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第6話
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しおりを挟むブランケットに包まってうとうとしていた和彦は、窓を叩く雨の存在に気づいていた。朝から雨というと、普通なら憂鬱になりそうだが、ここのところの晴天続きに辟易していたところなので、雨音が妙に耳に心地いい。
ただし、湿気を含んだ暑さを堪能する気はないので、今日は部屋に閉じこもって、書類仕事を片付けてのんびりしよう――。
和彦は取り留めもなくそんなことを考えながら、雨音を聞いていた。しかし、そんな穏やかな目覚めをぶち壊すように、無遠慮に電話が鳴った。この時間、電話をかけてくる人物はわかっている。
大きく息を吐き出してサイドテーブルに片手を伸ばし、子機を取り上げる。
『――もうすぐそっちに着く。着替えてエントランスにいろ』
電話を通しても少しも損なわれることのない、忌々しいほど魅力的なバリトンに、傲慢な命令口調はよく似合う。
前髪に指を差し込んだ和彦は、寝起きのため力のこもらない声で問いかけた。
「どこに連れて行かれるんだ」
『車の中で説明する。早く着替えろ』
それだけ告げて、電話は一方的に切られた。毒づく気にもなれず、和彦はモソモソとベッドから這い出し、身支度を整える。
なんとか眠気を我慢してエントランスに降りたとき、和彦は一瞬、自分は悪夢でも見ているのではないかと思った。というより、思いたかった。
マンションの正面玄関の前に、近寄りがたさを放つ三台の高級車が縦列で停まっており、真ん中の車のウィンドーがわずかに下ろされていた。そこから覗いた指が動き、和彦を呼ぶ。
買い物か組事務所にでも連れて行かれるのだろうかと気軽に考え、和彦はチノパンツにポロシャツという格好なのだ。車三台という仰々しさから考えると、スーツにしておくべきだった。
「……着替えに戻りたいんだが……」
賢吾が乗る車に歩み寄ってそう声をかけると、後部座席のドアを開けた賢吾がニヤリと笑う。
「その格好でいいじゃねーか。これからドライブがてら、ちょっと遠出するだけだ」
「ドライブ……」
あからさまにウソ臭いが、和彦に拒否権はない。促されるまま車に乗り込むと、速やかに走り出す。
「メシは食ってないんだろ」
「ああ」
「だったら途中でどこかに寄って、モーニングを食うぞ。俺も食ってないんだ」
そんな会話を交わしながら、賢吾に片手を握られる。ドキリとして和彦が隣を見ると、賢吾が口元に薄い笑みを湛えながら、握った手を引き寄せ、唇を押し当てた。この瞬間、艶かしい感覚が胸に広がり、和彦は息を詰める。
運転席と助手席にいる組員の存在が気になるが、当然のように、賢吾は意に介していない。
何度も指先や手の甲に唇を押し当てられ、手を引き抜くわけにもいかず、だからといって素直に反応してみせるわけにもいかない。困惑していた和彦は、とうとうこの空気に耐え切れなくなり、口を開いた。
「どこに――」
「んっ?」
ようやく賢吾の動きが止まる。ここぞとばかりに和彦は言葉を続けた。
「ドライブがてらの遠出って、どこに行くんだ」
和彦がうろたえていることに気づいているのか、てのひらに唇を押し当てた賢吾の目が楽しげに細められた。
「見舞いだ。昔、俺のオヤジと兄弟盃を交わした人で、長嶺組の傘下の組を任されていた。だが、引退してからすっかり弱ってな。いよいよ入院したという連絡が入ったんで、俺がオヤジの名代として行くことになった。一つの組を背負っていた相手だ。それ相応の礼儀や形式ってものが必要なんだ」
だから、この仰々しさなのだ。
「組長自ら?」
「俺がガキの頃に遊んでもらったりして、いろいろと世話になったし、オヤジに言えないような不始末も、内緒で処理してもらった」
「……今の千尋を見ていると、あんたの若いときのやんちゃぶりが、少しは想像できる」
「千尋はもう少し、やんちゃでもいいぐらいだな。さすがに本宅を飛び出して一人暮らしを始めたときは、頭をぶん殴って連れ戻してやろうかと思ったが――」
ふいに賢吾の腕が肩に回され、引き寄せられる。耳に熱い唇が押し当てられると、和彦は小さく身震いした。
「そのおかげで、こうして先生を手に入れられたんだから、結果としてはよくやったと褒めてやらねーとな」
「ぼくの前で、よくそんなことをヌケヌケと言えるな。少しは気をつかったらどうだ」
「気ならつかってるだろ。可愛いオンナのために、この俺が、あれこれ手を尽くしてやっている」
暗に、三田村のことを仄めかされたようだった。和彦は唇を引き結び、賢吾を睨みつけるが、当の賢吾は楽しそうに口元を緩めている。
今朝、顔を合わせたときから漠然と感じていたが、これで確信した。
賢吾は機嫌がいいようだ。
和彦の肩を抱いたまま、外の景色を見遣って賢吾が独りごちた。
「この雨が上がったら、梅雨が明けるかもな……。そうしたら、肌にまとわりつくような鬱陶しさから解放される。せめて、天気ぐらいスカッとしておいてもらわないとな」
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