血と束縛と

北川とも

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第9話

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 一瞬にして完璧な無表情となった三田村が、低い声で電話に応対する。和彦は気にしていないふりをして立ち上がり、もう一度砂浜に下りてみる。さきほど見かけたカップルは、今はぴったりと身を寄せ合い、互いの腰に腕を回していた。微笑ましさに顔を綻ばせていると、背後から三田村に呼ばれる。
「先生」
 振り返り、険しさを増した三田村の顔を見た和彦は、すぐに階段へと戻る。
「何かあったのか?」
「あった、というほど大げさなことじゃない。ただ、俺がついている若頭のシマで、ちょっとした面倒が起こりそうだと、報告があったんだ」
 長嶺組の若頭たちは、それぞれ自分の組を持っている。実際のところは、長嶺組が治める縄張りを管理するための名目上のものだが、長嶺組直轄の配下という存在は、ヤクザの世界では特別視されるらしい。長嶺組から与えられた組の名は、その名刺のようなものだ。
 長嶺組では『若頭』である男たちは、任されている縄張りの中では、『組長』であり、組を切り盛りしなくてはならない。
 それらの組は、長嶺組に一定の上納金を納め、縄張り内での裁量の自由を得る。不義理をしない限り、長嶺組は口出ししないのだという。
 三田村が言った『シマ』とは、その長嶺組から任されている縄張りのことだ。
「今夜、シマにある店のいくつかに手入れがあるらしい」
「……警察絡み、だよな? それがどうして、今わかるんだ」
 階段を上がりながら和彦が問いかけると、三田村にちらりと視線を向けられる。それで、なんとなく理解した。
「清廉潔白な警官だけじゃない。鷹津のように、ヤクザをいたぶって、骨までしゃぶろうとした腐った奴もいれば、ヤクザに飼われて小金を得る奴もいる」
 三田村の話を聞いて、鷹津は一体、ヤクザ相手に何をしていたのかと、空恐ろしくなる。あの存在を思い返すだけで不快感に襲われるため、賢吾からあえて詳しい話を聞いていないのだが、ロクでもない男だということは確かだ。
「いつもなら、警察は何日も前から下調べをしているから、早いうちに手入れの情報は入手できるんだが、今回に限っては、突然だ。組のほうも少し混乱しているらしい。組と、その警官が繋がっていると知られたうえで、偽の情報を掴まされた可能性もあるからな」
「それで、どうするんだ?」
「今、対応を話し合っているそうだ。俺も戻ってから、若頭の元に顔を出さなきゃいけない」
 和彦は返事をしないまま、残っていたコーヒーを飲み干す。すると、すかさず伸びてきた三田村の手に缶を取り上げられた。二人はゴミ箱の前で立ち止まり、示し合わせたように互いの顔を見つめる。
「……今、警察がイレギュラーな動きをしていると聞くと、ある男の顔がまっさきに頭に浮かぶんだが、ぼくの考えすぎか?」
 和彦の言葉に、三田村は首を横に振る。
「警察の詳しい内情まではわからないが、鷹津が長嶺の周辺をうろついている限り、考えすぎということはないだろう。慎重すぎるほど慎重になって間違いはない。特に、先生は」
 三田村に促され、並んで歩きながら車へと戻る。
「いざとなれば組は、誰も立ち入れない鉄の壁そのものになる。必要とあれば、誰かが犠牲になるが、それすら、組を守るためだ。その中で先生は、組長だけじゃなく、組そのものにとっての弱点になる。かけがえのない存在だからだ。だからこそ俺たちは守るし、反対に、警察は目をつけるかもしれない」
「なんだか、大事おおごとだな……」
「怯えて暮らしてくれと言っているわけじゃない。ただ、俺たちに守られてほしいんだ」
 三田村が〈助手席〉のドアを開けてくれ、乗り込みながら和彦は、ため息交じりに洩らした。
「そんなにぼくは、危なっかしいか」
「ようやく自覚してくれたな、先生」
 生まじめな顔で三田村に言われ、和彦としては苦笑を洩らすしかなかった。




 冷蔵庫を開けた和彦は、あっ、と小さく声を洩らす。シャワーを浴びて出て飲むつもりだった牛乳がなかったからだ。必要なものがあれば、連絡さえしておけば組員が買ってきてくれるのだが、頼むのをうっかり忘れていた。
 ペットボトルのお茶はあるので、それで我慢しておこうかとも思ったのだが、欲しいものが冷蔵庫にないと、気になって仕方ない。
 少し考えてから和彦は、着込んだばかりのパジャマから、カーゴパンツとシャツに着替え、その上から上着を羽織る。髪は濡れたままだが、近所のコンビニに出かけるだけなので、わざわざ乾かす必要はない。
 ポケットに財布と鍵を突っ込み、部屋を出た。

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