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第4話:専門家

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 紅羅くら鏡子と名乗った女は破格の長身だった。ヒールを履けば一九〇センチを超えるかもしれない。
 髪は短かった。やや赤味がかった茶髪を重さを感じさせないマッシュショートにしていた。
 日本人離れした彫りの深い顔は美形ではあったが可愛げというものが無い。皆無と言うよりは絶無だった。また「可愛い」が褒め言葉になるような歳にも見えない。外見だけを見れば三〇才をそれほど超えているようには見えないし、二十代なのかもしれない。が、とにかく近寄りがたい雰囲気だった。まるで彼女だけ別の世界線に立っているかのようだった。
 
 すっと指がメガネのブリッジに触れた。黒縁メガネが少しだけ持ち上がる。長い指だった。手の甲に青い血管が透けて見えるほどに白い肌をしている。
  
 細長い楕円レンズの奥には猛禽類もうきんるいを思わせる双眸があった。
 魅力的と言えないこともないが、それは刀身の美しさを持つ眼差しだった。
 見てる者のまなこに突き刺さる様な真紅しんくの唇が動く。
 
「ですから、これ以降全ての捜査は、特殊事態対策委員会が指揮をとります。全て、一切合切、余す所なく完全に徹底的に」
 
 声は女にしては低かったが、その容姿にはぴったりと言うしかない。
 
「連絡は来ている。聞いている。この書面も正式な物だろう。しかし、容疑者全員の即時引き渡しとは……」
 
 合同捜査本部の責任者である警視正は言葉を詰まらせる。困惑が言葉を喉の奥に留めさせる。
 そもそも内閣官房に属するというが「特殊事態対策委員会」など聞いたこともない。公式のホームページの組織図にも載っていない。
 新しくそんな組織ができたのか? いや秘密組織か? だから――。
 出来の悪いフィクションの世界に迷い込んだようだった。日本中で原因不明の爆発が続いている時点で、既に世界は現実感を喪失していたが。
 
「事態はあなた方の手には負えないでしょう。専門家である私たちが出て来ざるを得ないのですよ」

「専門家?」

「そうです。私達は専門家なんです。ずっと、ずっと昔からこういった事を専門にやっているのです」
 
 鏡子は腰を折り、掌を机に置いた。座っている警視正の顔をなぶるように見た。わずかな笑みが口の端に浮かんでいた。
 
「いったい 、それは、そもそもあなた方は――」
 
 警視正は細かく震える手でメガネを外した。
 事態が自分達の手に負えないと言うのは事実であるかもしれない。が、ここで全て放棄してしまうのは自分たちの能力の否定であり、決定的な何かを捨てることになると思えた。端的に言って敗北だ。そして「特殊事態対策委員会」という取って付けたような名前の組織が胡乱すぎた。そして、何の専門家だというのか――
 
「だから」
 
 鏡子は言葉を発した。体重の乗った語勢だった。警視正の思考が両断された。
 ぐいっと警視正に顔を近づけた。レンズの向こうで狂気の渦を巻いた瞳が彼を威圧する。
 男としての矜持きょうじ威厳いげん、意地――。そういった物が残らずへし折れるような威圧感があった。
 
「我々が何であるかなど詮索する必要はない。あなた方はやるべき事をただやればいい。速やかに。可及的に。指示を受けやるべき事に疑問を挟まずやればいい。情報は全て我々に上げればいい。君たちが末端であることは変わらない。その点は今までと何ら変わらない。我々が上に立つというだけだ。ただ、役人として本分を尽くせばいい。働け」
 
 一気に言うと、鏡子はすっと背を伸ばした。ふわりと短い髪が揺れる。
 
「以上だ。警視正」
 
 鏡子は身を翻すと執務室を後にした。
 固形化し温度を失った空気だけが残った。
 
          ◇◇◇◇
 
 微かなジーゼルエンジンの音が背中に響いた。バスが終点の駅に着いたようだ。僕は窓の外を見る。見慣れた駅前通りの光景があった。乗客の列に並びバスを降りる。降車場の通りにはスターバックスがある。目の前といっていい。
 この前を通るといつも思う。ここに来る客はガラス張りの壁面で外がよく見えるのがお気に入りなのかと。見方を変えれば外から中が丸見えということなのだけども。

 客が見世物になっている感じがして、僕はこの店に入ったことは無かった。ゴメンだった。オランダの売春婦になる気分を味わいたいわけがない。飾り窓の向こうで飲むコーヒーは酷く不味いに決まっている。コーヒーくらい人の視線を気にせず飲みたい。

 しかし今は普段と違っていた。ガラスの向こうには空漠とした薄暗い空間だけが広がっていた。客はいない。そもそも人がいない。休店中だった。
 平日の昼間ということを差し引いても駅前の人通りは心持ち少ないように感じたが、閑散としていると言う程ではない。店がやってないのは品不足のせいだろうか。

 僕が駅前まで来たのはPCモニターを買うためだった。駅の反対側にある家電量販店に向かう。全ての店が閉まっているという訳では無かった。大手ファストフード店がやっていた。他にもやっている店はあった。量販店がやっていることは、ネットで確認済みだった。

 量販店には、モニターの在庫はあったけれど、値段を見て買う気が失せた。別に金銭的に不自由しているわけではないが、全ての物には適正価格があるべきだし、当然PCモニターにもあるべきだった。
 ネット通販はどうであろうか。と、思うのだけど、そもそもPCモニターが無いので見ることができない。スマホで見ることもできるが、スマホでは見る習慣がなかった。画面が小さく、操作方法もPCと異なっていたので、前に試して投げ出していた。見れば見れるだろうし、面倒くささを厭わなければ、目的を達することはできるだろう。

 もう、特に用事はなかったので僕は量販店を出た。昼過ぎになっていたが、さほど空腹を感じていない。僕は自分のアパートに帰る気分になりかけていた。ただ「ささくれ」とも言えない小さな思いが胸の底に残っている。

 この駅前に日常の色の濃を感じた。

 言ってしまえば自分たちは爆発とは無縁で他人事で絵空事であるという当事者意識の欠如を周囲から感じてしまう。そしてその感じは決して愉快ではない気持ちを僕に起こさせるのだ。あからさまで顕著けんちょではない。気にしなければ無視できるほどであり「嫌悪感」ではなく「違和感」という方が近いだろう。

「爆発させるべきかな」

 思わず口から洩れた。慌てて周囲を見るが、僕の声が小さく、聞こえるような範囲には人はいなかった。ちょっと慌てたせいで思考が途切れた。僕は思考を立て直す。

 駅前の好ましからぬ雰囲気は、僕が自分の生活圏内で大規模な爆発を発生させていないことが原因だろう。爆発と僕との接点を回避するために、そうしてきたわけだけど、余りにも作為的で露骨すぎたのかもしれない。考えると徐々に「ささくれ」が大きくなる。

 更に、爆発の現場を見たいという思いが僕の意識下に浮上する。久しぶりに駅前まで来たのだ。この機会にリアルライブの爆発を見るのは良いのかもしれない。僕の中では、自然と「爆発念慮」というべき物が見えない体積を増していく。

 気が付くと、駅の南側から北側に戻っていた。駅構内を抜け、バス乗り場に繋がるペデストリアンデッキに出ていた。
 僕は天辺に時計のあるオブジェを丸く囲った椅子に座った。日差しの当たる場所を選んだ。

 さて、何を爆破すべきか?

 首都圏有数の賑わいを見せる駅前は、ほぼ無傷だった。正確を期す言い方をするなら、物理的破壊の跡は全くない。間接的な影響はあるのだろうが。
 真っ先に頭に浮かんだのは、先ほどまでいた家電量販店である。RC構造のかなり大きな建物であり、壮大な爆発を演出できるだろう。爆発自体はここからでも「遠隔」爆発の魔法で可能であったが、ダイレクトで目撃するのは駅が邪魔となる。一旦、南口に出なければいけない。

 どうすべきか?

 沈思した。思考が言葉に出ないように注意する。僕はどうも独り言の癖があるようだったので。
 考えを進めていくと、量販店は候補から外さざるを得ないという結論に傾く。
 まず、僕が店に入ったばかりというのがリスクだ。手掛かりを得ようとする警察は、防犯カメラに映っていた周囲の人間を虱潰しらみつぶしにするだろう。
 爆発の直前に店を訪れ、出ていった人間は何かしらマークされる危険性がある。毛先ほどの接点でも無いにこしたことはない。当たり前の話だ。

 ではどうするか、だ。

 爆発をリアルライブで見たいという欲求は強かった。もう抑えるのが難しかった。
 僕は自然な感じに装い、防犯カメラを目で探す。それらしきものがあった。
 広範囲をカバーするように設置されているが、十分に死角はあった。念には念をいれた。普通の方のスマホを取り出し検索する。

「馬鹿なんじゃないか?」

 口元に笑みが浮かぶ。

 警視庁のサイトに「主要駅防犯カメラのネットワーク化について」なるページがあった。
 どの駅のどの場所に防犯カメラが配置されているのか、PDFの一覧表がついていた。
 僕がいる駅のペデストリアンデッキにある防犯カメラは一基だけのようだった。

 全く持って間抜けな話だ。なぜ防犯カメラの位置を公表するのだろうか?
 予算で動いている組織がその実績を公表しているというだけなのかもしれないが、正にお役所仕事というものだ。まあ、僕にとっては福音であるにせよ。

 僕は防犯カメラの死角に回る。自然に、わざとらしさを消して、動作から一切の意味を消失させるように歩く。

 死角に位置した。爆発すべき標的は溢れんばかりに存在していた。選り取り見取りだ。
 大型商業施設がいくつかある。「遠隔」でマップを見ながら爆破するならば、不審な動作は一切無い。スマホを見ているというのは、現在の世の中では最もありふれた行為なのだから。「至近」で爆破するとなると、対象物をカメラでとらえ続けなければいけない。カメラを向けても不思議ではない物――例えば原子力空母とか――であれば、他人の目をさほど気にする必要はない。ただ、ここでは厳しい。よほどの田舎者でも街中をスマホで撮影しようとはしないだろう。それが超高層ビルであっても。
 
 超高層ビルと言えば、駅前にはタワーマンションもある。十分爆破対象になりえる存在だ。タワーマンションを人類の不遜さを象徴する現代のバベルの塔であるとするなら、僕は神であろうか。魔法は神罰といってもいいのだろうか。

 いや、そこまで自我を肥大させるのは、僕にとっても危険だった。あくまでも爆破は魔法であり、スマホはどの「魔道具」のようなものであると考える方が自制がきいている。
 思い上がりはつまづきの元であり、僕がこの力を得たのも、僕自身の能力ではなく、ただの運であるのだ。まあ、全ての人の能力など運に還元できるものであるのだけど。
 神のように振る舞うべきだと思うことと、神であると思い込むことの差は、雲泥の差以上に隔絶し、天地の差を遙かに凌駕する。今の僕はそう思っているし、今後もそう考えていきたい。

 爆発を起こしているのは超越的な何者かであり、その存在を神扱いし、崇拝する者たちはネットにいたが、僕は興味が無かった。
 崇拝の対象が魔法使いたる僕であるとしても、それで浮かれる気分にはならなかった。僕が世界との接点を感じられればそれで良かったし十分以上に満足だった。
 ネットにおける他者の崇拝などあってもなくてもどうでも良かった。有象無象が客体化した神のイメージを僕が演じる責務はこれっぽちもない。

 人間には色々な種類があるものだ。
 何者かの意思により爆発が起きていると信じているのに、自分が爆発により死ぬかもしれない可能性は信じない。神の実存を信じつつ、己が救済されることを確信している古臭いプロテスタントのようだ。いや、そういった自覚すら芽生えてないのかもしれない。どうでもいいが。
 
 人間か、人間か、人間か……
 ああ、爆発させるターゲットは物でなくてもいいのではないか――。

 陸橋の下を歩いている人を眺めていて、急に僕にその考えが浮かんでくる。思考ベクトルが興味深い方向に流れていく。抗う気持ちは全くない。思考に身を任せるのは心地よかった。

 そのとき僕は、あの昂ぶりを反芻していた。
 女の頭部が砕け散り爆散した甘く蕩けるような記憶を。
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