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第5話
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「医者としては、やめておけと言いたいな。体によくない」
パネルを操作して、負荷を重くした和彦は大きく息を吐き出す。こんな会話を交わしながら、自分の置かれた状況も変わったものだと実感する。
他の組関係者なら、こんなところで顔を合わせたところで、互いに知らないふりをするだろうが、中嶋は別だ。
和彦がかろうじて、仕事以外で外に出ようという気になったのも、中嶋が飲みに誘ってくれたおかげだ。お互い、利用し合うという気持ちを確認しているため、気をつかわなくていい分、会話を交わしていても楽なのだ。中嶋は、飲んでいる最中に交わした雑談を覚えておいてくれ、翌日、わざわざパンフレットを持ってきてくれた。そのおかげで、このスポーツジムを知ることになり、結果として、こうして和彦は通うことになった。
賢吾や三田村のことを考えて、絶えず気持ちを揺らし続けるのは、苦しくて仕方ない。逃げることができないなら、なんらかの気分転換は必要なのだ。それが、中嶋のような男と飲むことだったり、スポーツジム通いだったりする。
「その手の人間が出入りするということは、必然的にみんな慎重になる。だからこそ、かえって揉め事が起きにくいんですよ。顔馴染みができれば、自分の組や、総和会以外の組の情報も集められるし、何より、顔を広げられる。……眺めているだけでも、いろいろ見えてきますし」
普通の青年の顔をして、中嶋は野心家である自分を隠そうとしない。そうすることが、和彦との関係では警戒されないとわかっているのだろう。
「――先生がスポーツジムを探していると聞いて、ちょっと意外な気がしたんですよ」
中嶋の言葉に、和彦は思わず自分の体を見下ろす。
「そんなにひ弱に見えるか? 最近は、ちょっと体重が落ちてはいるけど……」
「そういう意味じゃなくて――籠の鳥」
中嶋の短い言葉を聞いて、和彦は鋭い視線を向ける。中嶋は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべた。
「総和会で、ちょっとした話題の人ですよ、先生は。あの長嶺組長が、誰かに入れ揚げたことなんて、これまでなかったそうなんですよ。それが、よりによって男の先生を大事にして、挙げ句、クリニックの開業まで面倒を見てやるという執着ぶりだ。そんな先生を、長嶺組長が自由に出歩かせているというのが、意外なんです」
「籠の鳥みたいに囲っていると思ったんだな」
「まあ……、言葉は悪いですけど」
総和会や、そこに加入している組の人間から自分がどう見られているか、中嶋の話を聞いているとよくわかる。それを承知で、和彦も振る舞っているのだが、あからさまに好奇や蔑みの目で見られると、やはり傷つくのだ。
「……案外、自由に動き回れる。そうでなかったら、君に誘われて、のこのこと飲みに出かけたりしないだろ」
「店の外で、しっかり護衛が待機していたじゃないですか。それは、自由とは言いませんよ」
話しながらマシーンを漕いでいた和彦だが、いつの間にか足を止めていた。それに気づいた中嶋に声をかけられる。
「先生?」
「――なら、ここに通うのも、自由とは言えないな。……護衛をつけないと、ここに通う許可を組長からもらえなかった」
中嶋は、やけに神妙な顔をして頷いた。
「大事にされてますね、先生」
「どうだろうな。すでにぼくには、かなりの金が注ぎ込まれているから、何かあってそれを失うのが惜しいんだろ」
「それこそ、その程度の理由なら、本当の籠の鳥にしてしまったほうが楽ですよ。少なくとも、護衛をつける手間を省ける」
中嶋との会話は明快だ。和彦の言葉に対して、はっきりとした返事が返ってくる。世間話程度で終わらせるには惜しい話し相手だ。
このスポーツジムには、体を動かすだけでなく、こうして中嶋と会話を交わすために通う価値は十分ありそうだった。
和彦は時間を確認してから、帰ることを中嶋に告げる。初日ということもあり、今日はインストラクターにメニューを作ってもらってから、簡単に体を動かして引き上げるつもりだったのだ。
中嶋と別れてから、シャワーを浴びてロビーに降りると、辺りを見回す必要もなく、まっさきに目が合った人物がいる。三田村だ。
あんな場面を見たあとでも、賢吾は三田村を、護衛として和彦につけていた。
和彦や三田村を信用しているというより、何かことを起こす度胸があるならやってみろと言われているようだ――と考えるのは、単なる被害妄想なのだろうか。
賢吾の思惑はともかく、意識しすぎるせいか、慣れていたはずの三田村と二人きりで過ごす時間が、今は苦痛ですらある。
和彦の手からさりげなくバッグを受け取った三田村が口を開いた。
「――行こうか、先生」
もともと表情豊かな男ではなかったが、今の三田村は完璧な無表情を保ち、そこに凄みも加わっている。大事なこと以外話しかけてくるなと、和彦を威嚇しているようだ。
「ああ……」
たったそれだけの会話を交わして、二人は歩き出した。
パネルを操作して、負荷を重くした和彦は大きく息を吐き出す。こんな会話を交わしながら、自分の置かれた状況も変わったものだと実感する。
他の組関係者なら、こんなところで顔を合わせたところで、互いに知らないふりをするだろうが、中嶋は別だ。
和彦がかろうじて、仕事以外で外に出ようという気になったのも、中嶋が飲みに誘ってくれたおかげだ。お互い、利用し合うという気持ちを確認しているため、気をつかわなくていい分、会話を交わしていても楽なのだ。中嶋は、飲んでいる最中に交わした雑談を覚えておいてくれ、翌日、わざわざパンフレットを持ってきてくれた。そのおかげで、このスポーツジムを知ることになり、結果として、こうして和彦は通うことになった。
賢吾や三田村のことを考えて、絶えず気持ちを揺らし続けるのは、苦しくて仕方ない。逃げることができないなら、なんらかの気分転換は必要なのだ。それが、中嶋のような男と飲むことだったり、スポーツジム通いだったりする。
「その手の人間が出入りするということは、必然的にみんな慎重になる。だからこそ、かえって揉め事が起きにくいんですよ。顔馴染みができれば、自分の組や、総和会以外の組の情報も集められるし、何より、顔を広げられる。……眺めているだけでも、いろいろ見えてきますし」
普通の青年の顔をして、中嶋は野心家である自分を隠そうとしない。そうすることが、和彦との関係では警戒されないとわかっているのだろう。
「――先生がスポーツジムを探していると聞いて、ちょっと意外な気がしたんですよ」
中嶋の言葉に、和彦は思わず自分の体を見下ろす。
「そんなにひ弱に見えるか? 最近は、ちょっと体重が落ちてはいるけど……」
「そういう意味じゃなくて――籠の鳥」
中嶋の短い言葉を聞いて、和彦は鋭い視線を向ける。中嶋は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべた。
「総和会で、ちょっとした話題の人ですよ、先生は。あの長嶺組長が、誰かに入れ揚げたことなんて、これまでなかったそうなんですよ。それが、よりによって男の先生を大事にして、挙げ句、クリニックの開業まで面倒を見てやるという執着ぶりだ。そんな先生を、長嶺組長が自由に出歩かせているというのが、意外なんです」
「籠の鳥みたいに囲っていると思ったんだな」
「まあ……、言葉は悪いですけど」
総和会や、そこに加入している組の人間から自分がどう見られているか、中嶋の話を聞いているとよくわかる。それを承知で、和彦も振る舞っているのだが、あからさまに好奇や蔑みの目で見られると、やはり傷つくのだ。
「……案外、自由に動き回れる。そうでなかったら、君に誘われて、のこのこと飲みに出かけたりしないだろ」
「店の外で、しっかり護衛が待機していたじゃないですか。それは、自由とは言いませんよ」
話しながらマシーンを漕いでいた和彦だが、いつの間にか足を止めていた。それに気づいた中嶋に声をかけられる。
「先生?」
「――なら、ここに通うのも、自由とは言えないな。……護衛をつけないと、ここに通う許可を組長からもらえなかった」
中嶋は、やけに神妙な顔をして頷いた。
「大事にされてますね、先生」
「どうだろうな。すでにぼくには、かなりの金が注ぎ込まれているから、何かあってそれを失うのが惜しいんだろ」
「それこそ、その程度の理由なら、本当の籠の鳥にしてしまったほうが楽ですよ。少なくとも、護衛をつける手間を省ける」
中嶋との会話は明快だ。和彦の言葉に対して、はっきりとした返事が返ってくる。世間話程度で終わらせるには惜しい話し相手だ。
このスポーツジムには、体を動かすだけでなく、こうして中嶋と会話を交わすために通う価値は十分ありそうだった。
和彦は時間を確認してから、帰ることを中嶋に告げる。初日ということもあり、今日はインストラクターにメニューを作ってもらってから、簡単に体を動かして引き上げるつもりだったのだ。
中嶋と別れてから、シャワーを浴びてロビーに降りると、辺りを見回す必要もなく、まっさきに目が合った人物がいる。三田村だ。
あんな場面を見たあとでも、賢吾は三田村を、護衛として和彦につけていた。
和彦や三田村を信用しているというより、何かことを起こす度胸があるならやってみろと言われているようだ――と考えるのは、単なる被害妄想なのだろうか。
賢吾の思惑はともかく、意識しすぎるせいか、慣れていたはずの三田村と二人きりで過ごす時間が、今は苦痛ですらある。
和彦の手からさりげなくバッグを受け取った三田村が口を開いた。
「――行こうか、先生」
もともと表情豊かな男ではなかったが、今の三田村は完璧な無表情を保ち、そこに凄みも加わっている。大事なこと以外話しかけてくるなと、和彦を威嚇しているようだ。
「ああ……」
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