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28.今津防衛戦 1274.10.20

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 時系列的には、竹崎李長《たけざきすえなが》が櫛田神社で伊乃たちと再会したときより遡《さかのぼ》る。
 鷹島に宿営地を築いた蒙古軍は、舟艇機動による侵攻を開始する。
 合わせて、徒歩行軍による侵攻も実施されたのだがあくまでも主攻は軍船と抜都魯《バートル》による移動であった。

 蒙古軍が目指したのは博多湾西側に位置する今津であった。
 この地点への上陸に関しては「八幡愚童訓」およびその他の史料にも記載がある。
 なぜ、この地が選ばれたのか?
 博多湾、博多市街への直接侵攻・上陸戦ダイレクトアタックはなぜ避けられたのか。
 作戦目標の第一段階を大宰府占領と考えるならば、博多への直接侵攻の方が合理的である。

「元寇」研究における第一人者といえる皇立九州大学の大田泰三教授の研究によると、上陸地点の選定に以下の理由が考えられるという。

 北西の風を受けにくい地形であること。
 玄界灘からの海流が比較的素直であること。
 海岸線に山地が突き出ていないこと。
 ある程度の兵が散開できる広さがあること。
 湿地など戦闘に不向きな地形でないこと。

 結果、博多への直接侵攻は回避され「今津海岸」が選択されたと推測される。
 ちなみに、国書を送る際に、蒙古の使者は九州の地形を把握し、すでに本国に報告していた。
 侵攻軍は当然、この情報を有している。
 これは、蒙古帝国の国書を無視すると決定した鎌倉幕府が使者を大宰府に留め、その行動を制限しなかったために起きたことである。
 完全な落ち度であった。

 更に、今津海岸の防御には地元の御家人である篠田正信が守備についていただけであった。
 守備隊の数は、凡そ五〇騎の重装騎馬弓兵を中心に、二〇〇から二五〇と推定されている。
 海岸周辺には、本陣より派遣された兵力が展開され、合計一五〇〇から一六〇〇の兵が存在はしていた。
 が、上陸時の戦闘に加わることができず、各個撃破された可能性が高い。

 今津方面の戦闘に関しては、非常に史料が少なく、戦闘の実態がどうであったのかは詳細が分かっていない。
 地元御家人の篠田正信の戦闘に関する史料が辛うじて残っている。
 そして、高麗の史料により、この方面における指揮官が金方慶《きんほうけい》であったことは確かであった。

        ◇◇◇◇◇◇

 今津への上陸は、定石どおり早暁《そうぎょう》を持って行われた。
 冬を迎えた危うい日差しが軍船三〇隻、抜都魯《バートル》三〇艘に降り注ぐ。
 朝焼けの空は血の色に似ていた。

「夜間上陸などできるわけがないだろうが」

 金方慶は受けた夜間上陸という無茶な命令を無視した。
 今津海岸は水深も深く、軍船も海岸近くまで接近はできる。
 その分、抜都魯《バートル》が往復する距離は短くはなる。
 しかし、夜間、揺れる船から抜都魯《バートル》への移乗は困難極まりない。
 碌な訓練を受けてない高麗兵にそのようなことが出来るわけがなかった。
 三〇艘の抜都魯《バートル》で六〇〇人が上陸できる。
 総兵力五〇〇〇人を上陸させるためには、九往復が必要なのだ。

「幸いにも、倭兵の虚をつけたか……」

 抜都魯《バートル》数艘を夜間偵察に使用し人気のない場所を選び移動していた。
 倭の守備隊が篝火をつけていたのが、良い目印となった。
 灯のないところへ移動すればいいのだ。

(灯は己の場所を露呈するか……)

 闇の中で灯を求めるのは本能であるし、全くの灯なしで軍を展開することは不可能だ。
 金方慶は、その点を読み奇襲を成功させていた。

(問題は、倭に見つかるまでどれほどの兵、物資を揚陸できるかだ――)

 敵前上陸における補給と兵の展開――
 それは、現代戦においても難しい問題であった。
 
 二〇世紀に入っての日米戦においても、島嶼上陸戦では、お互いに痛い目を見ている。
 それほどまでに、敵前上陸戦闘は難易度が高い。

「助かるな――」

 金方慶は呟くように言った。

「確かに、倭兵の攻撃がないのは――」

 側近《幕僚参謀》のひとりの言葉を聞き「こいつは理解してない」と金方慶は断ずる。
 戦闘の有無ではない。
 そんなものは関係ない。

「ここで矢を消耗しないで済むのは助かる」

 敵の攻撃を受ければ、反撃をしなければいけない。
 防御するにしても、亀のように盾の後ろに隠れていてばかりでは士気が崩壊する。
 その反撃も、矢数を勘定しながらであるという状況が厳しいのだ。

 兵站という面で、蒙古・高麗軍は大きな掣肘《せいちゅう》を加えられていた。
 
        ◇◇◇◇◇◇

 日本側守備兵と高麗の上陸軍との衝突は、上陸兵が二〇〇〇を超えた時点で発生した。
 すでに高麗兵が数的優位を確保していた。
 さらに、抜都魯《バートル》は兵を陸地に送り続ける。
 上陸は阻害されることがなかった。

『撃て!!』

 銅鑼の音が響く。
 兵の叫びと濤声《とうせい》と潮風が混ざりあい、獣の唸り声のように聞こえる。
 ユーラシア大陸を蹂躙した、矢の飽和攻撃《サチュレーションアタック》だった。
 風を切り裂き、放物線を描き、無数の矢が倭の兵に降り注ぐ。
 重装騎馬弓兵たる五〇騎の御家人には大きなダメージを与えることができない。
 それでも、周囲を固める軽装の歩兵集団には、十分な手傷を与えた。
 古い史実解釈にあるような毒矢はなかった。
 毒の管理が困難であり、熟練度の低い高麗兵では、自分を傷つける事故が発生しかねない。

『撃て! 撃て! 撃て!』

 交差する矢――
 低伸弾道を描く和弓から放たれる矢。
 放物線を描き、上空から降り注ぐ高麗の矢。
 一撃の威力では、和弓の方が上であった。

『あふぁぁぁ!!』

 盾ごと、脳天を貫かれ、棒のように倒れる高麗兵。
 口だけがパクパクと痙攣し、血と脳漿をぶちまけていた。

『馬鹿、盾を支えろぉ!』

 指揮官の怒声――
 
『おっかねぇ、おっかねぇよぉぉ!』
 
 恐怖に震え、身をかため盾の取っ手を握り締める兵。
 直撃を受ければ、木製の盾など寒天《かんてん》に箸を刺すように突き抜ける。

『突っ込んできやがったぁぁ――!!』

 二〇世紀に入った後も、米国兵を震撼させた日本兵の突撃。
 その始祖ともいうべき、鎌倉武士団の突撃《デス・チャージ》だった。

『撃て! かまわん、平射! 撃ちまくれ!』
 老将・金方慶が叫ぶ。
 鉄製の兜に「カーン」と倭の弓があたる。
 眩暈がする。
 ドジョウ髭の下にある唇がめくれがっていた。
 笑みだ。
 獰猛な野獣の笑みを、冷静な老将が浮かべていた。
 高麗という国家の常識では、高位の将軍が敵の矢面に立つなどありえなかった。

 士気が砕けそうになった高麗兵が立ち直る。
 弓を平射に切り替え、放つ。
 銅鑼による、一斉射撃《サルボ》ではない。
 統制はされてはいなかったが、矢の密度は圧倒的だった。

 それでも――
 それでも大鎧に守られた武士は構わず突っ込んできた。

『な、なんて鎧だ… こちらの弓をまったく受けつけません!』

 金方慶の側近が声を上げる。悲鳴に近い。

『それでも男か! 軟弱者が!』

 鎌倉武士の大鎧は、強力な和弓から放たれる直射弾道の矢に耐えるようにできている。
「平家物語」が記録する「以仁王の乱」で浄妙明秀《じょうみょうめいしゅう》は六三本の矢を大鎧に受けていた。
 貫通はわずかに五本。それも辛うじて貫通といったもので、浄妙明秀《じょうみょうめいしゅう》に深手を負わせることはできなかった。
「札《さね》」と呼ばれる鋳鉄製の板を連結した大鎧は、その重量と引き換えに桁外れの防御力を備えていた。

 だが――
 重装騎馬弓兵である鎌倉武士にも弱点はあった。

 顔面――
 首元――
 脇下――
 太股――

 また、「馬手の袖めてのそで」と呼ばれる肩から上腕を防御する装甲の隙間もある。
 重量と交換《トレードオフ》した弱点。
 どのような防御にも完璧はなかった。
 これは二一世紀の兵器であっても同じだ。
 ましてや人の命など鴻毛よりも軽い中世の常識によって作られた防御だ。

 驟雨のような矢の攻撃が、大鎧の弱点を襲った。
 ここで、篠田正信には突撃を取りやめ、撤退するという選択肢もあった。
 事実、不利を覚った郎党の一部は反転していた。
 統制された近代軍ではない鎌倉武士団の限界だった。

「続けぇぇ! 崩せぇぇ!」
 
 篠田正信は咆哮した。
 矢の風きり音の中へ、突撃する。
 ひゅんひゅんと矢が飛ぶ音が「吹き返し」を通し聞こえる。
 剥き出しの顔を伏せ、顔面への直撃を避ける。
 武士としての嗜みだ。
 
 すでに弓は捨て太刀を抜いていた。
 見る者の恐怖心をかき立てる兇悪な鋼の刃。
 慶長年代以降に大量生産された新刀とは別次元の刃。
 二一世紀の刀鍛冶でも再現不能な技術ロスト・テクノロジーで作られた兵器。

「おりゃぁぁぁ!!」

 絶叫とともに、太刀を天に突き上げた。
 その瞬間、天地が回転する。
 馬が嘶《いなな》きが、耳朶を叩く。

 ガンと、物理的な衝撃をその身に感じた。
 篠田正信は、落馬したことを認識する。
 黒毛の愛馬に無数の矢が突き立っていた。

「おのれぇ」

 四〇キロ近い大鎧を身に纏いながらも、すばやくたち上がる。
 が――
 その視界は無数の異国兵で埋まっていた。
 まるで、地獄の亡者が取り付くかのようにしがみつき、刃をつきつける。

「がばぁッ!」

 喉をかき切られた。
 ぬるぬると、生暖かい物を首筋に感じながら、篠田正信は、呼吸を止めた。
 何も映ることのなくなった両眼はただ天を向いていた。

        ◇◇◇◇◇◇

「敵はどないなもんかのぉ。三郎殿」

 竹崎李長は、行きがかり上、一緒に行くことになってしまった三人の変な者を無視し、三井三郎に訊いた。

「分からんたい。目玉が六個あったら嫌じゃのぉ」

「それは、おそろしかたい。最強の鬼のようじゃ」

 全く恐ろしがってない。棒読みの言葉であった。
 とにかく、先駆けであった。
 夷敵に突撃し、先駆けで恩賞を得る。
 できることならば「分捕り」もしたいのであるが、胡乱極まりない三人が加わったところで、どうにかる戦力には思えない。

「あははは、目はふたつだよ。心配しないでも大丈夫だから」

 伊乃だった。
 歩みにあわせ、長い黒髪が揺れる。
 横顔から、睫毛が長いのがよく分かる。

(見た目だけなら嫁にしたいくらいじゃ…… 見た目だけなら……)

 残念極まりないという一瞥を伊乃に送り、李長は大きくため息をついた。

「ん…… 人が来ますなぁ」

 最初に気づいたのは、破戒と名乗る僧であった。
 乞食《ひじり》かもしれない。
 三人の名は聞いていたが、本当の名であるかどうかは分かったものではない。
 李長も前からやってくる人―― 男を見た。

「ボロボロだのう。乞食か?」

「たかられても銭はないたい!」

 李長は姉婿の言葉に堂々と銭なし宣言を付け加える。

「おお、オマエ様、どうしたのかのぉ~」

 まるで僧侶のように慈悲深い声で破戒がいった。
 姿かたちは僧なのだけど。

「ああ…… 行くのか?」

 虚ろな目を竹崎李長に向け、男は言った。
 白い直垂だったのだろうか。
 泥で汚れ、他には何も身につけていない。

「おまえ、なんぞ?」

「篠田の…… まあ、言っても分からんか」

「知らんな」

「知んたい」

 馬上でうなづいて、そんな名は知らないことを確認する李長と三郎。

「やられたよ…… 異国の奴らに」

「異国の兵と戦ったか!」

 男は今津海岸の戦闘から逃れた者だった。
 いわゆる敗残兵だ。

「異国の兵はどないか?」

「ああ、数が多すぎた、一万はいたんじゃないか」

「なんと! 一万だと!」

「もっと多いかもしれんな。主人も殺されよったしな。よってたかってなぶり殺しじゃ」

 竹崎李長は背中に氷柱をぶちこまれた気分になった。
 簡単にいってしまえば、恐怖と絶望。

「あははは、凄い数だ。おにーさん、先駆け、急ごう! さあ、早く!」

 明るすぎて虚無すら感じさせる、伊乃の声が響いた。

        ◇◇◇◇◇◇

1274.10.20現況
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