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第14話
(5)
しおりを挟む昼間まで会っていたはずなのに、数時間後、日が落ちてからまた三田村と顔を合わせるというのは、むず痒いような気恥ずかしさがあった。
なんといってもこれから、〈デート〉をするのだ。
そう考えた和彦だが、次の瞬間には、顔を背けて小さく噴き出す。妙に肩に力が入っている自分が、おかしくてたまらなかった。
必死に笑いを噛み殺し、隣を歩く三田村に視線を向ける。こちらは、普段は落ち着いている若頭補佐らしくなく、どこか浮き足立ち、しきりに周囲を気にしている。
和彦が見ていると気づいたのか、目が合うと三田村は、決まり悪そうに顔をしかめた。
「……俺は、こういうシャレた場所だと、身の置き場がなくて困る」
三田村が言う『シャレた場所』というのは、ホテルも入っている商業ビル前の噴水広場のことだ。普段から雰囲気のいい場所として、待ち合わせによく利用されているのだが、クリスマスが近くなると、さらににぎわう。
広場の照明や植樹がイルミネーションで彩られ、大きな噴水も、クリスマスらしいオブジェをたっぷり使って飾られている。LEDの青白い光が、芝生の上に人工の海を作り出しており、見入ってしまうほどきれいだ。
寄り添っている恋人同士の姿も一組や二組ではないが、会社帰りに立ち寄ってみたという感じの、スーツ姿のビジネスマンたちの姿もちらほらと見える。
二人きりの甘い空気に酔っている恋人たちにしてみれば、ビジネスマンや三田村、もちろん和彦も、気にかけるような存在ではないだろう。
和彦は、ニヤリと三田村に笑いかける。
「堂々とした立ち姿が渋くて、この場所にいても様になっているぞ、三田村」
「先生も人が悪い」
柔らかな表情でそう応じた三田村に、マフラーを直してもらう。
少しの間噴水広場を見て歩いてから、今夜の本来の目的を果たすため、人の流れに乗るように、ビルのアトリウムへと移動する。
「――……悪かった。忙しいのに、時間を取ってもらって。気をつかわせたな」
ゆっくりと歩きながら和彦が切り出すと、三田村は首を横に振る。
「先生は、もっと俺たちにわがままを言っていい。むしろ、そうしてもらったほうがいい。今朝、先生のあの顔を見たら、心底そう思った。俺たちのほうこそ、先生に気をつかわせているんだ」
「あまり大げさに考えないでくれ。ただ、前までの自分の生活を懐かしく感じただけなんだ。つらいとか悲しいとか、そういうんじゃない」
少なくとも今は、周囲にいる男たちに大事にされていると、肌で感じることができる。それが打算含みのものだとしても、和彦に惨めな思いをさせないだけの配慮をしてくれる。
このとき和彦の脳裏をよぎったのは、〈惨めな思い〉をしている頃の、自分の姿だった。
込み上げてくる不快さに身震いすると、それを寒さのせいだと勘違いした三田村が、肩に手をかけた。
「今夜は特に冷える。早く中に入ろう」
和彦はマフラーで口元を隠しながら頷く。
嫌なことを思い出したと、苦々しい気持ちになる。普段は意識して遠ざけている記憶がふとした拍子に蘇り、それが和彦を憂鬱な気分にさせる。汚らわしいものに触れてしまったような、忌々しさすら覚えるのだ。
三田村に悟られたくないと思いながらも、どうしても険しい表情になってしまう。しかしそれは、ほんのわずかな間だった。
吹き抜けとなっているビルのアトリウムには、巨大なクリスマスツリーが飾られている。隙間なく、という表現が大げさではないほど、イルミネーションやオーナメントで飾りつけられ、眩しいほど輝いている。
寸前までの不快さも忘れて、和彦はクリスマスツリーに見入っていた。見に来てよかったと、素直に思う。
本当は、澤村と出くわすのではないかと、少しだけ危惧していたのだ。だが、忙しい男が連日ここに立ち寄るとも思えず、また、もし仮に三田村と一緒にいるところを見られても、いくらでも言い訳は立つ。強面である三田村だが、それでも真っ当な勤め人に見えるはずだ。
そこまで考えてやっと、和彦は安心できる。
本来であれば、落ち着いた雰囲気の中、きらびやかなクリスマスツリーをじっくりと眺め続けたいところだが、そうもいかない。
さすがに人気のスポットだけあって、クリスマスツリーの周囲を囲むように人の輪ができ、混雑している。和彦の前に立っていた女性が移動しようとして、ぶつかってくる。思わずよろめいた和彦の体を、さりげなく背後から三田村が支えた。
クリスマスツリーを中心とした人の輪から抜け出し、少し離れた場所から眺めることにする。
「今でこの混み具合なら、クリスマスイブともなると、もっとすごいんだろうな」
感心したように話す三田村がおもしろくて、和彦は小さく声を洩らして笑う。
「先生、このビルの中で少し休もう。温かい飲み物でも飲んで……」
「だったら、いい店がある。店の中から、クリスマスツリーの上のほうが見えるんだ」
頷いた三田村を促し、移動しようとしたそのとき、着信音が鳴った。三田村の携帯電話だ。
和彦に断って三田村が電話に出る。向けられた背をちらりと見てから和彦は、もう一度クリスマスツリーをよく見ておこうと、人の輪に近づく。
照明を受けてキラキラと輝くグラスボールに目を奪われていた和彦だが、何げなく、クリスマスツリーの向こう側に立つ人たちに視線を向ける。
みんな、クリスマスツリーを見ていた。一人を除いて。
その一人と目が合った途端、和彦は総毛立つ。心臓を冷たい手で鷲掴まれたようなショックを受け、数秒、息ができなかった。
和彦を見ているのは――和彦とよく似た顔立ちの男だった。
スーツがこれ以上なく様になり、かけている銀縁の眼鏡は、知的な雰囲気を際立たせる小道具としては効果がありすぎて、攻撃的なほど怜悧に見える。こんな華やかな場所にいながら、男が持つ空気は、あまりに異質だった。
和彦は、男の内面をよく知っている。苛烈なほど切れ者で計算高く、そして、冷たい。特に、六つ歳の離れた弟に対して。
「――……兄さん……」
和彦は呻くように呟いたあと、射竦められたように動けなくなる。頭が混乱していた。会うはずのない人物が、会うはずのない場所に姿を見せたのだ。一体何が起こっているのか、わからない。
和彦とよく似た顔立ちの兄は、冷たい空気を振り撒きながら、こちらに歩み寄ってこようする。
この状況で体が硬直してしまった和彦に、行動のきっかけを与えてくれたのは、電話を終えた三田村だった。
「すまなかった、先生」
そう言って三田村が顔を覗き込んでくる。和彦は必死に三田村を見つめると、絞り出すような声で訴えた。
「……三田村、早く帰りたいっ……」
和彦の様子から、一瞬にして異変を悟ったのだろう。三田村は次の瞬間には殺気立ち、辺りを威嚇するように素早く見回したあと、和彦の肩を抱いて足早に歩き始める。
ビルを出るまで、和彦は背後を振り返ることはできなかった。もう一度兄の姿を見てしまったら、かつて味わってきた〈惨めな思い〉に足を取られると思ったのだ。
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