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第7章 麗しき惑星リスタル

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 鼻歌交じりに露店を冷やかして歩いて行く羽衣とセロリ。
 この不思議なふたり組は、ここでも注目の的である。

 エキセントリックな美女である羽衣と真っ赤な修道衣のネコ耳娘セロリ。注目を浴びない方がおかしいのではあるが、相変わらず周囲の注目など何処吹く風のふたりである。
 あちらこちらの店を覗いては、きゃらきゃらと笑い合い、いかにも楽しそうに露店巡りをしていたふたりは、やがて、ふと一軒の店の前で足を止めた。

 何とも云えない香水のいい甘い香りが漂っている。
 そこは、リスタルで収穫された花や木々から調合された、様々な香水の露店であった。

「へ~、こんなのもあるんだ」
 羽衣は興味深そうに呟いた。

 そもそも〈バイオ・ドール〉の羽衣には、香りはない。
 趣味嗜好で〈バイオ・ドール〉に香水をつける趣味人もいるだろうが、体臭と混ざり合って独特の香りを生み出す香水は、〈バイオ・ドール〉には不向きな嗜好品である。
 加えて『運び屋』の助手である羽衣に、サンタがそんなものをつけさせることはなかった。

「いい香りですね」
 セロリも鼻をヒクつかせる。
「羽衣は香水はつけないのですか?」

「そうね。つけたことはないけど」
「レディのたしなみとして、つけてみてはいかがですか? サンタも喜びますよ」
「そうかな?」
「ええ。ちなみに、私はシスターなので、そういうものには縁がないのですけども」
 羽衣がかがみこんで、セロリの首筋に鼻を近づけた。

 セロリが顔を赤らめて、慌てて、後退る。

「な、何ですか、羽衣」
「ん? セロリはどんな香りがするのかな、と思って。セロリもいい香りだよ」
「だから、私は何もつけていません」
「じゃ、自然の香りなのかな? まるでミルクみたいな香り」
「ってか、乳臭いガキ、と云うことですか!」

 そんなやりとりを、露店商の婆さんが、にこにこしながら見つめていた。

「珍しいねぇ。お姉さん、お人形さんかい?」

 婆さんは、羽衣をお人形さんと呼んだ。
 悪気がある訳ではなく〈バイオ・ドール〉などと云うものを、良く知らないのだろう。

「お人形さん、って呼ばれるのは初めてだけど」
「あら、ごめんなさいね。何せ、この歳まで、あなたみたいなのを見たことがないから、何て呼んでいいかわからなくてね。人じゃないよね?」
「ええ。お人形さんでいいよ。なんか可愛いし」
「ええ。とっても可愛いわよ。……でも、それだけじゃ物足りないねぇ」

 露天商の婆さんは、そう云いながら、目の前に並んでいるボトルをいくつか確かめる。
 それから、これだ、と呟いて、一本の香水瓶を取り上げた。

「ちょっと試しに使ってみるかい? フゼア系のオードトワレだよ。あんたは可愛いけど、この香水をつければ、さらに女が上がること請け合いだ。大事な人も、もっとあんたを大事にしてくれるよ」
「大事な人?」
「いるんだろ? ともかく、つけてみな」

 羽衣は婆さんの差し出した香水瓶を受け取ると、どうしたもんか、と少し悩んだ末に、首筋に軽く吹きつけてみる。
 鼻腔をくすぐるさわやかな香りが広がった。
「いい香り……」
 それが何の香りなのかは、羽衣のデータには入ってなかったが、何となく心が高揚するような香りである。

「どう? セロリ」
 セロリがその香りに、うんうん、と頷く。
「いい香りです。何の香りですかね?」
 大公家の姫である彼女にも、初めて嗅ぐ香りのようだ。

「こいつはね」と、婆さん。
「主なところは花の香りだけども、それに加えて、レクスから抽出したフェロモンが入っているのさ」
「レクス? 羽毛恐竜レクスのこと?」
 羽衣が驚いた表情を見せる。
「そうさ。あいつらは、個体数がそれほど多くないので、強烈なフェロモンで異性を呼び寄せるんだよ」

「へ~、知らなかった。食用になったり、香水になったり、猛獣になったり、忙しいんだね」
「そう云うことさね。それと……」
 それから、婆さんが、これは何々の花のエキスから抽出したもの、こっちは麝香杉からとったもの、など、様々な香水を取り出しては、羽衣に薦めた。
 さすがにいい加減、冷やかしではすまないかな、と、羽衣が思いながら、これで最後にしようと思い、傍らのセロリに目をやった。

「あ、あれ?」

 いない。
 周囲を見回すが、視界の中にセロリの姿はない。
 真っ赤な修道衣姿である。多少、離れていても見失うはずはないのだが。

「セロリ?」
 羽衣が名前を呼ぶ。
「どうしたね?」
 婆さんが心配そうに訊ねる。
「ねえ、ツレの女の子、どこに行ったかわかる?」
「さあ?」
「さあ、って、だって、見てたでしょ?」
「さあ?」
 要領を得ない。もしかして、これはまずいことになったかも、と、羽衣は青くなった。

「セロリ?」
 慌てて、名前を呼びながら、真剣に周囲を捜し始める。
 路肩に積み上げてあった何かの荷物の上に跳び乗って、さらに見回す。

 いない。
 迷子?

「これは、大変!」
(しかし、なぜ、自分に黙ってセロリが消えてしまうのだろう? あたし、何か悪いことした? ううん、そんなはずはない)
(どうしよう……)

 そのとき、ユズナとの電話を終えたサンタが、羽衣の前に戻って来た。
 荷物箱の上に乗って不安そうな顔をしている羽衣の様子に眉をひそめ、近くにセロリがいないことに気づいた。
「どうした? セロリはどこへ行った?」
 羽衣は今にも泣きそうな表情でサンタを見つめた。

「わかんない。気づいたらいなくなっちゃった」
「いなくなった?」
「うん。あたしがあの香水屋さんのお婆さんと話していたら……」
 と、指差した先の香水の露店には、しかし、先ほどの婆さんはおらず、でっぷりと太ったおかみさんが道行く人に香水を薦めていた。

「お婆さんもいなくなった……」
 呆然と呟く。

 サンタは状況を理解した。
「ちっ。まずいぞ、こりゃ。その婆さんは、たぶんおまえの注意を引いてたんだ」
「え?」
「やられたな。そう云うことか。亜人が少ないってのは、そう云うことだったのか……。セロリは誰かに攫われたんだ」
「攫われた? まさか」
「ああ、普通だったら、その『まさか』なんだが……」
 と云って、唇を噛む。

「ユズナからの電話の内容だが、どうやら、あのセロリが持ち込んだ写真のリスト、亜人の子供を売りさばくって云うとんでもない商品リストだった。それも一部は明らかに、拉致誘拐されている。リストに名前がはいってなかった者がいただろう? 誘拐が多発しているんで、用心のために亜人たちが街を出歩かなくなったんだな」
「誘拐?」
「そうだ。正直、セロリの奴、結構、高く売れそうだからな」
 少しばかり不謹慎ではあるが、それは的確な表現であった。

「そんな……」
 羽衣の顔色は蒼白だった。
「あ、あたしが、ちゃんとセロリを見ていなかったから? それで攫われちゃったの?」

 ルビー色の瞳が潤んでいた。後悔の念と自責の念。今にも泣きそうである。
 サンタはそんな羽衣を見つめると、その頭を軽く叩いて、笑いかけた。

「心配するな。泣くのは後だ。まだ遠くには行っていないはずだし、捜すぞ。街を俯瞰して情報を送れ、羽衣」
「はい」

 羽衣はサンタの言葉に、周囲を確認して手近に足場を見つけると、そこから大きく跳躍した。
 あたりの通行人が、その超人的な跳躍力にどよめく。
 しかしそんなことを気にしている暇はない。
 羽衣はたくみに建物に足がかりを見つけて、建物と建物の間をムササビのように飛びながら、数秒間で屋根まで到達した。

 この町の石造りの建物は、一様に三角形の瓦屋根である。
 彼女はそのあたりでは一番高そうな五階建ての建物の屋根に飛び移ると、そこに四つん這いになってかがみこむ。
 それから町の様子を見回した。

『サンタ、準備OK』

 サンタの耳掛けタイプのフォン端末、ホットラインに、羽衣の声が届いた。

「始めろ」
『ラジャー』
 羽衣は四つん這いの姿勢のままで、顔を天に向けて伸び上がる。

 それから。

『……!』

 声にならない遠吠え。
 それは半径2キロ四方にまで届いた。
 その範囲内にいた耳の敏感な動物たちや一部の亜人は、不快そうに耳を塞いて見せた。
 だが、ほとんどの人間や亜人には何も聞こえない。
 羽衣の音声を操るスキルを利用したソナー機能であった。
 反射音が戻ってくると、羽衣はそれをデータに変換する。

『情報収集完了。送るよ』

 羽衣は唇を超速で振動させた。〈速話〉である。

 サンタはそれをホットラインで受信する。
 そこからもたらされる〈速話〉データ通信が、サンタの頭の中で立体映像となって、展開されて行った。
 一分後にはかれの脳裡には、半径二キロ以内の町の姿が刻み込まれた。

 サンタは目を閉じると、町の状況を反芻するように頭の中で再構築する。
 と、同時にセロリが通った道が、まるでそれを見ていたかのように正確に追跡(トレス)されて行く。
 理屈ではない。
 それがサンタのスキルであった。

「羽衣!」

 かれはホットラインに叫ぶと、行き先を指示する。
 羽衣が屋根伝いに移動を開始した。
 サンタも石畳の街路を走り出す。

(セロリ、今、行くからな)

 かれの脳裡には、知らないはずのセロリの居場所が、はっきりと見えていた。
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