社畜から始める櫻花荘

杠静流

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櫻花荘との出会い

第二話 無職は旅をする

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 晴れて会社をやめた俺は、所謂いわゆる引きこもりと化していた。何をやるにも気が乗らず、実家の部屋から出るのも最小限になっていた。
 本来は転職活動なりをするべきなんだろうができずにいた。おそらくはまたかつての辛い日々に戻るだろうという一種の恐怖心からだろう。
 両親はそんな俺を気遣ってか、必要以上に声をかけてくることはなかったし、傍から見たら自堕落なこの生活を見逃してくれていた。

 こんな生活を初めてからもう半年も経ってしまっている。

 世間は新生活にせわしなく動いている四月の頭、唐突に自室のドアが叩かれる。

 コンコンコンコンと優しいノックオンのあとに優しく声をかけられる。
「健太郎、入るよ」
 声を掛けると同時に扉が開かれると、母が柔和な表情をして立っていた。

 俺が横になるベッドの枕元まで来ると雑に置かれた椅子に腰掛け、再度口を開く。
「健太郎、今まで大変だったわよね。だけどこのままじゃダメだとおもうの」
 そう言いながら手元に持っていた紙をこちらに差し出す。
 それは表紙に桜の写真と高谷たかやという文字が書かれたパンフレットのようなものだった。

「ここね、お母さんの地元なんだけどこの時期になると桜がすごくきれいなんだ」
 すると母はパンフレットを開き何枚か掲載されている桜の写真を見せてくれた。
「まだ咲くにはちょっと早い時期なんだけど、他にも見どころがあるからリフレッシュに行ってみない?」
 母は俺のことを気遣ってリフレッシュを進言してくれているみたいだ。
 パンフレットを更に開くと再度こちらに見せる。
 そこにはとてもきれいな旅館とともに櫻花荘おうかそうと書かれていた。

「ここね、健太郎の伯父さんがやってる旅館なんけど、健太郎のことを話したらぜひ来てくれって話だったからどうかなって」
 そう言いながらパンフレットを手渡してくる。
 
 パンフレットには『長野県江那市高谷にある老舗旅館』と紹介されていた。
 自分自身もこのままでは行けないという気持ちがあったためこう切り出した。

「母さん、行ってみるよ」
 その一言に母の表情はとても明るくなった。
「そっか、じゃあ行くってことを伯父さんに伝えておくわね」
 そう言うと母はパンフレットをおいて部屋を出る。

 パンフレットとスマートフォンを行き来しながら、俺は高谷という町を想像していた。

 母からの提案を受けてから数日が経過した。
 母が伯父に連絡を取ってくれており、明日櫻花荘へ向かうことになっていた。小さめなキャリーバッグに着替え等を詰め込んだ。
 今まで感じていた喪失感とは裏腹に、明日向かうことになる櫻花荘をとても楽しみにしている自分がいた。
 デスクには目的地へ至る電車の乗車券と特急券が積まれている。
 スマートフォンに表示される経路を、迷わず到着できるよう何度も復習している自分は、いい年した子供みたいだった。

 ◇◆◇

 当日の早朝、まだ日も昇りきらない時間に俺は起きた。
 なにせ今日は五時間弱の旅路になる。いくら特急に乗ろうと百キロメートルを超える距離なため、到着するのはお昼ごろになるだろう。
 ここ半年は自堕落な生活をしていたため、この時間に起きるのは相当厳しがったが……。

 着替えや洗顔等を終わらせると、母に声をかけられる。
「おはよう、健太郎。朝ご飯ができているから食べていきなさい」
 ダイニングへ向かうと簡素な朝食が用意されている。俺が席につくと母が対面に座った。
「今まで苦労してきたんだから、しばらくは江那で忘れるくらいにリフレッシュしてきなさい」
 朗らかに笑いながら母はそう言うと、朝食を食べ終わるまで俺を見つめていた。
 その視線に、少々食べづらさを感じながらも母の優しさを感じた。

 食事を終えると、一度自室に戻って荷物の最終点検をする。
 リュックを用意してスマートフォンの充電器と手回り品を詰める。

 切符を財布にいれると玄関へと向かう。
 足音を聞きつけたのか母がダイニングから出てくる。
「もう行くのね。気をつけていってらっしゃい」
 そう一言だけ残し、俺が玄関から出ていくのをただ待っていた。

「いってきます」

 家から出ると再度スマートフォンを開きルートを再検索する。
 駅までは一〇分ほど歩けば着く。
 数年前はこの道で会社まで通っていたため、少しばかり嫌なことを思い出す。

 見慣れた高架駅のエスカレータに乗り、改札へと至る。
 改札にスマートフォンをかざすと、ピピッと言う音とともに改札が開く。

 ホームに降りて、次に着いた電車に乗り地元を離れた。
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