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第13話
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しおりを挟むヤクザの跡目の披露式とは、どれだけ仰々しいものかと身構えていた和彦だが、拍子抜け――というのは表現が悪いが、想像していたほど格式張ったものではなかった。
凶悪な面相をしたダークスーツの男たちで埋め尽くされているのかと、内心では戦々恐々としていたのだが、確かにダークスーツを着た男たちは何人かいたが、言われなければヤクザとは思えない物腰と容貌をしている。どちらかといえば、めでたい席のために集まった親戚の男たち、といった印象を受ける。
座布団の上に正座した和彦は、グラスに注がれたビールを飲みながら、室内を見回す。襖を取り外して二間を繋ぎ、広い座敷にしているが、普段は客間として使っているのだろう。きれいにはしているが、そこはかとなく生活感のようなものが漂っている。
ヤクザの組長の家とはいっても長嶺の本宅とは違い、三階建ての住宅の周囲には、威圧的な塀はない。大きくはあるが、普通の住宅だ。そして内部も、大勢の男たちが酒を飲んで盛り上がり、その妻らしき女たちが忙しく働いてはいるものの、やはり普通の家であり、〈家庭〉が感じられる。
さすがに、今、賢吾が顔を出している二階は、緊張感が満ちているようだが――。
和彦はちらりと視線を天井へと向ける。二階では、この組の組長と幹部、それに賢吾が膝を突き合わせて話をしている。和彦も顔を出し、一通りの挨拶だけは済ませたが、そのあとは一人だけ一階に案内され、こうして飲食して待っている。
和彦のような青年が一人で座っていても、違和感はないようだった。一応、幹部クラスと、それ以外の組員との間で、見えない仕切りのようなものは作られてはいるが、みんな寛いでいる。
すでに、跡目披露式は終了しており、あとはただ、こうして飲み食いして祝うだけなのだそうだ。
長嶺組を交えての盃事はまだ先で、今日の集まりは本当に、親戚の集まりと表現していいのかもしれない。正式な儀式となると、警察にも届けを出すなどして大変なのだと、さきほどまで和彦の隣に座っていた男が教えてくれた。
賢吾がダークスーツまで着ながら、こっそりと立ち寄ったという建前も、そこにあるのだろう。長嶺組の看板そのものの男が派手に動けば、この組に迷惑がかかる。
ふっと息を吐き出した和彦は、喉元に手をやる。暖房がよく利いた部屋に、煙草と酒と食べ物の匂いが混じり、そこに男たちがつけているコロンの香りまで加わると、さすがに新鮮な空気が恋しくなる。他の男たちは気にした様子がないため、多分、和彦が神経質すぎるのだ。
向かいや隣に座る男たちに軽く会釈してから、静かに席を立つ。座敷を出ると、行き来する組員や女たちの邪魔にならない場所を探すことになり、所在なく一階を歩き回る。そして、庭を見つけた。
きれいに手入れされた広い庭で、今の季節は使わないのだろうが、テーブルとイスが置いてある。さすがに他人の家の庭に足を踏み入れることはためらわれたので、和彦は窓だけを開けさせてもらう。
入り込んでくる冷たい空気を吸っていると、ふと人の話し声が聞こえてくる。どうやら庭に誰かいるようだ。
思わず身を乗り出して庭を見渡すと、思いがけない人物が木の陰にいた。今回の披露式の主役である、組の跡目となる青年だ。
さきほど和彦も挨拶をした青年は、組長である父親とともに紋付羽織袴という正装をしており、傍目にわかるほど緊張していた。だが今は、その表情は和らいでいる。
二十代半ばのその青年は、ヤクザの家で育ったとは思えないほど、非常に育ちがよさそうで、粗暴さとは無縁な雰囲気を持っていた。それに拍車をかけるように、少し線の細い整った容貌をしている。
雰囲気も容貌もまったく違うが、千尋と共通するものを持っていると和彦は感じている。ヤクザらしくない物腰や雰囲気を持ちながら、がっちりとヤクザの血に縛られ、当然のように組を継ぐことを受け入れている姿勢のことだ。
和彦はそっと目を細める。木の陰に隠れていたためわからなかったが、青年の傍らには、まるで影のようにひっそりと付き従っている男がいた。青年とほぼ同年齢ぐらいに見え、こちらはごく普通のスーツを身につけている。
思わず和彦は唇に笑みを刻んでいた。なんとなくだが、その男が、青年の護衛だとわかったからだ。持っている雰囲気が、三田村そっくりだ。
若い二人は主従の空気を漂わせながら、青年は柔らかな表情で男に話しかけ、男は若い顔に不器用な気づかいを覗かせて応じている。
「――まだまだ、甘ったれなツラをしているな、この組の坊やは」
突然、背後から声をかけられ、驚いた和彦はビクリと体を震わせる。振り返ると、まるで黒い獣のように賢吾が近くまで忍び寄っていた。どうやら二階での話は終わったようだ。
「ここの組長に、内輪でいいから、跡目披露をしておけと言ったのは、俺だ」
「あんたのことだから、単なるお節介でそんなことを言ったんじゃないだろ」
「俺が長嶺組を千尋に任せるとき、その千尋を盛り立ててくれるのは、あの坊やたちの世代だ。……うちの甘ったれの子犬のために、しっかりと地ならしをして、人間と組織を育てておいてやらないとな」
和彦が目を丸くして見つめると、賢吾はニヤリと笑いかけてきた。獰猛な笑みにも見えるが、もしかするとこの男なりの照れ隠しなのかもしれない。
和彦には、父親の気持ちというものが、よくわからない。ただ、胸の奥がじわりと温かくなる感覚が満ちてくるのはわかる。
「この組にとっても、俺があの坊やの後ろ盾となるという約束を取り付けるのは、悪くない話だ。組が、確実に息子の代まで存続できるという証を得たようなものだからな」
「……そんな大事な場に、オンナなんて連れてきてよかったのか? あんたはよくても、事情を知っている人間は……気を悪くするかもしれない」
賢吾に促され、和彦は窓を閉めてその場を離れる。
「大蛇の〈オンナ〉は特別だ。もう、そういう話は広まっている。総和会とも繋がりを持っている先生を、この世界じゃ誰も、単なるオンナ扱いはしない。もし、する奴がいれば――大蛇が鎌首をもたげるだけだ」
怖いな、と洩らした和彦に、冗談とも本気ともつかない口調で賢吾は言った。
「先生には優しいだろ、俺は」
反論しようと口を開きかけた和彦だが、さきほど聞いた賢吾の父親らしい言葉に免じて、黙っておくことにした。
ただ、和彦がこんな甘い気持ちになれたのは、ほんのわずかな間だった。
家の主に暇を告げて玄関を出たところで、さりげなく賢吾に切り出される。
「先生、仕事絡みの頼みがある」
「なんだ」
「――鷹津と連絡を取ってほしい」
和彦は表情を変えないまま、賢吾を見つめる。大蛇が潜んだ賢吾の目は、怜悧な光を湛えていた。
感情を排した、いかにもヤクザらしい目だなと思っていると、賢吾は言葉を続けた。
「俺のオンナとして、仕事をしてくれ」
もちろん和彦は、その言葉の意味がわかっていた。頭だけでなく、体でも。
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