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3.恋せよ乙女、恋して男子

(一)

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 「あら、大里くん」

 「おはようございます、寧音ねねさん」

 朝。
 山野の家で、チャイムを押しかけた指が止まる。
 この辺の家では、大抵玄関に鍵をかけてない。窓だって風通し重視で鍵をかけてることが少ない。
 その玄関で、僕がチャイムを押すより早く引き戸が開いた。
 なかから出てきたのは、山野ではなく、山野の姉、寧音ねねさん。
 出勤するところだったんだろう。淡いラベンダー色のスーツを着た寧音ねねさんが、僕とかち合って、僕と同じぐらい驚いていた。
 玄関開けて、そこにヌッと誰かが立っていたら、普通に驚く。

 「あの。山野さん、いますか?」

 寧音ねねさんだって「山野さん」なのに。でも、下の名前「未瑛みえいさんいますか?」はちょっとためらわれたので、「山野さん(姉)に、山野さん(妹)いますか?」という、間抜けな問いかけになってしまった。

 「いるわよ。ちょっと待ってね。未瑛みえい~、大里くんが来てるわよぉっ!」

 少し広い玄関内。軽く戻って、奥に呼びかける。
 すると、しばらくして、バタバタとこちらに慌ただしい音が近づいてきて。

 「――大里くんっ!?」

 茶碗とお箸という、テッパンアイテムを持ったままの山野が姿を現した。それも、淡いパステルカラーのパジャマという、完璧スタイル。

 「ちょっと未瑛みえい、アンタ、なんて格好で出てきてるのよ」

 クスクスと寧音ねねさんが、妹の姿を笑う。その指摘に、真っ赤になった山野が、「着替えてくる!」と言い残して、台所との境にぶら下がった珠のれん(?)の向こうに、ジャラジャラ音を鳴らして引っ込んだ。

 「ごめんね、あんな妹で」

 「いえ。僕が思いつきで急に誘いに来たんだから。悪いのは僕です」

 いつもなら、こんな風に迎えに来たりしない。
 ホント、たまたま思いつき。もし山野が先に家を出てたのなら、それでも構わない、ぐらいの発想だった。まさか、まだゴハンを食べて、パジャマ姿だったとは思わなかったけど。

 「それにしても。久しぶりに見たけど、大里くん、大きくなったね~」

 「そうですか?」

 寧音ねねさんに言われ、自分を見下ろす。僕、大きくなったんだろうか? 春の身体測定では1センチ程度しか伸びてなかった。多分、僕の成長期は終わりを迎えたんだろう。最終結果、身長178センチ。まずまずの成績。

 「うん。男らしくなってきたっていうのかな。夏服着てるから、余計にそう思うわ」

 夏服? 夏服に、そんな「男らしさ」を感じさせる要素ってあるんだろうか。
 もう一度見回してみるけど、やはり理解できない。
 
 「ほら、そのネクタイだよ」

 ちょっと困った顔をしてたんだろう。笑いながら寧音ねねさんが指摘した。――ネクタイ? ああ、これか。
 言われて、スルッとポケットからネクタイのしっぽ(?)を取り出す。さっき、家で食器洗うのに邪魔で、しっぽを左胸のポケットに入れたんだった。

 「頑張って働くリーマンみたい」

 ゔ。

 それって、「男らしい」とか「大きくなった」と同義なんだろうか。どっちかというと、「オッサン臭い」印象しかないんだけど。

 「寧音ねねさん、お仕事行かなくていいんですか?」

 話題を変える。
 このまま寧音ねねさんと喋りながら山野を待っていてもいいけど、そうすると寧音ねねさんが、遅刻しちゃうんじゃないか?
 寧音ねねさんの働く町役場。何時に開庁かは知らないけど。

 「わかってるわよ。そんなに急かさなくても、未瑛みえいとの仲は邪魔しないから」

 「――え?」

 山野との仲?
 じいちゃんも言ってたけど、あの「アオハルオーバードーズ計画」って、町役場にも広まってたりするわけ?

 「昨日のお弁当。未瑛みえいが作ったアレを貰ったのって、大里くんでしょ?」

 なんでそれを?
 言いかけた言葉をングッと呑み込む。

 「あの子ねえ、健太くんからメール貰ってから、大変だったのよ。お弁当、どうしようって」

 言葉は呑み込んだけど、寧音ねねさんには、お見通しらしい。
 もしかしたら、つき合ってるという健太の兄さん、航太さんから聽いてるのかもしれない。

 「わたしのお弁当箱だと小さすぎる! って言い出して。慌てて美浜屋さんに弁当箱を買いに走ったんだから」

 「そうなんですか?」

 弁当箱を買いに?
 
 「うん。美浜屋のオジさんに無理言ってね。店を開けてもらったのよ、あの子」

 確かにあの時間なら、店は閉まってただろう。それを無理言って開けてもらって、弁当箱一つ、買ったのか?
 てっきり、あの弁当箱は、山野のお父さんの使ってる物だと思っていた。ちょっと父親の物を借りて、ゴロンゴロンとおにぎりを入れたのかと。
 違ったのか。
 無意識に、手で顔を押さえる。

 「お、ね、え、ちゃ、ん! なに話してるの!」

 ドスドスと床を踏み鳴らして近づいてきた山野。
 さっきと違って、手には学校カバン、服は僕のネクタイとおそろい、赤いストライプの入った蝶リボンつきの、白いブラウスとチェックのスカート。
 でも、顔の真っ赤さは、さっきと変わらない。いや。勝手にペラペラ喋った姉に怒って、顔を赤くして肩を怒らせてる。

 「あら、いいじゃない。別に」

 「よくない!」

 その噛みつき方に、山野って、こんな風に声を上げるんだなと、ヘンなところで感心する。

 「おーコワ。じゃあ、おじゃま虫お姉ちゃんは退散することにするわ」

 妹を怒りをヒラヒラと手を振ってかわし、寧音ねねさんが、庭に停まっていたスクーターに乗る。
 残されたエンジン音と、排気ガスの匂い。それと僕と山野。

 「ゴメン、急に誘いに来て」

 微妙な空気に、どう言ったらいいかわからなくて、間抜けな謝罪をする。

 「ううん。大里くんは悪くないよ。それより、――おはよう」

 「おはよう」

 空気が微妙なのは、山野もいっしょなんだろう。喉の奥から絞り出てきたような「おはよう」のあと、ぎこちなく、家の前の坂を歩き出す。
 坂を下っていくほどに見えてくる海。朝の海は、夕方と違って、波がキラキラと白く光る。無造作に、整然と。波がいくつも光り輝く。岬の緑も、緑に白を混ぜて明るい印象。空はまだ、淡い水色。青くない。でも今日も暑くなるんだろうな、そんな予感を孕んでる。

 「――そうだ」

 坂を下りきる前、カバンの中から思い出したものを取り出す。

 「これ、やるよ。今朝、患者のばあちゃんからもらった」

 二個取り出したうちの一つ、コロンと、山野の小さな手に載せてやる。
 淡黄色の真ん中に穴の空いた、パイン味のアメ。
 
 「この町のばあちゃんたちってさ、挨拶代わりにアメちゃん出してくるんだよな」

 一階部分が、じいちゃんの診療所と待合室になってる我が家では、朝早くから訪れる患者さんから、こうしてなにかをもらうことが多い。ダントツで多いのはアメ。
 他の患者さんとのお喋りを楽しみにやって来るばあちゃんたちは、お喋りついでのアメちゃん交換会用に、いく種類ものアメちゃんを持参してたりする。僕がもらうのは、そのおこぼれ。「アメちゃん、あげよか?」「ありがとうございます」は、僕ん家の朝の必須挨拶。

 「ありがとう。大切にするね」

 「いや別に。とっとと食べてよ。溶けちゃうよ」

 渡したアメを、大切な宝物のようにギュッと胸に抱きしめた山野。
 お弁当のこと聞いたから。ちょっと申し訳ないなって思って渡しただけなんだけど。

 (次は、もうちょいいいもの、用意しとこ)

 思いながら、自分の手に残ったアメを口に入れる。
 アメは、甘く、そしてかすかに酸っぱかった。
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