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09.忍者の里に到着
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スズメの声で鎖々木究は目覚める。
隣には、甘い匂いのする女がいた。
まだ、寝息をたてている。
「あ…… 俺は……」
(この女と寝たのだよなぁ――)と、鎖々木は思った。
甘ったるい女の体の匂いを嗅いでいると、また欲しくなってしまいそうになる。
が、そこは武士として律する心が辛うじて、鎖々木を押し留める。
「由良。そろそろ起きねば」
「あーん、もう寝起きを襲ってくるかと待っとったのに。アホ♥」
アホという響がこれほど、素晴らしく感じた瞬間は、鎖々木の生涯で初めてであった。
というか、なにもかもが、鎖々木にとっては生涯初の出来事であったのだが。
◇◇◇◇◇◇
「ふーん、そんな山の中にいくんか? 大変やねぇ」
由良が言った。昨晩の痴態を一切感じさせない明るさで。
「お役目だからな」
「どんなお役目なんね?」
「それは言えんさ」
「うちにでも……」
「いや、この先の○○○○という里へ」
「……へぇ……」
そう言うと由良は黙った。
まさか、黒船に乗ってメリケンからやってきた「ぺるり提督」の「カツラ」が奪われたとか言えない。
そして、それを奪い返すため、最強の忍者のいる里へ行くとまではいえない。
せいぜい、出鱈目な里の名を言うくらいだ。
甲州街道からわき道に入ったところで由良とは別の道を行くことになった。
まさか、女を連れてのお役目はできない。断腸の思いであるが、これが仕方ない。
「なんで、泣いとるん? 究様」
「道が険しく、目から汗が出た。ぴえん」
とにかく、一夜限りの関係として、分かれるしかなかった。
が――
もし、誘ったら?
一緒に来いといったら……
そのような誘惑が鎖々木の胸の内に生じる。
まあ、由良は忍者だし「護衛」とかなんとか、言い訳は思いつくのだ。
「由良よ、一緒に……」
「では、これでお別れです。究様」
「え?」
「私は、そのまま甲州街道を行きます。では」
いきなり上方言葉が抜けて、別れを言われた。
それはなんというか、鎖々木にとって妙に冷たくよそよそしい物に感じられた。
由良は、鎖々木が見ている中、遠ざかりやがて見えなくなった。
◇◇◇◇◇◇
鎖々木は山道を歩いていた。
ほぼ整備されておらず、歩きやすいとはいえないが、道は道であった。
(人の出入りはないのだな)
と、先ほどから全く人とすれ違わないことを思う。
そして、ようやくのこと畑などが見えてくる。
「あそこがそうか……」
と、鎖々木は独りごちる。
先ほど分かれたばかりの由良にもう会いたくなってしまっている。
「とにかくお役目だ。最強の忍者に仕事を依頼せねばらなぬ」
寂しさやいろいろな感情を断ち切るようにして鎖々木は言った。
しかしだ――
天牙独尊といえば、七尺を超える大男である。
しかも、総身に知恵のまわる大男だ。
己が目方と同じではないかというくらいの棍棒「鬼崩し」をぶん回す。
樫の木の巨木を切り、そこに血油を染み込ませ、叩いて、叩いて叩きまくって固めた物だと聞いている。
刀で受けることもできないし、かわす以外に防御のしようがない。
(であるから、身軽な忍者なのか? 鉄砲は…… 奴は火薬の匂いにも敏感であろう)
なにせ、日本を脅しに来ている黒船にたったひとりで乗り込み、ぺるり提督のカツラを奪ってきたと謂う男だ。
生半可な存在ではない。
そもそも、なんでカツラを奪ったのか?
鎖々木は知らないことであったし、知ろうとも思わなかったが。
「お、ここがそうか」
里の外縁らしき場所にようやく行き当たった。
鎖々木は、野良仕事をしている男に声をかけた。
◇◇◇◇◇◇
「ほう、わざわざ、江戸からここまで……」
年の頃は五〇前後というところであろうか。
名は「武乱炎上祭」という。
里の長だった。
この里の忍者たちを支配する立場にいる者だ。
現役の忍者かもしれぬと思わせる眼光は鋭い。
心の内面に刃を滑り込まされているようだった。
「この書状を――」
「ふむ」
書状を受け取り、それを読む。
「あ―― これはこれは、ひひひひひひ、なんとも、幕府の威信も異人と怪物で地に落ちましたか。ひひひひひひ」
楽しそうに笑った。
「可笑しゅうござりまするか?」
「可笑しゅうござるわ」
「それは一体?」
「まず、カツラが奪われたことで逆上しておる異人の頭は置いておこう。所詮は蛮族よ」
「はぁ」
「大砲で江戸の街が火の海になる? 火の海? ひひひひひひ。楽しいではないか!」
炎上祭は本当に楽しそうに言った。心底。本気で。
「いえいえ、そのようなことになれば、幕府の威信は――」
「焼かれて駄目になる威信ならもうアカンだろうよ。江戸の街はなんど火事で丸焼けになっておるか」
「確かにそうですが、火事と砲撃では」
「結果は同じではないか? しかも相手は開始の時期まで教えてくれておるのだ。避難すればよかろう」
「しかし、それでは問題が」
「船、たった四隻でなにほどのことができるか? 弾が続かぬ。弾が切れたらどうするね?」
確かにそうであった。
あの黒船の母国は遥か彼方。
簡単に砲弾をもってくるわけにはいかない。
「しかも、たったひとりの男に侵入をゆるしておるではないか」
「あ、確かに」
「よーするに戦い方は如何様にもあるということだな」
炎上祭はそう言って、ニヤニヤと笑う。
なんとも食えない男であると、鎖々木は思う。
「だからといって、今回の件を断るというわけではない。徳川には恩がある」
「では、ご助力いただけるのですか?」
「助力したいのは、山々であるが……」
そう言って、炎上祭はごにょごにょと何か言った。
「なにか理由でも?」
「ああ、おらのだ、今、この里に『最強の忍者』はおらん。出奔して行方が分からんのだ」
「はぁぁぁ」
思わぬ展開に、鎖々木のアゴががくんと落ちた。
隣には、甘い匂いのする女がいた。
まだ、寝息をたてている。
「あ…… 俺は……」
(この女と寝たのだよなぁ――)と、鎖々木は思った。
甘ったるい女の体の匂いを嗅いでいると、また欲しくなってしまいそうになる。
が、そこは武士として律する心が辛うじて、鎖々木を押し留める。
「由良。そろそろ起きねば」
「あーん、もう寝起きを襲ってくるかと待っとったのに。アホ♥」
アホという響がこれほど、素晴らしく感じた瞬間は、鎖々木の生涯で初めてであった。
というか、なにもかもが、鎖々木にとっては生涯初の出来事であったのだが。
◇◇◇◇◇◇
「ふーん、そんな山の中にいくんか? 大変やねぇ」
由良が言った。昨晩の痴態を一切感じさせない明るさで。
「お役目だからな」
「どんなお役目なんね?」
「それは言えんさ」
「うちにでも……」
「いや、この先の○○○○という里へ」
「……へぇ……」
そう言うと由良は黙った。
まさか、黒船に乗ってメリケンからやってきた「ぺるり提督」の「カツラ」が奪われたとか言えない。
そして、それを奪い返すため、最強の忍者のいる里へ行くとまではいえない。
せいぜい、出鱈目な里の名を言うくらいだ。
甲州街道からわき道に入ったところで由良とは別の道を行くことになった。
まさか、女を連れてのお役目はできない。断腸の思いであるが、これが仕方ない。
「なんで、泣いとるん? 究様」
「道が険しく、目から汗が出た。ぴえん」
とにかく、一夜限りの関係として、分かれるしかなかった。
が――
もし、誘ったら?
一緒に来いといったら……
そのような誘惑が鎖々木の胸の内に生じる。
まあ、由良は忍者だし「護衛」とかなんとか、言い訳は思いつくのだ。
「由良よ、一緒に……」
「では、これでお別れです。究様」
「え?」
「私は、そのまま甲州街道を行きます。では」
いきなり上方言葉が抜けて、別れを言われた。
それはなんというか、鎖々木にとって妙に冷たくよそよそしい物に感じられた。
由良は、鎖々木が見ている中、遠ざかりやがて見えなくなった。
◇◇◇◇◇◇
鎖々木は山道を歩いていた。
ほぼ整備されておらず、歩きやすいとはいえないが、道は道であった。
(人の出入りはないのだな)
と、先ほどから全く人とすれ違わないことを思う。
そして、ようやくのこと畑などが見えてくる。
「あそこがそうか……」
と、鎖々木は独りごちる。
先ほど分かれたばかりの由良にもう会いたくなってしまっている。
「とにかくお役目だ。最強の忍者に仕事を依頼せねばらなぬ」
寂しさやいろいろな感情を断ち切るようにして鎖々木は言った。
しかしだ――
天牙独尊といえば、七尺を超える大男である。
しかも、総身に知恵のまわる大男だ。
己が目方と同じではないかというくらいの棍棒「鬼崩し」をぶん回す。
樫の木の巨木を切り、そこに血油を染み込ませ、叩いて、叩いて叩きまくって固めた物だと聞いている。
刀で受けることもできないし、かわす以外に防御のしようがない。
(であるから、身軽な忍者なのか? 鉄砲は…… 奴は火薬の匂いにも敏感であろう)
なにせ、日本を脅しに来ている黒船にたったひとりで乗り込み、ぺるり提督のカツラを奪ってきたと謂う男だ。
生半可な存在ではない。
そもそも、なんでカツラを奪ったのか?
鎖々木は知らないことであったし、知ろうとも思わなかったが。
「お、ここがそうか」
里の外縁らしき場所にようやく行き当たった。
鎖々木は、野良仕事をしている男に声をかけた。
◇◇◇◇◇◇
「ほう、わざわざ、江戸からここまで……」
年の頃は五〇前後というところであろうか。
名は「武乱炎上祭」という。
里の長だった。
この里の忍者たちを支配する立場にいる者だ。
現役の忍者かもしれぬと思わせる眼光は鋭い。
心の内面に刃を滑り込まされているようだった。
「この書状を――」
「ふむ」
書状を受け取り、それを読む。
「あ―― これはこれは、ひひひひひひ、なんとも、幕府の威信も異人と怪物で地に落ちましたか。ひひひひひひ」
楽しそうに笑った。
「可笑しゅうござりまするか?」
「可笑しゅうござるわ」
「それは一体?」
「まず、カツラが奪われたことで逆上しておる異人の頭は置いておこう。所詮は蛮族よ」
「はぁ」
「大砲で江戸の街が火の海になる? 火の海? ひひひひひひ。楽しいではないか!」
炎上祭は本当に楽しそうに言った。心底。本気で。
「いえいえ、そのようなことになれば、幕府の威信は――」
「焼かれて駄目になる威信ならもうアカンだろうよ。江戸の街はなんど火事で丸焼けになっておるか」
「確かにそうですが、火事と砲撃では」
「結果は同じではないか? しかも相手は開始の時期まで教えてくれておるのだ。避難すればよかろう」
「しかし、それでは問題が」
「船、たった四隻でなにほどのことができるか? 弾が続かぬ。弾が切れたらどうするね?」
確かにそうであった。
あの黒船の母国は遥か彼方。
簡単に砲弾をもってくるわけにはいかない。
「しかも、たったひとりの男に侵入をゆるしておるではないか」
「あ、確かに」
「よーするに戦い方は如何様にもあるということだな」
炎上祭はそう言って、ニヤニヤと笑う。
なんとも食えない男であると、鎖々木は思う。
「だからといって、今回の件を断るというわけではない。徳川には恩がある」
「では、ご助力いただけるのですか?」
「助力したいのは、山々であるが……」
そう言って、炎上祭はごにょごにょと何か言った。
「なにか理由でも?」
「ああ、おらのだ、今、この里に『最強の忍者』はおらん。出奔して行方が分からんのだ」
「はぁぁぁ」
思わぬ展開に、鎖々木のアゴががくんと落ちた。
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