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「愛ちゃん、17歳の誕生日、おめでとう。私は核シェルターの『椿の間』の中で、お父さんに見守られながら一気に撮影しているんだけど、愛ちゃんはこのメッセージを聞くのに17年もかかっているんだよね。そう考えると、何だか申し訳ないような気持ちでいっぱいになっちゃうな。――そう言えば、『椿の間』に飾ってある白い椿の絵を、あなたも見たことがあるよね? あなたは、椿の花言葉を知ってる? 実は、花言葉って、1つの花にたくさんあるんだけど、椿の花言葉の代表的なものの中には、『完全な愛』とか、『私は常にあなたを愛しています』っていうものが含まれているのよ。色によっても花言葉は分かれていて、赤い椿の花言葉には『気取らない魅力』、白い椿の花言葉には『理想の愛』というものがある。どうやら、お父さんはこの椿の花言葉を知らずに、あなたに『愛』という名前を付けたみたいなんだけどね。――椿は、木辺に春と書くことからも分かるように、春に咲く花なのよ。もっと正確に言えば、冬から春にかけて咲く花ね。もうお父さんから聞いているかもしれないけど、実は、私は正確な誕生日が分からないの。一応、公には、施設に保護された4月5日が誕生日ということになっているけど、実はそのとき既に生後3ヶ月くらいだったらしいから、本当は冬に生まれたことになるわ。ほら、椿と私って、少し似てると思わない? なんてね。――あなたにも、お父さんにも、1日でも長く生きてほしい。――あなたが名前の通り、誰かを愛して、その誰かから愛される人になっていると、私は嬉しいな。それじゃあ、また来年」
「愛ちゃん、18歳の誕生日、おめでとう。私は、18歳のときに親元を離れて、1人暮らしを始めたの。だから、私からあなたに伝えるメッセージも、これで最後よ。――愛。幸せになってね。さようなら」
明日奈は何度も休みを挟みながら、長い時間をかけて、愛に対するメッセージを収録した。普通に呼吸をするだけでも辛いはずなのに、明日奈は気丈にも、収録のときだけは明るい声を出していた。
僕は、そんな明日奈を直視することができなかった。
明日奈が死ぬかもしれないなんて。
今さらのように、恐怖が足元から這い上がってきて、全身を満たした。僕の命と引き換えに明日奈を救うことができるのなら、今すぐにそうするのに。
撮影が終わり、一休みすると、明日奈はスマホで写真を撮って欲しいと僕に頼んだ。僕はベッドの上で上半身を起こした明日奈の写真を何枚も撮った。カメラを向けると、明日奈はいつも魅力的な微笑を浮かべた。きっと、これも育ての親から厳しく躾けられた賜物なのだろうな、と僕は思った。
「正道とのツーショットと、親子3人で写っている写真も欲しいな」
明日奈がそうリクエストしたので、僕はスマホを壁に立てかけ、タイマー機能を使って、ツーショットを撮った。次に、愛を連れてきて、親子3人が写っている写真も撮った。
それが終わると、明日奈は緊張の糸が切れたように倒れ、昏々と眠った。
僕は、そんな明日奈を見ていることしかできなかった。
……いや、待て。
本当にそれでいいのか? 明日奈が死ぬのを黙って見ているだけでいいのか? 医者に診てもらえば、案外あっさりと回復するんじゃないか? でも、どうやって医者に診てもらうのだ?
医者をここに連れてくるか、明日奈を医者のいるところまで運ぶか、2つに1つだ。
と言っても、明日奈と愛の2人を連れて移動するのは困難なので、実質的には医者を連れてくるという1択なのだが。
医者を連れてくるには外に出るしかない。
危険だが、やるしかないと僕は決意を固めた。
まず、僕は『雀の間』に愛を運び、ベビーベッドの上に寝かせた。幸い、愛ちゃんはすぐに寝ついてくれた。
僕は『雪の間』へ行くと、核シェルターに閉じこもった日に着ていた服に着替えることにした。まずは浴衣を脱ぐ。
次に、僕はベッドの上に畳まれていたシャツを着ようと手に取った。その拍子に、シャツから車の鍵が滑り落ち、床の上に落ちて耳障りな音を立てた。僕は気にせずにシャツを着てズボンを穿くと、車の鍵を拾い上げてズボンのポケットに入れた。
続いて、財布とスマホもポケットに入れる。その際にスマホで時刻を確認すると、日付が変わっており、4月15日になっていた。
ベッドの裏にテープで張り付けたあった、エアーロック室の鍵も持った。
これで準備は完了だ。
静まり返った廊下を歩き、僕はエアーロック室へ行った。この扉を開けるのは、実に1年ぶりだった。
エアーロック室の扉の足元の辺りには、目立たない小さな穴があった。実は、それは鍵穴なのだった。僕は、その鍵穴に鍵を差し込み、回した。
鍵を抜いてポケットに仕舞うと、扉を引いた。
そのとき、僕は誰かが背後から走ってくるような気配を感じた。
振り向こうとした次の瞬間、僕の右肩に激痛が走っていた。
「――っ!」
僕は床に倒れながら、僕を襲撃した人物の正体を探ろうとした。しかしその前に、目に何かの粉が降りかけられた。匂いから察するに、おそらく胡椒だ。目にも強烈な痛みが走り、僕は床の上でのたうち回った。
手で目を擦り、何とか胡椒を取り除こうとする。しかしその作業が完了する前に、僕はうつ伏せの状態で、誰かに床に押し倒された。その誰かは僕の背中に馬乗りになると、僕の手を後ろに引っ張り、何かベタベタするもので縛った。足も縛られ、気が付くと全く身動きが取れなくなっていた。
「誰だ!」
僕はそう叫んだ。
答えの代わりに、目に水をかけられた。胡椒が洗い流され、ぼんやりとだが視界が戻ってきた。僕は数回瞬きをし、犯人を見上げた。
犯人は――明日奈だった。
明日奈は、悲しそうな顔で僕を見下ろしていた。
そう。それこそまるで、世界が終わったのを知ってしまったような表情で、明日奈はこう言った。
「やっぱり、私の思った通りだった。本当は、核戦争や原発事故なんて起こってないんでしょう。世界は、滅亡なんかしていないんでしょう」
「愛ちゃん、18歳の誕生日、おめでとう。私は、18歳のときに親元を離れて、1人暮らしを始めたの。だから、私からあなたに伝えるメッセージも、これで最後よ。――愛。幸せになってね。さようなら」
明日奈は何度も休みを挟みながら、長い時間をかけて、愛に対するメッセージを収録した。普通に呼吸をするだけでも辛いはずなのに、明日奈は気丈にも、収録のときだけは明るい声を出していた。
僕は、そんな明日奈を直視することができなかった。
明日奈が死ぬかもしれないなんて。
今さらのように、恐怖が足元から這い上がってきて、全身を満たした。僕の命と引き換えに明日奈を救うことができるのなら、今すぐにそうするのに。
撮影が終わり、一休みすると、明日奈はスマホで写真を撮って欲しいと僕に頼んだ。僕はベッドの上で上半身を起こした明日奈の写真を何枚も撮った。カメラを向けると、明日奈はいつも魅力的な微笑を浮かべた。きっと、これも育ての親から厳しく躾けられた賜物なのだろうな、と僕は思った。
「正道とのツーショットと、親子3人で写っている写真も欲しいな」
明日奈がそうリクエストしたので、僕はスマホを壁に立てかけ、タイマー機能を使って、ツーショットを撮った。次に、愛を連れてきて、親子3人が写っている写真も撮った。
それが終わると、明日奈は緊張の糸が切れたように倒れ、昏々と眠った。
僕は、そんな明日奈を見ていることしかできなかった。
……いや、待て。
本当にそれでいいのか? 明日奈が死ぬのを黙って見ているだけでいいのか? 医者に診てもらえば、案外あっさりと回復するんじゃないか? でも、どうやって医者に診てもらうのだ?
医者をここに連れてくるか、明日奈を医者のいるところまで運ぶか、2つに1つだ。
と言っても、明日奈と愛の2人を連れて移動するのは困難なので、実質的には医者を連れてくるという1択なのだが。
医者を連れてくるには外に出るしかない。
危険だが、やるしかないと僕は決意を固めた。
まず、僕は『雀の間』に愛を運び、ベビーベッドの上に寝かせた。幸い、愛ちゃんはすぐに寝ついてくれた。
僕は『雪の間』へ行くと、核シェルターに閉じこもった日に着ていた服に着替えることにした。まずは浴衣を脱ぐ。
次に、僕はベッドの上に畳まれていたシャツを着ようと手に取った。その拍子に、シャツから車の鍵が滑り落ち、床の上に落ちて耳障りな音を立てた。僕は気にせずにシャツを着てズボンを穿くと、車の鍵を拾い上げてズボンのポケットに入れた。
続いて、財布とスマホもポケットに入れる。その際にスマホで時刻を確認すると、日付が変わっており、4月15日になっていた。
ベッドの裏にテープで張り付けたあった、エアーロック室の鍵も持った。
これで準備は完了だ。
静まり返った廊下を歩き、僕はエアーロック室へ行った。この扉を開けるのは、実に1年ぶりだった。
エアーロック室の扉の足元の辺りには、目立たない小さな穴があった。実は、それは鍵穴なのだった。僕は、その鍵穴に鍵を差し込み、回した。
鍵を抜いてポケットに仕舞うと、扉を引いた。
そのとき、僕は誰かが背後から走ってくるような気配を感じた。
振り向こうとした次の瞬間、僕の右肩に激痛が走っていた。
「――っ!」
僕は床に倒れながら、僕を襲撃した人物の正体を探ろうとした。しかしその前に、目に何かの粉が降りかけられた。匂いから察するに、おそらく胡椒だ。目にも強烈な痛みが走り、僕は床の上でのたうち回った。
手で目を擦り、何とか胡椒を取り除こうとする。しかしその作業が完了する前に、僕はうつ伏せの状態で、誰かに床に押し倒された。その誰かは僕の背中に馬乗りになると、僕の手を後ろに引っ張り、何かベタベタするもので縛った。足も縛られ、気が付くと全く身動きが取れなくなっていた。
「誰だ!」
僕はそう叫んだ。
答えの代わりに、目に水をかけられた。胡椒が洗い流され、ぼんやりとだが視界が戻ってきた。僕は数回瞬きをし、犯人を見上げた。
犯人は――明日奈だった。
明日奈は、悲しそうな顔で僕を見下ろしていた。
そう。それこそまるで、世界が終わったのを知ってしまったような表情で、明日奈はこう言った。
「やっぱり、私の思った通りだった。本当は、核戦争や原発事故なんて起こってないんでしょう。世界は、滅亡なんかしていないんでしょう」
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