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第2話
(13)
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「なんにしても、組織として秩序と緊張感を持っているから、総和会は大きくなれたともいえる。持ち込まれた仕事をこなしておいて、損にはならない」
「長嶺組にとってか? それとも、ぼく自身にもメリットはあるのか?」
三田村は答えなかった。和彦としても特に聞きたかったわけではないので、追及しないでおく。今はそれより、三田村が総和会についてきちんと説明してくれたことに満足していた。
深入りしたくないから知らないでおくというのは、和彦が足を踏み込んでしまった世界では何より危険な行為だと、そろそろ認めなくてはいけない。
「――あの父子は、とんでもないことにぼくを巻き込んでくれたな、まったく」
そう洩らして立ち上がった和彦だが、前触れもなく足から力が抜け、ベッドにまた座り込んでしまう。それを見た三田村が目を見開き、慌てた様子で側にやってきた。
「先生っ」
「大丈夫だ。ずっと千尋の相手をして寝転がっていたから、足の感覚が少しおかしくなっているだけだ。歩いているうちに、元に戻るだろ」
和彦がもう一度立ち上がろうとすると、すかさず三田村が手を差し出してくる。和彦は手ではなく、三田村の腕を掴んでから慎重に立ち上がる。自然な動作で三田村の手が支えるように腰にかかった。
初めて、こんなに間近で三田村という男を見たかもしれない。薄い手袋越しとはいえ、和彦の中の感触を知っている男だというのに、不思議な距離を取り続けていたことになる。
こちらを気遣ってか、三田村がすぐに動こうとしないのをいいことに、和彦は間近からじっくりと観察する。和彦の視線とほぼ同じ高さにある三田村のあごの傷跡は明らかに、刃物のような刃が薄く鋭いものでつけられたもので、それだけでなく、腰にかかった左手の甲にも肉が抉れたような傷跡があった。
和彦は片手で三田村のあごに触れ、指先を傷跡に這わせる。三田村は動じた様子もなく、じっと和彦を見つめてくる。
「――……千尋が言っていた。あんたは、組長の忠実な犬だって」
「俺も聞いた。その通りだ」
「ぼくを見守る仕事を与えられたあんたは、ぼくに関して見聞きしたことは、全部組長に報告するのか?」
「全部じゃない。俺が大事だと思ったことだけを伝える」
なるほど、と呟いてから、和彦は体を離す。それでも三田村の腕は掴んでおく。
「……今から言うことは、ぼくの独り言だからな」
三田村は返事をしなかったが、かまわず和彦は〈独り言〉を洩らした。
「千尋がこの部屋じゃなく、別の場所に一緒に逃げようと言ったら、ぼくは喜んでついていった。それから、可愛い犬っころのような千尋を騙して、今度は自分一人で逃げていた」
「あんたにその度胸はない。それができるなら、とっくに一人で逃げ出しているはずだ」
素っ気なく応じられ、和彦は横目で三田村を睨みつける。
「他人の独り言を、バッサリ切り捨てるな」
「だったら先生も、俺を試すようなことはするな。俺は、先生よりずっと長く組に飼われていて、飼い主に逆らうことはしない。それは別に、暴力や恐怖で抑えつけられているからじゃない。俺にとって居心地のいい大事な場所を守るためだ。組長は、その場所の大黒柱だ。だから俺は、組長の犬でいる。それを恥じてもない」
嫌な男だ、と心の中で吐き出してから、和彦は最後にもう一つ三田村に問いかけた。
「今交わした会話も、組長に報告するのか?」
「俺が大事だと思えば」
それは答えになってないと思ったが、納得したふりをして、掴んでいた三田村の腕から手を離した。
熟睡しているところを叩き起こされて不機嫌だった和彦だが、千尋の顔を見て、怒鳴る気も失せた。
「――……傷、手当てしてやろうか?」
二つ並んだベッドに分かれて座ったところで、思わずそう問いかけてしまうほど、千尋の顔半分は派手になっている。
「こいつをあまり甘やかすなよ、先生。俺がなんのために、心を鬼にして拳を振り上げたと思ってるんだ」
千尋の隣に腰掛けた賢吾が、ニヤリと笑いかけてくる。和彦は呆れて顔をしかめる。
「……あのあと、朝っぱらから千尋を殴ったのか?」
「こいつに説教していたら、あまりに聞き分けが悪いからな」
「ヤクザが説教……。性質の悪い冗談だ」
さらに呆れた和彦は、ちらりと視線を部屋の隅に向ける。無表情の三田村の姿が、当然のようにあった。
今朝早くの会話を思い出したが、あえて頭から追い払う。
総和会からの依頼ということで、早朝に連れ出された和彦が向かったのは、ビジネス街のビルの一室に入った歯科クリニックだった。ただし、看板が出てはいたがすでに廃業しており、機材だけがそのまま残されていた。それと、血の匂い。
和彦の他にかなり年配の医者も呼ばれており、大怪我を負った患者の手術を二人で行ったのだ。処置を必要とする箇所の多さと、年配の医者の震える手元の怪しさから、急遽、和彦が呼ばれたという話だ。
患者は、一つ一つの怪我は致命的なものではなかったのだが、体のあちこちに負った刺し傷はひどいものだった。自分でつけた傷だと知らされゾッとはしたものの、和彦は自分から総和会の人間に質問をぶつけたりはしなかった。患者が薬物依存の果ての錯乱状態にあるとわかり、得るべき情報はそれで十分だと判断したのだ。長嶺組だけでなく、総和会の事情にまで首を突っ込む気はない。
とにかく数時間に及ぶ手術を無事に終え、あとの処置を年配の医者に任せてから、宿泊しているホテルのツインルームに戻ってきた。
神経の高ぶりを認識しつつも、ベッドに潜り込んで、ようやく一人での睡眠を手に入れたと思ったら――。
「……それで、なんの用だ。ぼくは豪華な夕食をご馳走になるより、このまま眠らせてもらったほうがありがたいんだが」
和彦は、突如として押しかけてきた父子を睨みつける。ベッドに並んで腰掛けた賢吾と千尋は、視線を交わし合ってから、なんの前触れもなく千尋だけが深々と頭を下げた。
「先生、ごめんっ」
意味がわからなくて賢吾を見ると、あまり品のよくない笑みを浮かべながら教えてくれた。
「お前を拉致して軟禁して、好き放題やったことを謝ってるんだ」
「長嶺組にとってか? それとも、ぼく自身にもメリットはあるのか?」
三田村は答えなかった。和彦としても特に聞きたかったわけではないので、追及しないでおく。今はそれより、三田村が総和会についてきちんと説明してくれたことに満足していた。
深入りしたくないから知らないでおくというのは、和彦が足を踏み込んでしまった世界では何より危険な行為だと、そろそろ認めなくてはいけない。
「――あの父子は、とんでもないことにぼくを巻き込んでくれたな、まったく」
そう洩らして立ち上がった和彦だが、前触れもなく足から力が抜け、ベッドにまた座り込んでしまう。それを見た三田村が目を見開き、慌てた様子で側にやってきた。
「先生っ」
「大丈夫だ。ずっと千尋の相手をして寝転がっていたから、足の感覚が少しおかしくなっているだけだ。歩いているうちに、元に戻るだろ」
和彦がもう一度立ち上がろうとすると、すかさず三田村が手を差し出してくる。和彦は手ではなく、三田村の腕を掴んでから慎重に立ち上がる。自然な動作で三田村の手が支えるように腰にかかった。
初めて、こんなに間近で三田村という男を見たかもしれない。薄い手袋越しとはいえ、和彦の中の感触を知っている男だというのに、不思議な距離を取り続けていたことになる。
こちらを気遣ってか、三田村がすぐに動こうとしないのをいいことに、和彦は間近からじっくりと観察する。和彦の視線とほぼ同じ高さにある三田村のあごの傷跡は明らかに、刃物のような刃が薄く鋭いものでつけられたもので、それだけでなく、腰にかかった左手の甲にも肉が抉れたような傷跡があった。
和彦は片手で三田村のあごに触れ、指先を傷跡に這わせる。三田村は動じた様子もなく、じっと和彦を見つめてくる。
「――……千尋が言っていた。あんたは、組長の忠実な犬だって」
「俺も聞いた。その通りだ」
「ぼくを見守る仕事を与えられたあんたは、ぼくに関して見聞きしたことは、全部組長に報告するのか?」
「全部じゃない。俺が大事だと思ったことだけを伝える」
なるほど、と呟いてから、和彦は体を離す。それでも三田村の腕は掴んでおく。
「……今から言うことは、ぼくの独り言だからな」
三田村は返事をしなかったが、かまわず和彦は〈独り言〉を洩らした。
「千尋がこの部屋じゃなく、別の場所に一緒に逃げようと言ったら、ぼくは喜んでついていった。それから、可愛い犬っころのような千尋を騙して、今度は自分一人で逃げていた」
「あんたにその度胸はない。それができるなら、とっくに一人で逃げ出しているはずだ」
素っ気なく応じられ、和彦は横目で三田村を睨みつける。
「他人の独り言を、バッサリ切り捨てるな」
「だったら先生も、俺を試すようなことはするな。俺は、先生よりずっと長く組に飼われていて、飼い主に逆らうことはしない。それは別に、暴力や恐怖で抑えつけられているからじゃない。俺にとって居心地のいい大事な場所を守るためだ。組長は、その場所の大黒柱だ。だから俺は、組長の犬でいる。それを恥じてもない」
嫌な男だ、と心の中で吐き出してから、和彦は最後にもう一つ三田村に問いかけた。
「今交わした会話も、組長に報告するのか?」
「俺が大事だと思えば」
それは答えになってないと思ったが、納得したふりをして、掴んでいた三田村の腕から手を離した。
熟睡しているところを叩き起こされて不機嫌だった和彦だが、千尋の顔を見て、怒鳴る気も失せた。
「――……傷、手当てしてやろうか?」
二つ並んだベッドに分かれて座ったところで、思わずそう問いかけてしまうほど、千尋の顔半分は派手になっている。
「こいつをあまり甘やかすなよ、先生。俺がなんのために、心を鬼にして拳を振り上げたと思ってるんだ」
千尋の隣に腰掛けた賢吾が、ニヤリと笑いかけてくる。和彦は呆れて顔をしかめる。
「……あのあと、朝っぱらから千尋を殴ったのか?」
「こいつに説教していたら、あまりに聞き分けが悪いからな」
「ヤクザが説教……。性質の悪い冗談だ」
さらに呆れた和彦は、ちらりと視線を部屋の隅に向ける。無表情の三田村の姿が、当然のようにあった。
今朝早くの会話を思い出したが、あえて頭から追い払う。
総和会からの依頼ということで、早朝に連れ出された和彦が向かったのは、ビジネス街のビルの一室に入った歯科クリニックだった。ただし、看板が出てはいたがすでに廃業しており、機材だけがそのまま残されていた。それと、血の匂い。
和彦の他にかなり年配の医者も呼ばれており、大怪我を負った患者の手術を二人で行ったのだ。処置を必要とする箇所の多さと、年配の医者の震える手元の怪しさから、急遽、和彦が呼ばれたという話だ。
患者は、一つ一つの怪我は致命的なものではなかったのだが、体のあちこちに負った刺し傷はひどいものだった。自分でつけた傷だと知らされゾッとはしたものの、和彦は自分から総和会の人間に質問をぶつけたりはしなかった。患者が薬物依存の果ての錯乱状態にあるとわかり、得るべき情報はそれで十分だと判断したのだ。長嶺組だけでなく、総和会の事情にまで首を突っ込む気はない。
とにかく数時間に及ぶ手術を無事に終え、あとの処置を年配の医者に任せてから、宿泊しているホテルのツインルームに戻ってきた。
神経の高ぶりを認識しつつも、ベッドに潜り込んで、ようやく一人での睡眠を手に入れたと思ったら――。
「……それで、なんの用だ。ぼくは豪華な夕食をご馳走になるより、このまま眠らせてもらったほうがありがたいんだが」
和彦は、突如として押しかけてきた父子を睨みつける。ベッドに並んで腰掛けた賢吾と千尋は、視線を交わし合ってから、なんの前触れもなく千尋だけが深々と頭を下げた。
「先生、ごめんっ」
意味がわからなくて賢吾を見ると、あまり品のよくない笑みを浮かべながら教えてくれた。
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