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第27話 産みの母と育ての父と。

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 「まったく、シッターとしてどういう指導、教育をされてるのかしら」

 「申し訳ありません、奥様」

 頭を下げ続ける私にかかる嫌味。

 「ですが、お子様を預かる身としては、確認もとれないままお迎えすることはできませんでしたので。大変ご迷惑をおかけいたしました」

 頭を下げることには慣れている。仕事でいっぱい下げてきたし。頭を下げるだけならタダ。下げたところで頭は減らない、無くならない。

 「で? 律に確認が取れたってわけ?」

 「はい。一条 律さまの奥さま、一条 薫子さまであると」

 嘘だ。
 一条くんには何も話していない。話せなかった。
 けど。

 (似てる……)

 この人は、世那くんに似た容貌をしている。
 世那くん、あまり一条くんに似てない気がしたけど、この人なら「ああ、お母さんなんだな」って一目でわかるぐらい。世那くんはお母さん似だったんだ。
 それに、彼のスマホから通じたのは彼女だったし、彼女はこの家の鍵を持っている。
 一条くんに訊かなくても、それらすべてが、彼女が一条 薫子本人であることを証明していた。

 「それで? わざわざ呼びつけるように電話してきた理由は? 律もまだ帰ってきてないみたいだけど」

 腕を組んだまま、ソファに腰掛けた薫子さん。ラグの上とはいえ、床座の私。家主の妻と、被雇用者の座する場所は近いようで遠い。

 「はい。一条さまはまだお帰りいただいておりませんが、その前に少しお話しをさせていただきたくて」

 「話?」

 「はい。世那くんのお世話のことで少しばかり」

 仕事中の一条くん。お昼寝タイムの世那くん。
 和室で世那くんを寝かしつけてる今、このリビングはとても静かだ。自分の話す声がやけに大きく聞こえる。

 「奥さまは、世那くんとしばらく離れて過ごされていたと伺っておりますので、その間にあったであろうことを、僭越ながらご説明させていただこうと」

 本当は「しばらく」じゃなく「かなり」「ずいぶんと」なんだけど。それを言うと角が立つ、嫌味な気がしてオブラート。
 
 「今の世那くんがどのような食事を摂っているか、生活サイクルがどうなってるのかなどですね、そのあたりをお話しさせていただき――」
 「あー、いいわよ、そんなのどうでも」

 ヒラヒラと、めんどくさそうに手を振って遮ってきた薫子さん。
 どうでも? その言葉がチクッと刺さった。

 「ですが、大事なことですので……」

 一応食い下がる。
 子を育てるのは母親の役目――とは言わないけど、でも、母親がまったく知らないじゃダメだと思う。日中のお世話は、一条くんじゃなくて、この薫子さんが担うんだろうし。私が知ってることなんて、たいして役に立たないかもしれないけど、それでも世那くんのために伝えておきたい。

 「だから、どうでもいいって言ってるの。子どもなんて適当にしておけば、勝手に育つわよ」

 ――は?

 チクッじゃない。ザクッと言葉が突き刺さる。適当に? 勝手に? 育つ?
 何言ってんの、この人。

 「あの、どなたか保育者、シッターを雇われるということでしょうか」

 一条くんが私に頼んだように。薫子さんも誰かに養育を頼むつもりなんだろうか。それならそれで、新任のその人に世那くんのお世話について引き継いでおきたい。

 「そんなことしないわよ。お金、もったいないじゃない」

 アンタ、バカァ?
 古いアニメの名(?)セリフを思い出す。

 「子どもなんて、ほっときゃ大きくなるのよ。シッターとかなんとかってホント大げさ」

 せせら笑うような薫子さんの言葉。

 「律だって協力してくれるし? ゴハンとか、テキトーに食べさせておけばいいんでしょ? 楽勝よ」

 「え、そんな……」

 この人、本当に世那くんのお母さんなの? 世の中のお母さんって、こんなに子供のことを適当にあしらうの?
 今も静かにしてるのは、お昼寝しているから。だから、こっちはなるべく小さな声で話してるのに、薫子さんはお構いなし。ふすまで仕切られて見えないとはいえ、世那くんが静かにしてる理由とか考えないの?
 そもそもこの人、家にやってくるなり、ドカッとソファに座っただけ。「世那は?」っていう問いは発したものの、「寝てます」って言ったら、「フーン」で終わられた。どこで寝てるとか、寝顔を見に行くとかしなかった。
 まるで話の通じない宇宙人と会話してるような感覚。ううん。それは宇宙人に失礼だ。宇宙人だって、我が子はかわいい、我が子を大事にするはず。我が子を「どうでもいい」にしない。

 「もうすぐ二歳だっけ? ほっといても自分でなんとかするわよ。今だって静かにしてるじゃない」

 「まだ二歳じゃないです。一歳八ヶ月です」

 「どっちでもいいわよ。似たもんでしょ」

 「――全然違います」

 「は?」

 「世那くんは、ようやく離乳食を終えたばかりで、トイレトレーニングも始まってません!!」

 限界だった。

 「おしゃべりだって、ようやく少しずつ語彙が増えてきたところで、二語文は話せません!! ボールを転がすことは出来るけど、投げることはまだ難しいんです!!」

 「それがどうし――」
 「世那くんのお母さんであるなら、世那くんの好きなもの、嫌いなものを把握してください!!」
 
 バナナが好きでトマトが嫌い。一番好きな電車は新幹線N700系。宝物は、水族館で買ってもらったイルカのぬいぐるみ。外遊びも大好きで、最近は靴を履かせてもらうため、自分からちょこんと玄関に座る。声をかけるとうれしそうにキャッキャと笑い、お昼寝のあとの黄昏泣きは最近ようやく落ち着いてきた。
 そういう世那くんのすべてを知ってほしい。何も知らずに世那くんに触れないで欲しい。

 「は? うるさ」

 薫子さんが顔をしかめた。
 締め切った先、和室から泣き声が聞こえた。

 (しまった――!!)

 感情のままに叫んだせいで、世那くんを起こしてしまった。

 「はーい、世那。泣かない。ママが帰ってきてあげたわよぉ」

 立ち上がった薫子さんが、甘ったるい声とともにふすまを開ける。ズカズカと中に入っていくと、布団の上で座って泣いてた世那くんを抱き上げる。

 「泣かない、泣かない」

 体を揺すり、ニッコリと世那くんをあやす薫子さん。けど。

 「アァイ……ッ、アァイ……ッ!!」

 世那くんは泣き止まない。それどころかますますひどく泣き声を上げる。その腕から逃れようと、もがき暴れる。
    いつもの寝起き、黄昏泣きじゃない。

 「るっさいわねえ!!」

 薫子さんの顔が曇る。
 世那くんがその小さな手を必死に伸ばす。泣きながら、何度薫子さんに押さえられても諦めずにこちらへと手を伸ばす。その黒い瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちる。

 「ちょっと、泣き止みなさいよ。ほら、ママよ、ママ!!」

 揺すり方が激しくなる。苛立ちのにじむ動き。世那くんの手を何度もはたき落とす。世那くんの泣き声は更に大きくなり、薫子さんがその見目好い眉を大きく吊り上げた。――とても醜い。

 「もう、なんなの、この子!!」

 「アァイィッ……!!」

 振り上げられた手。こちらに伸ばされた小さな手。

 「――――っ!!」

 キレイなネイルの手が振り降ろされるより早く動く。ネイルは、代わりに私の頬を鋭く引っ掻いた。

 「この子はアナタに渡しませんっ!!」

 腕の中、世那を抱きしめて絶叫する。

 「この子は、世那は私の子です!!」

 こんな、泣いたぐらいで手をあげるような女の子どもじゃない。

 「はあ? 何言ってんの? 産んだのはあたしよ?」

 「違います!! コウノトリが配達先を間違えた、私の大切な息子です!!」

 そうよ。
 世那は私の子。
 あわてんぼうのコウノトリが間違えてこの女のお腹に落としていった子。一条くんが大切に育ててくれてた私の子。

 「アァイ……、アァイッ……!!」

 涙とともに私にしがみつく世那。この子を誰にも渡さない。傷つけさせない。

 「コウノトリ? ハッ、バッカじゃないの?」

 薫子が鼻で笑う。

 「その子はね、あたしがセックスしてデキた子よ。いっぱい愛されて、いっぱい抱かれて、いっぱい中出しされてデキたの。それが、コウノトリ? アンタ、いつまでメルヘン、夢見てるのよオバサン」

 言われなくてもわかってる。
 コウノトリなんて、子供だましのメルヘンだって。
 子どもは、男女が性交をして、精子と卵子が結合して生まれるものだってことぐらい、充分理解してる。
 けど、この女を世那の母親だなんて認めたくない。一条くんがこの女の中に残したものでできているなんんて思いたくない。

 「ハハ~ン。アンタ、律に惚れてんでしょ」

 スモーキーピンクの唇がいびつに笑った。

 「おかしいと思ったのよね。あんな時間に、アンタが律のスマホでかけてくるんだもん。普通のシッターならありえないじゃん、そんなの。ああ、もしかして律とはすでに、そういう関係になっちゃってたりする?    無断でスマホに触れるぐらいの関係」

 その笑いに、無言で通したかった私の肩がピクリと揺れた。

 「へえ。まさか子どもだけじゃなく、律の性欲処理のお世話までしてたとはね~。今どきのシッターは、そこまで至れり尽くせり、業務に含まれてるんだ~」

 「ちっ、違っ――」
 「でなきゃ、そこまで世那を大事に思うわけないじゃん。他人の子だよ? 律と家族ごっこでもして、錯覚しちゃった? 世那は自分の子、律は自分の夫だって」

 違う。違う違う違う。
 そんなんじゃない。
 世那を大事に思うのと、一条くんを好きだという気持ちは別のところから生まれている。

 「でも残念ね~。律はあたしの夫で、世那はあたしのお腹から生まれたの。あたしたちの愛の結晶なんだから」

 わかってる。
 そんあ勝ち誇ったように言われなくてもわかってる。
 だから私は身を引こうって思ってた。一条くんと世那が幸せになるならって。この女が戻ってきて、元の一条家に戻れるならって思ってた。
 彼女が一条 薫子で、私が高階 明里である限り、超えることのできない壁がそこにある。
 いくら私が頑張っても、世那の母親を名乗る権利は彼女にある。
 一条くんがどれだけ私を好きだと言ってくれても、世那くんがどれだけ私を慕ってくれても。私は、その壁を超えることが出来ない。

 「わかったら、サッサと息子を離しなさいよ、このドロボー猫」

 ――違う。
 ズルリと我が子を抱く手から力が抜け落ちる。ペタンと崩れるように床に座り込む。

 「アッ……アァイ……」

 しゃくりあげる世那。
 ごめんね、世那。
 私はこれ以上、キミを抱きしめて守ってあげる資格がないの。
 
 「――そこまでだよ、薫子」

 背後から聞こえた声。

 「あら、律。お帰りなさい。早かったのね」

 薫子の声が弾む。

 「い……ちじょう……くん?」

 潤んだ視界ににじむ彼の姿。
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