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:第六話「悠久を数え、苔」

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実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第六話「悠久を数え、苔」



…………………………

  -悠久の苔が生える恋と願う道程に、真実と純真を学ばん。

 ゆっくりと肌を撫でるようにやさしく風が通った。睡蓮の水面が光をきらきらと揺れ、跳ねる。ぽつり、ぽつりと彼岸の獣と付き合っている友人がいると貴方に話した。小説『彼岸の小さな恋』を読んだ事で、学校で習った事以外の人間と彼岸の獣との歴史を深く知る機会を得た。『道徳』や『倫理』の授業では、人間の何たるかが多く記されていても、彼岸の獣に割かれたページは少ない。そもそも、学校やクラス分けも人間と彼岸の獣で、なんとなく分かれている。そういう身近にある違和感は、貴方に一目惚れをして『彼岸の小さな恋』を読むまで、不思議と感じた事が無かった。だから…………、

「わたしは友人のしあわせを願いたい、でも…………」

 この社会には人間と彼岸の獣の恋人同士が想いに比例して、しあわせになれるとは思えない過酷な現実がある。華子が深く傷付き泣いてしまうのなら、いっそのこと………とも思ってしまう。

「…………上手くいくと思いますか?」






「私は当事者ではないから分からないね」

 ………ですよねー。よりによって、貴方にこの話をするなんて、なんだか“当てつけ”をしているみたいですよねー。

「あの……………………恋を……、した事はありますか?」

 この言葉を聞いて、すっと左手を隠そうとする大きな右手を見た。そして、隠すのを止めたのも、見た。

「ああ。あるよ」

 今………、今、いつも変わらない貴方の表情が、少し動揺したように見えたのは気のせいだろうか。

「お茶を淹れよう、待っていなさい」

 初めて飲む、そのお茶を桂花烏龍茶と言った。貴方の淹れたお茶が身体に染み込んで身体が温かくなり、心に張った糸がゆるむ。これはきっと、魔法。

 翌日、学校の渡り廊下で、だーはっはっはっ!と華子に爆笑されていた。昨日、貴方が隠そうとした左手が気になり、辞書で調べてみると『離縁識別印』という項目にたどり着いたのだ。そこから“離縁”した事があるという事実に、嫉妬心が湧いてきたと話したのが、まずかった。華子にとっては、わたしの一連の出来事と行動は落語のように面白いらしい。今日も渡り廊下から覗く初代校長の胸像は磨き抜かれて輝いている。そういえば、あの前で見つめ合い、もじもじとしていた男女は元気かな。わたしが勝手に作った伝説により爆ぜていないかな。一方で左隣の華子は「ひいっひーっひーっ、助け………てくれ……はひーっ!」と、息を吸うのも困難らしいよ。さあ、そのまま光り輝く胸像が見える渡り廊下で、友人の恋を笑うと呼吸困難になり爆ぜるという伝説を作りたまえ!

さア、爆ぜロっ!

「そんなに笑うことかね?華子くん?」

 華子が、ふーぅ、と、大きく息を吐き、うつむいた後、髪をかきあげながら向けられた顔は真剣な表情だった。その目で「そんなにまで、その獣を愛しているのか。素敵だな」と言ったのだ。その思いもよらない華子の言葉に、ぼ……っ、ぼ、ぼ、ぼ、ぼっ、ぼぼっ!!と、身体が熱を持っていく。

「にゃっ!?にゃ、何を今さりゃっ!はにゃこくんっ!!」

 言葉が焦って声に追いついてこなかった。想いが身体を追い越して、肌に薄く汗が覆い、足元、身体を通って首から顔に向かって熱が伝わり、真っ赤になっていくのが分かった。そして、頭のてっぺんから「ぴぃーーーっ!!」と蒸気が噴き出てたのだ。

「りんごのお胸はたわわなのに、まだまだ乙女だな♡」

 お胸平ら組の華子に揶揄われた時、わたしの何かが臨界点に達して鼻血を吹き出すと、世界がぐるり、回るのだけが見えた。

 ひらひらと光が差し込む旧街道を、とぼとぼと歩く。鼻にティッシュを差し込んだままね……。何故、鼻血を噴き出しながら倒れたのかは分からないし「えっろー、どえっろー!どんな妄想してんのっ!?りんごってばっ、膨らむのはお胸だけじゃないんだねっ!」と保健室で泣き笑い揶揄った華子は、本当に爆ぜればいいと思う。

「はあ、ついて……ないなあ」

 ため息を吐けども何も変わりはしない。わたしの人生に何かときめくイベントが待っているのか、と考えていると石畳の苔に足をすくわれそうになる。旧街道の石畳は人がよく歩く所には苔が少ない。だから、この苔が生えていない石を追っていけば、山を抜けて、古都に出る。この街道が通る山は低く、わたしたちの町の至る所に壁や門があり、旧市街地の周りを囲む幅が広く深い堀があるのだから、古都にとって玄関口でもあり、防衛の要でもあったのだろうと推測出来る。竹林を進み、道の端っこに申し訳なく出ている『Enfant』という看板に導かれ、道折れて七歩程、腰の高さの木製の門柱を抜ける。

 そこには睡蓮が浮かぶ池と白い家屋の為にだけあるような陽だまりが広がっていて、ここが鼻血を出した世界と同じ世界とは思えない。全く疑ってしまう。

「なんて日だっ」

 本屋さんの閉じられた戸に『御来店有難うございます。誠に勝手ながら店主の都合により休業させて頂きます。またのご来店をお待ちしております』という手書きの札が掛けられていた。家の方にも回ってみたが、気配がしない。なんだか、今日は色々と上手くいかない日らしい。池の畔に置かれた真っ白なベンチに座り、睡蓮と細い岩がひとつ浮かぶ水面を眺めた。午後の明かりが、静かにゆらゆらと揺れて、たまに吹く風に立てられる小さな波が光を、きらっ、と、跳ねる。

「………睡蓮かー」

 印象派で有名なモネという画家は『日傘の女』という絵を残している。それは『散歩、日傘をさす女』という絵の数年後に、同じと言ってもいいくらい似た構図で描かれた絵だ。他にも数点似た絵があるのだが、『散歩、日傘をさす女』以降に描かれた絵に立つ女性の顔は、はっきりと描かれていない。『散歩、日傘をさす女』と『日傘の女』が描かれる数年の間に何があったのかというと、『散歩、日傘をさす女』のモデルとなった最愛の妻との死別だ。その後、モネは再婚をするが、二枚の絵にある“顔が描かれていない”という違いには、彼の行き場の無い感情や形を失くし、思い出せなくなっていく何かを表しているようで胸が苦しくなる。

 契りを結ぶまで愛した人を失う喪失感を、まだ、わたしは知らない。

………しかし、鼻血が止まらないなあ。

…………………………

実った恋は熟しても鳥には食べられない。
[Many fruits on the tree are fruits to be found by you.]
:第六話「悠久を数え、苔」おわり。


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