紫苑の誠

卯月さくら

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第五章 紫苑の誠

それぞれの道

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 それは、慶応四年一月のことだった。
 新年が明けてすぐだというのに、新政府軍と旧幕府軍の溝は深まるばかりであった。
 一月三日、鳥羽街道と伏見街道を押さえていた新政府軍と淀の旧幕府軍が接触した。このことから、長く続く戊辰戦争が始まったのである。
「土方さん、大変です。薩摩・長州・土佐ら(新政府軍)と幕府が戦争を始めました。すぐに応援が欲しいとの事です」
平隊士の報告に土方は顔をいがませた。

「あいつら、やりあがったな……。すぐに出陣する。全員に伝えろ!」

こうして新選組も時代の荒波にのまれていくのだった。

「土方さん、出陣の前に重要な話がある。聞いてくれないか」

そう言ってやってきたのは、原田と永倉だった。

「ああ、構わない。幹部を集めるか?」

「頼む」

急遽、出陣前に集まった幹部たちに二人は驚きのことを話し始めた。いや、土方は薄々気づいていたのだろう。

「俺たちは、もともと幕府側の人間じゃない。それどころか俺は脱藩した身だ。いままでは、新選組のためになればと思って幕府についてきた。しかし、今の幕府はどうだ? 俺たち新選組を使い捨ての駒のようにしか思っていない。このまま沈みゆく船に乗り続けるというのか?」

原田の言うことは正しかった。この先、どんどん兵力を上げる新政府軍に旧幕府軍が勝てるという確信はないのだ。

「俺たちはこの戦で最後にしようと思う。この戦いが終わったら、新選組を後にしたい。もちろん、新選組が嫌いになった訳でも、お前たちが嫌になった訳でもない。だが、このままだと俺は自分の心に嘘をついたままになる。俺はそれがいちばん許せない。だから、この戦を最後に、隊を抜けさせてくれ」

広間に沈黙が続き、パチパチと火鉢の音だけが聞こえる。
 冬の寒さがよりいっそう感じられた。
 そんな沈黙を破ったのは井上源三郎だった。彼は新選組が迷ったり、道を見失ったりした時にいつも導いてくれる存在だ。

「新選組が一番大切にしている事が何か分かるかい? 自分の信念だよ。自分に嘘をついたままでは、信念を貫くことができるのかい? 私は幕府のために新選組にいるのではないんだよ。だけど私は、ここで一生の最後を終えたいと思っている。新選組の皆が好きだからね。原田君と永倉君に他にやりたいことがあるのなら、私は反対しない」

話を静かに聞いていた土方がぽつりと呟いた。

「ああ。俺たちはどこにいようと繋がっている。俺は新選組と最後まで戦いたい。俺の思いを押し付けるわけにはいかないからな。原田、永倉、いままで本当にありがとう。またいつでも戻ってこいよ」

 こうして、後に鳥羽・伏見の戦いと呼ばれる戦で、原田と永倉は新選組をあとにするのだった。

「よし、話は終わりだ。行くぞ!!」

新選組は戦に向けて進み始めた。
新選組は伏見奉行所付近で戦を始めた。伏見奉行所のある通りで砂埃が立ち込め、辺りがはっきり見えない状況が続いていた。
ドォーン!!
どこかで、爆発音が聞こえる。弓矢が飛ぶヒュンッといったような音もあちらこちらで聞こえる。
その中をかき分け、敵を振り切り進んで行くと、向こうから見覚えのある人物が笑っていた。
 この顔だけは忘れない。
それは、かつての親友、立花であった。隣には黒服と阿曇の一族が待ち構えていた。

「ごきげんよう、紫苑。今日は紅蓮も一緒なのね。相変わらず、兄と新選組に大事にされているのね。今日はあなたと決着を付けに来たの。貴女の大切なものを全て奪ってから殺してあげる」

「立花……。私はあなただけは許せない。絶対に……。」

二人の言葉をかき消すように激しい闘いは始まった。
初めに飛び出したのは、井上源三郎だった。

「私がここを抑えておくから、決着を付けてきなさい」

「ありがとう、源さん。紅蓮、援護お願い! 」

「僕は何があっても紫苑を守るよ。この一族の因縁を断ち切ろう」

紫苑は紅蓮がいてくれて、生きててくれて本当に良かったと心の底から思ったのだった。

「二人の後に続け」

 土方の声が砂埃舞う京都を斬り裂いた。
 忍びの一族である阿曇の人たちも素早く、八雲の生き残りである二人も相当な苦戦を強いることになりそうだ。
 右上から左下へ、左下から右上へ刀が太陽の光を反射して尾を引く。周りの血飛沫が戦いの激しさを物語っている。
ヒュンッ!
立花の#切っ先が紫苑の頬を掠めた。

「紫苑、あなた弱くなったんじゃないの? いつもあなたに負けてた私だけど、今日は負ける気がしないもの。それとも、友達の私を殺すのが怖いのかしら?」

立花は面白そうに刀を振る。

「そんなことない! 私はこの日のためだけに今まで生きてきたの! これでやっと報われる……」

紫苑はそう叫びながら、立花めがけて突っ込んでいった。
キンッ! キンッ!
金属と金属が激しくぶつかり合う音があちらこちらで聞こえる。
それを嘲笑うかのように一人の男が紫苑の方に静かに銃口を向けていた。

「紫苑! 伏せろ!」

ドンッ!
鈍い銃声が響いた。
銃声よりも逸早く気づいたのは井上だった。彼は必死の思いで紫苑を突き飛ばした。

「源さん!!」

井上の左胸辺りには浅葱色を黒く染めるような血液がじわりと広がっていた。

「どうやら私の役目はここで終わりのようだね。新選組を土方くんを頼んだよ」

これが井上源三郎の最期の言葉だった。

「ふん、幕府の犬に相応しい死に方だな。犬死にだ」

新選組の皆に聞こえるように黒服の男が毒づいた。

「犬死だと? 源さんを犬死呼ばわりしたな。俺たちは自分の志で生きてるんだ! てめぇだけは絶対に許さねぇ」

土方の声は怒りに満ちていた。彼は黒服めがけて駆け出した。しかし、刃向かったのは一族の手練ばかり。苦戦を強いる戦いとなった。
 一方、紫苑のほうは立花との激しい戦いが繰り広げられていた。紅蓮はというと、紫苑を狙う阿曇の一族に手を焼いているようだった。
 立花の投げた苦無が紫苑の足元を狂わせる。「あっ」と思った時にはもう遅く、紫苑は立花に押し倒された。
 馬乗りになった立花の握りしめる短刀がきらりと光った。

「紫苑!!」

紅蓮の叫ぶ声が聞こえる。
ああ……。私、死ぬんだな。
紅蓮、父さん、母さん、ごめん……。私、何も出来なかった……。
 そう心の中で呟いた紫苑だったが、衝撃は一向に来なかった。そっと目を開けると、大粒の涙を流しながら震えた手で短刀を握りしめる立花がいた。

「やっぱり私、できない。だって紫苑は私のたった一人の友達だから……」

「ガハッ……」

 肉のえぐるような音がして、立花の口から大量の赤黒い血が溢れ出した。

「りつか……?」

「ふん、腰抜けが。もうお前に用はない」

 立花の胸に深々と刺さった刀を黒服はなんの躊躇ためらいもなく引き抜いた。刀を引き抜かれた立花は壊れて動かなくなった玩具のようにズシャッとその場に崩れ落ちた。

「立花! 立花!」

ぐったりとする立花を抱えあげた紫苑は溢れ出す血を必死で止めようとした。

「紫苑、ごめん……。私はただ、あなたが羨ましかった。家族にも一族にも愛されたあなたが。物の怪なんて言ってごめん。紫苑の琥珀色に光るその目、綺麗だよ。大好きだった。今更、許してなんて虫のいいこと言えないけど……ガハッ……」

「分かった。分かったから……もう喋らないで。」

立花がもう助からないことくらい頭では分かっている。だけれども、どうしても認めたくない自分がいるのだ。ドクドクと溢れ出す血はまるで立花の命がこぼれていっているようで、どうしようもなく恐怖に感じるのだ。
それでも、立花は言葉を紡ぐ。

「もし……もしも、許されるのであれば、一度だけ……もう一度だけ一緒に野山を駆け回りたかった。もう一度だけ……紫苑と……」

そう言うと、立花は静かな目を閉じた。

「りつか……」

紫苑には悲しんでいる時間はなかった。今するべきことは黒服をたおすことだ。そう強く誓う紫苑を見て、黒服は嘲笑あざわらった。
「そいつも馬鹿なもんだ。そいつの両親が俺たちを裏切らなければ、阿曇の間者だとバレることもなかった。両親が裏切らなければ、お前らに里を追われることも、殺されることもなかったのに。此奴こやつに味方なんてましてや仲間なんて初めからいなかったんだ」

 そのような事実を知ってしまった紫苑の心の中は何かが切れる音がした。

「貴様……」

「紫苑、行くな!!」

叫ぶ紅蓮の声は紫苑には届かない。
 紫苑は黒服めがけて突っ込んで行った。しかし、阿曇の幹部となれば、歯が立たない。
ヒュンッ!
風を切る音がするばかりで刃が届かないのだ。あろうことか、黒服は紫苑の腹を思いっきり蹴飛ばした。

「カハッ……」

奴の蹴りが鳩尾みぞおちに入り、息ができない。動けない紫苑は逃げることすらできない。
(もうダメだ……。)
そう思った時、ゆらりと鬼のような形相の土方が現れた。

「やっと……。お前に辿り着けた。俺たちの新選組を、仲間をよくも愚弄したな。後悔させてやる」

 土方の顔は哀しみよりも、信念を貫く想いよりも怒りと憎しみで満ち溢れていた。
 それに感化された紫苑も力を振り絞って立ち上がった。
互いの刃が交わる……。
 2対1にも関わらず、黒服は強敵であった。両者とも一歩譲らぬ戦いになっている。

「お前だけは絶対許さない。私がこの手で終わらせる。この命と引き換えにしても……」
 
 紫苑が弾かれると土方が、土方が弾かれると紫苑が、無我夢中で戦っている。このまま長引けばどちらも痛手になるだろう。そう簡単に勝てる相手では無いのだ。
 土方の突きを躱し、黒服は蹴り飛ばした。その衝撃が紫苑を巻き込み、二人して倒れ込んだ。

「今度こそ終わりだな……。死んでから後悔するがいい」
ザシュッ!!
紫苑と土方は斬られた。
いま、確実に斬られたのだが、いつまで経っても焼け付くような痛みは襲ってこない。
恐る恐る目を開けてみると、そこにはおびただしい量の血と二人の仲間が倒れていた。

「山崎……」

「紅蓮……」

紅蓮と山崎が握った刀が、深々と黒服の胸に突き刺さっていた。

「ぐはっ……」

黒服は自分の胸に手を当て、「信じられない」という表情で仰向けに倒れ、絶命した。
 阿曇との忌々しい因縁は断ち切れたが、その代償は大きかった。

「紅蓮、山崎さん!!」

大切な仲間が二人も斬られたのだ。
斬られた山崎は朦朧とする意識の中で、土方に語りかけた。

「副長、怒りに飲み込まれたらあかん……。憎しみに身を任せたら駄目や。あんたは俺たち新選組の太っとい柱や。近藤さんゆう屋根を支えて行かなあかんのや。柱が折れてしもたら新選組は終いや。だから副長は絶対に折れたらあかんのや。ちっこい柱の束の俺らじゃ屋根は支えられへん」

山崎にそう言われて、土方は自分の太ももを思いっきり叩いた。

「クソっ!俺はそんなことも分かっていなかったのか……。済まなかった……。山崎と紅蓮を手当する。まだ間に合う!この二人を助けるぞ。安全な所に運ぶ、手伝ってくれ」

山崎と紅蓮を安全な場所に避難させた土方たち残党を討ちにいった。

「紫苑、お前、医学に通じていたよな? 任せていいか?」

「分かった。二人を絶対に助ける」

そう言うと早速、手当てに取り掛かった。山崎の傷は肩から胸を斜めに斬られていた。応急処置として止血はしたが、一向に血が止まる気配はない。
 一方、紅蓮はというと黒服が咄嗟に出した二本目の刀が深々と刺さっていた。どくどくと流れる紅蓮の血が彼を違う世界へと連れ去ろうとしている。

「紅蓮、しっかりして。せっかくまた会えたのだから。紅蓮! 紅蓮!」

紫苑の叫び声に気づいた土方は目の前の敵を全て薙ぎ払い、駆けつけた。

「おい! しっかりしろ!」

うっすらと目を開けた紅蓮は微笑んでいた。

「俺はここでもう終わりだと思う。だから、最期に願いを聞いて欲しい。」

紅蓮がもう助からないということは目に見えてわかっている。だから土方はしっかり、そして深く、頷いた。
 紅蓮は血を流しすぎた。その傷は深く、内臓をきずつけられているだろう。

「分かった……」

「紫苑は僕にとって可愛い妹なんだ。僕が死んだら家族はいなくなってしまう……。土方さん、紫苑が闇に飲み込まれそうになった時は、助け出してあげて欲しい。最期まで紫苑を頼んだよ」

そう言って紅蓮は静かに目を閉じた。

「紅蓮!! 嫌だ! 紅蓮!! 目を開けて!! いやぁぁぁぁ」

紫苑の悲痛な叫び声がこだました。

 「紅蓮」
 それは赤い蓮の花を意味する。
花言葉は「愛情」「思いやり」「救済」
 この花言葉のように紅蓮は最期まで妹を思い、愛し、そして散っていったのだ。

土方に託された紅蓮の思いはきっと、紫苑の凍った心を溶かすだろう。
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