血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
165 / 1,262
第9話

(13)

しおりを挟む



 和彦はオレンジジュースをもらってから、ホールの隅に置かれたイスに腰掛ける。グラスに口をつけながら、ようやく落ち着いて店内を見回すことができた。
 さほど大きな店ではないのだが、秦らしくインテリアに凝っており、華美さを極力抑えていながら、どことなく高級感が漂っている。だからといって肩が凝るほど格式張ってもいないので、不思議な居心地のよさがあった。落ち着いて食事を楽しみたい人間には、使い勝手のいい店だろう。
 経営者が秦でなければ、自分でも贔屓にしたかもしれない。そんなことを考えながら、つい気を緩めていた和彦だが、客と会話を交わしていた秦と偶然目が合い、反射的に背筋を伸ばす。
 いつにも増して艶やかで、女性客の視線をほぼ独占している美貌の男は、品のいい笑みを湛えて和彦の側にやってきた。顔の痣はすっかり消えており、表面上は、物騒なこととは無縁そうな実業家然としている。
 ただ、右手には包帯を巻いたままだ。そろそろ抜糸の心配をしなくてはならないが、さてどこで、ということになる。秦と二人きりになる危険性はよくわかっているので、和彦に同行する人間も必要だ。考えるだけで、頭が痛くなってくる。
 そんな和彦の気苦労も知らず、秦は穏やかな声で話しかけてきた。
「――壁の華、という表現は失礼ですか。先生のように魅力的な方に対して」
「来ている女性たちの熱い視線を独り占めしている男が、何言ってるんだ」
「先生こそ。女性のお客さまだけじゃなく、男性のお客さまの中にも、先生を気にされている方がいますよ」
 じろりと睨みつけると、悪びれた様子もなく秦は軽く辺りを見回した。
「先生は、ほんの少しでも同性に興味のある男を、妙に落ち着かない気分にさせるんですよ。自覚がなかった男の中から、どんどん欲望を引き出して、あっという間に取り込んで……骨抜きにしてしまう」
「……なんか、引っかかる言い方だな。性質の悪い女だと言われているみたいだ」
「女じゃなく、〈オンナ〉でしょう。怖い男たちに大事に大事にされている、特別なオンナですよ」
「おい――」
 和彦が声を荒らげようとしたとき、さらりと秦が言葉を付け加えた。
「もちろん、わたしにとっても」
 こんな場で怒鳴りつけるわけにもいかず、さらに毒気も抜かれたような状態になり、和彦は肩を落としてイスに座り直す。秦は声を洩らして笑ったが、すぐに、微かに眉をひそめて、胸元に手をやろうとした。秦のその仕種で、和彦はあることを思い出した。
「そういえば、肋骨を折っていたんだな。客の前で平然としているから、すっかり忘れていた」
「さすがに、お客さまの前で醜態を見せるわけにはいきませんから。先生は特別ですよ。事情を知っているから、つい気が緩む」
 肋骨を折ってはいても、秦の口は滑らかだ。どうやって反撃してやろうかと考えながら和彦は、ぐいっとオレンジジュースを飲み干す。そんな和彦を、秦はおもしろそうに見下ろしていた。
「お代わりをお持ちしましょうか?」
「いい。あとで自分で取ってくる」
 和彦の返事に、ああ、と納得したように秦は声を洩らす。
「また、薬を盛られることを警戒しているんですね」
「さすがにこんな場で、不埒なことをするとは思いたくないが……念のためだ」
 ここで二人組の女性客が秦に話しかける。このまま和彦の側から離れるかと思ったが、秦は愛想よく会話に応じはしたものの、ウェイターを呼んで、女性客を料理の置かれたテーブルへと案内させた。そして、和彦に向き直る。
「――招待はしたものの、先生に来ていただけると、確信はしていなかったんですよ」
 秦はさりげなく和彦の手から、空になったグラスを取り上げた。
「ぼくも、正直行くつもりはなかった。ただ、行くよう言われたんだ」
「組長から?」
「あの男は、ぼくの飼い主だからな。命令されれば、逆らえない」
「来られるなら、どなたかとご一緒かと思っていたんですが――」
「……その口ぶりだと、ぼくを利用して、長嶺組長と関わりを持とうとした目論見は、今のところうまくいってないみたいだな」
 このことについても、当然和彦は、賢吾に話してある。それでも賢吾は、秦に対してなんらかの行動を起こした様子もなく、果たして考えがあるのか、単に秦の存在が目に入っていないのか、限りなく堅気に近い和彦に推し量ることはできない。
「いつ、マンションのドアを蹴破って、長嶺組の方たちが雪崩れ込んでくるか、待っているのですけどね。今のところ、それはないですよ。だからこうして肋骨が折れた体で、派手なパーティーも開ける」
「調子に乗っていると、痛い目を見るぞ」
 和彦の忠告に対する返事のつもりか、秦は様になる仕種で肩をすくめると、次の客の相手に向かった。
 秦に、壁の華呼ばわりされて癪なので、立ち上がった和彦は壁際から離れる。ソフトドリンクばかりを飲んでいても仕方ないため、せっかくなので料理を堪能しておくことにした。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【3章まで完結】病弱な悪役令息兄様のバッドエンドは僕が全力で回避します!

松原硝子
BL
三枝貴人は総合病院で働くゲーム大好きの医者。 ある日貴人は乙女ゲームの制作会社で働いている同居中の妹から依頼されて開発中のBLゲーム『シークレット・ラバー』をプレイする。 ゲームは「レイ・ヴァイオレット」という公爵令息をさまざまなキャラクターが攻略するというもので、攻略対象が1人だけという斬新なゲームだった。 プレイヤーは複数のキャラクターから気に入った主人公を選んでプレイし、レイを攻略する。 一緒に渡された設定資料には、主人公のライバル役として登場し、最後には断罪されるレイの婚約者「アシュリー・クロフォード」についての裏設定も書かれていた。 ゲームでは主人公をいじめ倒すアシュリー。だが実は体が弱く、さらに顔と手足を除く体のあちこちに謎の湿疹ができており、常に体調が悪かった。 両親やごく親しい周囲の人間以外には病弱であることを隠していたため、レイの目にはいつも不機嫌でわがままな婚約者としてしか映っていなかったのだ。 設定資料を読んだ三枝は「アシュリーが可哀想すぎる!」とアシュリー推しになる。 「もしも俺がアシュリーの兄弟や親友だったらこんな結末にさせないのに!」 そんな中、通勤途中の事故で死んだ三枝は名前しか出てこないアシュリーの義弟、「ルイス・クロフォードに転生する。前世の記憶を取り戻したルイスは推しであり兄のアシュリーを幸せにする為、全力でバッドエンド回避計画を実行するのだが――!?

転移したらダンジョンの下層だった

Gai
ファンタジー
交通事故で死んでしまった坂崎総助は本来なら自分が生きていた世界とは別世界の一般家庭に転生できるはずだったが神側の都合により異世界にあるダンジョンの下層に飛ばされることになった。 もちろん総助を転生させる転生神は出来る限りの援助をした。 そして総助は援助を受け取るとダンジョンの下層に転移してそこからとりあえずダンジョンを冒険して地上を目指すといった物語です。

強制結婚させられた相手がすきすぎる

よる
BL
※妊娠表現、性行為の描写を含みます。

病んでる愛はゲームの世界で充分です!

書鈴 夏(ショベルカー)
BL
ヤンデレゲームが好きな平凡男子高校生、田山直也。 幼馴染の一条翔に呆れられながらも、今日もゲームに勤しんでいた。 席替えで隣になった大人しい目隠れ生徒との交流を始め、周りの生徒たちから重い愛を現実でも向けられるようになってしまう。 田山の明日はどっちだ!! ヤンデレ大好き普通の男子高校生、田山直也がなんやかんやあってヤンデレ男子たちに執着される話です。 BL大賞参加作品です。よろしくお願いします。

タイは若いうちに行け

フロイライン
BL
修学旅行でタイを訪れた高校生の酒井翔太は、信じられないような災難に巻き込まれ、絶望の淵に叩き落とされる…

不遇職とバカにされましたが、実際はそれほど悪くありません?

カタナヅキ
ファンタジー
現実世界で普通の高校生として過ごしていた「白崎レナ」は謎の空間の亀裂に飲み込まれ、狭間の世界と呼ばれる空間に移動していた。彼はそこで世界の「管理者」と名乗る女性と出会い、彼女と何時でも交信できる能力を授かり、異世界に転生される。 次に彼が意識を取り戻した時には見知らぬ女性と男性が激しく口論しており、会話の内容から自分達から誕生した赤子は呪われた子供であり、王位を継ぐ権利はないと男性が怒鳴り散らしている事を知る。そして子供というのが自分自身である事にレナは気付き、彼は母親と供に追い出された。 時は流れ、成長したレナは自分がこの世界では不遇職として扱われている「支援魔術師」と「錬金術師」の職業を習得している事が判明し、更に彼は一般的には扱われていないスキルばかり習得してしまう。多くの人間から見下され、実の姉弟からも馬鹿にされてしまうが、彼は決して挫けずに自分の能力を信じて生き抜く―― ――後にレナは自分の得た職業とスキルの真の力を「世界の管理者」を名乗る女性のアイリスに伝えられ、自分を見下していた人間から逆に見上げられる立場になる事を彼は知らない。 ※タイトルを変更しました。(旧題:不遇職に役立たずスキルと馬鹿にされましたが、実際はそれほど悪くはありません)。書籍化に伴い、一部の話を取り下げました。また、近い内に大幅な取り下げが行われます。 ※11月22日に第一巻が発売されます!!また、書籍版では主人公の名前が「レナ」→「レイト」に変更しています。

コスモス・リバイブ・オンライン

hirahara
SF
 ロボットを操縦し、世界を旅しよう! そんなキャッチフレーズで半年前に発売したフルダイブ型VRMMO【コスモス・リバイブ・オンライン】 主人公、柊木燕は念願だったVRマシーンを手に入れて始める。 あと作中の技術は空想なので矛盾していてもこの世界ではそうなんだと納得してください。 twitchにて作業配信をしています。サボり監視員を募集中 ディスコードサーバー作りました。近況ボードに招待コード貼っておきます

女神の代わりに異世界漫遊  ~ほのぼの・まったり。時々、ざまぁ?~

大福にゃここ
ファンタジー
目の前に、女神を名乗る女性が立っていた。 麗しい彼女の願いは「自分の代わりに世界を見て欲しい」それだけ。 使命も何もなく、ただ、その世界で楽しく生きていくだけでいいらしい。 厳しい異世界で生き抜く為のスキルも色々と貰い、食いしん坊だけど優しくて可愛い従魔も一緒! 忙しくて自由のない女神の代わりに、異世界を楽しんでこよう♪ 13話目くらいから話が動きますので、気長にお付き合いください! 最初はとっつきにくいかもしれませんが、どうか続きを読んでみてくださいね^^ ※お気に入り登録や感想がとても励みになっています。 ありがとうございます!  (なかなかお返事書けなくてごめんなさい) ※小説家になろう様にも投稿しています

処理中です...