上 下
20 / 38

20.九州上陸地点の策定

しおりを挟む
「銭が無い」

「たいそう御立派な大鎧を……」

「銭が無いちゅーとるが」

 ハエを追い払うように竹崎李長《たけざきすえなが》は言った。
 長々とその説明をするのも面倒だった。
 相続した所領は僅かで、そこからの富《プロフィット》は皆無に近い。
 萌黄糸威《もえぎいとおどし》の大鎧は見栄えするが、相続品であり銭にすることのできない商売道具である。

 鎌倉時代――
 中世における武士階級の戦費は自弁が当然であった。
 補給も自分で行い、兵の編成も自分で行う。
 領地も大きく、有力な御家人は大規模な兵力を率いている。
 古代中央政権軍や近代軍とは異なり、戦闘単位となる兵数もそろっていない。
 数百の数を超える武士団もあれば、竹崎李長のように零細御家人は四から五人で戦に出向くものもいる。

(いまさら、三人増えたところでどぎゃんなるか――)

 と、竹崎李長は思う。
 そして――
 あまりにも、この三人は胡乱《うろん》でありすぎた。

「え―― 銭がないのぉ。すごいいい鎧に、貌麗《イケメン》なのに?」

「くっ、無いのじゃから仕方なかろうがっ!」

 ゾクリとするほどの美貌の女だった。
 なんで、異国との合戦が始まろうかという場に巫女姿の女がおるのか?
 李長は「歩き巫女《淫売》」なるものを知らず、ただなんとも、理屈に合わぬ者がいることを胡乱《あやしすぎる》と感じていた。

「無いんだって、虎猿」

「……」

 黒い沈黙の言葉を残し、虎猿はきびすを返した。
 ジャリッとその肉の重さを知らせる音が地より上がる。

「あははは、じゃあいいや。ごめんね」
 どこか箍《たが》の外れた常人ではあり得ないような突き抜けた笑い声。
 美麗ではあるものの、どうにも得体が知れぬ者だ。
 そして、それ以上に強烈な印象を残したのが蓬髪を後ろで束ね、落ち窪んだ双眸から闇のような眼差しを送っていた者だった。

(虎猿とゆうっち――)

 まあ、本名では無かろうと思う。

「では、そういうことで――」

 最初に話しかけてきた脂ぎった坊主が頭を下げた。

「いいから去《い》ね」

 そもそも銭があるなら、最初から姉婿と組んでたった四人で戦に望もうとするわけがない。

(とにかく、首級たい)
 
 異国合戦に向け、竹崎李長はそれだけを思った。
 蛮夷の首を縊《くびり》り取ること、斬り落とすこと――
 その恩賞により地頭になること。
 なによりもそれを望んでいた。

        ◇◇◇◇◇◇

 壱岐での戦闘を終え、蒙古の侵攻船団は九州北部を目指し玄界灘の波頭を砕いていた。
 冬の風を帆に孕み、白い航跡《ウェーキー》を引き九〇〇の船団が進む。
 水の補給を専門とした給水船は三〇〇隻――
 四万近く(兵力は二万以上)の人員と大量の水を消費する馬がいる。馬は水飼いといわれるほど、水を飲む。
 長距離の走行に耐える馬という存在――二〇世紀中盤まで軍事輸送の主力であった――は、人間と同じように、大量の発汗で体温を調節できるからである。
 だが、そのためには良質な水が欠かせなかった。

 対馬、壱岐攻略は大きな理由は水の補給であった。 

 キントは高級指揮官といえる者を集めていた。
 軍議――
 もっと端的にいうならば「図上演習《トップエクセザイズ》」を行っていた。
 高麗で緊急建造された「千料船」のうちひとつがいわゆる旗艦となっている。
 前長三〇メートル、船体規模は一〇〇トンに達していた。
「高麗連邦」の新安沖で発見された沈没船がある。これは、商船ではあったが、同時代の船であり、日本進攻に使用された船と基本構造は変わらないと見られている。

 船体中央の帆柱の下に館が作られていた。
 その中に高級指揮官
 中央にはかなり正確な地図が合った。
 これは、いわゆる鎌倉幕府側の失態によるものであった。
 蒙古帝国は国書を送る使節を何度も送っていた。
 鎌倉幕府は大宰府に対しそも身の拘束を徹底しなかったのだ。
 結果として、九州北部の地勢情報はかなりの部分明らかになっていた。

 灯明皿の炎が揺れる。
 決して広いとはいえぬ戦場の空間が揺らぐようであった。

「対馬、壱岐を制圧したことにより、後方の憂いはない」

 全軍指揮官のキントは言った。

 高麗兵を率いる金方慶《きんほうけい》はそれは、首肯と懐疑の混ざり合った思いを抱いた。

(一〇〇戸ほどの兵力を両島に残しておくべきだっのでは?)

 今思ってもせん無きことである。
 それを悩んでいた。
 島を蹂躙したといっても、そこに兵力を残してきたわけではない。
 倭が両島に戦力(戦船)を配置し、帰路を狙われたら?
 そのような懸念は老将軍の胸中で熾火《おきび》のようにくすぶっていた。

「そうですな。倭の兵が多少強いといっても、予想の範疇を超えませぬ」

 洪茶丘は沈黙している金方慶を横目で視界の中に入れ言った。

(どんな予想をしていたのだ、この国賊は?)

 高麗を裏切り早々に蒙古に寝返った男だ。
 その存在が下種極まりなく、民族の誇りも忠誠心もないごみ以下の反吐のような存在であると、金方慶は思っている。

 要するに、大嫌いなのだ。

「味方の被害は多かった。侮ることはできまいがな」
 
 他の指揮官より頭一つ大きな男だった。
 女真族の指揮官である劉復享――
 肌から凶暴性が体液となり溢れできそうな男である。

「倭奴《ウェノム》やり口は分かっている」

 対馬においては山岳森林戦で苦戦した。
 ただ、結局のことろ、倭軍にとっては防御戦闘(よく言っても積極的防御)であった。
 地勢を把握し、迂回戦術を使うこと。
 兵数の優位を生かし包囲殲滅戦を行うべきと洪茶丘は考えていた。
 中世基準であっても下種極まりない男であったが決して無能ではない。
 無能な人間を将軍に据えるほど、蒙古の人事査定は甘くは無い。

(李娜《リーナ》がいる……)

 洪茶丘は美麗の殺人人形ともいえる少女のことを思う。
 女として男の欲望を吐き出せるようにはできていない。
 やろうとすれば、洪茶丘ですら命の保障は無い。
 が、戦場《いくさば》であれば、ほぼ無敵の駒となる。

(ただ…… どうにも変な者が倭にはいるらしいが……)

 対馬での遭遇戦につき李娜《リーナ》の報告は得ていた。
 その他、生き残った兵から、鬼神が憑いたたのような倭人がいるという話もあった。
 戦場によくある恐怖が生み出す幻であろうかと、思っている。
 が――

(もしや、そのような者が……)

 という針の先ほどの不安もあった。
 小さくはあるが鋭いものだ。

「兵個々の強さはある。が、戦はそれで勝てるというものではない」

 キントは言った。
 対馬では狭い島が山岳地帯に占められていたという

「さて、上陸地点だが――」

 キントは伊万里湾のある場所を指差す。
 鷹島と呼ばれる地であった。
 そこは、鎌倉幕府の統治拠点である大宰府からは遠い。

「大宰府を直接叩くのではなく?」

 金方慶が言った。
 この場所では、上陸時から進軍に手間取る。

(が―― いいのかもしれぬ)
 
 地図を見つめ、金方慶は最初に浮かんだ思いを消す。
 海沿いに街道はあるとしても、上陸時の脆弱さは対馬で晒している。
 いかに兵の損害無く上陸できるか?
 倭との戦闘はそれにかかっている。
 
(なるべく敵兵のいない場所へ、短時間での上陸―― これしかあるまい

「大宰府は陥す。が―― 近くへの上陸は避けるべきだろう」

 キントは言った。

「この高地を占領し、陣容を構え、後に博多、そして大宰府に侵攻する」

 重く、強い意志をもった言葉でキントは言った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

第一機動部隊

桑名 裕輝
歴史・時代
突如アメリカ軍陸上攻撃機によって帝都が壊滅的損害を受けた後に宣戦布告を受けた大日本帝国。 祖国のため、そして愛する者のため大日本帝国の精鋭である第一機動部隊が米国太平洋艦隊重要拠点グアムを叩く。

ロシアの落日【架空戦記】

ぷて
歴史・時代
2023年6月、ウクライナとの長期戦を展開するロシア連邦の民間軍事会社ワグネルは、ウクライナにおける戦闘を遂行できるだけの物資の供給を政府が怠っているとしてロシア西部の各都市を占拠し、連邦政府に対し反乱を宣言した。 ウクライナからの撤退を求める民衆や正規軍部隊はこれに乗じ、政府・国防省・軍管区の指揮を離脱。ロシア連邦と戦闘状態にある一つの勢力となった。 ウクライナと反乱軍、二つの戦線を抱えるロシア連邦の行く末や如何に。

信長の秘書

たも吉
歴史・時代
右筆(ゆうひつ)。 それは、武家の秘書役を行う文官のことである。 文章の代筆が本来の職務であったが、時代が進むにつれて公文書や記録の作成などを行い、事務官僚としての役目を担うようになった。 この物語は、とある男が武家に右筆として仕官し、無自覚に主家を動かし、戦国乱世を生き抜く物語である。 などと格好つけてしまいましたが、実際はただのゆる~いお話です。

艨艟の凱歌―高速戦艦『大和』―

芥流水
歴史・時代
このままでは、帝国海軍は合衆国と開戦した場合、勝ち目はない! そう考えた松田千秋少佐は、前代未聞の18インチ砲を装備する戦艦の建造を提案する。 真珠湾攻撃が行われなかった世界で、日米間の戦争が勃発!米海軍が押し寄せる中、戦艦『大和』率いる連合艦隊が出撃する。

烈火の大東亜

シャルリアちゃんねる
SF
現代に生きる男女2人の学生が、大東亜戦争[太平洋戦争]の開戦直後の日本にタイムスリップする。 2人はその世界で出会い、そして共に、日本の未来を変えようと決意し、 各海戦に参加し、活躍していく物語。その時代の日本そして世界はどうなるのかを描いた話。 史実を背景にした物語です。 本作はチャットノベル形式で書かせて頂きましたので、凝った小説らしさというより 漫画の様な読みやすさがあると思いますので是非楽しんでください。 それと、YOUTUBE動画作製を始めたことをお知らせします。 名前は シャリアちゃんねる です。 シャリアちゃんねる でぐぐってもらうと出てくると思います。 URLは https://www.youtube.com/channel/UC95-W7FV1iEDGNZsltw-hHQ/videos?view=0&sort=dd&shelf_id=0 です。 皆さん、結構ご存じかと思っていましたが、意外と知られていなかった、第一話の真珠湾攻撃の真実等がお勧めです。 良かったらこちらもご覧ください。 主に政治系歴史系の動画を、アップしています。 小説とYOUTUBEの両方を、ごひいきにして頂いたら嬉しく思います。

幕府海軍戦艦大和

みらいつりびと
歴史・時代
IF歴史SF短編です。全3話。 ときに西暦1853年、江戸湾にぽんぽんぽんと蒸気機関を響かせて黒船が来航したが、徳川幕府はそんなものへっちゃらだった。征夷大将軍徳川家定は余裕綽々としていた。 「大和に迎撃させよ!」と命令した。 戦艦大和が横須賀基地から出撃し、46センチ三連装砲を黒船に向けた……。

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

似た者夫婦、初夜いくさ

織田三郎
歴史・時代
鎮西一の名将、立花宗茂と、その妻・誾千代。 勝ち気な二人が繰り広げる、初夜の大一番。

処理中です...