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第16話
(14)
しおりを挟む雪を見に行かないかと賢吾から言われたとき、和彦がまっさきに思ったのは、これは機嫌取りなのだろうか、ということだった。
朝食のパンを食べ終えたところだった和彦は、指先を軽く払ってから、カップを両手で包み込む。ホットミルクを一口飲んで、向かいのイスに座る賢吾をジロリと見ると、口元を緩めていた。
「――……雪?」
「これから新年の挨拶も兼ねて、人に会いに行くんだ。ちょっと距離があるんだが、今はたっぷり雪が積もって、静かでいいところだ。一泊旅行の行き先として、最適だと思うんだが……」
「それで、ぼくに同行しろと?」
「旅行という表現が気に食わないなら、デートでもいいぞ」
和彦はぐっと唇を引き結び、テーブルの上に置かれた新聞に視線を落とす。日付は、一月六日となっていた。
世間では、すでに仕事始めを迎えた人間が大半だろう。ただ、長嶺の本宅にいると、時間の流れは微妙に違う。組関係者が頻繁に訪ねてはくるが、仕事始めというほど、本格的に動いてはいない。つまりここにいると、もう少しだけ正月気分が味わえるのだ。
外に出かけるのは嫌いではないが、また騙されて、今度こそ総和会会長宅に連れ込まれるのではないかと、和彦は露骨に警戒して見せる。すると賢吾の唇には、はっきりと笑みが刻まれた。
「安心しろ。騙まし討ちみたいなことはしない。今度、オヤジに会わせるときは、きちんと先生に説明する。そして今日は、総和会の人間と会う予定はない。先生は純粋に寛げばいい。俺は少し仕事の話があるが、その間、先生の相手は――」
このとき和彦の肩に、ズシリと重みが加わる。思わず声を洩らして振り向くと、いつダイニングにやってきたのか、千尋がべったりと抱きついていた。
「千尋がしてくれる」
そう言い切った賢吾と千尋を交互に見て、和彦は軽く眉をひそめる。一つ屋根の下で何日か一緒に暮らしただけで、千尋の甘ったれぶりに拍車がかかり、そのことに対して賢吾は何も言わない。それどころか、楽しげにこう言うのだ。
「いや、反対か。しっかり俺の息子の子守をしてくれよ、先生」
「……勘弁してくれ」
とにかく、話は決まった。正確には、父子によって決められ、和彦は承諾の返事をもぎ取られてしまった。
すぐに出かける準備をするよう言われ、仕方なく客間へと戻る。
山の中にある保養地ということで、とにかく暖かい服装をしろと言われたが、バッグに詰め込んで持ってきた着替えでは限りがある。コーデュロイパンツと、カシミアのニットの下にシャツを着込んだ和彦は、賢吾から贈られた毛皮のコートにおそるおそる手を伸ばす。さすがに、羽織って出かけるいい機会ではないかと思ったのだ。
このとき、座卓の上に置いた携帯電話が鳴る。表示された名を確認した瞬間、和彦の心臓の鼓動は速くなった。
大きく深呼吸をしてから電話に出る。
「――……どうかしたのか、こんな時間に」
努めて平素の調子で問いかけると、電話の向こうから返ってきたのは、少し緊張したような中嶋の声だった。
『すみません、せっかくのお休み中』
「いいんだ。もう起きていたし。それで――」
『先生、今日、会えませんか?』
「……唐突だな」
そう洩らした和彦は、静かにため息をつく。電話を通して伝わってくる中嶋の気配は、切実であると同時に、凄みも感じさせる。そこに、元日にこの本宅で見かけた、中嶋本人の姿が重ねる。
どう考えても、新年の挨拶も兼ねて食事でも、という雰囲気ではない。
「ぼくに何か用が?」
『電話では言いにくいんです……』
和彦も、中嶋の態度がずっと気になっていたこともあり、なんとかしたいところだが、さすがに今日はタイミングが悪すぎた。
「すまない、今から出かけるんだ。帰りは明日になりそうだから、会うのは無理だと思う」
別の日でよければ、と続けようとしたが、その前に中嶋は慌しく電話を切ってしまい、和彦は空しく唇を動かす。
できることなら電話をかけ直し、もう少し話をしたかったが、臆してしまう。今の電話で和彦は、しっかりと感じてしまったのだ。中嶋の感情の揺れを。そして、〈女〉を。
中嶋が〈女〉を感じさせるとき、それは秦が絡むときだけだ。
和彦には自分から、秦のことを切り出す勇気はない。それに、こちらはこちらで、複雑だ。
大晦日の夜に、布団の中で賢吾が語った内容を思い出し、和彦は小さく身震いする。賢吾は、和彦を中心とした男たちの複雑な関係をすべて把握している。それどころか、秦と中嶋の微妙な関係すら。秦本人が打ち明けたと言っていたが、あの男が賢吾に〈恋愛相談〉をするとも思えない。打ち明ける男も、それを聞く男も、何かしらの打算があるはずだ。
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