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18.「お前は雑魚だけど抱かれ心地は最高じゃの。雑魚だけど」

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大陸南部を支配する国、オルゼオン帝国。
この大陸随一の軍事力と領土を併せ持つ大国である。
その国土は広大かつ、肥沃な平野部に大森林、山岳地などの自然に恵まれており他国を圧倒する資源を有し、その存在は大陸全土に知れ渡っている。
そんな栄華を誇る帝国であるがその歴史は血に塗れており、他国との抗争の連続であった。
領土拡大のためには手段を選ばず、帝国主義を国是として掲げている。他国を武力によって併呑し、時には内部分裂を引き起こして自滅させる。
そんな非道な手段を取ってでも、この大陸の統一を目指しているのだ。その結果、オルゼオン帝国は大陸の覇権まで後一歩……という位置にまで到達した。

だが、それ故に敵は多い。

帝国に勝るとも劣らない強大な勢力を誇る、ヴィンフェリア王国。
とある神を崇め、そして異教徒の存在を認めないアーメリア神聖国。
広大な草原に居を構え、獣人を主種族とするジズド部族連合。

その全てが帝国の侵攻を拒み、そしてそれを成す力を持つ強国である。
如何な帝国とて全てを敵に回し勝てる程甘くはなく、睨み合う事で均衡を保っているのが現状であった。
それでも帝国は諦めることなく、逆に好機とばかりに他国への挑発を繰り返しており、その結果大陸には更なる戦渦の火種が燻っている。

大陸は、今や爆発寸前の火薬庫も同然であった──



♢   ♢   ♢


帝国の中心的都市であり、政治や経済の中心地でもある帝都ラディウス。
その中心に位置する皇城の門の前に、豪華絢爛な馬車が到着した。
白を基調とした外装に、金と銀をふんだんに使った装飾品が取り付けられている。見る者が見れば、一眼見ただけでも相当高位の貴族が所有する馬車である事が分かるだろう。
そして、それは事実として王族に次ぐ最高位の爵位である公爵の貴族紋が刻まれていた。
そんな馬車が皇城の前に止まった事で、衛兵たちは反射的に身構える。
そして、馬車の扉が開かれると──そこから出て来た人物に、皆一様に敬礼した。

「ノーヴァ公爵家先代・ミラージュ・ノーヴァ様、御到着!」

衛兵の高らかな声が響き渡る。それと同時に馬車の扉が開かれ、その中から一人の女性がゆっくりと降りて来た。
白銀に煌めく髪を三つ編みにし、それを頭の後ろで束ねた、凛とした雰囲気を漂わせる女性。その顔立ちは、年相応に大人びてこそいるがどこか幼さも感じさせる。
長身かつ、引き締まった体躯に、軍服の上からでも分かる美しい肢体。
顔立ちは美形と言って差し支えないのだが、その目つきは鋭く常に敵を見据えているような、そんな印象を人々に抱かせた。
威厳に満ちたその佇まいに、衛兵たちは圧倒されたように沈黙する。

この威厳に満ち、そして圧倒的な覇気を放つ人物こそが武門のいただき、ノーヴァ公爵家先代ミラージュ──

「母上、到着致しましたよ」
「うむ、うむ」

──ではなかった。

長身の女性の後に続くように出て来た、同じく白銀の髪をした少女。
その背丈は最初に出てきた女性の胸元までしか背丈がなく、声も幼さを感じさせる。
まるで幼子のようだが、その身に纏う軍服、そして数々の勲章が彼女が単なる小さな女性ではない事を証明していた。

「ご苦労なのじゃ」

子供……ではなく、小さな女性がそう声をかけると、衛兵たちは恐縮したように敬礼した後、門を開放した。
この場には彼女が少女にしか見えないからと言って、侮る者は誰一人としていない。
何故なら彼女こそがノーヴァ公爵家の壮麗なる大御所、先代公爵ミラージュであるからだ。
小さな体躯に、あどけない容姿。可愛らしい子供にしか見えぬミラージュであるが、実は御年50歳を超える大御所なのである。
如何なる魔法か、それとも呪いか……。彼女は年齢を感じぬ不思議な美貌を維持していた。
だが、そのカリスマ性と美貌(?)は衰える所を知らず、むしろ年々増すばかりであった。
そんな偉大なる先代公爵の威厳に満ちた姿に圧倒されていた衛兵たちであったが、小さなミラージュに促されると一斉に姿勢を正し敬礼する。

「はっ! 皇帝陛下がミラージュ様をお待ちです!」
「うむ、それでは行くとするかの」

衛兵たちの敬礼に、小さなミラージュは威厳に満ち溢れた態度で頷き返す。
そんな小さな御婦人と威容のある態度は不思議で、彼女を見慣れない衛兵は笑いそうになってしまう。
だがそんな事をしようものなら次の瞬間には首が飛びかねないため、必死に堪えて不動の姿勢を保っていた。

「プラネ!早う行くぞ!」

ミラージュは背後にいた長身の軍服姿の女性……プラネを急かすようにそう言った。
ミラージュとは違い外見そのものに威厳と優美さを携えた、白銀の女性、プラネ。
彼女もまたノーヴァ公爵家の一員であり、ミラージュの実の娘である。
小さな体躯のミラージュだが、経産婦なのだ。というか孫までいる……。

──そして、アイリスの実母でもあった。

「では参りましょうか、母上」
「うむ」

そうして二人は手を取り合って皇帝が住まう巨大な城の中へと歩を進めていく。
その後ろ姿を見送る衛兵達だが、手を繋いで歩く二人を見て全員がこう思っていた。

プラネが母親で、ミラージュが娘にしか見えない──っと。



♢   ♢   ♢



「ふむ……うむむ……」

荘厳な造りをした城の廊下を、小さな大御所と長身の女性の親子が歩いていた。
威厳に満ちた表情(ように見える)で何事かをブツブツと呟きながら歩くミラージュに、その後ろを静かに歩くプラネは、彼女の言葉に耳を傾けていた。

「のう、プラネ」

唐突にそう声をかけられて、プラネは思考の海から抜け出して顔を上げる……いや、下げる。そこには真剣な面持ちで自分を見詰める母の姿があった。

「如何致しましたか」

プラネがそう問うと、ミラージュは両手を突き出しまるで抱っこをせがむ子供のような格好で、こう言った。

「歩き疲れた。抱っこしてくりゃれ」
「……」

母の言葉に、プラネは無表情になる。そして大きくため息を吐くとーーー

「またですか、母上」

母を見下ろしながら、呆れたようにそう言った。
そう……また、だ。彼女が自分の事を呼ぶ時は、大体がそんな事ばかり。
この御人は見た目通り我が儘で、子供のように無邪気だ。だが、見た目とは違い歳を重ねているので最近は歩く事も億劫になっているのかこうして抱っこをせがむ事が増えた。

「はよせんか。妾は歩き疲れたのじゃ!はよ!はよ!」

ピョンピョンと飛び跳ねて抱っこをせがむミラージュに、プラネは深々とため息を吐くとしょうがないなと膝を折り、母の身体を抱き上げた。
ミラージュは満足気な表情を浮かべ、プラネに抱っこされる。

「うむ、やはり良いのう。楽じゃ」
「……」

他人が見ると奇妙な光景……というか娘を抱っこする母親という至って微笑ましい絵柄に見えるだろうが実際は違う。
実際は母を介護する娘である。だが、プラネは何も言わない。言ったところで何かが変わる訳でもないし、彼女に逆らえるわけがないのだ。

ノーヴァ公爵家・先代ミラージュ。大御所とも言われるように彼女は小さな身体で大きな影響力をノーヴァ家の内外に及ぼしていた。
かつてノーヴァ公爵家の当主を務めていたミラージュは歴戦の戦士であり、そして希代の策略家でもあった。
公爵家を治めるだけでなく、自身も戦場に立ちその武勇を示した過去を持つ。
ノーヴァ一族特有の身体能力の高さも然る事ながら、その知力や軍略で帝国軍を率い数多の戦に勝利してきた大将軍である。
この小さな身体の何処にそんな力が秘められているのか、時には最前線で指揮を取る姿も目撃されている程だ。
そんな勇猛果敢で知謀に富み、戦場では前線に立って兵士たちを鼓舞し、そして戦が終わると勝利を祝うために自ら祝杯のワインを掲げる。
帝国の誉れとも言われ、先代皇帝の代から仕える彼女は他国からも畏れ、そして敬われている。

「少し歩いただけで何を仰っているのですか」
「老婆には辛い距離なの!全く……妾はか弱いご隠居なんじゃからもっと労らんかい」

そんな戦の化身とも言える先代ノーヴァ公ミラージュだが、娘に家督を譲ってからは"ぐーたら"な生活を送る日々を送っていた。
今の彼女を見たらきっと誰もが失望するだろう……。そう、今の彼女は完全にぐーたらなご隠居なのだ。
かつて戦場を駆け抜けた歴戦の猛者は何処に消えたのか、彼女は1日の大半を屋敷で過ごすほど活発に動く事がなくなり、現在は豪華な部屋で食っちゃ寝を繰り返しているのだ。
そんな母のだらしない姿に、プラネはため息を吐きつつも彼女を介護している訳なのだが。

「お前は雑魚だけど抱かれ心地は最高じゃの。雑魚だけど」
「……」

そう言いプラネの頭をパシパシと叩くミラージュ。
その態度にプラネは無表情になると、思わずこのババァをこのまま地面に叩き付けたい衝動に駆られるがグっと我慢する。
この女は傲慢で、横柄で、尊大で、自分勝手で、自由奔放で、とにかく色々と言いたいことはあるのだが、彼女には逆らえない。
何故なら彼女はこのノーヴァ公爵家の頂点にして実質的な最高権力者だからだ。

「私のような雑魚に抱かれるのが嫌ならばアイリスお姉様に抱かれては如何です」

アイリスの名前が出た途端、抱かれていたミラージュの動きがピタリと止まる。
そしてギロリとプラネを睨み付けると、まるで鬼のような形相で彼女へ詰め寄った。

「アレの名を二度と口にするでない。アレはクソゴミのビチクソのどアホ女じゃ。ノーヴァ公爵家の品位を下げる汚物じゃ。そんなアレの名を妾の前で口にするな」

自分の娘にこの言いよう……酷いものである。
だが、無理もない。何故ならばアイリスという人物は周囲に混乱と混沌を齎す、破滅を齎す存在なのだ。
ミラージュが嫌悪するのも致し方ない事なのだが……。

「つーかあんな化け物みたいな力で抱っこされてみろ!妾の可憐で華奢で可愛い身体が折れ曲がって即死するわっ!というか何故アレは力加減が出来ぬのじゃ!どうしてアレが妾の娘なのじゃ!?」

アイリスが化け物じみた存在なのはプラネも知る所であり、彼女もそれには異論を唱えるつもりはないが……プラネからすると母、ミラージュも相当な化け物の枠に入っている。
隠居してぐーたらになった母ではあるが、その実力は未だ衰えておらずデコピン一つで建築物を破壊できる程の力を有しているのだ。
自らを可憐で華奢で可愛いと称しているようだが、その本性は姉であるアイリスとなんら代わりがないとプラネは内心思っていた。

「お前は妾の娘とは思えぬほどの糞雑魚だが抱き方だけは上手いからのぅ。最初からお前を当主にしておけば良かったわ」

再びポコポコとプラムの頭を叩くミラージュ。なお、ポコポコという表現ではあるが実際は脳震盪が起こり得るレベルの衝撃であり、それがミラージュの力の凄まじさを物語っている。
そして彼女が言うようにプラネはノーヴァ公爵家の中では力が弱い方であった。
拳一つで大軍勢を殲滅できる姉アイリスや咆哮だけで地震を起こせる母ミラージュと違って、プラネはそんな事が出来ない。
ていうか普通の人間はそんな事出来ない……。

「私はまだ当主になるとは言っておりませんが」
「今更何を言うとるんじゃ。適任なのはお前しかおらんのだからさっさと当主になれ。カルカナは……ちょっとヤベー奴だし、ピレネーは相変わらず行方不明だし、アイラは幼すぎるし……」

実はミラージュには5人の娘がいる。アイリスは次女でプラネは三女である。
ミラージュは5人もいるんだから後継ぎには問題がない……と思っていたのだが、現実は割と甘くなかった。
長女はヤベー奴、次女はクソアホ、三女はクソ雑魚、四女は行方不明、五女はまだ幼い……。
栄えあるノーヴァ公爵家の子供達の不甲斐なさに日々頭を痛めるミラージュであったが、ここに来てアイリスがとんでもない事を仕出かした為に堪忍袋の緒が切れたミラージュは当主を変えるべく行動を開始した。

「全くあのクソアホが……!800億もの金を要求しおってからに……!妾がどれだけ苦労したと思ってるのじゃ!」

腸が煮えくり返る思い出ミラージュは忌々しげにそう呟く。
ラインフィルの地に出張していたアイリスだが、突如として800億というとんでもない請求書がノーヴァ公爵家に届いたのだ。
これにはミラージュも目が飛び出る程驚愕し、三時のおやつも忘れる程にその後始末に翻弄されたのである。

「しかし姉上は何にそんな大金を注ぎ込んだのでしょうか?」
「知らんわそんなもん!どうせくだらんものに大金をつぎ込んだに違いないわ!ラインフィルには色んなものが集まってるからのぅ!」

黄金の地ラインフィル。そこにはありとあらゆるものが集まる理想郷である。金さえあれば全てが手に入る夢のような場所だ。
ミラージュとて余生はラインフィルでのんびり、そして優雅に暮らしたかった。だが、公爵家が不安定な内は帝国を離れる訳にいかず、仕方なく帝国にいるだけである。
それがあのアホがラインフィルに抜け抜け行った挙句にとんでもない大金を使いやがったのだから、怒り心頭である。激おこである。
首を絞めて殺してやりたいくらいだが、流石のミラージュもあの化け物には敵わないので、こうしてぐーたらしながら文句を垂れるしかないのだ。
そもそもラインフィルの地では殺傷行為が不可能なので、考えても意味がない事なのだが。

「うっうっ……あのアホのせいで妾のおやつも節約せねばならんとは……あのアホのせいで妾の優雅で優雅な生活が……」

ぐすぐすと泣き出す母ミラージュに、娘であるプラネは面倒臭そうにため息を吐く。
母のこの姿を見ていると、なんだか自分まで泣けてくる。(母の無様さに)
それというのも姉であるアイリスのせいだ。一体彼女はラインフィルの地で何をしでかしているのか……。

「とにかくっ!!!今から陛下にあって当主交代の儀を済ませたらお前は疾くラインフィルに向かえぃ!あのアホに会って金を取り戻してこい!さもなくば殺せ!!!」
「ラインフィルで争いの類は禁止ですが」
「そんなもん首根っこ引っ張ってラインフィルの外に出してからぶっ殺せばいいじゃろ!」

いやそんなん無理に決まってるだろ、とプラネは思った。
あの女を無理矢理動かせる人間など存在する訳がない。ましてや殺すなどと言わずもがなである。
それこそ大軍勢を率いて大規模な戦争を起こしたらワンチャンか……?いや、それでも……。

「お前はこれから栄えあるノーヴァ家の当主になるんだから少しはビシッとせい!クソ雑魚はクソ雑魚なりに全力を尽くすのじゃ!」
「……」

実の母親にクソ雑魚クソ雑魚と連呼されるプラネ。
しかし、彼女はこう思っていた。

──お前らが化け物なだけだろ……と。

そうして二人は城の廊下を歩き、謁見の間へと向かうのであった。
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