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第16話
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デスクを並べてシーツを敷いただけの簡易ベッドの上に、腹から血を流した男が横たえられていた。顔は青ざめ、呼吸は速いものの、意識は取り戻している。
和彦は指示を出しながら手術着を着込み、洗面器に手を突っ込んで消毒する。その間に、頼んでおいた医療用品などが運び込まれてきた。
生理食塩水で血を洗い落とし、傷口をよく検分する。
「ひどいな……」
顔をしかめた和彦は、思わず洩らす。
「――大怪我なんですか?」
部屋に残っている組員に声をかけられ、顔を上げる。思わず洩らした一言で不安を煽ってしまったらしい。
和彦は作業を再開しながら説明した。
「……傷口が、ズタズタです。刃物で刺されたものじゃない。ガラス瓶を割ったものを、突き立てられたんだと思います」
和彦の言葉に、横になっている組員が浅く頷く。
「ガラスの破片が残っている。ただ、内臓はやられていないから、破片を取り除いたら、すぐに縫合できます」
「つまり?」
「大丈夫。命に別状はないし、何かひどい後遺症が残る心配も、今のところはありません。ただ、目視だと限界があるので、動けるようになったら、一度クリニックのほうにレントゲンを撮りに来てください。そこでガラスの破片を取り残していないか確認しますから」
イスを引き寄せて腰掛けた和彦は、患者に部分麻酔を打つと、慎重に傷口を洗いながら、ガラスの破片を探して、ピンセットで一つ一つ取り除いていく。
ムッとするような血の匂いが室内に充満して、和彦が血を洗い流すたびに、足元が真っ赤に染まっていく。普通の神経をしていれば、こんな部屋にいたくないだろう。命に別状がないと知って気が抜けたのか、単に気分が悪くなったのか、さきほど和彦に質問をしてきた組員の姿はなくなり、違う組員が、口元を押さえてドアのところに立っていた。
傷と出血の派手さのわりに、処置そのものは順調に済み、縫合を終えた和彦は、組員に手伝ってもらいながら傷口にガーゼを当て、しっかりと包帯を巻く。
患者をソファに移して点滴を始めると、抗生物質と痛み止め、ガーゼの取り替え方などを細かく記した用紙を組員に渡した。
命に別状のない怪我とはいえ、ヤクザの世界は年明けから物騒だ。組員たちが深々と頭を下げて見送ってくれる中、事務所をあとにしながら和彦は、そんなことを心の中で呟く。なんにしても、無事に治療を終えられたことに安堵していた。
凝った首筋を揉みながら、総和会の組員とともにエレベーターを待つ。上の階から降りてきたエレベーターの扉が開くと、すでに一人の男が乗っていた。その男の顔を見て、和彦は大きく目を見開く。
「お疲れ様です」
和彦と一緒にいた組員が頭を下げた。すると、エレベーターに乗っている男が鷹揚に頷く。
「おう。怪我人が運び込まれたって、えらい大騒ぎになってたが……、そうか、長嶺組の先生の世話になったんだな」
そんなことを言いながら、男がこちらを見る。反射的に会釈をした和彦は、その男の姓を心の中で洩らした。南郷、と。
元日に長嶺の本宅で見かけた男だ。総和会の第二遊撃隊を率いており、元はある組の組長代行を務めていた――と賢吾から教えられた。第二遊撃隊には中嶋が所属しており、和彦とまったく無関係な存在というわけではない。南郷のほうも和彦の存在を把握している口ぶりだ。医者という立場はもちろん、男の身で、長嶺父子の〈オンナ〉であることも。
その証拠のように、露骨にじろじろと見つめられる。侮蔑も嘲笑もない、ただ、和彦の価値を知ろうとしている目だ。
多少の居心地の悪さを感じつつ、促されるままエレベーターに乗り込む。仕返しというわけではないが、和彦も控えめに、隣に立つ南郷を観察する。
派手な色合いのスーツを少し崩して着た南郷は、短く刈り上げた髪や、剣呑とした鋭い目つき、全身から漂う粗暴そうな雰囲気のため、ヤクザらしいヤクザに見えた。ただし、暴力を振るうことだけに長けた男というわけではないだろう。そうでなければ、総和会会長の〈お気に入り〉と評されるわけがない。
こんな男の下で、中身は切れ者のヤクザでありながら、外見は普通の青年のような中嶋が働いているのだ。
和彦は足元に視線を落とす。そろそろジム通いを再開するのだが、そこで中嶋に会えるだろうかと思っていた。いつもなら、絶妙のタイミングで中嶋のほうから連絡をくれ、飲みに出かけたりしていたのだが、年が明けてから、その気配は一切ない。気にはなるが、和彦から行動を起こすには、長嶺の本宅で中嶋から向けられた眼差しが強烈すぎた。
それに、秦のことで後ろめたさもある――。
意識しないままため息をついた和彦は、ふいに異変を感じた。
和彦は指示を出しながら手術着を着込み、洗面器に手を突っ込んで消毒する。その間に、頼んでおいた医療用品などが運び込まれてきた。
生理食塩水で血を洗い落とし、傷口をよく検分する。
「ひどいな……」
顔をしかめた和彦は、思わず洩らす。
「――大怪我なんですか?」
部屋に残っている組員に声をかけられ、顔を上げる。思わず洩らした一言で不安を煽ってしまったらしい。
和彦は作業を再開しながら説明した。
「……傷口が、ズタズタです。刃物で刺されたものじゃない。ガラス瓶を割ったものを、突き立てられたんだと思います」
和彦の言葉に、横になっている組員が浅く頷く。
「ガラスの破片が残っている。ただ、内臓はやられていないから、破片を取り除いたら、すぐに縫合できます」
「つまり?」
「大丈夫。命に別状はないし、何かひどい後遺症が残る心配も、今のところはありません。ただ、目視だと限界があるので、動けるようになったら、一度クリニックのほうにレントゲンを撮りに来てください。そこでガラスの破片を取り残していないか確認しますから」
イスを引き寄せて腰掛けた和彦は、患者に部分麻酔を打つと、慎重に傷口を洗いながら、ガラスの破片を探して、ピンセットで一つ一つ取り除いていく。
ムッとするような血の匂いが室内に充満して、和彦が血を洗い流すたびに、足元が真っ赤に染まっていく。普通の神経をしていれば、こんな部屋にいたくないだろう。命に別状がないと知って気が抜けたのか、単に気分が悪くなったのか、さきほど和彦に質問をしてきた組員の姿はなくなり、違う組員が、口元を押さえてドアのところに立っていた。
傷と出血の派手さのわりに、処置そのものは順調に済み、縫合を終えた和彦は、組員に手伝ってもらいながら傷口にガーゼを当て、しっかりと包帯を巻く。
患者をソファに移して点滴を始めると、抗生物質と痛み止め、ガーゼの取り替え方などを細かく記した用紙を組員に渡した。
命に別状のない怪我とはいえ、ヤクザの世界は年明けから物騒だ。組員たちが深々と頭を下げて見送ってくれる中、事務所をあとにしながら和彦は、そんなことを心の中で呟く。なんにしても、無事に治療を終えられたことに安堵していた。
凝った首筋を揉みながら、総和会の組員とともにエレベーターを待つ。上の階から降りてきたエレベーターの扉が開くと、すでに一人の男が乗っていた。その男の顔を見て、和彦は大きく目を見開く。
「お疲れ様です」
和彦と一緒にいた組員が頭を下げた。すると、エレベーターに乗っている男が鷹揚に頷く。
「おう。怪我人が運び込まれたって、えらい大騒ぎになってたが……、そうか、長嶺組の先生の世話になったんだな」
そんなことを言いながら、男がこちらを見る。反射的に会釈をした和彦は、その男の姓を心の中で洩らした。南郷、と。
元日に長嶺の本宅で見かけた男だ。総和会の第二遊撃隊を率いており、元はある組の組長代行を務めていた――と賢吾から教えられた。第二遊撃隊には中嶋が所属しており、和彦とまったく無関係な存在というわけではない。南郷のほうも和彦の存在を把握している口ぶりだ。医者という立場はもちろん、男の身で、長嶺父子の〈オンナ〉であることも。
その証拠のように、露骨にじろじろと見つめられる。侮蔑も嘲笑もない、ただ、和彦の価値を知ろうとしている目だ。
多少の居心地の悪さを感じつつ、促されるままエレベーターに乗り込む。仕返しというわけではないが、和彦も控えめに、隣に立つ南郷を観察する。
派手な色合いのスーツを少し崩して着た南郷は、短く刈り上げた髪や、剣呑とした鋭い目つき、全身から漂う粗暴そうな雰囲気のため、ヤクザらしいヤクザに見えた。ただし、暴力を振るうことだけに長けた男というわけではないだろう。そうでなければ、総和会会長の〈お気に入り〉と評されるわけがない。
こんな男の下で、中身は切れ者のヤクザでありながら、外見は普通の青年のような中嶋が働いているのだ。
和彦は足元に視線を落とす。そろそろジム通いを再開するのだが、そこで中嶋に会えるだろうかと思っていた。いつもなら、絶妙のタイミングで中嶋のほうから連絡をくれ、飲みに出かけたりしていたのだが、年が明けてから、その気配は一切ない。気にはなるが、和彦から行動を起こすには、長嶺の本宅で中嶋から向けられた眼差しが強烈すぎた。
それに、秦のことで後ろめたさもある――。
意識しないままため息をついた和彦は、ふいに異変を感じた。
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