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第3話 天使のいる場所。

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 「あ、高階か!!」

 「ゴメン。取り込み中だった!?」

 互いに大声を張り上げての応酬。
 だって。

 ウギャアアァッ!! ウギャアアアアァン!!

 すべてをかき消すような赤ちゃんの泣き声。まだ歩き出したばかりぐらいの乳児だけど、赤ちゃんって「ホギャ、ホギャ」とかかわいいのじゃないのね。怪獣の鳴き声だよ、これ。

 「ほら泣くな、せな」

 軽くため息をついて、一条くんがその赤ちゃんを抱き上げ、軽く体を揺する。
 すると「せな」と呼ばれたその子が、少ししゃくり上げたあと、ピタッと泣き止んだ。

 「おお~」

 「後追いが激しいんだ。僕が見えなくなると、すぐに泣き出す」

 あれほどギャン泣きしていた「せな」くん。一条くんに抱かれて満足なのか、涙の跡はあるし、頬も赤いままだけど、「泣いてた? 誰が?」みたいなケロッとした顔をしている。

 「それで?」

 「ああ、ごめんね。これ、うちのお母さんから。一条くんのお母さんが大変だって聞いて、差し入れ」

 ガサガサっとレジ袋を持ち上げるけど、あいにく一条くんの手はせなくんでいっぱい。

 「ゴハン、もう食べた?」

 渡しかけた手を止める。

 「いや、まだ……だけど――って、こら、せな!!」

 抱かれたせなくんが、一条くんのネクタイをグイグイ引っ張っておもちゃにし始めた。
 泣いたと思えば、つぎは悪ふざけ。赤ちゃんの切り替えってすごい。

 「ねえ、よかったら、食べてる間、私が見ていてあげようか?」

 「いいのか?」

 「いいよ。その状況だと、一条くん、ゴハン食べるの難しいでしょ。もしかして人見知りする方だったりする?」

 「それはまあ、多少は。でも僕がいれば大丈夫だと思う。でも、いいのか?」

 「いいよ~、それぐらい。甥っ子でなれてるからね~」

 って、あんまり甥っ子に触れさせてもらってないけどね。
 昔は、実家に預けられて触れたこともあったんだけど。あまりのぶきっちょ、ポンコツぶりに由美香さんから戦力外通告受けちゃったのよね。「やっぱ育児経験ない人は~」みたいな。ムカッ。それなら夫の実家なんかに子供を預けるなっての。

 「こんばんわぁ、せなくん~」

 抱かれたままのせなくんに、ニッコリ笑顔を少しだけ近づける。せなくん、「あ?」って顔。キョトンとしてる。
 でも、怖がってはいない。第一段階、成功。
 
 「せなくん、こっち来る?」

 おいで~っと両腕を広げて、受け止めるスタンバイ。これで、「ヤッ!!」ってなって一条くんにしがみつくようなら諦める。潔く身を引く。――が。

 「ア~」

 よくわからない声とともに、手を伸ばしてきた。そのまませなくん移動。ズンッと腕に重みが伝わる。
 第二段階、成功。

 って、これでいいの? こんな簡単でいいの?
 せなくん、まったく嫌がらないんだけど? それどころか抱き上げた途端、猫みたいにゴロゴロと頭を擦りつけてくるんだけど?
 せなくん、確かもうすぐ一歳四ヶ月って言ってたよね? そのぐらいの子って、人見知りとか激しいんじゃないの? お母さんと一緒に来店した赤ちゃんに、ニッコリしただけでギャン泣きされたことあるのに。せなくん、ノット人見知り?

 「すごいな。せながそんなに懐くなんて」

 「え? そうなの?」

 これがデフォルト、標準仕様なんじゃなくって?
 両手の空いた一条くんにレジ袋を渡す。せなくんと夕飯のトレード。

 「人見知り激しくてさ。母さんにも滅多に抱かれようとしなかった」

 「へえ~」

 到底そうは思えないけど。
 今だって、完全に安心しきったように体を預けてきてるし――って重いな。これが、一歳四ヶ月の重みか。覚えておこう。ズシズシ。

 「じゃあ、遠慮なく甘えさせてもらう。上がって」

 「おじゃましま~す」

 一条くんに誘導されるまま、彼の家に上がり込む。小学生の時は普通に遊びに来ていた家だけど、さすがにこの歳になって上がるのは、なんか緊張する。知っているのに、知らない家――って、うわっ!! 
 開いたままのリビングドア。
 そこから広がる惨状。
 おもちゃ、ぬいぐるみ、毛布、タオル。それはいい。赤ちゃんがいるんだし? それぐらいは散らかっているでしょうよ。
 けど、一面に敷き詰められたティッシュと中途半端に開いた引き出しは、さすがに。
 こ、これは……。じ、事件現場ですか? ヤツは何を盗っていったんでやんすか、ボス!!

 「ゴメン、散らかったままだけど」

 遅まきに一条くんがつけ加えた。

 「うん、まあ、赤ちゃんいるし。し、仕方ないよ」

 とりあえずのフォロー。
 昔、遊びに来てた時はすごくキレイな家だったんだけどな。ファンシーな置き物とか、お花なんかも飾ってあったりして。記憶のなかのビフォーと現状アフターのギャップがすごい。今のこの家、殺伐空間。
 というか、赤ちゃんがいると、こんな惨状がくり広げられるんだ。これもメモメモ。

 「じゃあ、少し片付けながら、見ていてあげるからさ。一条くんはゴハン食べなよ」

 「わかった。速攻で食べる」

 「いや、ゆっくりでいいよ」

 胃に悪いし。
 
 「さあ、せなくん。おばちゃんと一緒にナイナイしよっか」

 せなくんを下ろし、自分も腰を据えて片付けに着手……しようとするんだけど。

 「アゥ~」

 あれ? なんか、せなくん……。

 「ねえ、一条くん。この子ってホントに人見知りするの?」

 さっきまでさんざん遊んでいただろうおもちゃがそこにあるのに。しゃがんだ私のそばから離れないせなくん。指をしゃぶったまま、もう片方の小さな手が私の服を握りしめてる。おもちゃを景色として眺めてるだけ。離れようともしない。

 「いや、なんか……、初めて見た」

 タッパーをレンジにかけ、一条くんも驚いてる。

 「せながそんなに懐くなんて。高階、子供に好かれやすい質なんだな」

 えーっと。
 そうかな? 甥っ子には懐かれなかったし、来店した赤ちゃんにギャン泣きされたこともあるのに。

 「ま、まあね~」

 とりあえず、エヘン!!と胸を張っておく。褒められて嫌な気はしないからね。

 「さあ、せなくん、ナイナイするよ~」

 散らばったままのティッシュを集める。これ、箱から引っ張り出しただけだし。再利用できるのかな?
 次に、タオル。これも、へやのあちこちに散乱。それを手近なところから集めて、四つ折りにたたんでいく。
 
 「アゥア~」

 「おっ、せなくん、ありがとうね」

 私の動作を見たからか。せなくんがタオルを一枚拾ってくれた。それを受け取ると、手早く折りにたたんで積み上げていく。

 「アゥ~」

 うれしそうなせなくん。途端に私から離れ、一枚、また一枚とタオルを運んできてくれる。それをたたみ、積み上げていく。

 「うわ、上手、じょうず~。ありがと、せなくん。助かるよ~」

 手をパチパチ叩いて褒めてあげる。――って、うわ!!

 「すごい、一条くん!! 天使!! 天使がタオルを運んでる!!」

 少しぎこちない足取りで、ズルズルとタオルを引きずりながら歩いてくるせなくん。ちょっとヨダレは垂れてるけど、その赤くぷっくりした頬を持ち上げての笑顔は、まさしく天使!!

 「いや、落ち着いて……」

 「落ち着けないって!! あ~、もう、かわいい!! かわいすぎるよ、せなくん!!」

 戻ってきたせなくん。タオルと一緒に私の膝の上にダイブ!!

 「かわいい~!!」

 思わずタオルごと抱きしめての頬ずり。
 タオルたたまなきゃ? よその、同級生の子? そんなのどうでもいいぐらい、せなくん、かわいい!!
 さっき抱っこした時も思ったけど、この子、かわいすぎない?

 「あ~、このままお持ち帰りしたい~」

 「高階って子供好きだったっけ」

 一条くんが驚いてる。
 うん、私も驚いてる。
 私、どっちかっていうと、子供苦手だと思ってたんだけどな。子供が嫌いっていうんじゃなくって、子供に好かれてないほう。甥っ子には懐かれなかったし。
 でも、腕のなかのせなくんは、うれしそうにキャッキャと声をあげてくれてるし。ギュって抱きついてくれてる。

 「せなくんが特別なんだよ。こんなかわいい子、毎日見てても飽きない自信あるわぁ」

 「そんなに……」 
 
 「うん。こんなにかわいい子、きっと一条くんと奥さんの育て方が上手なんだろうねえ」

 一条くんだけじゃない、その奥さんもきっと。
 人見知りの激しい子、泣いてばかりの子の親がダメだってわけじゃない。ただ、ここまで幸せそうに無邪気に笑えるってことは、タップリ愛情をもらって育てられてる証拠だと思うから。人からタップリ愛された子は、人に好かれる幸せな笑顔を見せる。いつだったか、そんなことを聞いたことがあった。だから、そう思ったんだけど。

 「そう……かな」

 あれ? なんか一条くん、浮かない顔だな。笑いたいのに笑えてない、微妙な、どっちかというと困ってるような顔。
 そういや、一条くんの奥さんって。
 たしか、お母さんは「一条くんが戻ってきてる」「子育てを手伝って欲しい」とは話してたけど、奥さんはどうしてるとは一言も言ってなかった。
 ってことは、もしかして、もしかすると――奥さん入院してるとか? 別居? 最悪、離婚したて……とか?
 奥さんが二人目を産むのに、入院中だから親を頼ってこっちに来てる~とかならいいんだけど。最悪、最悪の場合を考えると、その……。

 「あ、ごめん」

 立ち入ったことは訊かないほうがいいよね。

 「いや、こっちこそごめん」

 一条くんが謝った。

 「それより、おばさんに『ありがとう』って伝えて。『とても助かりました』って。せなのことまで気にしてもらってたみたいだし」

 ホラ、と一条くんがタッパーの一つ、中身を見せてくれた。大人のゴハンには柔らかすぎの細かすぎな「肉じゃが」。お母さん、せなくんの分も用意してたんだ。

 「せなくん、まだ食べてないのなら、私が食べさせてあげようか?」

 「いや、それはさすがに。そこまで甘えたら悪いよ」

 「いいって、いいって。一条くんもたまには甘えて、ゆっくりゴハン食べてよ。これも立派な地域貢献、子育て支援なんだから」

 世話焼き母と、お節介娘。
 立ち入った話はできないし、踏み込むつもりもないけど、これぐらいのお手伝いはするわよ。
 普段なら、ここまで手伝いを申し出ることはしない。よその子を触るなんてとんでもない勇気と根性が必要になるけど。

 「さぁて、せなくん。この調子でお片付けしちゃうぞぉ。ゴハンの前にお片付けをすませちゃおう!!」

 おー!!
 軽く握り拳を突き上げると、せなくんも「アゥワ~」と手を上げた。手のひら、パーだけど。

 やっぱかわいすぎ。このかわいさにほだされて、ついお節介、世話焼きしちゃいたくなるのよね。
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