血と束縛と

北川とも

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第9話

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 受付用のカウンターデスクやキャビネットが運び込まれただけで、クリニックの待合室らしくなってきたなと、腕組みしながら和彦は思う。そんな和彦の傍らを、診察室に置くデスクを抱えた業者が通り過ぎていく。
 医療機器の搬入はまだ先だが、ひとまず家具や備品だけは、運び込んでもらうことにした。できることなら、早いうちに人が過ごせる環境を整え、ここで書類仕事などをしたいと考えているのだ。そうすれば、いざ開業してから使い勝手が悪いと不満を洩らすこともないはずだ。
 来週は、クリニックに置く家電製品を買いに行く予定で、買い物好きの和彦としては楽しみにしている。当然のように千尋もつき合ってくれることになっており、すでにもう、家電量販店巡りをメインとしたデートプランは出来上っているそうだ。
 エレベーターホールから待合室まで通じる廊下の窓には、カーテンレールの取り付け工事が行われていた。カーテンがいいかブラインドがいいかずっと迷っていたのだが、改装工事が終わった待合室の雰囲気を見て、ようやくカーテンに決めたのだ。
 工事が終わったあとは、他の部屋に取りつけるブラインドとロールスクリーンの採寸をしてもらうことになっている。
 インテリアについては、秦が頼れなくなったため、結局、和彦が乏しいセンスを駆使して家具を選んだ。小物などについては、開業までの間にゆっくりと選ぶつもりだが、買い物仲間ともいえる千尋を密かに頼りにしている。
 置かれたばかりのソファに腰を下ろした和彦は、ほっと息を吐き出して背もたれに体を預ける。
 ヤクザと関わりを持ってから慌ただしい生活を送っているが、ここ最近は、身近にいる男たちの思惑もあって、精神的な重圧まで加わっている。
 クリニックが無事に開業できるまで、自分の体はもつのだろうかと、和彦はふと考えたりもするのだ。いまさら、この生活を投げ出すこともできないのだが――。
 このまま座り続けていると、しっかり寛いでしまいそうな気がして、和彦がソファから立ち上がろうとしたとき、ポケットの中で携帯電話が鳴った。電話に出ると、ビルの外で待機している組員からだ。
『先生、鷹津が来ました』
 和彦は表情を変えないまま、静かに息を吸った。
 鷹津がなんの行動も起こさないとは思っていなかったが、やはり動揺してしまう。それでも、前回顔を合わせたときとは違う。和彦にはもう、鷹津に対して弱みとなる秘密は持っておらず、怯える必要はないのだ。
『クリニックに向かうんだと思います。今から俺たちも上がります、先生は非常階段から――』
「いや、動かなくていい。刑事相手なら、下手をするとあんたたちのほうが危ない。ここはぼく一人じゃないから、手荒なことはしないだろう」
 人間性はともかく、鷹津は刑事という肩書きを持っている。それは強みではある反面、鷹津にとっては足枷ともなっている――はずだ。
 しきりに心配する組員をなんとか言い含めて電話を切ったのと、背後から声をかけられたのは、ほぼ同時だった。
 肩を震わせた和彦は、携帯電話を握り締めたまま振り返る。連絡を受けた通り、鷹津が立っていた。家具を運び込むため、クリニックの出入り口のドアを開けたままにしておいたのだが、図々しく待合室まで入り込んできたのだ。
 鋭い視線を向ける和彦を、鷹津は不愉快そうに見つめてくる。和彦の存在に思うところがあるのかもしれないし、単に、外の陽射しの強さに辟易した気分を引きずっているのかもしれない。
 今日は無精ひげを剃ってあるあごを撫でながら、ようやく鷹津が口を開いた。
「ヤクザのオンナが、ここで何を始める気だ」
 周囲に聞こえそうな声で言われ、和彦は咄嗟に、テーブルの上に置いてあったタオルを掴み、鷹津に投げつけた。一応、無礼な男に当たりはしたが、悠然と受け止められた。和彦は立ち上がり、鷹津を睨みつける。
「……なんの用だ」
「この辺りで、よく長嶺組の人間がちょろちょろしていると、所轄の人間から聞いた。どうやら、ヤクザのオンナの護衛目的のようだが、さて、そのヤクザのオンナはここで何をしているのか、という話だ」
 嫌な男だと、心底思う。『ヤクザのオンナ』というのは事実だが、鷹津に言われるたびに、どうしようもなく不愉快な気持ちになる。それを狙って、鷹津は連呼するのだ。しかも、他人の耳があるところで。
「もう一度言ったら、警察を呼ぶからな。薄汚い不審者が不法侵入の挙げ句、意味不明の言葉を喚いているといって」
 鷹津は、ドロドロとした感情がこびりついたように粘つき、ぎらついた目で和彦を見据えてくる。

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