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第7章
不吉を呼ぶ男(5)
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手術室のランプが消灯した。
手術着を着たクロが徐ろにドアを開けて出てくると、待合室でまんじりともせずに座っていたタイトとツグミが立ち上がるのが見えた。
「クロ――」と、タイト。
「手術は?」
「終わったよ。手術そのものはそれほど難しくはなかった。やるべきことは完璧に済ませたよ。あとは――」
彼女はタイトを見つめた。
「きみの〈ユニット〉がうまく動作してくれるかどうか、だな」
タイトはその言葉に頷いて見せた。
その顔にはいつものように無表情な仮面が貼りついているだけで、かれの心がどこにあるのかはわからなかったが、少なくとも手放しで安心しているようには見えなかった。
「不安なのか?」
「ええ」
「そうか。きみが私の腕を不安視することはないだろうから〈ユニット〉の方だな? 理論的には問題がないとは云え、何せラピスだからな。思ったようにならないのがラピスでもある。ところで――」
彼女はつかつかとタイトに歩み寄るとかれの首に腕を回し、耳許で小声で訊ねた。
「少佐はどうした?」
「それは――」と、タイト。
「消しました。こいつが〈炎月〉の同期モードで機動メカごと蒸発させてしまいました」
タイトが顎でツグミを示した。
ツグミは、てへへ、と笑いながら頭を掻いている。
「ふむ。消したか。なかなか過激なことをするな。相手は仮にも連邦軍の少佐だと云うのに――。まあ、あんな奴が死んだところでどうと云うこともないが」
クロは物騒な感想を述べる。
とても連邦の重要人物とは思えない台詞ではあるが、彼女はそう云う類の人間なのだ。
だが――。
「とは云え、さすがに手向けの花くらい供えてやらんとな」
呟く。
「手向けの花?」と、タイト。
「知り合いだったのですか?」
「ん? ああ。そう云えば云ってなかったな。奴、ランベールは私の元ダンナだよ」
彼女は皮肉っぽく笑って見せた。
「え?」
「えええ?」
驚いたのはタイトよりもむしろツグミの方だった。
「え、え? ドクター・クロ? 今、何て? 元、ダンナ?」
「ああ、そうだ。昔のことだがな」
それからクロは目を細めてツグミを見つめた。
「つまりおまえは私の元いい人を蒸発させてしまった訳だな」
ツグミはその言葉に数歩、後ずさる。
その顔面は蒼白であった。
涙目であった。
「あ、あ、あの……」
「何をそんな怯えた顔をしているんだ? 具合でも悪いんじゃないか? また『診察』が必要そうだな、子狐娘?」
「ぎゃ、ぎゃあああ」
ツグミは廊下を一目散に逃げ出した。
それを見送りながらクロが大笑いをする。
彼女はひとしきり笑った後、ふう、と、溜息をついた。
「さて、小娘をからかうのはほどほどにして、だ」
クロはタイトに向き直った。
「私は着替えてシャワーでも浴びるとしよう。また『きみたち』のスイートルームを借りるぞ。この診療所は無人仕様だからそう云った施設が何もないのが困りものだな」
「クロ……、今の話は本当ですか?」
「ん?」
クロは微笑を浮かべたままで首を傾げる。
「今の話?」
「その……、ランベールが元ダンナ、と云うのは」
「ああ、それか。本当さ。もっともほんの一時のことだ。気の迷いって奴さ」
タイトは少しの間彼女の顔を見つめた後、黙って頭を下げた。
「何、気にするな」
彼女は少しだけ寂しそうな笑顔を作った。
それから、もうその話は終わりだ、と云うように手を振ると踵を返した。
ちょうどそこへロード神父がトーコをストレッチャーに乗せて現れた。
眠っているトーコを病室に運んで行くところだった。
ロード神父はそこに佇んでいるタイトを、ちらり、と見て、かすかに頭を下げて見せる。
タイトもそれに反射的に頷いて見せたが、ロード神父のその会釈の意味はきっとわかっていないだろう。
その様子を見てクロが目を細めた。
まったくどいつもこいつも、とんだセンチメンタリズムだな、と、彼女は苦々しく呟く。
「タイト、ちょっと神父と話がある」
彼女は云い捨てるとロード神父とトーコを追って病室に入って行った。
「軍曹――」
病室に入り後ろ手にドアを閉めると、クロは神父に声をかけた。
かれは、一瞬、ぎくり、としたように緊張すると振り向き、黙り込んでしばらくクロのその目をじっと見つめた。
それから――。
「ドクター、わ、私は……」
沈痛な表情で言葉を絞り出す。
それをクロは手で制した。
「黙っておけ。結果的にはうまくおさまった。おまえもなかなかどうして、まだ腕は衰えていないようだな。『神の御子』としては殺生するのは抵抗があっただろうが――。それにどうやらランベールの奴もあの能天気なふたり組に始末されたようだし」
彼女は、クロが病室に入ったのに気づいて戻って来たらしいツグミとタイトが待合室で何事か云い合っている声を聞きながら、かすかに笑みを浮かべたが、それは手術用のマスクに隠れてロード神父には見えなかった。
「まあ、例の件をタイトに話すかどうかはおまえ次第だが、話したところでタイトは、そうなのか、とか、そんな反応しかしないと思う。今となっては奴の興味はトーコの体が元に戻るかどうか、それだけだからな」
「し、しかし……、私はかれの両親をこの手で……」
「トーコにはおまえが必要だ。かれはそう云うふうに考える。おまえが思っている以上に論理的だよ、かれは。死んだ人間に義理立てて生きた人間をないがしろにするような選択はしない。私がそう云うふうに仕込んだ」
それは冷酷なまでの言葉であった。
それが科学者なのか、と、神父は身震いした。
クロはストレッチャーの上で麻酔が効いて寝息を立てているトーコを見た。
「それを知れば彼女も傷つくだろう。今までの良好な関係を崩す必要もなかろう」
手術着を着たクロが徐ろにドアを開けて出てくると、待合室でまんじりともせずに座っていたタイトとツグミが立ち上がるのが見えた。
「クロ――」と、タイト。
「手術は?」
「終わったよ。手術そのものはそれほど難しくはなかった。やるべきことは完璧に済ませたよ。あとは――」
彼女はタイトを見つめた。
「きみの〈ユニット〉がうまく動作してくれるかどうか、だな」
タイトはその言葉に頷いて見せた。
その顔にはいつものように無表情な仮面が貼りついているだけで、かれの心がどこにあるのかはわからなかったが、少なくとも手放しで安心しているようには見えなかった。
「不安なのか?」
「ええ」
「そうか。きみが私の腕を不安視することはないだろうから〈ユニット〉の方だな? 理論的には問題がないとは云え、何せラピスだからな。思ったようにならないのがラピスでもある。ところで――」
彼女はつかつかとタイトに歩み寄るとかれの首に腕を回し、耳許で小声で訊ねた。
「少佐はどうした?」
「それは――」と、タイト。
「消しました。こいつが〈炎月〉の同期モードで機動メカごと蒸発させてしまいました」
タイトが顎でツグミを示した。
ツグミは、てへへ、と笑いながら頭を掻いている。
「ふむ。消したか。なかなか過激なことをするな。相手は仮にも連邦軍の少佐だと云うのに――。まあ、あんな奴が死んだところでどうと云うこともないが」
クロは物騒な感想を述べる。
とても連邦の重要人物とは思えない台詞ではあるが、彼女はそう云う類の人間なのだ。
だが――。
「とは云え、さすがに手向けの花くらい供えてやらんとな」
呟く。
「手向けの花?」と、タイト。
「知り合いだったのですか?」
「ん? ああ。そう云えば云ってなかったな。奴、ランベールは私の元ダンナだよ」
彼女は皮肉っぽく笑って見せた。
「え?」
「えええ?」
驚いたのはタイトよりもむしろツグミの方だった。
「え、え? ドクター・クロ? 今、何て? 元、ダンナ?」
「ああ、そうだ。昔のことだがな」
それからクロは目を細めてツグミを見つめた。
「つまりおまえは私の元いい人を蒸発させてしまった訳だな」
ツグミはその言葉に数歩、後ずさる。
その顔面は蒼白であった。
涙目であった。
「あ、あ、あの……」
「何をそんな怯えた顔をしているんだ? 具合でも悪いんじゃないか? また『診察』が必要そうだな、子狐娘?」
「ぎゃ、ぎゃあああ」
ツグミは廊下を一目散に逃げ出した。
それを見送りながらクロが大笑いをする。
彼女はひとしきり笑った後、ふう、と、溜息をついた。
「さて、小娘をからかうのはほどほどにして、だ」
クロはタイトに向き直った。
「私は着替えてシャワーでも浴びるとしよう。また『きみたち』のスイートルームを借りるぞ。この診療所は無人仕様だからそう云った施設が何もないのが困りものだな」
「クロ……、今の話は本当ですか?」
「ん?」
クロは微笑を浮かべたままで首を傾げる。
「今の話?」
「その……、ランベールが元ダンナ、と云うのは」
「ああ、それか。本当さ。もっともほんの一時のことだ。気の迷いって奴さ」
タイトは少しの間彼女の顔を見つめた後、黙って頭を下げた。
「何、気にするな」
彼女は少しだけ寂しそうな笑顔を作った。
それから、もうその話は終わりだ、と云うように手を振ると踵を返した。
ちょうどそこへロード神父がトーコをストレッチャーに乗せて現れた。
眠っているトーコを病室に運んで行くところだった。
ロード神父はそこに佇んでいるタイトを、ちらり、と見て、かすかに頭を下げて見せる。
タイトもそれに反射的に頷いて見せたが、ロード神父のその会釈の意味はきっとわかっていないだろう。
その様子を見てクロが目を細めた。
まったくどいつもこいつも、とんだセンチメンタリズムだな、と、彼女は苦々しく呟く。
「タイト、ちょっと神父と話がある」
彼女は云い捨てるとロード神父とトーコを追って病室に入って行った。
「軍曹――」
病室に入り後ろ手にドアを閉めると、クロは神父に声をかけた。
かれは、一瞬、ぎくり、としたように緊張すると振り向き、黙り込んでしばらくクロのその目をじっと見つめた。
それから――。
「ドクター、わ、私は……」
沈痛な表情で言葉を絞り出す。
それをクロは手で制した。
「黙っておけ。結果的にはうまくおさまった。おまえもなかなかどうして、まだ腕は衰えていないようだな。『神の御子』としては殺生するのは抵抗があっただろうが――。それにどうやらランベールの奴もあの能天気なふたり組に始末されたようだし」
彼女は、クロが病室に入ったのに気づいて戻って来たらしいツグミとタイトが待合室で何事か云い合っている声を聞きながら、かすかに笑みを浮かべたが、それは手術用のマスクに隠れてロード神父には見えなかった。
「まあ、例の件をタイトに話すかどうかはおまえ次第だが、話したところでタイトは、そうなのか、とか、そんな反応しかしないと思う。今となっては奴の興味はトーコの体が元に戻るかどうか、それだけだからな」
「し、しかし……、私はかれの両親をこの手で……」
「トーコにはおまえが必要だ。かれはそう云うふうに考える。おまえが思っている以上に論理的だよ、かれは。死んだ人間に義理立てて生きた人間をないがしろにするような選択はしない。私がそう云うふうに仕込んだ」
それは冷酷なまでの言葉であった。
それが科学者なのか、と、神父は身震いした。
クロはストレッチャーの上で麻酔が効いて寝息を立てているトーコを見た。
「それを知れば彼女も傷つくだろう。今までの良好な関係を崩す必要もなかろう」
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