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EXTRASTAGE

キミの描く夢、僕の願う夢

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【前置き】
 本編とは、ほぼ関係ない蛇足部分ですので、「本編でもう充分じゃ!」って方はすっ飛ばすことを推奨します。

―――――――――――

 「パパぁ。おかえりなさーい」

 少し鼻にかかった甘い声。
 パタパタと駆け寄ってくる歩幅の狭い足音。ついで、ゆっくりと近づいてくるもう一つの足音。

 「お疲れさま、アナタ」

 「ああ、ただいま」

 先に近づいてきた娘をヨッと抱き上げ、遅れてきた妻と視線を交わす。

 「あのね、パパ。まなみ、いま、おてつだいしてたんだよ」

 抱き上げた娘が会話に加わる。

 「おてつだい?」

 「うん! ママのおてつだい! ゴハン、つくってたの!」

 「そっか。エライな」

 褒めて抱き寄せてやると、エヘヘと娘が僕の頬に顔を擦り寄せてきた。娘から醤油の香ばしい匂いがする。お手伝いしてた証拠だろう。
 でも、どうしてお手伝い?
 わずか六歳の娘。母親である未瑛みえいにまとわりついて台所にいることは多いけど、お手伝いとなると。

 「今日ね、保育園で約束したんですって。明日のお弁当保育で、翔平くんと手作りお弁当を交換するって」
 
 「あー、なるほど」

 それで、今日は「おてつだい」か。
 明日の弁当つくりに備えて、今日の夕飯で練習してたと。
 自分の疑問の答えを、問うでもなく、妻が教えてくれた。

 「あのね、しょーへいくんがいってたの。しょーへいくんのパパとママが、こーこーのときに、おべんとうこうかんしたんだって。それで、ラブラブになってけっこんしたんだって」

 「え?」

 どうしてそれを?

 「ねえ、パパとママも、おべんとうかえっこしたんでしょ? しょーへいくんがいってたよ? おべんとうかえっこしたから、パパたちもけっこんしたんでしょ?」

 お弁当交換=結婚?

 「それ、全部翔平くんが言ってたの?」

 「うん! おべんとうかえっこするとけっこんするんだって!」

 「ってことは、翔平くんと結婚したいの?」

 「そうだよ! そしたらずっといっしょにいられるもん!」

 ニッコニコの娘。
 それは、結婚したいほど翔平が好きなのか。それとも、幼なじみの延長線で、ただずっといっしょに遊びたいだけなのか。
 判断に悩み、父親としての心境は複雑になる。

 (翔平……ねえ)

 川嶋翔平。
 父親に似て、後先考えずに飛び出してく元気さと、母親譲りの明るさを持ってる。あまりの元気の良さに、「健太が二人に増えた」と、母親の明音あかねちゃんが愚痴っていた。
 悪い子ではない。
 その親の人柄もよく知ってる。
 だから、「好き!」と娘が言うなら、「あの男はダメだ!」とは言わないんだけど。

 複雑。

 「フフッ。心配しすぎだよ、はるくん」

 僕の心境を読み取ったのか。妻がクスクスと笑い出す。

 「翔平くんと結婚するとしても、まだ十年以上先。そこまで心配することないよ」

 娘を抱き上げた僕を先導するように、妻が台所に向かって歩き出す。

 「それに、この先好きな人は変わるかもしれないし。別の誰かに出会う可能性だって。――ね?」

 うーん。それはそれでいいのか悪いのか。
 どこの馬の骨ともわからん男よりは、どこの馬の骨ともわかってる翔平のほうがいいような気がしてきたぞ。――アレ?
 複雑な気分のまま、すりガラスの入った引き戸の先、台所にたどり着く。とたんに広がる、煮物や魚の焼いた匂い。

 「パパ、みて! これ、あたしがつくったの!」

 降りたい。降ろして。
 その意思に逆らわず解放すると、パタタとテーブルに近づいた娘。うれしそうに、そこにあった皿を指差す。

 「――おにぎり?」

 「うん! パパのだいすきな、うめぼしいりだよ!」

 ってことは、僕の夕飯はそのおにぎり?

 「こっちには、タコさんもいるの! パパ、食べてね!」

 そして、その赤ウィンナータコさんか。
 皿の上のおにぎりは、娘の手のひらサイズで、とてもかわいく小さい。タコさんは、立ってるものもあれば、コテンと倒れてるものもあるけど。
 ――少ない。
 これが、夕飯だとするとお腹が寂しい。
 娘の手作りで、うれしいけどお腹は満たせない。
 そして、これが誰かに渡す弁当の練習、父親である僕は、その実験台なのかと思うと……。

 「大丈夫よ。ちゃんと他にもおかず、あるから」
 
 コンロの上にあった鍋。そこから妻が魚をよそう。

 「カレイ?」

 「うん。カレイの煮つけ。はるくん、好きでしょ」

 皿に盛られたカレイがテーブルに追加される。醤油を煮込んだ独特の匂いが、あたりに広がる。よかった。夕飯がおにぎりとタコさんだけじゃなくて。
 他にも、かぼちゃの煮物とか、あおさの味噌汁とか、僕の好きな梅干しとか。妻の手料理がテーブルいっぱいに並んだ。

 「いただきます」

 手を合わせ、三人で食卓を囲む。
 まだ娘は一人で、魚を食べるのは難しい。妻が娘の隣に座り、魚をほぐして、骨を取ってやっている。

 「ねえ、パパ、おいしい?」

 「ああ、このおにぎりは、美味しいなあ。いくらでも食べられるぐらい美味しい」

 娘と妻の姿。
 幸せな光景だと、見とれてる場合じゃない。
 娘の求める感想を述べるためにも、おにぎりとタコさんを食べなくては。

 「お弁当、きっと翔平くんも喜んでくれるよ」

 そこまで言うと、娘がエヘヘと体をくねらせた。
 明日を想像してワクワクしてるのだろう。食事が止まってしまい、軽く妻から「ほら、ちゃんとゴハンを食べて」と叱られた。
 でも。

 (いい光景だなあ)

 心の底からそう思う。
 妻と娘。
 愛しい二人と、こうして何気ない会話をして食卓を囲む。
 十五年前の自分には、想像出来なかった現在。

 あの時、僕と未瑛みえいがまだ高校二年生だった夏。
 友人、健太の言い出した「アオハルオーバードーズ計画」で、僕たちはカップル(仮)になった。それこそ娘の言うようなお弁当交換もしたし、いろんなことがあって、僕は未瑛みえいへの恋を自覚した。
 けれど。
 生まれつき身体が弱く、医者から思春期を越えるのは難しいと言われていた未瑛みえいは、夏を前に、生死の境を彷徨うほど体調を崩した。
 生きてくれ。生き延びてくれ。
 僕を生きがいにして余命宣告を乗り越えたというのなら、そのまま僕のために生きてくれ。僕といっしょに生きてくれ。

 そのためなら、僕はなんでもする。
 
 その祈りが通じたのか。
 未瑛みえいの心臓は、何度も止まりかけながらも、心臓移植までどうにか持ちこたえた。その年の秋に移植を受け、術後の養生もあって、学年は一個下になってしまったけど、無事に高校を卒業して、七年前に、僕の妻になった。
 体調は良好であっても無理はさせられない。
 未瑛みえいのたっての願いで子はもうけたものの、出産までは細心の注意を払ったし、出産は帝王切開でということになった。
 僕が亡きじいちゃんの跡を継いで医者になったのは、この仁木島の役に立ちたいってのもあったけど、なにより未瑛みえいを守りたいって気持ちが強かったから。
 もう、あの時みたいなことは嫌だ。
 もう僕は、未瑛みえいを失いたくない。「またね」なんて言われたくない。

 (――またね? またねってなんだ?)

 僕はいつ、未瑛みえいに「またね」なんて言われたんだ?

 「はるくん? どうしたの?」

 「ああ、なんでもない。少し考えごとしてただけ」

 箸が止まってたんだろう。言われ、あわてて食事を再開する。

 (――ん? なんだこれ)

 伸ばした箸の先。テーブルに転がる透明な粒。

 (オモチャか?)

 それは、明るい木目のテーブルの上に、いくつも散らばり転がっている。透き通り、照明の光を乱反射させている。
 未瑛みえいも娘も、ゴハンに夢中で、その粒に気づいてないようだけど。
 気になった僕は、その一粒を手に取りポケットにしまう。

 「パパ?」

 「いやあ、このゴハンは、とっても美味しいなあ。パパ、すっごく幸せだよ」

 言ってタコさんを食べると、娘が、へニャッと顔を崩す。
 
 (ソックリだな)

 妻の笑顔に。その笑い方がソックリだ。

 「ほら、こぼしてるよ」

 妻がよく似た顔の娘を叱る。
 
*     *     *     *

 「――はるくん」

 「もう、寝た?」

 「うん」

 スッと開いた襖。書斎に入ってきた妻に、それまで窓枠に腰掛け、読んでいた本から顔を上げる。
 先程まで聞こえていたかすかな妻の声。低すぎす高すぎない妻の優しい読み聞かせ。娘だけじゃなく、書斎で読書していた僕にも、とても心地よいものだった。
 寝る前、お風呂で保育園で習った七夕の歌を歌い続けてた娘。「た~んざくかいて~」の短冊が言えなくて、「たんじゃ~くかいて~」になるのも愛おしかった。
 今は、どんな夢を見てるんだろう。母親の優しい声を聴きながら眠っただろう、妻に似た娘の寝顔を思って頬を緩める。

 「なにか、調べ物?」

 「たいしたことじゃないんだけど。ちょっと気持ちを落ち着かせたくって」

 「気持ちを?」

 「うん。ここで本を読んでると、ほら、未瑛みえいの実家が見える」

 言って、近づいてきた妻に、窓の外を指差す。
 中天には上弦の月。月明かりに、白く波打つ甍の先。黒い外壁を持つ未瑛みえいの実家。

 「僕、昔からここで本を読むのが好きだったんだ。そして、時折外を眺めて、『今、未瑛みえいはどうしてるんだろうな~』って想像してた」

 「想像してどうするの?」

 「いや、どうするってわけじゃないけど……。寝てるのかな、起きてるのかな、起きてたとしたら、何してるのかなって思ってた」

 「なかなかのアオハルしてますなあ、大里少年」

 「だね。言ってて自分でもアオハルしすぎて恥ずかしい」

 今頃どうしてるんだろうって思ってた相手、今は妻となった彼女を抱き寄せ、いっしょに窓枠に腰掛ける。
 今日は海風が強いんだろう。波打ち際のようなザザンという波の音ではなく、ゴーっと遠くから海の音が聞こえる。
 僕が、ここで医学書を読むようになったのは、未瑛みえいのためだった。
 身体の弱い未瑛みえい
 少しでも彼女を助けることをしたくて、恋を自覚しないまま、必死に本を読み漁っていた。医者でもなんでもない自分に、彼女を助けることなんてできるのか。そんなこと、少しも考えず、ただひたすらに知識を詰め込もうとしていた。
 アオハルしてたな。
 誰にも話したことない十五年前の自分。少し微笑ましい。

 「はるくん、もう寝る? 調べ物するなら、お茶、淹れようか?」

 「うーん。どうしよっかな。お茶も欲しいし、寝たいような気もする」

 「どっちなの? 欲張りだね」

 「欲張りだよ、僕は」

 抱き寄せる腕に力を込める。

 「キミを手に入れ、娘も生まれた。でもまだ満足してないんだ」

 「満足してないの?」

 「うん。もっとキミたちを幸せにするには、どうしたらいいのか? すっごく貪欲にそのことばかり考えてる」

 もっと幸せにしてやりたい。もっともっと。彼女と娘が、「もうたくさん!」って言い出すまで。

 「もう! わたし、すっごく幸せだよ?」

 少し身体をよじって、未瑛みえいが僕の胸に頬を寄せる。
 
 「こうして、はるくんと結婚できて。あの子も生まれて。すっごくすっごく幸せ。これ以上の幸せなんて、望んだらバチあたりそう」

 「――うん」

 わかってる。
 今がこの上ない幸せな状況なんだって。
 それでもまだ「足りない」と思ってる自分がいる。

 「ねえ、はるくん。わたしの夢って覚えてる?」

 「夢? あの高校の時に言ってた夢?」

 ――すっごく単純で、でも、とってもステキなステキな大きな夢。

 帰り道、未瑛みえいが話してくれたこと。
 どんな夢かは教えてくれなかったけど、夢を叶えるためなら、どこでも行く。それこそ、夢のためなら、東京だって、アメリカだって、宇宙にだって行くとまで言っていたけど。
 
 「あの夢ってね。こうしてはるくんのお嫁さんになることだったんだよ?」

 「え?」

 未瑛みえいの夢が、僕のお嫁さん?

 「はるくんと結婚して、お嫁さんになって、子どもを産んで。今日みたいに、はるのためにゴハン作って。そういうのが、わたしの夢だったんだ」

 「そう……だったんだ」

 だから、僕と本物の恋人になった時も、結婚を申し込んだ時も、娘が生まれた時も。あんなに、あんなに喜んでいたのか。
 
 「わたし、思春期を越えて生きられないって言われてたから」

 そっか。
 だから、「お嫁さん」が、大きな夢になってたのか。
 僕のお嫁さんになって、僕の子どもを産んで。こうして毎日いっしょに暮らして。
 普通の人なら、その年頃になれば当たり前のように叶えられる夢。

 「じゃあ、今は、夢が叶ってとっても幸せ?」

 「うん。とっても幸せ」

 目を閉じた未瑛みえい。抱きしめると、自分と彼女の熱と匂い、鼓動が混じり合ってる気がした。
 僕が生きている。未瑛みえいが生きている。
 それがどれだけ幸せなことか。
 僕も目を閉じ、今を心に刻みつける。

 「――そうだ、はるくん。冷蔵庫にね、いいもの入ってるんだ」

 キスしたい。
 そう思った僕より早く、未瑛みえいが動く。
 
 「いいもの?」

 「うん。今日買い物先で見つけたの。パキコのマスカット味。よかったら、いっしょに食べよ?」

 「懐かしいな」

 パキコのマスカット味。
 期間限定の味。
 あの夏、僕が恋を自覚した時、未瑛みえいと分けて食べた味。
 あの甘くて酸っぱい味とともに、あの夏のことが胸に去来する。
 じいちゃんが亡くなり、美浜屋もオジさんも、老いたことを理由に店を閉めた。学校も閉校となった。美浜屋には、青いベンチと自販機だけが残され、あの頃の思い出につながる場所は減っている。
 けど、こうして時折、過去を懐かしむアイテムに出会う。

 「じゃあ、お茶といっしょに用意しておくから。先に行ってるね」

 スルリと僕の腕の中から抜け出した未瑛みえい。隣の部屋で眠る娘を起こさないように、それでいていそいそと部屋から出ていく。
 その姿はあの頃と変わらず、とってもかわいい。

 (――ん?)

 窓を閉めようと立ち上がったところで、足元に落ちてるソレに気づく。
 まただ。
 畳の上に転がるいくつもの透明な粒。月明かりに薄く輝く。
 
 (娘のオモチャ――なわけないか)

 そのうちの一つを指でつまみ上げる。娘は、この部屋に入ったりしない。それに、さっきまで僕が本を読んでいた時には転がってなかったはず。

 (なんだろう、これ)

 気になった僕は、またその一粒を手に取りポケットにしまう。

*     *     *     *

 その透明な粒は、あちらこちらに散らばる。
 娘にせかされ、家族で出かけた水族館で。
 今年もササユリを描きたいと、未瑛みえいと出かけた神社の境内で。
 家族で散歩途中見かけたミカンの花に。廃校となっても、そのまま建ち続ける校舎を見た時に。美浜屋の、色褪せたベンチを見た時に。
 夏鈴かりん逢生あおいと始めた、シーカヤックの体験先で。本屋で、榊さんの新刊を見つけた時に。
 朝、娘を保育園に送っていく道で。取り込んだ洗濯物をたたむ未瑛みえいと、洗濯物にじゃれて叱られる娘を眺めてる時に。かわいく髪を結ってもらって、クルンと回ってみせる娘を見た時に。

 誰も気づかない。
 誰にも見えていない。
 僕だけに見える透明な粒が、いくつも散らばる。
 その一粒、ひとつぶを、大切な宝物のように、僕はポケットにしまう。
 薄く淡く、ガラスのように繊細で、それでいてとても強いもの。
 この粒は、今の僕が忘れてはいけないもの。大事に持っていなければいけないもの。放っておいてはいけないもの。
 そんな気がした。

*     *     *     *

 (まただ)

 夜が明け始め、外が明るくなってきた頃。
 僕は一人目を覚ます。
 隣に眠るのは、幼い娘。その先には愛しい妻。
 二人の寝息が聞こえるベッドに、透明な粒が撒き散らされる。
 
 (これは、なんなんだろう)

 持ち上げて、レースのカーテン越しの淡い光にかざす。
 何度も拾ってポケットにしまうけど、いつの間にか消えてしまう儚いもの。

 「――はるくん?」

 「ゴメン、起こしちゃった?」

 ホヤンと目を覚ました妻。僕が動いたことで、彼女を起こしてしまったか。

 「ううん。大丈夫」

 まだ、完全には起きてないのだろう。受け答えもどこか茫洋としてる。「大丈夫」と言ったつもりなんだろうけど、僕には「らいりょーふ」と聞こえた。

 「もう少し寝てていいよ」

 「うん、そーする」

 そう告げると、またトロンと目を閉じた未瑛みえい。起きはしたけど、まだまだ眠気が優勢ってところか。
 彼女の背の向こう。「暗いと、朝起きられなくなるから」という理由で、厚手のカーテンを閉めていない窓。
 夏の朝はとても早い。もうしばらくしたら、東の空が赤く焼けて、藍色は西へと追いやられる。今日も刺すような日差しの降り注ぐ暑い一日が始まるんだろう。
 エアコンの効いた部屋から出たくなくなる、そういう夏の日。
 そして、夏の終わりにはまた花火大会があって。秋になれば、航太こうたさんと寧音ねねさんに三人目の子が生まれて。寒い冬を越えたら娘がランドセルを背負って、健太の子といっしょに登校する春が来る。
 いくつも、いくつも。
 僕と未瑛みえい、そして、娘の上を季節が過ぎていく。僕たちは、そうして幸せな季節を重ねていく。

 「――はるくん」

 眠ったと思っていた未瑛みえいが、目を閉じたまま、こちらに手を伸ばす。

 「幸せだよ、わたし。こんなに想ってもらえて」

 小さな透明の粒。それを握ったままの僕の手に、細い手を添えてくる。

 「だから。そんなに泣かないで」

 それだけ言うと、また眠りに落ちていった未瑛みえい

 「――うん」

 満足そうに眠るその顔に、見つめる僕の目から涙が溢れ出す。
 ポロリ。ホロリ。
 静かに滴り落ちる涙は、ベッドの上で、透明な粒になって、一面を埋め尽くすように転がり出す。

 そうだ。
 これは、夢。
 未瑛みえいを失くした僕が見る、都合の良い夢。
 転がる粒は、僕が未瑛みえいを想って流した涙。想い。
 
 わかってる。わかってたんだ。

 未瑛みえいとの関係は、あの十五年前の夏に断ち切られてること。
 唐突に思い出す。
 まどろみから一気に意識が覚醒するように。
 今の僕には、妻もいなければ、娘もいないこと。これが、すべて朝には消えてしまうはかない夢であること。

 〝ゆっくりでいいよ〟

 神社の階段を登るように。
 ゆっくりと未瑛みえいの元に行くまで、僕は生き続ける。そう決めたのに。時折、無性に未瑛みえいに逢いたくて、こんな夢を求めてしまう。
 未瑛みえいが生きていたら、叶えたかった彼女の夢。未瑛みえいが生きていたら、叶えたかった僕の夢。

 (ゴメンな、未瑛みえい)

 今日は七夕。
 もしかしたら、いつまでもグジグジ寂しがってる僕を見かねて、彼女が会いに来てくれたのかもしれない。七十年は生きるって決めたのに、たった十五年で挫けそうになってる僕を励まそうと、僕のもとに来てくれた。二人にとって、とっても幸せな、叶わなかった未来を、こうして見せてくれた。
 天の川の岸辺で、彦星の訪れを待つだけの織姫じゃない。未瑛みえいは僕のもとに、夢を携え渡ってきてくれた。とってもアクティブな、僕の織姫。

 (もう少しだけ、甘えてもいいかな?)

 僕もベッドに身を沈め、目を閉じる。
 「いいよ」とばかりに、添えられた未瑛みえいの手に、キュッと力がこもる。
 そっか。
 未瑛みえいも、この夢にたゆたっていたいのか。
 次に逢えるまで。生きてく僕も辛いけど、待ってるキミも寂しいよな。
 次に目を覚ましたら。
 そうしたら、大里診療所の大里はる医師として。一人でもこの仁木島のために尽くすから。だから、今だけは未瑛みえいの夫としての夢を見させて。

 夜が明けていく。
 白い光が少しずつ部屋に満ちていく。
 そのなかで。今だけは。
 僕は未瑛みえいとともに見る夢に、一筋、透明な涙を流した。
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