血と束縛と

北川とも

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第10話

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「さあな。本名なのか、そうじゃないのか、本人が語ったことはないようだ。人当たりは柔らかだが、掴み所がない。ぼくは最近知り合ったばかりだが、つき合いの長い人間にとっても、何かと謎の多い人物らしい。一応今は、元ホストの実業家という肩書きを持っているが、あちこちの組関係者とつき合いがあるみたいだ」
 コーヒーが運ばれてきたので、物騒な会話を一旦中断する。和彦はコーヒーにミルクを入れて掻き混ぜながら、さりげなく視線を中嶋のほうに向ける。どこにでもいそうな普通の青年の顔をしたヤクザは、携帯電話を手に、どこかにメールを送っているようだった。
「――あいつ、俺たちの姿を携帯で撮ったぞ」
 突然かけられた言葉に、ハッとして鷹津を見る。だらしない姿勢で頬杖をついている鷹津だが、眼差しだけは鋭い。
「画像をどこかに送信したんだろうな。無害そうな勤め人みたいな顔して、なかなか抜け目がないな」
「長嶺組の組長のオンナと、暴力団担当係の刑事という組み合わせが、いつか何かに利用できるとでも思っているんだろう。彼はぼくより年下だが、総和会の人間だ」
「なるほど。暴対法が厄介だと感じるのは、こんなときだな。一般人を威嚇するなってことで、外で組バッジを付けられなくなったから、頭のいいヤクザほど、その一般人と見分けがつきにくくなった」
「その一方で、一目で物騒だとわかる、あんたみたいな刑事もいるわけか」
 鷹津がニヤリと笑いかけてきて、次の瞬間、和彦はピクリと肩を揺らす。テーブルの下で、靴の先に何かが触れた感触があったからだ。鷹津がわざと、靴の先を触れさせてきたのだとわかり睨みつけるが、鷹津はニヤニヤと笑うばかりだ。
「……嫌がらせのためにぼくを呼び出したんなら、帰るぞ。だいたいぼくは、秦のことはよく知らない。むしろあんたのほうが、秦の名前さえわかれば、住んでいるところや、どんな店を経営しているか、すぐに調べられるだろ」
 和彦は、あえて大事なことは鷹津には告げなかった。長嶺組組長である賢吾も、秦に興味を持ち、調べていると。この男相手に、そこまで親切に教える必要は感じなかった。
 足が露骨にすり寄せられ、顔を強張らせながら和彦は立ち上がろうとする。
「本当に帰るからな」
「――俺がどうして、自称・秦静馬に興味を持ったのか、知りたくないか?」
 立ち上がりかけた姿勢で、反射的に鷹津の顔を凝視してしまう。この時点で和彦の厄介な好奇心は、わずかながら鷹津に対する嫌悪感を上回っていた。
 ちらりと中嶋を見ると、和彦が帰ると思ったのか、同じく立ち上がりかけている。なんでもない首を横に振って見せ、和彦はイスに座り直した。満足そうに鷹津が頷く。
「……秦のことで何か知っているんなら、早く話せ」
 和彦の言葉に、もったいぶるようにゆっくりとコーヒーを啜った鷹津は、ようやく口を開いた。
「家具屋で会ったときは、なんとなく、どこかで見たツラだな、というぐらいにしか感じなかったんだ。多分、あんな明るい照明の下で会ったせいだろうな。しかもあの、あざといぐらいの紳士ぶりだ。すっかり騙された」
「二度目に会ったとき、気づいたのか」
「ああ、あの薄暗い店で見かけて、ようやくピンときた。――俺は昔、こいつを見かけたことがあると。髪の色や身につけているものを変えても、あのきれいな造りのツラだけは、整形でもしない限り、変えようがない」
 鷹津がテーブルに身を乗り出すようにして、和彦の顔を覗き込むふりをする。この男が何を言いたいのか、すぐにわかった。乱暴に息を吐き出して、投げ遣りな口調で答える。
「ああ、美容外科医のぼくの目から見て、秦の顔に不自然な施術の痕跡はない。あんたが昔見た顔のままだというなら、順調に年齢を重ねてきたはずだ」
「ということは、決まりということか……」
「――何がだ。はっきり言え」
「また胸に射精させてくれたら、続きを話してやる。その、色男のツラでもいいが」
 カッと頭に血が上った和彦は、反射的に鷹津を殴りつけようとしたが、手を振り上げる前に手首を掴まれ、テーブルの上に押さえつけられた。この間の行動はどちらも素早く、おそらく周囲の客は、殺気立ったやり取りに気づきもしなかっただろう。
「冗談だ。そうカッカとするな」
 神経を逆撫でる嫌な笑みを浮かべながら、鷹津は掴んでいた手首を離す。和彦は、いつの間にか熱くなっていた頬を乱暴に撫でると、気を落ち着かせるためにコーヒーを飲む。そんな和彦を、鷹津は無遠慮に見つめてくる。
 鷹津の中には、床に押し倒され、快感を引き出された挙げ句に、胸元を精で汚された和彦の姿が存在しているのだ。そう思うと、この男の前から消えてしまいたくなるが、逃げたくはなかった。

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