう生活を送っているうえで和彦は、許容や諦観という感情と折り合いをつけることが上手くなっていた。
ただそれでも、三田村の律儀さと落ち着きぶりが、今は少しだけ腹立たしい。
意地悪をしてみたくなった――というわけではないが、和彦はわざと素っ気ない口調で三田村に問いかけた。
「それで、ぼくのところにやってきて、何をしてくれるんだ?」
「先生が望むなら、なんでも。……俺としては、風呂で居眠りしている先生を見つけられて、それだけで満足している。気の抜けた、滅多に見られない顔をしていた」
思わず和彦の顔が熱くなる。
「……風呂でぼくを見つけて、すぐに起こしたんじゃないのか?」
「さあ」
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