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第14話 メンデルの法則。

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 「世那のオムツ、替えてくるよ。ついでに何か飲み物買ってくるけど、何がいい?」

 「じゃあ、お茶を……」

 「わかった。荷物だけ見てて」

 保健センターのロビー。私を荷物と一緒にソファに座らせると、一条くんがトイレへと世那くんを連れて行った。
 その後ろ姿に、フウッと深い息を吐き出す。

 「――いい旦那さんですね」

 へ?

 「子育て、協力してくれるんですか?」

 「ええ、まあ……」

 「いいなあ」

 突然の声かけ。同じソファに腰掛けたママさんだった。抱き上げてもぐずり続ける子どもを揺らしながらの声かけ。私と一条くんのやり取りを見ていたらしい。

 「ウチなんて、『お前は産休取ってるんだし、お前が面倒を見るのは当然だろ』って、オムツ一つ替えてくれないから。この間なんて、ハンバーグこねてる時に、『ウンチしてるぞ、臭いから早く替えてやれ』だもん。殺意湧いちゃうわよ」

 「アハハハ……。それは大変ですねえ」

 ハンバーグこねてる最中にオムツ、それも「大」は替えたくない。手を洗ったとしても気持ち的に替えたくない。むくれる気持ち、よくわかる。

 「まったく。誰の子を育ててると思ってんのよって言いたくなるわ。産んだのはわたしだけど、発注したのはアンタでしょって」

 発注……。

 「――ブフッ」

 こらえきれなかった笑いが吹き出した。
 そうか。セックス、妊娠は、発注と受注生産か。なら発注元にも製品(子ども)への責任があるなあ。子どもという製品を作ってくれと発注したわけだし。発注されなければ、女性は子どもを作らなかったわけだし。

 「ダァ~」

 「うわっ!!」

 バサバサっと目の前に落ちて広がった私の荷物。

 「あっ、すみません!!」

 「あー、いいです。気にしないで」

 ママさんが抱く赤ちゃんが、グラリと大きく揺れ、こちらの荷物にぶつかった。恐縮するママを流して、散らばった荷物を拾う。赤ちゃんに罪はない。
 世那くんの着替えやオムツ、その他諸々を入れたリュック。幸いファスナーは締めてあったので、散らかったのは外側、サイドポケットに放り込んだチラシとか書類だけだった。
 さっきもらった連絡カード。食事アドバイスの書かれた用紙。子育て支援センターの案内パンフレット。それと――母子手帳。
 落ちた拍子に開いてたそれを最後に拾い上げる。
 「一条 薫子」さんの子、「一条 世那」くん。

 (あ、誕生日……)

 8月3日。午後7時14分。

 (世那くん、しし座か。カッコいいな)

 どうでもいいようなことを思う。
 次の誕生日は半年後。なにか、プレゼントを用意してあげよう。

 体重3230g、身長50cm。

 それが大きいのか小さいのか、はたまた平均なのか。私にはわからない。

 (妊娠39週2日。分娩所要時間、じゅ、11時間19分っ!? そんなに苦しんだの!?)

 見ちゃいけない、完全個人情報でしょって思うけど、ページをめくる手は止まらない。

 (へえ、世那くん、O型なんだ)

 私と一緒か。――って、あれ?

 ペラペラと、なんとはなしにめくっていた手が止まり、違うページを探し出す。
 「早期新生児期【生後一週間以内】の経過」
 二日目に体重3180g、四日目に体重3284g。それはいい。
 血液型O型。Rh+。それもいい。
 母親の欄、妊婦薫子さんの血液型はA型。おかしいところはない。A型の母にO型の子が生まれることに違和感はない。
 けど。

 (一条くんって、AB型……?)

 夫の部分に記載されていた「一条 律」の血液型は「AB」。
 
 (それって――どういうこと?)

 AB型の一条くんの息子、世那くんがO型?

 「おまたせ。って、どうしたの? 気分悪い?」

 「あ、え? ううんっ、なんでもないよっ!?」

 帰ってきた一条くんに、とっさに手帳を後ろに隠す。どっとあふれる変な汗。

 「はい、お茶」

 「ありがとう」

 冷たいペットボトルを差し出してくれた一条くん。抱っこから降ろされた世那くんの手には小さめの紙パックジュース。「ぼくはこれだよ」と少し掲げて見せてくれた。

 「よかったね、世那くん」

 そう言うと、世那くんがうれしそうに笑った。

 (見間違いよね、今のは)

 パラパラっとめくってただけだし。私が見間違えたのよ。疲れてたし。
 紙パックにストローを挿してあげた一条くん。世那くんが上手に飲めるように、手を添えて、パックを持ってあげている。

 「おいしいか、世那」

 「ア~」

 「そっか」

 こんなにかいがいしいパパが世那くんと血が繋がってないだなんて、あり得るわけないじゃない。一条くんは、我が子のために新幹線出勤してたぐらい、世那くんを大事にしてるのよ? だから、あれはきっと見間違い。
 湧き上がって根付きそうになった疑惑をなんとかしたくて、手にしたお茶を喉に流し込む。

 「ホント、いい旦那さんですね」

 再びかけられた声。

 「そうですね」

 曖昧に笑っておく。

*     *     *     *

 血液型にはいくつかのパターンがある。A型といっても「AA」と「AO」があり、B型には「BB」と「BO」がある。O型は「OO」のみ、AB型も「AB」のみ。
 子供はその両親のもっているパターンのうち、どちらか片方の遺伝子をもらって組み合わせることで血液型が決まる。

 AB型の親から生まれる子のパターン。
 AB×Aの場合=A、B、AB。
 AB×Bの場合=A、B、AB。
 AB×Oの場合=A、B。

 一条くんがAB型で薫子さんがA型である限り、O型、世那くんは生まれない。A型の薫子さんが、「AA」型でも「AO」型でも、結果は同じ。O型の世那くんが生まれるためには、薫子さんがA型なら、父親はO型、B型、A型である必要がある。でも、一条くんの血液型は「AB型」。そう記入されてた。

 (じゃあ、どうして世那くんはO型なの?)

 考えられるパターンは二つ。

 1.病院で取り違えられた。
 実は世那くんは病院で、本当の一条くんの子と取り違えられた子だった。世那くんの本当の両親は別にいる――って。それだと、今まで一条くんや薫子さんが気づかなかったことに違和感を覚える。母子手帳、記入する時に何度も見るだろうし、おかしな点があったら、もっと早くに騒ぎ立てると思う。

 故に、却下。

 2.血液検査自体が間違っていた。
 新生児の血液型って、臍帯血、へその緒の血から調べるとお母さんの血が混じって本当の血液型が出にくいこともあるし、そもそも抗原が低くて信憑性にかけるっていうし。 
 検査の結果が間違ってた。
 だから、一条くんも薫子さんも特に気にせず放置していた。

 そうよ、それよ。それに違いないわ。

 検査の結果が間違いなく出るのはもっと大きくなってから。最近だと、血液型なんて輸血が必要になった時、その都度調べるから、普段は知らなくても問題ないってネットにあったし。血液型占い程度にしか使えないんだから、赤ちゃんに痛い思いまでさせて、信憑性の薄い(その上全額自己負担の)検査なんてする必要ないって書いてあった――って、あれ?
 だとしたら、どうして一条くんと薫子さんは世那くんの血液型を調べたの?
 昔と違って、新生児の血液検査なんてどこの病院も消極的なのに、わざわざ調べたの?
 放置してもいい血液型を、どうしても調べなきゃいけない、知らなきゃいけない事情があったの?

 それはなに? どんな事情?

 グルグルと回る思考。回りまわって、どんどん悪い方向にスパイラルしていく。

 ――まれにね、赤ちゃんの血液型検査を強く要求してくるお母さんがいるんですよ。

 ネットでぶち当たった記事。

 ――本当の父親が誰か知りたいってね。DNA検査と違って血液型だけで父親探しはできませんけど、「とりあえず、赤子が夫と同じ血液型で安心した」なんていう話も聞きますよ。A型とB型の夫婦なら、すべての血液型が出てもおかしくないですからね。

 じゃあ、世那くんと一条くんの血液型がつながらないこと、薫子さんはどう思ってたの?
 一条くんはどう思ってるの?

 「タァ、ナッ!!」

 「ああ、ごめん、世那くん」

 調べるのに夢中で、手にしたままだったスマホを裏返してテーブルに置く。近づいてきた世那くんの頭を撫でて目を合わせる。

 「そろそろお昼にしよっか」

 今は日中、シッター中。
 一条くんからお世話を任されてるんだから、そんなヘッポコ探偵迷推理みたいなことはやめなさい。
 そもそも、私はただの幼なじみ、居候シッターなだけなんだから。一条家にどんな事情があったとしても、不介入、不可侵でなきゃいけないのよ。一条家の問題は、一条くんが解決するべきこと。私が首を突っ込んでもいい話じゃない。
 
 「さあ、世那くん。今日はうどんだよ~。これ食べたら、ペットショップにワンワン見に行こうね~」

 「アッワ~」

 「そうだよ、ワンワン。ワンワンだよ~。たのしみだね~」
 
 あくまで、保育者。保護者じゃない。私が干渉するべき問題じゃない。
 そう思うのに、一度芽生えた疑問は、なかなか消えてくれそうになかった。
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