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第八話「すてきな言葉と告白」

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この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。
第八話「すてきな言葉と告白」

 長屋の近くとは違い、河童浴場《かっぱよくじょう》がある通りには、絵深《えみ》さんの表情が分かるくらい街灯がある。とても優しく微笑み「〝お帰りなさい〟は、誰かと誰かを繋ぐ〝無事に帰ってきて良かった〟の言葉です。素敵だと思いませんか?」と少し首を傾けて満面の笑みになる。誰かを繋ぐ言葉、知らない人でも瞬間的な関係が構築されれば、〝お帰りなさい〟とか〝ご苦労様です〟で、繋がれる。

「だから、言葉を使う想いを無視されるのは、とてつもなく辛い事かもしれませんね」

 応えてくれるなら、とても嬉しいのかもしれません、と、しっかり女湯の暖簾を掻き分け「ご機嫌よう」と浴場に入っていった。

「おう、坊主。お疲れ!」
「今日は早いね」
「兄ちゃん!赤いお姉ちゃんがね!」
「あのね!今日もすっごーいうるさいんだよ!」
「知ってる!?今日の平均株価がストップ安だったでしょ!」

 ぼくは、この町に越してきて、いつの間にか多くの人と繋がっている。

 …………………… 瞳をきらきらさせて、株価がストップ安だったという事を話す子どもは、初めて見たけれど。

 山椒魚《さんしょううお》町四丁目に越してきた日から、声を掛けられる日々。他人との生活圏の重なりと人間関係の近さに驚いていたけれども、嫌なら嫌なんだと、話し掛けないで欲しいと言える距離に人がいる。誰かは知らないけれど、毎日、顔を合わせるおじさんのシャンプーをもらい、髪をごしごしと洗って泡を流す。

「だから、悠希《ゆうき》! カーリングは氷の上でするもんなんよ!」

 また亜希《あき》さんに叱られ……ツッコまれている悠希さん。あの人の事だ、大方、桶を並べて、カーリング競技を始めたのだろう。

「ふーっ♪ 今日も突っ込みがキレッキレ~♪」

 姉妹とはいえ、凄い関係だ。

 下着姿で大きな扇風機の前で涼を取る。椅子に座っていた知らないおじいちゃんと世間話をして、親が子どもに買う〝キンキンに冷えてやがる牛乳〟を無表情に見ながら、指を咥えて我慢をした。

「亜希さん、今日も良いお湯でした」
「いつも、ありがとうね!」

 この河童浴場には〝心地良い〟と〝繋がる〟が満ちている。

「おっ? 湖径《こみち》じゃねーかー」
「悠希さんもお風呂上がりでし」
「絵深さんもいるよ~」
「先程は送って頂き、ありがとうございました」

 いやいやいや、そんな大袈裟な、と、手を振り否定するも、絵深さんがしてくれた事は〝石井さんに対する接し方〟の話が大きく飛び火しないようにしてくれる大人の対応なんだと思う。その気遣いに深いため息が出てしまう。

「湖径ぃ、絵深さんに惚れんなよ~?」
「高嶺の花ですよ。それより悠希さんは、もう少し小さな声で喋ったほ」
「何の話だよっ?」
「え」
「ん?」
「はて?」

 この一週間、毎日見てきた悠希さんの顔が初めて青ざめた。ぼくも嘘だと思いたいが、この人は今のいままで〝壁の向こうの男湯にまで声が響いている〟と思っていなかったらしい。脳に届いた現実が、しっかりと事態を受け止め処理をし、生きてアウトプットをしたのだろう。青ざめた顔が真っ赤になり、一点を見つめて直立不動となる悠希さんは、背の低い信号機のようだ。

「えっち!! こみちのえっち!!!」
「いやいや! むしろ全員が素知らぬ顔ですよ! もう普通の出来ご」
「もうぃやだあぁああよおぉおぅ! お嫁に行けないぃいいっっ!!」
「いや………ご結婚されているでしょ!」

 まだ、この町に来て日が浅く、これまで悠希さんにどんな発言があったのかは知らない。しかし、きっと男性陣にとっては毒である会話や(ピーーー)《放送コード》と鳴る言葉を使っていたと容易に想像が出来る。だって、悠希さんだからね。

「うぉおおお! どうするんだ!? 今まで話してきた、あんな事やこんな事!」
「まず公共の場で、何て事を話しているんで」
「仕方が無いだろ! ばあちゃん達が聞いてくるんだから!」

「あっ、あ、あっ!あのっ!!」

 絵深さんの声に、ぼくらの言い合いが止まる。しかし、振り向き見た絵深さんも動揺を隠せないのか、小さくあたふたしていた。胸に手を当て、大きく深呼吸をすると「わたくしからの対策案です!」と人差し指を立てて、キリッとした表情をする。

「わたくしも大きな声を出せるよう努力をします! これで殿方には誰が話しているのか分からないはず!」

「絵深さん……ありがたいんだけど、過去の情報漏洩には適用されないよね?それ」

 キリリとした顔からハッと表情が変わり、深刻な声で「盲点でした」と顎に手を当て、また何かを考えているようだ。

「では! 悠希さんの代わりに、わたくしがお嫁さんに行きます!」
「いや、湖径も言った通り、もう、私、結婚してるから……でも、絵深さんの幸せは願ってるよ! うん!」
「ありがとうございます!」
「いやいや。同じ長屋に住む仲じゃんかよー」

 さっきの悩みはどこに行ったんだろう……。悠希さんと絵深さんが、きゃっきゃとしている………。

 この町には色んな才能を持つ逸材が多い。

 ぼくらは〝悠希さんを慰める会〟として、老朽化でやや傾いたラーメン屋さんに連れられた。ご馳走になる身とは故、またラーメンか、と、改めて店内を見渡す。壁に貼られた多くのメニュー達が、長年の油汚れでメニューとしての役割をしていない。ぼくと同じくきょろきょろとしていた絵深さんが、確信に迫った……迫りすぎたひと言を滑舌良く話したのだ。

「わたくし! こんなに建屋が古風で物理的に傾いていて、お掃除のされていないお店でラーメンを食べるのは生まれて初めてです! 衛生上は問題ないのでしょうかっ?わくわくしますねっ! 感激です!」

 絵深さん的には褒め言葉であろうそれは、お店にいた客を凍り付かせ、或いはピリ付かせ、店舗と違い掛け声はシャキッと背筋の伸びている大将の「あっ、ありがぇっッ……とおおぉッッござぇーまあっっすうううっっそあ!!!」の感謝の意が戸惑っていた。

 底の見える、どんぶりが三つ(内ひとつは子ども用どんぶり)。満足顔の人間が三人。両手でコップを挟み、こぷぷぷ、と、小動物のように水を飲む絵深さんと爪楊枝で〝しーはーしーはー〟と、おっさんのような行動をする人妻、悠希さん。コントラストが凄いなと二人を観察していると悠希さんが「でえ?哲学者的にはさあ、石井ちゃんとどうなのよ?」と聞かれた。

「どう……とは?」
「しらばっくれちゃってさあー。なあっ?大将ぉっ!」
「すぉっですあぁああねえええぇっ!ぉきゃくすあんそあっ!!」
「湖径さん、それは人として酷い行いです」

 絵深さんは棋士のように何手か先の会話に使われるであろう、鋭い言葉を盤面に打ってくる。だから、その状態にならないように作戦を練りなせるわけだけど。しかし、石井さんとはどうもこうも……。今までも、とくに石井さんとは何も無いわけだ。ただ、それだけ。今まで通り、ぼくの臆病がまた人を遠ざけただけ。

「ったくよー。これだから小童は。ほら、お姉さんがコレやるから使えって!」
「どっ、どうして! こ、こんなもの持ってるんで…!?」
「うっせえなー。私が持ってちゃいけないのかよー」
「だっ、だって、これって大人しかっ!?」

 食用油で少しぬるぬるするテーブルの上に叩き置かれたのは、あそこの〝半額クーポン〟だった。これを使って「ちゃっちゃと石井ちゃんを誘って、行ってきなよ。男は度胸だろうが」だなんて簡単に言う。こ、こんなの……いきなり誘って大丈夫なものなんだろうか……。また正拳突きを入れられたりしないのか。そんな心配をよそに「石井ちゃんは小童から誘われるのを待ってるんだよ!私も女だから分かる!」とあれやこれやを教えてくれた。

「ポイントカードを作ればさ、割引されるから湖径も作っとけば?」
「悠希さん、さすが! 大人です!」
「寂しくなったら、テキトーに誰か誘って行っちゃうのよな。私」

 満たされれば、それでいいじゃん。

 翌日、大学構内をふらふらと歩き回った。特に行く当てはないけれど、強いて言うならば、石井さんに会う為にだけ歩く。た、た、た、た、た、と、後ろから石井さんの軽く跳ねるスニーカーの音が聞こえてきて、今日もぼくの隣を抜けていったから勇気を出して、ぼくの世界を変えた。

 名前を呼んで、腕を軽く取る。

「待って! 石井さん!」

 向けられた好意が無視され続けると、それは寂しい事だから石井さんが首に巻いているマフラーは、前より厚手のものになっているんだろう。知れば知るほど、世界は寒いのに、ぼくもそれを知っているくせに彼女の世界を寒くしたんだ。

 悠希さんからもらった〝半額クーポン〟で、ここには、こんな時間に初めて来た。どんな時間でも割と煌びやかなネオンサイン。割と人も多い。薄暗い空間を照らす灯り。響き渡る声。空調が効いていないのか、ぼくが緊張しているあまりか、身体が熱い。

『奥さん!ほらっ、もうこんなに!』
『そっ、そんなの見せられても! 私っ、主人に!』
『ご主人に気を使っている間に、ほら! こんなにも汗だくじゃないですか!?』
『そ、それはっ!違う!違うわ!私には主人が……っ!』



『早くしないと、この電卓の割引率じゃなくなるよ!』

 石井さんがどうしても観『やめて下さい!』言ったのは、悠希さんが貯めたポイントで半額になっ『奥さんも安いのは嫌じゃないでしょう!?』さか、悠希さんが映画好きとは思いもし『嫌いじゃない!嫌いじゃないのォ』くらレイトショーだ『今、首を縦に振れば!午後には取り付け《いれられ》られるよ!!』からとはいえ、なんだこれ。

 ロマンコメディ映画『うだる暑さに火照る身体を持て余す人妻』

 タイトルがもう……狙っているというか。石井さんが観たいと言ったのは、古のロマンポルノ映画風B級コメディ映画だった。上映開始三十分は、それなりに男子として期待もしてしまったが、それ以後は失笑を通り越して、無表情にスクリーンの光を眺めている。それでも隣の席に座る石井さんは食い入るように観ているから、面白くないという訳ではないんだろう。しかし、石井さんは、よくこのタイトルでエアコンの押し売りセールスマンのコメディというトンデモ設定な映画を、ぼくと観ようと思ったね。この映画の発想……だけは、凄いと評価したい。後、撮り切って、編集、完パケして、上映にまで漕ぎ付けたスタッフや関係者に祝福を。乾杯!

 映画が終わり、何となく、どちらが言い出したわけでもないけれど、最寄りの駅ではなく一駅先まで歩いていた。石井さんが少し顔を上げて、口角も上げて歩くから映画に誘って良かったと思う。

「石井さん」
「はい?」
「今まで、ごめん」
「はいっ」

「ぼくは臆病で弱虫だ。だから、学問で自分を知りたくて、強くなる為に哲学科を選んだくらいに弱虫なんだ」
「知ってますよ、それくらい」

 この世界は悲しい事や寂しい事が多過ぎて、酷く寒い。だから、彼女はマフラーを夏でも首に巻いて、防寒対策済みの格好で、前へ、前へ、歩いていくのだろう。ぼくには、その強さが無いんだ。

「私を風よけにして歩けばいいんじゃないですか?」

 人差し指の先だけだったけれど、手が繋がれた帰り道。

……………………………………………………

この町は、きょうもあなたがいるから廻っている。
第八話、おわる。
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