異世界列島

黒酢

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第1.0章_探索

19.心の距離Ⅲ

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【東岸地域/南西の森と東岸拠点の間/17:30】

 地面にできた真新しい水溜まりに、高機動車と96式装輪装甲車クーガーの車列が突っ込むと大きな水飛沫が上がった。

 時刻は五時を優に過ぎているが、この世界の自転周期の影響でまだ陽はそう沈んでいない。跳ね上がった水飛沫は雲の合間から顔を覗かせた夕陽が放つ、茜色の優しい陽光を浴びてキラキラときらめき、七色に光る小さな虹を描いた。

 計三両のそれらの車列は一定の速度を保ったまま、水に濡れた大地を疾走していく。揺れる高機動車の車内。ミラは先ほどから無言のまま、相馬の後頭部を見つめていた。

「……」

 ミラの無言の圧に、相馬はバックミラー越しにミラを見やる。

 ミラが視線を上げると自然とバックミラーを通して相馬と視線がぶつかる形となり、ミラはとっさに視線を外した。

「……っ」

 ミラの目の前に座る茂木陸曹長はミラの様子を見て、前部座席の相馬にちらりと視線を向けた。

 何か話しかけるべきだと進言します。茂木は視線で自分の上官に訴える。

 バックミラー越しに茂木の無言の進言を受けた相馬。遂に「はぁ」とため息を吐き、前を向いたまま口を開いた。

「気分はどうだ?ミラ」

 相馬の突然の言葉に、ミラはびくりと身体を反応させる。

 気分はどうだと問われたミラは少し考えこむ。嫌っているはずのヒト種に再び命を救われたこと、自身の醜態をさらしてしまったこと、そしてあまつさえ、その嫌いなはずのヒト種のしかも男性に抱きかかえられ安心感を抱いてしまったこと。

 それらを思い出しミラは少し前の自身の行動を消し去りたくなった。故に不貞腐れたように一言呟く。

「……さいあく」

 しかし言葉とは裏腹に、ミラの表情はそう悪くはなかった。

「そうか、最悪か」

「そう、最悪」

 ミラは汚れたままの格好で毛布に包《くる》まっていた。最悪なのも当然か。と、相馬は勘違いとともに納得し、押し黙る。

 再び訪れた無言を破ったのはミラだった。

「なんで……」

 ミラの声に相馬はバックミラー越しに再びミラを見る。

「ん?」

「なんで私を探しに来たの?私がいなくなったって、あなたたちには関係ないでしょ?」

 ミラは今度は視線を外すことなくそう問いかけた。一人の少女の真剣な問いかけ。相馬は考える間もとらずに即答する。

「どうして探しに来たのかって、決まってるだろ?ミラが心配だったからだ。それ以外に理由が必要か?」

「……」

「それに俺たちはミラとすでに知り合ってる。関係ないなんてことはないよ」

 相馬は真剣な表情でそう言い切った。対するミラは納得できないと食い下がる。

「……私のことを心配してくれたの?」

「当たり前だ。雷も鳴ってるあの大雨の中、しかも魔物が生息してる場所に女の子が一人素手で飛び出していったんだぞ?心配しない人間がいると思うか?」

「でも」

 相馬のさも当然と言わんばかりのその言葉に、ミラははっとして言葉に詰まった。

「……でも私は獣人。あなたたちはヒト」

 しかし相馬は即座に聞き返す。

「それがどうした?」

「どうしたって……」

「俺は聖教とかいう宗教の信者でもないって言うのは前提として。前にも話したと思うけど俺たちの元居た世界には獣人は存在しなかった。そんなの漫画か小説の中の御伽噺、フィクションだった」

 相馬は再び前方に視線を戻し、息を吸いこむ。そして続ける。

「だからこっちの世界の獣人差別だとか、獣人蔑視だとか、正直それこそ関係ないね。俺たちの価値観には合わないんだよ」

 相馬の考えは極めて日本人的な考えであった。ここでの日本人とは民族的な意味合いでだが、日本人は基本的に所謂、人種差別というものに鈍感だ。

 日本人というものは概して親日的で言葉の通じる外国人にポジティブな感情を抱く。しかし、肌の色や出身による人種差別感情を持たないが故に、欧米人的な差別感情に鈍感な日本人が外国人に誤解されることも珍しくはない。

 もっとも、在日朝鮮人へ対する憎悪ヘイトや同和問題、いじめなど日本でも差別や憎悪ヘイトそのものは存在することも事実であり、鈍感さをもってこれらを擁護することは許されないのであるが。

 相馬の言葉に、ミラは自分の心の中で何かが音を立てて崩れるのを感じた。

「私の怒りや悔しさって……」

 ミラの大好きだった故郷を捨てさせたのは、直接的にはスラ王国の軍隊であり、間接的には聖教という宗教だった。

 それらをヒト種と記号付け、ヒト種全体に憎悪ヘイトの感情を抱き、向けることは、聖教やスラ王国が憎悪ヘイトを自分たちに向けたのと同質のものなのではないか。

 ミラは自身のヒト種に対する憎悪が、何か逆説的パラドキシカルなものであることに気づいた。

 それに気づいたとき、怒りの矛先や悔しさの原因が的外れなものであったことを理解した。

 怒るべきは自分自身でも、相馬たちと仲良くする同胞でも、まして自分たちを救ってくれた自衛隊命の恩人でもない。そしてまた、悔やむべきも相馬たちと仲良くする同胞の姿に、ではない。

 そのとき、ミラは自身の心にかかった雲が晴れ、明るい陽光が差し込むのを感じた。

「ふふっ」

 ミラは自然と笑みをこぼす。ミラがはっとして顔を上げると、そこには相馬と茂木を始めとする隊員たちの嬉しそうな顔があった。ミラは咄嗟に相馬の顔を睨みつける。

「なによ……」

 相馬はそれに答えないまま目を閉じた。

「ちょっと!答えてよ!ってか、さっきから私のこと呼び捨て……まぁいいけどさ」

 ミラはそこで言葉を区切ると、自身の人差し指をすっと相馬に向けた。

「……私もあなたのことソーマって呼ぶから」

 ミラはそう言って笑った。

 そうこうしている間に高機動車と96式装輪装甲車、三両の車列は東岸拠点の第一・第二防衛線である鉄条網と外側フェンスを越えた。

 第二防衛線である外側フェンスの後方には施設科部隊の隊員たちが集結し、かねてより進められてきた通称、壁の建設作業を再開している。これは東岸地域に生息する魔物の侵入を防ぐには、フェンスよりも壁の方が効率的であると分かったためである。

 隊員たちの真横を通過した車列は、遂に出発地点の南第二ゲートに達する。行きは一時間以上の道のりを、帰りは一〇分弱で走破した。

「お!みんな揃ってるな」

 相馬の声に、ミラも外に視線を向ける。

 見ると、ゲートの内側には多くの自衛官や狼人たちの姿があった。それは、捜索隊本部の隊員や話を聞きつけた警衛隊員、そしてモロを始めとする避難民の群衆。彼らは相馬たちの車列が見えるとわぁぁぁあと歓声を上げた。

「なんで……」

 ミラはまたしても驚愕に目を見開き、驚きの声を上げた。相馬は驚くミラに笑いかける。

「みんなミラのことを心配してたんだ。お前は愛されてるな」

 ミラは「うん」と再び笑った。ミラはこの日多くを学び、多くに気づいた。だが、ミラの記憶の奥底に眠った何かは、未だはっきりしないままである。モロは高機動車の後部ドアから降りてくる孫娘を優しい目で見つめていた。
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