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2.恋とはどういうものかしら

(二)

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 ピッピッ。ピッピッ。ピッピッ。

 校庭に響く規則正しい笛の音。

 ピッピッ。ピッピッ。ピッピッ。

 「ほら、そこ、しっかり走れよぉ!」

 笛の合間に、先生の励まし? 叱咤? の声も混じる。
 今日の体育は、1000メートル走。
 もう初夏だってのに、なんで1000メートル走? なんて疑問は持つだけムダ。
 一年から三年まで。合同で行われる体育では、男子も女子も関係なく、容赦なくグラウンドを周回させられる。

 「こらぁ、川嶋ぁ! もっとシャキッと走らんか!」

 「ふひぃ~」

 名指しで叱られ、健太が情けない声を上げた。
 一応、男子と女子の差を鑑みて、女子は1000メートル一回だけだけど、男子は1000メートル✕2。
 叱られたのは健太だけど、限界が近いのは僕も同じ。
 三年生二人の背中と、先頭を切る逢生あおいの背中を追いかけて、なんとか走ってる状態。うっかりすると、健太ほどじゃないけど、辛くて顎が上がってきそう。

 (先生、スゴいな)

 笛を吹きながら、最後尾の健太に並走し続けてる、担任の立花先生。
 さっきの、女子との合同1000メートルも、二回目の今も。その笛のリズムが乱れたことがない。規則正しい呼吸をしてるせいだ。
 たしかもう40代だってのに。その体力オバケ具合には、驚かされる。

 「健太、頑張れよ」

 逢生あおいが、健太を追い抜きざまに声をかけていく。周回遅れとなった健太を、逢生あおいが追い抜かしたのだ。日頃から陸上をやってる逢生あおいには、1000メートル✕2ぐらいたいしたことないのか。ものすごく気さくに、「よお!」みたいな明るさで追い抜いていく。僕より小柄で、どこか幼く感じる顔立ちなのに。こっちも充分体力オバケ。息も乱れてない。それどころか、健太を抜いた直後、さらにスピードを上げてゴールに走っていった。うん、化け物だ。

 「お疲れ~」

 ゴールした先、グラウンドで待機してた夏鈴かりんが、ねぎらってくれた。

 「大里くん、5位って。なかなかやるじゃん」

 「ハハッ、そ、そうかな」

 息を乱し(当然)つつ、顎まで滴ってきた汗を拭う。
 一位が逢生あおいなのはいいとして。ゴール直前で、三年の意地を出してきた先輩に抜かれてしまった。
 なんか、ちょっとかっこ悪い。

 「あれ? 山野は?」

 そこに座ってる女子を見回す。
 夏鈴かりん以外にも、榊さんや明音ちゃんはいるのに。山野だけがそこにいない。

 「あー、うん。さっきまではここで描いてたんだけど。ちょっとしんどいってことで、あっちで休憩してる」

 「そっか」

 山野は、生まれつき身体が弱い。
 幼い頃から、大きな手術を何度も受けたとかで、高校生になった今でも運動は控えるように医者から言われてる。だから、こういう体育の時間、彼女だけ特別に、「美術」が課題として与えられる。
 校内の全員が体育に参加するなか、一人だけ美術室で――ってのはおかしいので、同じようにジャージに着替えて、その端でスケッチすることになってる。後で、美術の先生に見せて、講評をもらうってシステム。

 (まあ、今日は暑いからなあ)

 山野でなくても、ここに座ってるのはしんどいかもしれない。
 走ってかいた汗だけじゃなく、日差しのせいでかいた汗まで滴り落ちる。手の甲で拭うだけじゃ間に合わなくて、シャツの裾を使って汗を拭き取る。心地いい海風もあるけど、それでもやっぱり汗はかく。

 「僕、ちょっと顔、洗ってくる」

 拭くだけじゃ間に合わない汗をどうにかしたい。
 トラックでは、まだ健太がゴールできないでいる。今のうちなら、ちょっとぐらい水道に行ってても問題ないだろう。

 (あ、山野)

 軽く走った先、水道の脇、日陰の乾いたコンクリートの上にポツンと座っていた山野。

 (なに、描いてるんだ?)

 しんどいって聞いたから、てっきりグッタリしてるのかと思ったのに。
 体育座りでスケッチブックを抱え込むようにして、顔を近づけ一生懸命なにかを描き込んでいる。
 僕が近づいたことにも、おそらく気づいていない。

 「やーまの! な~に、描いてんの?」

 そ~っと忍び足で近づき、声をかける。

 「ぴゃあ! おっ、大里くん!」

 ビクッと震えた山野。目をまんまるにして、スケッチブックで身体を防御。

 「ねえ、なに描いたか見せて?」

 その驚き具合に、いたずら心がムクムクと沸き起こる。
 
 「え? いや、ダメ! ダメダメダメダメ! わたしの絵なんて、見せる価値ナシだし!」

 さっきは、驚いた自分を守るためのスケッチブック抱え込みだったけど、今は身を盾にスケッチブックの絵を守ってる。

 「ええ~、見る価値あるかどうかなんて、見てみないとわからないじゃん」

 まあ、よっぽど絵に自信がないと他人に見せたくないよなあ。
 僕だったら、「断る!」一択だし。
 だけど、その焦る姿がどこか小動物っぽくって、さらなる嗜虐心を掻き立てる。

 「僕たち、恋人、カップルなんだろ? だったら、カレシに絵を見せてくれてもいいと思うんだけどなあ」

 健太の言い出した「アオハルオーバードーズ計画」。
 強引にカップルにされたけど、今のところ、山野のカレシになった感はない。けど、わざと、それを持ち出して山野に絡んでみる。
 やってること、子どもっぽいなって思ったけど。

 「……じゃ、じゃあ、ちょっとだけ」

 生真面目な山野が、おずおずとスケッチブックを差し出す。なぜか、一枚ページをめくってから。

 「見ても、笑わないでね。下手くそなのも百も承知だから、感想もいらない」

 念押しされた。

 「わかった」

 少し笑って、渡されたスケッチブックに視線を落とす。――って。え?

 「これ……、僕?」

 感想を言うつもりはなかったのに。つい、口からこぼれた驚き。

 白い紙の上、躍動感溢れる誰かの走る姿。背はまっすぐに、ハーフパンツからのぞく足は少し筋肉張ってる。吹く風にちょっと硬めな髪をなぶらせて、ただ前だけを見て走ってる。
 柔らかい髪、マッシュスタイルの逢生あおいじゃない。ヨレヨレヨタヨタで走り続けてる健太でもない。
 これは、僕がうぬぼれてるのでなければ、おそらく僕の走ってる姿。

 「大里くんの走ってる姿が、キレイだったから」

 蚊の鳴くような山野の声。

 「キレイって。フォームなら逢生あおいのがキレイだと思うけど」

 陸上をやってる逢生あおい。そのフォームは、教科書に載せたいぐらい完璧。

 「もういい? もう充分見たでしょ!?」

 「あ!」

 やや乱暴に、僕の手の中から、スケッチブックが奪い去られる。

 (――え?)

 チラッと見えた、もう一枚、山野が見せてくれなかった絵。
 まだ顔も何も描かれてなかったけど。誰か立って、シャツの裾で汗を拭いてるような、そのせいで、チラッとお腹が見えてるような――。

 「あ! こら! なにすんだよ!」

 スケッチブックを奪った山野。僕が見たことに気づいたのか、取り戻すなり、その一枚を引きちぎってグシャグシャに丸めた。

 「いいの! こっちは誰にも見せるつもりなかったから!」

 顔を真っ赤に染めた山野。
 目も潤んでて、今にも泣きそうな顔をしてる。

 (これ以上はイジメちゃかわいそうだな)

 そう思ったけど。

 (あの絵、もったいなかったなあ)

 ジックリ見たかったというのか。なんでそれを描いたの? と訊きたかったというのか。ちゃんと完成させてほしかったというのか。せっかく夢中になって描いてたのに、悪いことちゃったなというのか。
 よくわからない気持ちになった。
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