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13.壊走
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ぞぶり――
と、音とも感触ともいえぬ物を虎猿は感じた。
刃が人間の肉に食い込んでいく。
肉を引き裂き、骨を断ち斬り、両断する。
人間だった物の一部が大量の血しぶきの中、地に落ちた。
むせ返るような臭を放つ血が泡《あぶく》を吹き、泥になっていく。
ヘモグロビンが酸素と反応し、ぬめった泡となり、風を生臭く染めていく。
虎猿が斬ったのは対馬人の男であった。
高麗兵が突き出した捕虜を斬ったのだ。
何のためらいも無い一撃だった。微塵も。一切。
人を殺す覚悟――
捕虜であるという思い――
戦《いくさ》に対する昂《たか》ぶり――
どのような感情も込めず、ただ斬った。
血に染まった巨大で分厚い太刀が鉄の塊であるように、虎猿の感情も鉄だった。
錆びた鉄だ。
『あわわわわ、あばばばば、テメエ、ほり』
高麗兵は唇を小さい「ょ」の形にしたまま、脳天をたたき割られた。
フードのように頭に被った戎衣が裂ける。
「ふひゅぅぅ」
虎猿は血の染みついた空気を胸に吸い込み、そして一気に吐く。
また吸う――
息吹の音が大気を震わせた。
上半身が隆起する。
腕がボコリと音をたてるかのように肥大していく。
「てめぇぇ! 倭奴《ウェノム》がぁぁ!」
この虎猿を前にして、まともに口をきける高麗人がいたことが奇跡に近い。
ただ、それ以上の奇跡は起こらなかった。
一瞬で、胴体のど真ん中を水平に斬られる。
宙を飛んだ顔には「なんで俺は足だけになっているんだ?」とでも言いたげな表情が浮かぶ。
地に残された己の下半身がその高麗人の見た最後の光景だった。
壊走だった――
切り立った斜面を猿《ましら》のように――
飛ぶかのように、駆け下りた虎猿。
獰猛な牙を解き放ち、蒙古軍を襲撃した。
矢の集中攻撃をまだ食らっていない部隊に飛び込んだのだ。
それは戦いというべきものではなかった。
無力な羊の群れに餓虎を放ったようなものだ。
鉄塊の重さと、烈風の速度を持つ刃が人の肉体に叩き込まれる。
質量と速度から生じた膨大な運動エネルギーは、人体破壊のためだけに解放された。
轟――
唸りを上げ、鋼の牙は獲物を食らい尽くす。
虎猿の容赦のない斬撃が高麗兵を巻き込んでいく。
高麗人の挽肉が粉々になった戎衣とかき混ぜられ、飛散する。
脳天をたたき割られた高麗兵は右側だけ笑った表情のような物をへばり付け死んだ。
腕を吹っ飛ばされ、絶叫を上げのたうち回る者は大地に磔となった。
巨大な鋼の陣風《じんぷう》が肉を巻き込み、死を振りまく。
大叫喚《だいきょうかん》地獄の鍋が噴きこぼれたたかのような光景であったかもしれない。
赫《あか》く飛び散る血と肉が、現世の罪を焼き尽くすかのように広がっていく。
憎悪――
苦痛――
諦観――
あるいは希望――
高麗兵だった物の抱えていた思いは根切りになった。
崩れ落ちた肉体から流れる血が、赤い大蛇のように血を這う。
大地がドロドロとした血沼となる。
「なんという打物《うちもの》かよ……」
凶暴極まりない鎌倉武士である宗助国も息を飲み込んだ。
口の中がザラザラと乾き、舌が水分を求めむなしく動いている。
いつしか、矢を射る腕が止まっていた。
震えていた。歓喜では無い。
宗助国はこの感覚がなんであるか解らなかった――
『夜討・海賊・強盗は世の常なり』
『野に伏し山に蔵《かく》れて。山賊、海賊のすることは、侍の習いなり』
(鎌倉遺文より)
このような心根《メンタリティ》を持つ鎌倉武士にしてすら、胃の腑の物を吐き出し、際限なく反吐を吐き出すような光景だ。
虎猿は異形の者であった。
(恐れか? これは恐れか?)
古き武篇は、自分の胸の内に生じた感情に言葉を宛≪あて≫がう。
それはなんとも新鮮な感情ではあったが、決して歓迎できるものではなかった。
◇◇◇◇◇◇
百戸長である高麗軍指揮官は思った。
(なんなのだ…… こいつは?)
味方であるはずの宗助国ですら感じた恐怖。
敵として対峙している高麗兵にとってはたまったものでは無い。
三角形の軍旗はへし折られ、天を向いている物はなかった。
血と糞と泥の混合物の中に沈んでいた。
多くの兵と一緒にだ。
生き残った兵は逃走していた。
山道を外れ、林の中に突っ込む。
落し穴に足をとられ、足の甲を堅い木の枝で貫かれる。
それを逃れても逃げ場はなかった。
壁にような崖に阻まれた山道は、高麗兵にとって死地以外の場所ではなかった。
中断していた、倭兵の矢が再び降り注ぐ。
木々の間を縫って正確に人を貫く。
蒙古軍の戎衣では矢を防ぐことはできなかった。
蒙古の正規軍――
その上級指揮官であれば、戎衣の裏に鉄板を敷き詰めている。
距離と角度によっては、強力な日本の矢でも防ぐことは不可能だろう。
しかし、そのような上等な物が高麗兵に支給されるはずもなかった。
「あわぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぎゃぁぁぁぁ――!!」
「な、なん――ぇぇ!!」
高麗語の悲鳴が対馬の空気を震わせる。
ただ、それ以上のことは何もできなかったが。
指揮官は攻撃面に向け立った盾の中に身を潜めながら後退する。
ガンガンッと、盾に矢が突き刺さる。
士気が崩壊した兵たちを立て直すことはどう考えても無理だった。
幸いにして、後続部隊との間が開いていた。
これが、後方も人がいっぱいではどうにもならなかった。
百戸単位で距離を開けていたことだけが、この地での福音だったかもしれない。
だが、違った。
やはり、この戦場に奇跡などなかった。
神仏も無い。
蒙古人の信ずる天神《テングリ》などいて欲しくも無い。
高麗人百戸長は、自分の眉間に矢がゆっくりと射し込まれてくるのを感じていた。
なぜ、自分の体が動かないのか?
周囲の音も聞こえず、ただ眉間に鉄の冷たさを感じる。
それはゆっくりと皮を突き破り頭蓋の骨に食い込んでいった。
頭蓋に穴の空く音を聞きながら、高麗人百戸長は己の存在が薄れていくのを朧気《おぼろげ》に感じていた。
と、音とも感触ともいえぬ物を虎猿は感じた。
刃が人間の肉に食い込んでいく。
肉を引き裂き、骨を断ち斬り、両断する。
人間だった物の一部が大量の血しぶきの中、地に落ちた。
むせ返るような臭を放つ血が泡《あぶく》を吹き、泥になっていく。
ヘモグロビンが酸素と反応し、ぬめった泡となり、風を生臭く染めていく。
虎猿が斬ったのは対馬人の男であった。
高麗兵が突き出した捕虜を斬ったのだ。
何のためらいも無い一撃だった。微塵も。一切。
人を殺す覚悟――
捕虜であるという思い――
戦《いくさ》に対する昂《たか》ぶり――
どのような感情も込めず、ただ斬った。
血に染まった巨大で分厚い太刀が鉄の塊であるように、虎猿の感情も鉄だった。
錆びた鉄だ。
『あわわわわ、あばばばば、テメエ、ほり』
高麗兵は唇を小さい「ょ」の形にしたまま、脳天をたたき割られた。
フードのように頭に被った戎衣が裂ける。
「ふひゅぅぅ」
虎猿は血の染みついた空気を胸に吸い込み、そして一気に吐く。
また吸う――
息吹の音が大気を震わせた。
上半身が隆起する。
腕がボコリと音をたてるかのように肥大していく。
「てめぇぇ! 倭奴《ウェノム》がぁぁ!」
この虎猿を前にして、まともに口をきける高麗人がいたことが奇跡に近い。
ただ、それ以上の奇跡は起こらなかった。
一瞬で、胴体のど真ん中を水平に斬られる。
宙を飛んだ顔には「なんで俺は足だけになっているんだ?」とでも言いたげな表情が浮かぶ。
地に残された己の下半身がその高麗人の見た最後の光景だった。
壊走だった――
切り立った斜面を猿《ましら》のように――
飛ぶかのように、駆け下りた虎猿。
獰猛な牙を解き放ち、蒙古軍を襲撃した。
矢の集中攻撃をまだ食らっていない部隊に飛び込んだのだ。
それは戦いというべきものではなかった。
無力な羊の群れに餓虎を放ったようなものだ。
鉄塊の重さと、烈風の速度を持つ刃が人の肉体に叩き込まれる。
質量と速度から生じた膨大な運動エネルギーは、人体破壊のためだけに解放された。
轟――
唸りを上げ、鋼の牙は獲物を食らい尽くす。
虎猿の容赦のない斬撃が高麗兵を巻き込んでいく。
高麗人の挽肉が粉々になった戎衣とかき混ぜられ、飛散する。
脳天をたたき割られた高麗兵は右側だけ笑った表情のような物をへばり付け死んだ。
腕を吹っ飛ばされ、絶叫を上げのたうち回る者は大地に磔となった。
巨大な鋼の陣風《じんぷう》が肉を巻き込み、死を振りまく。
大叫喚《だいきょうかん》地獄の鍋が噴きこぼれたたかのような光景であったかもしれない。
赫《あか》く飛び散る血と肉が、現世の罪を焼き尽くすかのように広がっていく。
憎悪――
苦痛――
諦観――
あるいは希望――
高麗兵だった物の抱えていた思いは根切りになった。
崩れ落ちた肉体から流れる血が、赤い大蛇のように血を這う。
大地がドロドロとした血沼となる。
「なんという打物《うちもの》かよ……」
凶暴極まりない鎌倉武士である宗助国も息を飲み込んだ。
口の中がザラザラと乾き、舌が水分を求めむなしく動いている。
いつしか、矢を射る腕が止まっていた。
震えていた。歓喜では無い。
宗助国はこの感覚がなんであるか解らなかった――
『夜討・海賊・強盗は世の常なり』
『野に伏し山に蔵《かく》れて。山賊、海賊のすることは、侍の習いなり』
(鎌倉遺文より)
このような心根《メンタリティ》を持つ鎌倉武士にしてすら、胃の腑の物を吐き出し、際限なく反吐を吐き出すような光景だ。
虎猿は異形の者であった。
(恐れか? これは恐れか?)
古き武篇は、自分の胸の内に生じた感情に言葉を宛≪あて≫がう。
それはなんとも新鮮な感情ではあったが、決して歓迎できるものではなかった。
◇◇◇◇◇◇
百戸長である高麗軍指揮官は思った。
(なんなのだ…… こいつは?)
味方であるはずの宗助国ですら感じた恐怖。
敵として対峙している高麗兵にとってはたまったものでは無い。
三角形の軍旗はへし折られ、天を向いている物はなかった。
血と糞と泥の混合物の中に沈んでいた。
多くの兵と一緒にだ。
生き残った兵は逃走していた。
山道を外れ、林の中に突っ込む。
落し穴に足をとられ、足の甲を堅い木の枝で貫かれる。
それを逃れても逃げ場はなかった。
壁にような崖に阻まれた山道は、高麗兵にとって死地以外の場所ではなかった。
中断していた、倭兵の矢が再び降り注ぐ。
木々の間を縫って正確に人を貫く。
蒙古軍の戎衣では矢を防ぐことはできなかった。
蒙古の正規軍――
その上級指揮官であれば、戎衣の裏に鉄板を敷き詰めている。
距離と角度によっては、強力な日本の矢でも防ぐことは不可能だろう。
しかし、そのような上等な物が高麗兵に支給されるはずもなかった。
「あわぁぁぁぁぁぁ!!」
「ぎゃぁぁぁぁ――!!」
「な、なん――ぇぇ!!」
高麗語の悲鳴が対馬の空気を震わせる。
ただ、それ以上のことは何もできなかったが。
指揮官は攻撃面に向け立った盾の中に身を潜めながら後退する。
ガンガンッと、盾に矢が突き刺さる。
士気が崩壊した兵たちを立て直すことはどう考えても無理だった。
幸いにして、後続部隊との間が開いていた。
これが、後方も人がいっぱいではどうにもならなかった。
百戸単位で距離を開けていたことだけが、この地での福音だったかもしれない。
だが、違った。
やはり、この戦場に奇跡などなかった。
神仏も無い。
蒙古人の信ずる天神《テングリ》などいて欲しくも無い。
高麗人百戸長は、自分の眉間に矢がゆっくりと射し込まれてくるのを感じていた。
なぜ、自分の体が動かないのか?
周囲の音も聞こえず、ただ眉間に鉄の冷たさを感じる。
それはゆっくりと皮を突き破り頭蓋の骨に食い込んでいった。
頭蓋に穴の空く音を聞きながら、高麗人百戸長は己の存在が薄れていくのを朧気《おぼろげ》に感じていた。
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