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第2話
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ガキだ、と和彦は心の中で呟く。
わかってはいるつもりだったが、予想を超えて千尋はガキだ。しかも、厄介な癇癪を抱えた、二十歳のガキ。
和彦は露骨に大きなため息をついて、ゆっくりと足を組み替える。ガキの機嫌を取るほど、実は和彦にも心の余裕はなかった。
「――……何が気に食わないんだ、お前は」
そう問いかけると、正面のソファにあぐらをかいて座った千尋がふいっと顔を背け、ぼそっと答えた。
「何もかも」
「ああ、そうか。ぼくの存在そのものも気に食わないんだな。だったら、こうして向き合っていても時間の無駄だ。帰るぞ」
ぞんざいな口調で応じた和彦が立ち上がろうとすると、千尋が慌てた様子でテーブルに身を乗り出してくる。
「待ってよっ……。誰もそこまで言ってないだろ」
「話があると言って人を呼び出したのはお前だぞ。用件を早く言え。ぼくは忙しいんだ」
「……組の仕事があるから?」
子供のようにふてくされていた千尋が、今度は急に頼りない口調となる。
やっぱりガキだと、また心の中で呟いてから、和彦は足を組み直す。そこに、タイミングがいいのか悪いのか、トレーを手に三田村がリビングに入ってきて、二人の前に新たなコーヒーを出した。
長嶺組の組長直属で動いているような男に、こんな仕事をさせていいのだろうかとも思ったが、組員たちの詰め所で和彦がキッチンに立つのは許されない。賢吾がどんな説明をしたのか知らないが、長嶺組における和彦の扱いは、かなり破格のものだった。行動をともにしている三田村の存在が名刺代わりになっているらしく、組員たちの態度がいちいち恭しい。
そんな組員たちの和彦に対する対応を見て、ますます千尋の機嫌が悪くなる。
一礼した三田村がテーブルから離れようとしたので、和彦は今度こそはと呼び止める。最初のコーヒーを出されたときは、組長に連絡を取らないといけないと言われ、逃げられたのだ。
「――三田村さん、あんたもこの場に残ってくれ」
すかさず千尋がじろりと三田村を見たが、当の三田村は、相変わらずごっそりと感情をどこかに置き忘れたかのように眉一つ動かさない。きちんとスーツを着込んだ姿は、多少強面ながら、無理をすればビジネスマンに見えなくもない。ただ、全身から発する空気が鋭すぎる。賢吾の、あからさまに見せつけてくる威圧感とはまた違う怖さを秘めていた。
この男と最悪の対面を果たして一か月近く経つ和彦だが、いまだに声をかけるのに一瞬のためらいを覚える。
「お宅の組長は、自分の息子にどこからどこまで説明したんだ」
「さあ。さすがに俺も、そんな立ち入ったことまでは――」
「三田村に聞かないで、俺に直接聞けよ、先生っ」
千尋の怒鳴り声が鼓膜に突き刺さり、和彦は顔をしかめる。今朝、突然、携帯電話に連絡が入ったときも、千尋はこうして興奮した様子で怒鳴っていたのだ。せっかく和彦が携帯電話の番号を変えたというのに、三田村経由で聞きだしたらしい。
余計なことをと思いはしたが、三田村にしてみれば、千尋は組長の大事な一人息子だ。何か頼まれれば、断れるはずもない。
子供のように癇癪を爆発させ、ときには拗ねたりする千尋と電話で話していても埒が明かないため、結局外で会うことになった。ただ、なんとか二人きりで会う状況に持ち込もうとする千尋を警戒して、三田村に相談してから、長嶺組に関係するこの場所を指定した。組に関することはすべて三田村に聞けと言われているためだ。
総和会を構成する組の一つである長嶺組の傘下には、さらにいくつもの形態や呼称の異なる組織が存在し、組事務所だけでも何か所もあるのだという。さらに、組員たちが休憩を取ったり、宿泊するための場所もいくつも確保しているのだそうだ。
和彦たちが今いる古い雑居ビルの一室も、そういう場所らしい。表向きは小さな会社のオフィスとなっているため、出入りする人間も、見た目からは本業をうかがわせない。和彦たちがリビングを借りている間、他の人間たちは営業活動と称して、外出してくれていた。
「……先生が、うちの組に協力してくれることになった、と電話で言われただけだ」
「それだけか」
「それだけだよ。だから、わけがわからないんだ。オヤジは昔から、俺にわかりやすく説明するってことを一度もしたことがない。だから先生に直接聞こうと思った」
和彦は、千尋に対しては同情を、賢吾に対しては呆れていた。他人の父子関係をどうこう言う気はないが、コミュニケーションに少しばかり問題があるのではないかと思ってしまう。
もっとも、和彦と賢吾の関係をすべて知られてしまっては、それはそれで面倒なのだが。賢吾はその辺りの説明が億劫で、こちらに丸投げしたのではないかと邪推もできる。
和彦は乱雑に前髪を掻き上げてから、苦々しく告げた。
「端的に言うなら、お前の父親の説明で間違ってはいない」
「奥歯にものが挟まったような言い方だな。――で、どうして心変わりしたんだ。先生、あからさまに組を怖がってただろ。関わるのも嫌って感じだった」
今もその気持ちは変わってない。ヤクザと関わるなど心底嫌で仕方ないし、できることならさっさと縁を切ってしまいたい。
落ち着きなくまた足を組み替えた和彦は、ちらりと三田村を一瞥する。三田村が、こうして千尋と交わす会話を逐次賢吾に報告するのかと思ったら、迂闊なことが言えたものではない。賢吾の意思に逆らうつもりはないため意識する必要もないのだが、やはり反応が気になる。
「……いろいろあったんだ」
「いろいろあって、オヤジに独立させてもらうのか。想像つくと思うけど、ヤクザにそんなことで面倒見てもらうと、あとあとロクな目に遭わないよ」
生まじめな顔で千尋に言われ、和彦としては笑うしかない。ヤクザの組長の息子で、将来は跡を継ぐと言い切っている青年に、至極もっともな忠告をもらう状況は、もはや冗談にしかなっていない。
すぐに笑うのに疲れた和彦は、深いため息をつく。
「火遊びの代償は、高くついたということだな。そもそも、火遊びだという自覚すらなかった。気がついたときには、延焼して手遅れだったという感じだ」
わかってはいるつもりだったが、予想を超えて千尋はガキだ。しかも、厄介な癇癪を抱えた、二十歳のガキ。
和彦は露骨に大きなため息をついて、ゆっくりと足を組み替える。ガキの機嫌を取るほど、実は和彦にも心の余裕はなかった。
「――……何が気に食わないんだ、お前は」
そう問いかけると、正面のソファにあぐらをかいて座った千尋がふいっと顔を背け、ぼそっと答えた。
「何もかも」
「ああ、そうか。ぼくの存在そのものも気に食わないんだな。だったら、こうして向き合っていても時間の無駄だ。帰るぞ」
ぞんざいな口調で応じた和彦が立ち上がろうとすると、千尋が慌てた様子でテーブルに身を乗り出してくる。
「待ってよっ……。誰もそこまで言ってないだろ」
「話があると言って人を呼び出したのはお前だぞ。用件を早く言え。ぼくは忙しいんだ」
「……組の仕事があるから?」
子供のようにふてくされていた千尋が、今度は急に頼りない口調となる。
やっぱりガキだと、また心の中で呟いてから、和彦は足を組み直す。そこに、タイミングがいいのか悪いのか、トレーを手に三田村がリビングに入ってきて、二人の前に新たなコーヒーを出した。
長嶺組の組長直属で動いているような男に、こんな仕事をさせていいのだろうかとも思ったが、組員たちの詰め所で和彦がキッチンに立つのは許されない。賢吾がどんな説明をしたのか知らないが、長嶺組における和彦の扱いは、かなり破格のものだった。行動をともにしている三田村の存在が名刺代わりになっているらしく、組員たちの態度がいちいち恭しい。
そんな組員たちの和彦に対する対応を見て、ますます千尋の機嫌が悪くなる。
一礼した三田村がテーブルから離れようとしたので、和彦は今度こそはと呼び止める。最初のコーヒーを出されたときは、組長に連絡を取らないといけないと言われ、逃げられたのだ。
「――三田村さん、あんたもこの場に残ってくれ」
すかさず千尋がじろりと三田村を見たが、当の三田村は、相変わらずごっそりと感情をどこかに置き忘れたかのように眉一つ動かさない。きちんとスーツを着込んだ姿は、多少強面ながら、無理をすればビジネスマンに見えなくもない。ただ、全身から発する空気が鋭すぎる。賢吾の、あからさまに見せつけてくる威圧感とはまた違う怖さを秘めていた。
この男と最悪の対面を果たして一か月近く経つ和彦だが、いまだに声をかけるのに一瞬のためらいを覚える。
「お宅の組長は、自分の息子にどこからどこまで説明したんだ」
「さあ。さすがに俺も、そんな立ち入ったことまでは――」
「三田村に聞かないで、俺に直接聞けよ、先生っ」
千尋の怒鳴り声が鼓膜に突き刺さり、和彦は顔をしかめる。今朝、突然、携帯電話に連絡が入ったときも、千尋はこうして興奮した様子で怒鳴っていたのだ。せっかく和彦が携帯電話の番号を変えたというのに、三田村経由で聞きだしたらしい。
余計なことをと思いはしたが、三田村にしてみれば、千尋は組長の大事な一人息子だ。何か頼まれれば、断れるはずもない。
子供のように癇癪を爆発させ、ときには拗ねたりする千尋と電話で話していても埒が明かないため、結局外で会うことになった。ただ、なんとか二人きりで会う状況に持ち込もうとする千尋を警戒して、三田村に相談してから、長嶺組に関係するこの場所を指定した。組に関することはすべて三田村に聞けと言われているためだ。
総和会を構成する組の一つである長嶺組の傘下には、さらにいくつもの形態や呼称の異なる組織が存在し、組事務所だけでも何か所もあるのだという。さらに、組員たちが休憩を取ったり、宿泊するための場所もいくつも確保しているのだそうだ。
和彦たちが今いる古い雑居ビルの一室も、そういう場所らしい。表向きは小さな会社のオフィスとなっているため、出入りする人間も、見た目からは本業をうかがわせない。和彦たちがリビングを借りている間、他の人間たちは営業活動と称して、外出してくれていた。
「……先生が、うちの組に協力してくれることになった、と電話で言われただけだ」
「それだけか」
「それだけだよ。だから、わけがわからないんだ。オヤジは昔から、俺にわかりやすく説明するってことを一度もしたことがない。だから先生に直接聞こうと思った」
和彦は、千尋に対しては同情を、賢吾に対しては呆れていた。他人の父子関係をどうこう言う気はないが、コミュニケーションに少しばかり問題があるのではないかと思ってしまう。
もっとも、和彦と賢吾の関係をすべて知られてしまっては、それはそれで面倒なのだが。賢吾はその辺りの説明が億劫で、こちらに丸投げしたのではないかと邪推もできる。
和彦は乱雑に前髪を掻き上げてから、苦々しく告げた。
「端的に言うなら、お前の父親の説明で間違ってはいない」
「奥歯にものが挟まったような言い方だな。――で、どうして心変わりしたんだ。先生、あからさまに組を怖がってただろ。関わるのも嫌って感じだった」
今もその気持ちは変わってない。ヤクザと関わるなど心底嫌で仕方ないし、できることならさっさと縁を切ってしまいたい。
落ち着きなくまた足を組み替えた和彦は、ちらりと三田村を一瞥する。三田村が、こうして千尋と交わす会話を逐次賢吾に報告するのかと思ったら、迂闊なことが言えたものではない。賢吾の意思に逆らうつもりはないため意識する必要もないのだが、やはり反応が気になる。
「……いろいろあったんだ」
「いろいろあって、オヤジに独立させてもらうのか。想像つくと思うけど、ヤクザにそんなことで面倒見てもらうと、あとあとロクな目に遭わないよ」
生まじめな顔で千尋に言われ、和彦としては笑うしかない。ヤクザの組長の息子で、将来は跡を継ぐと言い切っている青年に、至極もっともな忠告をもらう状況は、もはや冗談にしかなっていない。
すぐに笑うのに疲れた和彦は、深いため息をつく。
「火遊びの代償は、高くついたということだな。そもそも、火遊びだという自覚すらなかった。気がついたときには、延焼して手遅れだったという感じだ」
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