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:第二十八話「激しいね」

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実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第二十八話「激しいね」

…………………………



  ────荒まし終夜の目合と、荒まし感情の音を知られ、流るる。

 薄暮の部屋で過去を語る向井さんは、私は運が良かった、と無理に笑ったように見えた。向井さんの実家はそこそこ裕福で、小さな頃から人間も仲良くしてくれる環境の町に育ったらしい。勉強が出来たけれど、それは自分の為にでは無く、世の中の為に使うものなのだと親に言われて育った。初めて出来た彼氏さんは中学三年生の時に隣の席だった男の子。名前を『向井君』と言った。互いに大事な時期だ、しかも、彼は“人間”だったから余計に気を遣って声をかけず、ちらちらと盗み見るくらいしか出来なかったという。

「でも若さ……かな。色付いた葉が散り始める頃にね……」

 ブラインドを、かしゃ、と開いて入ってくる夕陽が伏せた長いまつ毛に反射する。

「放課後の教室で襲った」
「あんた、いい話持ってんのに節操無いな!」
「いや、もう辛抱堪らんくなってねっ♡」
「発想がおっさんだよっ!」

 でも、この世界はまだまだ平等と言うには程遠くてねー、と首を傾げ、また無理に笑う。「付き合うのに………………反対とかされたんすか?」とコーヒーカップを両手で強く包み、不幸を少し覚悟した。

「まあ、時代もあったかな。……いや、時代のせいにしていては先に進めないね」

 おっさんだけど中学生の女の子だった向井さん(になる前)は「私と向井君が結婚する頃にはっ!お父さんやお母さんが心配されるような差別や偏見は無くなっています!」とか「私はそうなるように……いえ!そのお手伝いをする為に、ほ、法整備に向けて、じ、実際!国はっ動いてい、法が!べ、弁護っ、弁護士が必要なので!」と必死に嘘を吐いてしまったから、弁護士にならざるを得なくなったらしい。そのバレバレな嘘を吐いてまで『向井君』との交際を懇願する一所懸命な姿を笑われ、その日は『向井君』のお家で晩ご飯をみんなで食べた。信じられたから信じ、裏切らないように最善を尽くす。その数年後、本当に弁護士になり大手事務所に勤務する事になった向井さん(になる前)の姿を見て、『向井君』の親御さんが「息子をお願いします」と結婚に至ったのだと言った。

「りんごちゃんが弁護士になりたい本当の理由も知ってるよ。でも………この世界はまだどうしようも無くね、非道だ」

 昨晩、珍しくアパートに戻ったわたしが、がたがた、どたんどたんと音を立てていたからだと思う。翌朝、アパートの階段を降りると、駐輪場を掃除していた管理人のおばあさんに挨拶をするのと同時に「あら、あんなに激しかったのに起きられるなんて……やっぱり若さよね」とにこやかに言われる。「?」となり「え、なんの話ですか?え?」とぽかんとするわたしに「ん?りんごちゃん、昨夜“も”激しかったなって。新しい彼氏さん“も”大変だなーって」と言われて、ハッとなり慌てて弁明した。

「ち、ちっ!違いますっ!!掃除です!!今日、友人が来るので掃除をしてましたっ!!ていうか、“も”って何ですか!?“も”って」

 管理人のおばあさんが、何かを懐かしむような微笑みで「おじいさんも凄かったなあ」と爽やかな早朝の空を見上げ「ちょっと前によくいらしていた可愛い系の彼氏さんと凄かったから♡」と言った。え、はっ!?はひっ!!?見てたんすか!!?それか、声……っ!!?いや!!??と慌てるわたしにトドメのひと言。

「お部屋に泊まって、一晩中“どたんどたん”鳴った次の朝に会う彼氏さんが、げっそりしていたから♡りんごちゃんって激しいんだなーって♡」

 りんごちゃん、ティッシュ使う?と言われ、こくりと頷き、丸めて鼻に詰めた。

 わたしの未来と住む街は、寒さを保ったまま春夏秋冬を繰り返す街だ。季節毎、それぞれの寒さで、みんなが縮こまる駅の改札口。その前にある大きな通路で行き交う人間と彼岸の獣の目が合う事は無く、みんな無表情で黙々と何歩か先に踏むであろう床しか見ていない。今年も掲げられた標語は、きっと実現する事無く来年の標語が公募される。何も無かったの街。都合の悪い事が臭わないように蓋をする街。蓋をした上に不都合が起きると、また蓋をしていく街。蓋が積み重なって建物が上へ上へ高くなっていく街。“何も無かった”を形にした街。それが人々を動かす街。そんな雑踏の中でも、すぐに見つけられるのは貴方と華子だけだと思う。

「よっ、華子くん」
「よっ、りんごさん」

 そこにあった言葉は五年前までのものなのだけど、五年前よりも、もっと美人になっている華子に同性ながらも、ときめいてしまっていた。「髪、切ったんだね」とショートカット美人になった彼女に言うと「りんごは伸ばしてんだなー」とロングヘアちんちくりん系女子の髪を手に取った。あ、そうだ!と、華子が鞄をごそごそとして「りんごさんよ、お土産だ。両手出しな」と言うから手を出すと、がさっ、と、大量の“よっちゃんイカ”が手に落ち溢れる。ふはっ!と思わず、笑い吹いてしまうのも五年前と同じ。

「“タラタラしてんじゃねーよ”じゃないのかよー」
「私が嫌いだから買わなかった!」
「華子くんらしーなー!」

 どうやら五年なんて月日は簡単にワープか何か出来るらしいよ。だって、五年前のわたしたちがここにいるからね。

「で、その鼻どした?また鼻血?」

 あ。鼻にティッシュ詰めてるの忘れてた。

 アパート近くの激安のスーパーでお惣菜を買って、お昼ご飯は部屋で食べる事にし、夜に晩ご飯を食べに行くのも兼ねて、街に出ようという話になった。華子は歩きながら、きょろきょろと町を見て「特に下町はね、それぞれの地域や文化、住人の気質とかで雰囲気が違うから面白いんだ」と“何も無かった”街にも興味津々のようだ。今、彼女は実家を手伝いながらアルバイトをして、お金を貯めていき奨学金の返済計画まで立ててから、白いアイツの時のように話し合いに有利な立場を得て家族を説得、今年から念願の大学生となった。民俗学や郷土史などを学び探究をしている。

「白いアイツは元気?まだ乗ってんの?」
「ああ、ユーサクかー?乗ってるよ。でも、あちこち壊れるから、お金が掛かって仕方が無いんだわ!」

 文句たらたらでも『ユーサク』なんて名前を付けて、しっかり直してあげて「この間なんかさー、夜中の高速道路で止まったんだぜ。最悪だろー?」とか満面の笑みで話すんだ。幸せだな、ユーサク。やっぱり、ユーサクの兄弟たちはたくさん造られたかもしれないけれど、ユーサクはユーサクしかいないんだ。そして、ユーサクを大切にする華子は華子しかいない。

 ここだよ、と言ってポストを覗き、そのほとんどが広告のチラシだらけの束を見ながら階段を上がった。

「ふっふっふ。ようこそ!我が城へ!」
「すげーな。今は自分で家賃払ってんだろ?」

 そうだよ、社会人だもん、と得意げに部屋の鍵を開ける。実際は事務所に寝泊まりして帰っていない日が多いけれど………とは故、城は城だ。

「へえ、綺麗にしてるんだな」
「あたり前田のクラッカー。大人、だからね!」
「ふっ、どうせ、りんごさんの事だ。この襖を開……」

 どばさささささささささっ!!!!
 かたん、から、からん…………かさ。

 かたん。

「すめん、りんご。本当に……すめん。ここまで大惨事になるとは思っていなかったんだよ」
「こちらこそ、すめんよ………うっ、ううっ、華子が来るから片付けようとは思っ……」

 ぽん、と肩に手を置かれ「私も片付けるの手伝うから、泣くなよ」と、結局、夕方までわたしの部屋をふたりで片付けた。ぱーふー、と、換気の為に開けっぱなしのベランダの窓から、お豆腐屋さんのラッパが聞こえる。もう五時前だ。

「華子ー。何系が食べたいー?」

 廊下で読まない新聞や何故買ったのか分からない雑誌と紐を持って格闘する華子に投げかけると、結び終えた紐の束をくるくる指で回しながら「食べに行くのやめようぜ、りんごくん」と、何やら意地悪な笑顔をする。せっかくなのに、またお惣菜とか宅配サービスにするのかと眉をひそめていると、わたしの額を指ではじき「その様子じゃあ……料理とかもやってないでしょ?彼氏に作らせてたんじゃねーの?」と笑う。その………図星過ぎる推理に、

「わあっ!泣くなっ!悪かったよ!りんごっ!!忙しかったんだな!?忙しかったんだよなっ!!?」
「泣いてないもん!泣かないように我慢してんのに、勝手に涙が溢れるだけだもん!!」

 相変わらず、わたしの感情起伏は激しいから忙しい。

…………………………

実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第二十八話「激しいね」おわり。
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