貴方だけは愛しません

玲凛

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本心

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 手の温もりが、心にまで響く。 
 アリステアは味わった事の無い、その不思議な感覚に浸っていた。

 誰かと手を繋いで歩く……その初めての体験は、アリステアを酷く高揚させ、また戸惑わせた。

 ゼノンに対して積極的になってみたは良いものの……この先はどうすれば良いのだろう。
 そんな事を考えながら、アリステアはゼノンを盗み見した。

 ゼノンは繋いだ手をじっと見つめていた。
 無表情で何を考えているのかは、よく分からなかったが……アリステアには、なんとなく彼が戸惑っているように見えた。

 あの冷酷な父親がを戸惑うなんて……とアリステアは内心驚いたが、表情には出さなかった。

 そしてどれ程、二人無言で歩いていた事だろう……もう少しで厨房……という所で不意に背後から声が聞こえた。

 「旦那様……とアリステア様?」

 その言葉にアリステアとゼノンは振り返った。

 そこにいたのは買い出しに行っていたのか、手に荷物を持っている三十代半ばの細身の男性……料理長だった。

 どうやら彼はアリステアとゼノンが共にいる事に驚いているようだ。
 アリステアも突然の料理長の登場に驚いたが、直ぐに繋いていた手を離すと、急いで料理長の下へ駆け寄り、真剣な表情で見つめた。

 料理長は、凄い勢いで駆け寄ってきたアリステアに対して若干顔を強張らせだが、次の瞬間目を見開いた。

 ーー料理長の目の前には、深く頭を下げるアリステアの姿が。

 そのアリステアの姿に、ゼノンもシェノアも目を見開いた。

 貴族の子息が使用人に頭を下げる、それは普通ならあり得ない事だった。
 しかも相手は……作る料理に対して文句ばかり言ってくる、あのアリステア。

 そのあり得ない光景に、料理長は驚きの余り茫然としていたが、我に返ると慌て出した。

 「アリステア様、顔を上げてください!」

 だがアリステアは決して頭を上げず、そのままの状態で話し始めた。

 「今まで作ってくれた料理に文句ばかり言って御免なさい!そして……いつも美味しい料理をありがとう!」

 その言葉に料理長は息を飲んだ後、破顔した。
 
 「どうか……アリステア様、顔を上げてください。」

 その言葉にアリステアは恐る恐る顔を上げた。
 そんなアリステアに対して料理長はとても優しく微笑むと、穏やかに言葉を紡いだ。

 「もう良いですよ……アリステア様。私は気にしていませんから……それよりも料理に対するお礼、ありがとうございます。」

 その優しく気遣いに溢れた言葉に、アリステアは耐えきれず、涙をぽろぽろ零した。
 そんなアリステアに対して料理長は微笑んだまま、懐からハンカチを取り出すと、その美しい涙を拭った。
 
 そして、彼はアリステアが泣き止むまでの間ずっと優しく寄り添い続けた。








 
















 アリステアが泣き止むと、料理長は厨房へ向かった。
 泣き疲れたアリステアは、暫しぼんやりと宙を見つめていたが、我に返ると唐突にゼノンの存在を思い出した。
 そして慌ててゼノンに視線を向け、言葉を紡いだ。

 「お、お父様……放っておいて御免なさい……でも、ちゃんとお礼だったでしょう?」

 そう言って小さく胸を張るアリステアを、ゼノンはじっと見つめると静かに問いかけた。

 「何が……何が、お前をそんなにも変えたのだ?」
 「えっ?」
 「……今までのお前はあの女と同じで……料理に対しては文句ばかり言っていた。それに、私を見れば怯えて隠れるばかり……それなのに、今日のお前は態々使用人に対して頭を下げ、料理に対する感謝の意を伝えた……それに私に対しても全く臆す事無く、手まで握った……一体何が……何がそこまでお前を変えたのだ?」

 その言葉にアリステアは目を見開いた後、儚く笑んだ。

 そんな事は決まっている……苦しみと悲しみ、そして絶望が私を変えた。

 ーー生き地獄だったあの人生が私を変えたのだ。

 だが当然、そんな事は言えない。
 そんなアリステアは微笑んだまま、答えた。

 「私はただ……今まで卑屈に生きて来たせいで、どれだけ自分が損をして来たのか……その事に気付いただけです。」
 
 そう過去を思い出し語るアリステアに対して、ゼノンはまるで眩しい物でも見るかのように目を眇めた。

 そんなゼノンを見つめながら、アリステアは愉しげに……そして、とても幸せそうに微笑んだ。

 「お父様……私は今、幸せですよ。母に捨てられようとも、レインシア様が私を愛して下さいますし、此処には美味しいご飯も寝床もありますから……でも、叶う事なら……」 

 そう言って言葉を切ると、アリステアはゼノンに対して今日一番の笑顔を浮かべた。

 「お父様……貴方にも愛して貰いたいです。」

 そのアリステアの言葉に、ゼノンは大きく目を見開いた。
 アリステアはそんな表情のゼノンを一瞥すると、ゆっくりその場を後にした。
 
 


 
 




















 ゼノンと別れた後、アリステアは清々しく明るい表情で歩いていた。
 今のアリステアの心を占めるのは幸せ。
 
  ーー心の内を吐露出来た、幸せ

 ……ただ、それだけだった。
 
 そんな幸せに包まれていたアリステアだったが、ふとある花を思い出した。
 ……それは庭の隅に咲いている、小さいがとても美しい花。

 それがどうしても見たくなったアリステアは部屋には戻らず、庭へ向かう事にした。
 そして軽快な足取りで、庭へと向かっていたのが……

 「アリステア様……先程の言葉は本心ですか?」

 その背後から聞こえた声に、アリステアは立ち止まると億劫げに振り返った。
 ……幸せな気分だったのに、台無しだ。

 そんな不貞腐れたアリステアの視線の先には、険しい表情で此方を見つめるシェノアが。

 アリステアはすっかり忘れていた……彼の存在を。
 そんなすっかり忘れ去られていた可哀想なシェノアだが、彼はずっとアリステアの一挙手一投足を見ていたのだ。
 ……勿論、ゼノンとの会話も聞いていた。

 そんなシェノアに対して、アリステアは煩わしいという感情を全く隠さずに、答えた。

 「……そうだけど、別にシェノアには関係ないでしょう?もう私に構わないで、放っておいてよ。」

 そう言ってアリステアは、シェノアを振り切るように走り出した。
 非常に行儀悪いが仕方ない……煩わしいシェノアが悪いのだ。

 そんな突然走り出したアリステアに、シェノアはギョッとした。

 「ま、待ってください!」

 背後から動揺するシェノアの声が聞こえてくるが無視だ。

 そうしてアリステアは巧みに廊下を走り、角を曲がって、庭へと向かった。

 
 



 
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