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6.キミと恋するディスタンス
(四)
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「惜しかったな、逢生」
「そうだね」
「もうちょっとだったんだけどな」
「うん」
競技場を出て、バス停まで歩き出す。
日の長い夏の夕方。空の青に黄色と朱が混じり始め、長く伸びた日陰のおかげで、少しずつ冷めてきたアスファルトの道。
準決勝に進み、その後、決勝にまで勝ち進んだ逢生。
――これは、もしかしてもしかするか?
――ワンチャンイケる?
応援していた僕たちは、その走りに期待した。
仁木島分校から、期待の星現る?
「10秒65かあ……」
空を見上げて、健太が呟く。
逢生の結果は5位。1位は10秒44。コンマ21。ホントに僅差での争いだった。
「でも、来年はきっと1位だよ。長谷部くんなら絶対」
泣きそうなぐらい肩を落としてる明音ちゃん。寄り添うようにして山野が慰め続ける。
「あんなに、スゴい走りができるんだもん。来年にはもっと速く走るよ。そしたら1位間違いなし!」
励ましの声は、ここに似つかわしくないぐらいに明るい。
「それにしても、カッコよかったねえ、長谷部くん。そう思わない? 夏鈴」
「え? あたし?」
「そうだよ。長谷部くんがあそこまで速くなったのって、夏鈴がずっと練習につき合ってたからでしょ?」
キョトンとした夏鈴に、山野が笑いかける。
「だから、そう落ち込まないで。長谷部くんはスゴい。そして夏鈴もスゴい。今度さ、長谷部くんのお疲れ様会? 感動をありがとう会をやろうよ。壮行会できなかったから、それも合わせて」
「そだね。やろっか、感動をありがとう会。ちょっとしまらない名前だけど」
グズっと夏鈴が鼻を啜り上げた。涙こそ流してないけど、それなりにウルッときてたらしい。
「おっ、感動をありがとう会、いいな! やろうぜ、それ!」
「アンタは単に遊びたいだけでしょうが。補講からの現実逃避」
「うっせ。いいんだよ。なんでも」
会話に飛びついた健太が、夏鈴に指摘され頬を膨らます。
「それよりさ。オレ、今、なんかスッゲー走り出したい気分なんだけど」
は?
「こう――なんていうのかさ。あの逢生観てたらさ、胸の奥が熱くなってきたっていうか。こう、滾るんだよな、血が」
「あー、わかる!」
健太の言葉に、夏鈴が同意。
「感動をありがとうじゃなくってさ! こう、叫び出したいような!」
「走り出したいような?」
「そう、ソレソレ!」
健太と夏鈴、意気投合。
「ってことで、バス停まで走る! 明音! お前たちはゆっくり来い!」
「言われなくてもそうするわよ」
「陽! お前は来い! いっしょにアオハルしようぜ!」
「いや、なんで僕まで――って! わかった! わかったから服、引っ張るな! 伸びる!」
強引につき合うことが決定される。
「仕方ない。アイツらの面倒みとくから、山野はゆっくり来いよ!」
引きずられるように走るのはイヤなので、自分でちゃんと走り出す。
まあ、僕も「感動をありがとう」なんてのじゃなくて、なんかこうウズウズするものがあったんだけど。
「オレのこの血が滾って燃える! アオハルしろよととどろき叫ぶ!」
――いや。そこまでじゃないけど。
バス停まで、約1キロ。
「……バス、来ねえ」
健太と夏鈴と僕。走った中で、唯一健太だけがヨレヨレのヘロヘロ。
「情けないわねえ。ほんのちょっと走っただけじゃない」
「だってよぉ……」
夏鈴の指摘に、健太がベソをかく。
「――バカね。あんな田舎行きのバス、そう簡単に来るわけないじゃない」
田舎舐めんな。
走ったところで、一本前のバスに間に合うなんてことはない。時刻表はガッラガラの空欄だらけ。
遅れて到着した榊さんの辛辣過ぎる指摘に、走った疲れも相まって、ズルズルと健太が崩れていった。
* * * *
バスを乗り継ぎ到着した仁木島町。
バスセンターでそれぞれ別れ、海沿いの道を歩いて帰路につく。
と言っても、健太はいつものように明音ちゃんを送っていったし、僕と山野は同じ道を歩いていく。
競技会場を出た時は、まだ明るかったのに。仁木島町は、西の山の端に赤黒い残照を残すだけで、空は藍色に染まっていた。
「そういえば、今日って七夕だったね」
「あ、うん。そうだね」
歩きながら他のことを考えてた僕は、山野の言葉に、中途半端な返事しかできなかった。
「ねえ、大里くんって星座、わかったりする?」
「まあ、それなりに。詳しいわけじゃないけど、有名なものならいくつか」
「じゃあさ、織姫と彦星もわかる? 今日の主役!」
「えっと。わかるよ」
織姫と彦星。こと座のベガとわし座のアルタイル。落ちるワシと飛ぶワシ。夏の大三角を形作る。どれも一等星だから、ちょっと空を眺めただけで簡単に見つけられる。
立ち止まり、海の上に見える星を指差す。
「ねえ、もしかしてあのモヤッとした感じの部分が天の川?」
「正解」
夏の大三角あたりの、「あれ? 煙? 雲?」みたいなのが天の川。天体写真なんかだと、もっと細かく、これでもかってぐらいの点描みたいな星があるけど、肉眼で眺めた程度だと、「モヤッ」にしか見えない。
「彦星、溺れてない?」
「溺れて? プッ。確かに。フライングして溺れてる」
山野の表現に笑う。
こと座のベガは天の川のたもとで大人しく待ってるのに、わし座のアルタイルは、すでに天の川に突っ込んでる。「渡ってる最中」じゃなく、「溺れてる」が面白い。
「それだけ逢いたくて仕方ないってことにしてあげよう」
「そうだね」
年に一度しか逢えない恋人。
その恋人に逢いたくて、ザバザバドブドブ、必死に天の川を渡ってる。流されないように。無事に織姫に逢えるように。彦星の健闘を祈る。
(これで、織姫も感極まって天の川に入ったりすれば、ロマンティックなのかもしれないけど)
必死に渡ってくる恋人の姿に、思い余って自分も裳裾を濡らして天の川に入る。星がそんなふうに移動したら、驚天動地確実だけど、それぐらいのロマンスは欲しい――って。
「――あ!」
「どうしたの? 大きな声出して」
「……クレープ食べるの、忘れてた」
ガックリと肩を落とす。競技会の感動だとかで走って、なんやかんやですっかり忘れて、ようやく来たバスに乗り込んで帰ってきてしまった。
「そんなに食べたかったの?」
山野が笑う。
「いや。健太に食べさせてやりたかったんだよ」
僕が食いしん坊だからじゃない。
「アイツ、明音ちゃんとうまくいきたくて必死だから」
クシャッと前髪を掻き上げる。
明音ちゃんとクレープの味の比べっこ。うっかりワンチャン間接キスの妄想は引くけど、それだけ好きなんだなって健気な気持ちは応援してやりたい。
おそらくだけど、あそこで走ったのだって、明音ちゃんにカッコいいところ、見せるつもりだったからだろうし。結果として、情けない姿を晒してたけど。
「そういうことね。でも、そこまで心配しなくても、健太くんと明音ちゃんなら大丈夫じゃないかなあ」
星空を見上げ、両手を後ろに組んだ山野。
「あの二人は、時間こそかかるかもしれないけど、いつかは本物のカップルになれるよ」
「そうかな」
「うん。だって明音ちゃん、なんだかんだ言いながらも、ちゃんと健太くんのそばにいるし。今日だって、健太くんに家まで送ってもらってるし」
「そっか」
「それとね。夏鈴と長谷部くんも。まだ無自覚かもしれないけど、こっちもあの二人らしい、友達みたいなバディ感覚でカップルになると思う。文華ちゃんと日下先生は、文華ちゃんの推しだからどうなるかわかんないけど。でも上手くいったらいいな、進展してほしいなって思ってる」
「そうなんだ」
「うん! 健太くんの言うアオハル計画、大成功だよ」
歩き出した山野。スキップしそうなほど足取りが軽いのか。下ろした髪が、右へ左へフワリフワリと揺れた。
その髪と、僕より細い背中を眺め、立ち止まる。
「どうしたの? 早く帰ろう?」
振り返った山野。
「そうだな。あ~、クレープのこと考えたら、途端に腹減ってきた」
「ナニソレ」
山野が笑う。僕も笑う。
――じゃあ、僕たちは?
アオハル計画の最後の一組、僕と山野はどうなんだ?
訊きたい言葉、本当に言いたかったことは、喉に絡みつき、つっかえ、出てこなかった。
「そうだね」
「もうちょっとだったんだけどな」
「うん」
競技場を出て、バス停まで歩き出す。
日の長い夏の夕方。空の青に黄色と朱が混じり始め、長く伸びた日陰のおかげで、少しずつ冷めてきたアスファルトの道。
準決勝に進み、その後、決勝にまで勝ち進んだ逢生。
――これは、もしかしてもしかするか?
――ワンチャンイケる?
応援していた僕たちは、その走りに期待した。
仁木島分校から、期待の星現る?
「10秒65かあ……」
空を見上げて、健太が呟く。
逢生の結果は5位。1位は10秒44。コンマ21。ホントに僅差での争いだった。
「でも、来年はきっと1位だよ。長谷部くんなら絶対」
泣きそうなぐらい肩を落としてる明音ちゃん。寄り添うようにして山野が慰め続ける。
「あんなに、スゴい走りができるんだもん。来年にはもっと速く走るよ。そしたら1位間違いなし!」
励ましの声は、ここに似つかわしくないぐらいに明るい。
「それにしても、カッコよかったねえ、長谷部くん。そう思わない? 夏鈴」
「え? あたし?」
「そうだよ。長谷部くんがあそこまで速くなったのって、夏鈴がずっと練習につき合ってたからでしょ?」
キョトンとした夏鈴に、山野が笑いかける。
「だから、そう落ち込まないで。長谷部くんはスゴい。そして夏鈴もスゴい。今度さ、長谷部くんのお疲れ様会? 感動をありがとう会をやろうよ。壮行会できなかったから、それも合わせて」
「そだね。やろっか、感動をありがとう会。ちょっとしまらない名前だけど」
グズっと夏鈴が鼻を啜り上げた。涙こそ流してないけど、それなりにウルッときてたらしい。
「おっ、感動をありがとう会、いいな! やろうぜ、それ!」
「アンタは単に遊びたいだけでしょうが。補講からの現実逃避」
「うっせ。いいんだよ。なんでも」
会話に飛びついた健太が、夏鈴に指摘され頬を膨らます。
「それよりさ。オレ、今、なんかスッゲー走り出したい気分なんだけど」
は?
「こう――なんていうのかさ。あの逢生観てたらさ、胸の奥が熱くなってきたっていうか。こう、滾るんだよな、血が」
「あー、わかる!」
健太の言葉に、夏鈴が同意。
「感動をありがとうじゃなくってさ! こう、叫び出したいような!」
「走り出したいような?」
「そう、ソレソレ!」
健太と夏鈴、意気投合。
「ってことで、バス停まで走る! 明音! お前たちはゆっくり来い!」
「言われなくてもそうするわよ」
「陽! お前は来い! いっしょにアオハルしようぜ!」
「いや、なんで僕まで――って! わかった! わかったから服、引っ張るな! 伸びる!」
強引につき合うことが決定される。
「仕方ない。アイツらの面倒みとくから、山野はゆっくり来いよ!」
引きずられるように走るのはイヤなので、自分でちゃんと走り出す。
まあ、僕も「感動をありがとう」なんてのじゃなくて、なんかこうウズウズするものがあったんだけど。
「オレのこの血が滾って燃える! アオハルしろよととどろき叫ぶ!」
――いや。そこまでじゃないけど。
バス停まで、約1キロ。
「……バス、来ねえ」
健太と夏鈴と僕。走った中で、唯一健太だけがヨレヨレのヘロヘロ。
「情けないわねえ。ほんのちょっと走っただけじゃない」
「だってよぉ……」
夏鈴の指摘に、健太がベソをかく。
「――バカね。あんな田舎行きのバス、そう簡単に来るわけないじゃない」
田舎舐めんな。
走ったところで、一本前のバスに間に合うなんてことはない。時刻表はガッラガラの空欄だらけ。
遅れて到着した榊さんの辛辣過ぎる指摘に、走った疲れも相まって、ズルズルと健太が崩れていった。
* * * *
バスを乗り継ぎ到着した仁木島町。
バスセンターでそれぞれ別れ、海沿いの道を歩いて帰路につく。
と言っても、健太はいつものように明音ちゃんを送っていったし、僕と山野は同じ道を歩いていく。
競技会場を出た時は、まだ明るかったのに。仁木島町は、西の山の端に赤黒い残照を残すだけで、空は藍色に染まっていた。
「そういえば、今日って七夕だったね」
「あ、うん。そうだね」
歩きながら他のことを考えてた僕は、山野の言葉に、中途半端な返事しかできなかった。
「ねえ、大里くんって星座、わかったりする?」
「まあ、それなりに。詳しいわけじゃないけど、有名なものならいくつか」
「じゃあさ、織姫と彦星もわかる? 今日の主役!」
「えっと。わかるよ」
織姫と彦星。こと座のベガとわし座のアルタイル。落ちるワシと飛ぶワシ。夏の大三角を形作る。どれも一等星だから、ちょっと空を眺めただけで簡単に見つけられる。
立ち止まり、海の上に見える星を指差す。
「ねえ、もしかしてあのモヤッとした感じの部分が天の川?」
「正解」
夏の大三角あたりの、「あれ? 煙? 雲?」みたいなのが天の川。天体写真なんかだと、もっと細かく、これでもかってぐらいの点描みたいな星があるけど、肉眼で眺めた程度だと、「モヤッ」にしか見えない。
「彦星、溺れてない?」
「溺れて? プッ。確かに。フライングして溺れてる」
山野の表現に笑う。
こと座のベガは天の川のたもとで大人しく待ってるのに、わし座のアルタイルは、すでに天の川に突っ込んでる。「渡ってる最中」じゃなく、「溺れてる」が面白い。
「それだけ逢いたくて仕方ないってことにしてあげよう」
「そうだね」
年に一度しか逢えない恋人。
その恋人に逢いたくて、ザバザバドブドブ、必死に天の川を渡ってる。流されないように。無事に織姫に逢えるように。彦星の健闘を祈る。
(これで、織姫も感極まって天の川に入ったりすれば、ロマンティックなのかもしれないけど)
必死に渡ってくる恋人の姿に、思い余って自分も裳裾を濡らして天の川に入る。星がそんなふうに移動したら、驚天動地確実だけど、それぐらいのロマンスは欲しい――って。
「――あ!」
「どうしたの? 大きな声出して」
「……クレープ食べるの、忘れてた」
ガックリと肩を落とす。競技会の感動だとかで走って、なんやかんやですっかり忘れて、ようやく来たバスに乗り込んで帰ってきてしまった。
「そんなに食べたかったの?」
山野が笑う。
「いや。健太に食べさせてやりたかったんだよ」
僕が食いしん坊だからじゃない。
「アイツ、明音ちゃんとうまくいきたくて必死だから」
クシャッと前髪を掻き上げる。
明音ちゃんとクレープの味の比べっこ。うっかりワンチャン間接キスの妄想は引くけど、それだけ好きなんだなって健気な気持ちは応援してやりたい。
おそらくだけど、あそこで走ったのだって、明音ちゃんにカッコいいところ、見せるつもりだったからだろうし。結果として、情けない姿を晒してたけど。
「そういうことね。でも、そこまで心配しなくても、健太くんと明音ちゃんなら大丈夫じゃないかなあ」
星空を見上げ、両手を後ろに組んだ山野。
「あの二人は、時間こそかかるかもしれないけど、いつかは本物のカップルになれるよ」
「そうかな」
「うん。だって明音ちゃん、なんだかんだ言いながらも、ちゃんと健太くんのそばにいるし。今日だって、健太くんに家まで送ってもらってるし」
「そっか」
「それとね。夏鈴と長谷部くんも。まだ無自覚かもしれないけど、こっちもあの二人らしい、友達みたいなバディ感覚でカップルになると思う。文華ちゃんと日下先生は、文華ちゃんの推しだからどうなるかわかんないけど。でも上手くいったらいいな、進展してほしいなって思ってる」
「そうなんだ」
「うん! 健太くんの言うアオハル計画、大成功だよ」
歩き出した山野。スキップしそうなほど足取りが軽いのか。下ろした髪が、右へ左へフワリフワリと揺れた。
その髪と、僕より細い背中を眺め、立ち止まる。
「どうしたの? 早く帰ろう?」
振り返った山野。
「そうだな。あ~、クレープのこと考えたら、途端に腹減ってきた」
「ナニソレ」
山野が笑う。僕も笑う。
――じゃあ、僕たちは?
アオハル計画の最後の一組、僕と山野はどうなんだ?
訊きたい言葉、本当に言いたかったことは、喉に絡みつき、つっかえ、出てこなかった。
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