6 / 22
本心
しおりを挟む
手の温もりが、心にまで響く。
アリステアは味わった事の無い、その不思議な感覚に浸っていた。
誰かと手を繋いで歩く……その初めての体験は、アリステアを酷く高揚させ、また戸惑わせた。
ゼノンに対して積極的になってみたは良いものの……この先はどうすれば良いのだろう。
そんな事を考えながら、アリステアはゼノンを盗み見した。
ゼノンは繋いだ手をじっと見つめていた。
無表情で何を考えているのかは、よく分からなかったが……アリステアには、なんとなく彼が戸惑っているように見えた。
あの冷酷な父親がを戸惑うなんて……とアリステアは内心驚いたが、表情には出さなかった。
そしてどれ程、二人無言で歩いていた事だろう……もう少しで厨房……という所で不意に背後から声が聞こえた。
「旦那様……とアリステア様?」
その言葉にアリステアとゼノンは振り返った。
そこにいたのは買い出しに行っていたのか、手に荷物を持っている三十代半ばの細身の男性……料理長だった。
どうやら彼はアリステアとゼノンが共にいる事に驚いているようだ。
アリステアも突然の料理長の登場に驚いたが、直ぐに繋いていた手を離すと、急いで料理長の下へ駆け寄り、真剣な表情で見つめた。
料理長は、凄い勢いで駆け寄ってきたアリステアに対して若干顔を強張らせだが、次の瞬間目を見開いた。
ーー料理長の目の前には、深く頭を下げるアリステアの姿が。
そのアリステアの姿に、ゼノンもシェノアも目を見開いた。
貴族の子息が使用人に頭を下げる、それは普通ならあり得ない事だった。
しかも相手は……作る料理に対して文句ばかり言ってくる、あのアリステア。
そのあり得ない光景に、料理長は驚きの余り茫然としていたが、我に返ると慌て出した。
「アリステア様、顔を上げてください!」
だがアリステアは決して頭を上げず、そのままの状態で話し始めた。
「今まで作ってくれた料理に文句ばかり言って御免なさい!そして……いつも美味しい料理をありがとう!」
その言葉に料理長は息を飲んだ後、破顔した。
「どうか……アリステア様、顔を上げてください。」
その言葉にアリステアは恐る恐る顔を上げた。
そんなアリステアに対して料理長はとても優しく微笑むと、穏やかに言葉を紡いだ。
「もう良いですよ……アリステア様。私は気にしていませんから……それよりも料理に対するお礼、ありがとうございます。」
その優しく気遣いに溢れた言葉に、アリステアは耐えきれず、涙をぽろぽろ零した。
そんなアリステアに対して料理長は微笑んだまま、懐からハンカチを取り出すと、その美しい涙を拭った。
そして、彼はアリステアが泣き止むまでの間ずっと優しく寄り添い続けた。
アリステアが泣き止むと、料理長は厨房へ向かった。
泣き疲れたアリステアは、暫しぼんやりと宙を見つめていたが、我に返ると唐突にゼノンの存在を思い出した。
そして慌ててゼノンに視線を向け、言葉を紡いだ。
「お、お父様……放っておいて御免なさい……でも、ちゃんとお礼だったでしょう?」
そう言って小さく胸を張るアリステアを、ゼノンはじっと見つめると静かに問いかけた。
「何が……何が、お前をそんなにも変えたのだ?」
「えっ?」
「……今までのお前はあの女と同じで……料理に対しては文句ばかり言っていた。それに、私を見れば怯えて隠れるばかり……それなのに、今日のお前は態々使用人に対して頭を下げ、料理に対する感謝の意を伝えた……それに私に対しても全く臆す事無く、手まで握った……一体何が……何がそこまでお前を変えたのだ?」
その言葉にアリステアは目を見開いた後、儚く笑んだ。
そんな事は決まっている……苦しみと悲しみ、そして絶望が私を変えた。
ーー生き地獄だったあの人生が私を変えたのだ。
だが当然、そんな事は言えない。
そんなアリステアは微笑んだまま、答えた。
「私はただ……今まで卑屈に生きて来たせいで、どれだけ自分が損をして来たのか……その事に気付いただけです。」
そう過去を思い出し語るアリステアに対して、ゼノンはまるで眩しい物でも見るかのように目を眇めた。
そんなゼノンを見つめながら、アリステアは愉しげに……そして、とても幸せそうに微笑んだ。
「お父様……私は今、幸せですよ。母に捨てられようとも、レインシア様が私を愛して下さいますし、此処には美味しいご飯も寝床もありますから……でも、叶う事なら……」
そう言って言葉を切ると、アリステアはゼノンに対して今日一番の笑顔を浮かべた。
「お父様……貴方にも愛して貰いたいです。」
そのアリステアの言葉に、ゼノンは大きく目を見開いた。
アリステアはそんな表情のゼノンを一瞥すると、ゆっくりその場を後にした。
ゼノンと別れた後、アリステアは清々しく明るい表情で歩いていた。
今のアリステアの心を占めるのは幸せ。
ーー心の内を吐露出来た、幸せ
……ただ、それだけだった。
そんな幸せに包まれていたアリステアだったが、ふとある花を思い出した。
……それは庭の隅に咲いている、小さいがとても美しい花。
それがどうしても見たくなったアリステアは部屋には戻らず、庭へ向かう事にした。
そして軽快な足取りで、庭へと向かっていたのが……
「アリステア様……先程の言葉は本心ですか?」
その背後から聞こえた声に、アリステアは立ち止まると億劫げに振り返った。
……幸せな気分だったのに、台無しだ。
そんな不貞腐れたアリステアの視線の先には、険しい表情で此方を見つめるシェノアが。
アリステアはすっかり忘れていた……彼の存在を。
そんなすっかり忘れ去られていた可哀想なシェノアだが、彼はずっとアリステアの一挙手一投足を見ていたのだ。
……勿論、ゼノンとの会話も聞いていた。
そんなシェノアに対して、アリステアは煩わしいという感情を全く隠さずに、答えた。
「……そうだけど、別にシェノアには関係ないでしょう?もう私に構わないで、放っておいてよ。」
そう言ってアリステアは、シェノアを振り切るように走り出した。
非常に行儀悪いが仕方ない……煩わしいシェノアが悪いのだ。
そんな突然走り出したアリステアに、シェノアはギョッとした。
「ま、待ってください!」
背後から動揺するシェノアの声が聞こえてくるが無視だ。
そうしてアリステアは巧みに廊下を走り、角を曲がって、庭へと向かった。
アリステアは味わった事の無い、その不思議な感覚に浸っていた。
誰かと手を繋いで歩く……その初めての体験は、アリステアを酷く高揚させ、また戸惑わせた。
ゼノンに対して積極的になってみたは良いものの……この先はどうすれば良いのだろう。
そんな事を考えながら、アリステアはゼノンを盗み見した。
ゼノンは繋いだ手をじっと見つめていた。
無表情で何を考えているのかは、よく分からなかったが……アリステアには、なんとなく彼が戸惑っているように見えた。
あの冷酷な父親がを戸惑うなんて……とアリステアは内心驚いたが、表情には出さなかった。
そしてどれ程、二人無言で歩いていた事だろう……もう少しで厨房……という所で不意に背後から声が聞こえた。
「旦那様……とアリステア様?」
その言葉にアリステアとゼノンは振り返った。
そこにいたのは買い出しに行っていたのか、手に荷物を持っている三十代半ばの細身の男性……料理長だった。
どうやら彼はアリステアとゼノンが共にいる事に驚いているようだ。
アリステアも突然の料理長の登場に驚いたが、直ぐに繋いていた手を離すと、急いで料理長の下へ駆け寄り、真剣な表情で見つめた。
料理長は、凄い勢いで駆け寄ってきたアリステアに対して若干顔を強張らせだが、次の瞬間目を見開いた。
ーー料理長の目の前には、深く頭を下げるアリステアの姿が。
そのアリステアの姿に、ゼノンもシェノアも目を見開いた。
貴族の子息が使用人に頭を下げる、それは普通ならあり得ない事だった。
しかも相手は……作る料理に対して文句ばかり言ってくる、あのアリステア。
そのあり得ない光景に、料理長は驚きの余り茫然としていたが、我に返ると慌て出した。
「アリステア様、顔を上げてください!」
だがアリステアは決して頭を上げず、そのままの状態で話し始めた。
「今まで作ってくれた料理に文句ばかり言って御免なさい!そして……いつも美味しい料理をありがとう!」
その言葉に料理長は息を飲んだ後、破顔した。
「どうか……アリステア様、顔を上げてください。」
その言葉にアリステアは恐る恐る顔を上げた。
そんなアリステアに対して料理長はとても優しく微笑むと、穏やかに言葉を紡いだ。
「もう良いですよ……アリステア様。私は気にしていませんから……それよりも料理に対するお礼、ありがとうございます。」
その優しく気遣いに溢れた言葉に、アリステアは耐えきれず、涙をぽろぽろ零した。
そんなアリステアに対して料理長は微笑んだまま、懐からハンカチを取り出すと、その美しい涙を拭った。
そして、彼はアリステアが泣き止むまでの間ずっと優しく寄り添い続けた。
アリステアが泣き止むと、料理長は厨房へ向かった。
泣き疲れたアリステアは、暫しぼんやりと宙を見つめていたが、我に返ると唐突にゼノンの存在を思い出した。
そして慌ててゼノンに視線を向け、言葉を紡いだ。
「お、お父様……放っておいて御免なさい……でも、ちゃんとお礼だったでしょう?」
そう言って小さく胸を張るアリステアを、ゼノンはじっと見つめると静かに問いかけた。
「何が……何が、お前をそんなにも変えたのだ?」
「えっ?」
「……今までのお前はあの女と同じで……料理に対しては文句ばかり言っていた。それに、私を見れば怯えて隠れるばかり……それなのに、今日のお前は態々使用人に対して頭を下げ、料理に対する感謝の意を伝えた……それに私に対しても全く臆す事無く、手まで握った……一体何が……何がそこまでお前を変えたのだ?」
その言葉にアリステアは目を見開いた後、儚く笑んだ。
そんな事は決まっている……苦しみと悲しみ、そして絶望が私を変えた。
ーー生き地獄だったあの人生が私を変えたのだ。
だが当然、そんな事は言えない。
そんなアリステアは微笑んだまま、答えた。
「私はただ……今まで卑屈に生きて来たせいで、どれだけ自分が損をして来たのか……その事に気付いただけです。」
そう過去を思い出し語るアリステアに対して、ゼノンはまるで眩しい物でも見るかのように目を眇めた。
そんなゼノンを見つめながら、アリステアは愉しげに……そして、とても幸せそうに微笑んだ。
「お父様……私は今、幸せですよ。母に捨てられようとも、レインシア様が私を愛して下さいますし、此処には美味しいご飯も寝床もありますから……でも、叶う事なら……」
そう言って言葉を切ると、アリステアはゼノンに対して今日一番の笑顔を浮かべた。
「お父様……貴方にも愛して貰いたいです。」
そのアリステアの言葉に、ゼノンは大きく目を見開いた。
アリステアはそんな表情のゼノンを一瞥すると、ゆっくりその場を後にした。
ゼノンと別れた後、アリステアは清々しく明るい表情で歩いていた。
今のアリステアの心を占めるのは幸せ。
ーー心の内を吐露出来た、幸せ
……ただ、それだけだった。
そんな幸せに包まれていたアリステアだったが、ふとある花を思い出した。
……それは庭の隅に咲いている、小さいがとても美しい花。
それがどうしても見たくなったアリステアは部屋には戻らず、庭へ向かう事にした。
そして軽快な足取りで、庭へと向かっていたのが……
「アリステア様……先程の言葉は本心ですか?」
その背後から聞こえた声に、アリステアは立ち止まると億劫げに振り返った。
……幸せな気分だったのに、台無しだ。
そんな不貞腐れたアリステアの視線の先には、険しい表情で此方を見つめるシェノアが。
アリステアはすっかり忘れていた……彼の存在を。
そんなすっかり忘れ去られていた可哀想なシェノアだが、彼はずっとアリステアの一挙手一投足を見ていたのだ。
……勿論、ゼノンとの会話も聞いていた。
そんなシェノアに対して、アリステアは煩わしいという感情を全く隠さずに、答えた。
「……そうだけど、別にシェノアには関係ないでしょう?もう私に構わないで、放っておいてよ。」
そう言ってアリステアは、シェノアを振り切るように走り出した。
非常に行儀悪いが仕方ない……煩わしいシェノアが悪いのだ。
そんな突然走り出したアリステアに、シェノアはギョッとした。
「ま、待ってください!」
背後から動揺するシェノアの声が聞こえてくるが無視だ。
そうしてアリステアは巧みに廊下を走り、角を曲がって、庭へと向かった。
57
お気に入りに追加
3,204
あなたにおすすめの小説
【完結】幼馴染から離れたい。
June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。
βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。
番外編 伊賀崎朔視点もあります。
(12月:改正版)
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
悪役のはずだった二人の十年間
海野璃音
BL
第三王子の誕生会に呼ばれた主人公。そこで自分が悪役モブであることに気づく。そして、目の前に居る第三王子がラスボス系な悪役である事も。
破滅はいやだと謙虚に生きる主人公とそんな主人公に執着する第三王子の十年間。
※ムーンライトノベルズにも投稿しています。
愛がなければ生きていけない
ニノ
BL
巻き込まれて異世界に召喚された僕には、この世界のどこにも居場所がなかった。
唯一手を差しのべてくれた優しい人にすら今では他に愛する人がいる。
何故、元の世界に帰るチャンスをふいにしてしまったんだろう……今ではそのことをとても後悔している。
※ムーンライトさんでも投稿しています。
オメガバース 悲しい運命なら僕はいらない
潮 雨花
BL
魂の番に捨てられたオメガの氷見華月は、魂の番と死別した幼馴染でアルファの如月帝一と共に暮らしている。
いずれはこの人の番になるのだろう……華月はそう思っていた。
そんなある日、帝一の弟であり華月を捨てたアルファ・如月皇司の婚約が知らされる。
一度は想い合っていた皇司の婚約に、華月は――。
たとえ想い合っていても、魂の番であったとしても、それは悲しい運命の始まりかもしれない。
アルファで茶道の家元の次期当主と、オメガで華道の家元で蔑まれてきた青年の、切ないブルジョア・ラブ・ストーリー
【完結】愛してるから。今日も俺は、お前を忘れたふりをする
葵井瑞貴┊書き下ろし新刊10/5発売
BL
『好きだからこそ、いつか手放さなきゃいけない日が来るーー今がその時だ』
騎士団でバディを組むリオンとユーリは、恋人同士。しかし、付き合っていることは周囲に隠している。
平民のリオンは、貴族であるユーリの幸せな結婚と未来を願い、記憶喪失を装って身を引くことを決意する。
しかし、リオンを深く愛するユーリは「何度君に忘れられても、また好きになってもらえるように頑張る」と一途に言いーー。
ほんわか包容力溺愛攻め×トラウマ持ち強気受け
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる