沖田総司と黒き血の魔女

中七七三

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4.番犬の裔たち

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 七尺(約2メートル10センチ)を超える巨体は逃げ隠れするにはあまりに不向きだ。
 あまりにも目立ちすぎる。
 その姿だけでなく、行動も派手だった。
 男は江戸中の剣術道場に他流仕合を申し込んで、相手を打ち負かしていた。
 いわゆる道場破りだ。
 名を、大岩進一郎といった。

 幕末のこの時代、町道場は隆盛を極めるが、道場破りなどあり得ない。
 現代において、道場破りなど考えられない非常識な行動であるのと同じく、幕末でも極めて非常識な行動だった。
 史料に残る、この時代の他流仕合とは「地稽古」と呼ばれるものであり、空手、柔道でいうところの「乱捕り」と同じようなものだ。
 そこに勝敗は無い。自分で「あいつに勝った」と思うのは自由ではあり、個人の感想が史料として残る。

『あいつが攘夷派とつながってるってのかい』
『左様にございます』

 七尺を超える男の前方・・を歩いている男と女が唇の動きだけで会話をする。
 ふたりの距離は他人のように開いていた。
 実際、知らぬ者が見れば、何の関係もない通行人にしか見えない。
 昼間、江戸市内の大通りは人が多い。
 唇だけの会話をしたのは、見たところ侍と町娘だった。

『なんで道場破りなんてやってやがるんだ』
『いくつか理由は考えられますが、今時点では推量に過ぎませぬ』
『構わんさ』
『道場破りを行うと言う行為そのものが、仲間への符丁になっているのやも知れません』
『他には?』
『目立つ行動をあえて行い、自分に目を向けさせる。技量の高い剣士を調べる――』

 女はいくつかの理由を挙げる。男は黙って小さな唇の動きを視界に入れていた。

「前方尾行後追いとは犬のくせにやるではないか」

 重く静かな、そして刃を含んだ言葉が男の背後を突いた。
 男は氷の温度を感じる。

九鬼虎一くきこいちだな」
「そうだよ――」
「あ奴は、我らが獲物、幕府の犬は引っ込んでおれ」

 幕府の犬――
 正確に言えば、幕府の犬だった者だ。
 すでに幕府は無くなり、徳川家は雄藩連合政体における諸侯のひとつに過ぎない。
 九鬼虎一は、旧幕臣であり『お庭番』であった。
『お庭番』は八代将軍、吉宗の時代に設立された将軍直轄の諜報組織だ。
 激動のこの時代、幕府が絶対権力を喪失し、組織としての『お庭番』の先行きは不透明だ。
 政体内の勢力争いは以前存在し、徳川家の私兵的な位置づけで活動は続けていた。
 しかし「日本」という公的な位置づけの中に居場所があり続けるかは分からない。
 全く新しく国家としての諜報組織が作られたとき、どのような人材が配されるかはわからない。

「ああ、分かった。あんたらと揉める気はない」

 相手にしか聞こえないような微かな声で九鬼は言った。
 言葉と同時にすっと角を曲がり立ち止まる。

「女も一緒だ」
「分かってる」
柘榴ざくろ、そういうこった』
『仕方ありません』

 九鬼の下知を受けていたと思われる女も遅れて角を曲がった。
 柘榴とその音を唇が作った。

「よい判断だ」

 九鬼の後ろに着いていた男がすっと彼の前に出た。
 姿は町人のようである。
 しかし、目を離すとその印象が一気に薄れてしまうほどにおぼろげな風体の男だった。
 男は雑踏の中に身を溶かすように消えていく。

「奴ら忍びか……」
「そうでございましょう。周囲に10人以上おりました。迂闊でした」
「しょうがねぇ。奴らも相当な手練てだれだ」

 おそらく雄藩連合政権内のいずれかの勢力に属する配下のものだろう。
 九鬼はいくつか思い当たる者を頭の中であげるが、すぐに止めた。
 誰が動いていよう差が無い。目的は自分たちと同じであろうと思ったのだ。

「攘夷派を狩って、手柄を立てて、でもって生き残りかい――」
「そして、上の方では権勢の競い合い」
「へっ、そんなことは、オイラの知ったことじゃねぇけどな」

 伝法な九鬼の口調に、柘榴は苦笑いを浮かべる。

「オイラは攘夷だ、尊皇だぁとでけぇこと言って、民草に迷惑かける輩は許せねぇってだけだ。くだらねぇ」
「で、いかにしますか」

 柘榴は町娘とは思えぬ透徹した視線を九鬼に向ける。

「まあ、間を空けてゆるゆるつけるか。できるだろう、柘榴」
「はい」
 
 柘榴は一瞬、口元に不適な笑みを浮かべる。
 そして、ふたりは音も無く一歩を踏み出した。

        ◇◇◇◇◇◇

 雑木林が迫っている細い道だった。
 すでに陽は落ちかけ薄暗くなっている。木々が陽をさえぎるこの場所は尚更だ。
 人気は全く無く、この時刻に立ち入る者がいるとは思えない。
 躯が無造作に地べたに転がり、木の枝に引っかかっていた。
 
「なんだこりゃ……」
「凄まじい……」

 九鬼と柘榴はその光景を見て、呻くような声を漏らす。
 血と臓物の匂いが当りに充満していた。たまらない臭いだ。

 木々が作り上げた闇の奥からぬっと巨大な影が出現する。

「待っていたよ」
「ふぅ~ん。そうかい」

 九鬼が獰猛な笑みを浮かべ言った。
 その名の通り虎の笑みだ。歯が牙のようにギチギチと鳴っている。
 肉の内に潜んだ獣を無理やり押さえつけるように身体を震わせている。
 
 まだ間合いの内に入らない。
 が、男は徐々に歩を進めてくる。
 間違いない。大岩進一郎であった。
 圧倒的な存在感。七尺を超える肉の塊が黒い影となっていた。

「全部あんたかい?」
「ああ、ちょっと手こずったがな」

 闇をかき分け出てきた顔。
 その頬のには明らかに返り血でではない血がついていた。
 頬を斬られ、血を流していた。
 
「まあ、斬り合いに影響するほどじゃない」
「斬り合い?」
「とぼけるなよ。あんたと俺の斬り合いだよ」
「オイラがオマエさんとやり合うのかい」

 九鬼は大岩に対しやや斜に構えている。刀には触れていない。無造作にそこに立っているだけに見えた。
 柘榴はいつの間にか「懐鎖ふところぐさり」を手にしていた。
 チャリッと鉄が擦れる音が小さく響く。

「柘榴、やめとけ――」

 九鬼の言葉で柘榴が動きを止める。

「いいのか。加勢がなくて」
「構わんさ、オマエさん程度なら」

 闇の向こうでぶわっと殺気が大きくなる。
 固形化し、物理的な力をもって九鬼に向かって叩きつけてくるような殺気だ。
 その殺気を受けても九鬼は微動だにもしなかった。ただ、口元には相変わらず笑みを浮かべている。

「んじゃ、やってやる――」

 九鬼の口が「よ」の形を作った瞬間だった。彼の身が薄闇の中に溶けた。
 それは、中村半次郎が岡田以蔵との戦いで見せた予備動作のない動きだった。
 明らかに半次郎よりも速い。

「無拍子」と呼ばれる技術だ。
 更に一挙動で二間ほどの間合いを詰めた。
 九鬼は動きざまに刀を抜き、七尺の高さにある頭を薙ぎ払おうとする。
 風を切り裂く剣風が鋭く突き抜ける。

 キンッという甲高い金属音。
 
「ほう、でかいだけじゃないんだな」
「無拍子を使う者はあんただけじゃないさ」

 大岩はその身にふさわしい五尺を超えるいていた。
 その大太刀ともいえる刀を小枝のように軽々と使い九鬼の刃を止めていた。
 並の膂力りょりょくではなかった。 

 グッと大岩が力を込め、九鬼を潰しにかかる。
 鍔迫り合いが続くかと思った瞬間だった。

「ぬぅっ」

 大岩が前のめりになる。
 九鬼が刀から手を離していた。そして、つんのめる大岩に脇差で下から斬撃。
 躱す。大岩は皮一枚で躱した。
 着物が斬り裂かれる。
 その下より鎖帷子が現れた。
 九鬼は後ろに飛ぶ。仕留めそこない間を空けたように見えた。

「刀を手放すか!」

 大岩は巨体に似合わぬ弾けるような挙動で九鬼に迫った。
 しかし――

「ぬぁぁ!」
「足元注意だぜ」

『撒き菱』だった。

 九鬼ではない。柘榴だ。
『懐鎖』を手にしたときには撒き菱を投げていたのだ。
 闇が助けたとはいえ、柘榴は大石ほどの使い手に気どられず、罠を仕掛けていた。
 その動作を隠すため、懐鎖を手にしたように見せたのだった。

 動きの止まった大岩に、九鬼の蹴足けそくが唸る。
 巨体を支える膝めがけ、蹴が吹っ飛んできた。

 メシッ――

 膝関節の靭帯がちぎれる音を九鬼は足裏で感じる。

「がはぁぁぁッ」

 膝関節を破壊され、臓腑を搾り出すような声を上げる大岩。
 それでも九鬼のいた空間に白刃をきらめかす。
 
「おせぇよ」
 
 大岩の耳元で九鬼が言った。
 まるで、かずらが絡みつくように、七尺の巨体の背に乗っていた。
 脚を胴に巻きつけ、腕は太い首に巻かれていた。

「がはぁぁ!!」

 大岩が剣を振るおうとした瞬間。
飛苦無とびくない』が手首を貫く。
 動く腕に対し正確に撃ち込まれたのだ。

 大石の首がガクンッと曲がる。
 首の血流を止められ、落ちた。
 巨体が大きな音をたて、雑草の生えた地べたに倒れた。

「いろいろ訊きてぇことがあるんだよ」

 九鬼は倒れた大岩を見下ろし言った。
 呼吸も乱れていないし、汗もかいていなかった。

「柘榴、運ぶぜ」
「はい」

 どこにでもいるような町娘の姿をした柘榴がひょいと大岩の巨体を担いだ。
 
「じゃあ、行くかよ」
「重いです」
「運べるだろ。それくらい」
「運べますけど」

 九鬼と柘榴は闇を抜け、また闇の中へ消えていった。
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