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第十四章 大地母神マーテル

14-28 自らの行動が招いた末路

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 体験教室の為に必要な材料を揃えるのは簡単だった。
 強力粉と薄力粉、卵に白丸石と水といった具合である。
 白丸石は、地球の重曹とほぼ同等の性質を持つ物質なので扱いも楽だ。
 そのまま白丸石の粉末を溶き卵や水と一緒に混ぜても良いのだが、から煎りすることでより麺の腰を出せるように下準備をし始める。
 白丸石の粉末をから煎りする私を驚きの眼差しで見ていた周囲の人々とは違い、リュート様は何か気になることがあるのか、抱っこしていたチェリシュをロン兄様に任せ、頭上の真白をオーディナル様に託す。

「リュート様?」
「ちょっと……マズイ」

 耳を澄ませば、遠くで言い争う声が聞こえてきた。
 オーディナル様たちがいると判っていてやっているのなら大した度胸である。
 いつになく目つきを鋭くしたリュート様は、ギリッと音がするほど歯を噛みしめると、魔物を相手にしていたときのような敏捷な動きで一気に跳躍した。
 彼の行動に驚いたのは私たちだけでは無かった。
 騒動の中心に居た人たちも同様で、一瞬静かになる。

「りゅ……リュート様……」
「下がっていろ」

 から煎りしていたフライパンを置き、火を止めてから急いでエナガの姿に変化した私を肩に乗せたオーディナル様は、悠然とその場へ向かう。
 オーディナル様の行く手を阻む物などいるはずもなく、自然と道が開ける。
 オーディナル様の後ろには時空神様とアーゼンラーナ様。それに、当主達が続く。
 オルソ先生たちと話をしていたランディオ様とアクセン先生も急ぎ合流したようだ。

 リュート様はというと、片腕で誰かを庇い目の前の男が振り下ろそうとした杖を掴んでいる。
 庇った相手を背後へ押しやったヤトロスさんに任せようと再度声をかけた。

「お前の姉貴だろ。シッカリしろ」
「は……はい! 姉さん……大丈夫か?」
「どうして……」
「話は後だよ。それよりも……妊娠しているなんて聞いて無いよ……」
「それは……」

 とても顔色が悪い女性の腕は枯れ木のように細く、不健康極まりない状態だ。
 腹部を見れば妊婦だと判る膨らみがあるのに、十分な栄養を得られていない。
 これは大問題だと私は眉をつり上げた。
 このままでは、最悪の事態も考えられるからだ。

「家族の問題です。邪魔をしないでいただきましょうか……リュート・ラングレイ」
「うるせーよ、妊婦に暴力をふるうとか正気か!?」
「悪阻だ何だと言いながら家事をさぼる悪い女だから返品されたというのに……全く懲りていないから躾けようとしただけです。かの高名なヤマト・イノユエも『妊娠は病気では無い』と言ったそうではありませんか」
「は? お前、無知にもほどがあるだろ。テメーにとって都合の良い解釈しやがって……『妊娠は病気では無い』っていう言葉の意味は、病気だったらポーションや神官の力で癒やせるが、妊娠はそのどちらも効果が無いから子供のことを考えて無理をせず、辛かったら休んでストレスの無い日常を過ごす――という意味で、ヤマト・イノユエは使ったんだよ! 何も知らねーくせに、偉そうに語ってんじゃねーよ」

 怒りも露わに一気にまくし立てたリュート様は、妊婦である彼女とヤトロス姉弟の前へ出て一歩も引く気配が無い。
 
「しかも、これくらいお腹が大きくなってたら、お腹が張って動くのも辛いだろうに……家事だってまともには出来ない状態だというのに、こんなところまで連れてきて何がしたかったんだ?」
「俺に戻るよう……交渉するためです」

 背後のヤトロスの言葉にリュート様の怒りが更に加速する。
 神殿で受け入れ態勢を整えているはずであったが、自らの姉を人質にしてまで思い通りに事を運ぼうとするヤトロスさんの両親を見れば、彼がアレほど荒んでいた理由も判るというものだ。

「なるほど……な。つまり、神殿にも圧力をかけて交渉している最中だというわけか……へー。ふーん?」

 リュート様の怒りが瞬時に消え、彼の瞳が冷たくなる。
 彼の表情を見れば判る――今の彼は、ヤトロスさん姉弟を助ける手段を幾通りも考えているのだ。
 何が最善であるか考え、目の前のヤトロスさんの両親へ圧力をかける。
 彼の圧を真正面から受けた彼らは立っているだけでも精一杯といった表情だ。

 おそらくだが……リュート様が邪魔に入るとは思わなかったのだろう。
 報告だけ聞いていれば、危害を加えられた被害者が加害者を庇うなど考えられなかったはずだ。
 しかし、相手がリュート様であったことと、ヤトロスさんが改心して人に尽くした結果、この状況を作り出したのである。
 その証拠に、ヤトロスさんの周囲には黎明ラスヴェート騎士団の面々が勢揃いしていた。
 パン作りの絆とでも言うのだろうか。
 出来るだけ行動を共にしていた中で芽生えた仲間意識である。

「神殿へ預けても連れ帰るつもりなんだな……」

 この世界の神殿は、グレンドルグ王国の神殿とさして変わらない。
 神々が直接干渉しないからか、それが顕著である。
 おそらく、ヤトロスさんの家は月の女神様の神殿と懇意にしているのだろう。
 その家と事を構えたくない者は多いはずだし、彼一人の身柄で拗れるくらいであれば、さっさと引き渡してしまいかねない。

 多分……多額の献金をしているとか、そういう繋がりなんでしょうが――。

 チラリとメロウヘザー様を見ると、深く溜め息をついている。
 ロン兄様に抱っこされた状態のチェリシュは、何だか落ち着かない様子でソワソワしているし……直感的に「マズイ」と思う。
 こ、これは……月の女神様が怒りに任せて矢を射る前に、何とかしなければ……!
 慌てて口を挟もうとした私より先に、リュート様が動いた。

「なあ、オーディナル。黎明ラスヴェート騎士団に一人追加してもいいか?」
「聞くまでも無い。お前が必要だと思うのであればそうするが良い。黎明ラスヴェート騎士団の騎士団長はお前だ」

 オーディナル様は最初からこの質問が来ると判っていたのか、余裕の笑みを浮かべて悠然と頷く。

「了解! んじゃあ、チェリシュ! 月の女神セレンシェイラに『俺が預かることにしたから怒るな』って伝えてくれ」
「了解しましたなの! これで、安心してマッサージを教えて貰えますなの!」
「え……そ、それ……真白ちゃんが……実験台……」

 オーディナル様の肩でプルプル震える真白に少しだけ同情したけれども、真白はぽよーんと跳ねてヤトロスさんの処へ行き早口でまくし立てる。

「チェリシュにマッサージをシッカリ教えてね! 真白ちゃんの中身が出ちゃうから! 力加減重視で!」
「え……あ……はい! も、勿論です!」
「よろしい! だったら、真白ちゃんも認めてあげようー!」
「何偉そうに言っていやがる。お前に、その権限はねーだろ」

 ヒョイッと真白をつまみ上げたリュート様は、話が終わったとばかりにヤトロスさんの両親へ背を向けた。
 そして、肩越しで睨み付けた彼は低く言い放つ。

「ヤトロスは正式に黎明ラスヴェート騎士団へ迎える。オーディナルが新設した騎士団だから、今までのように献金とかでどうにかなるような神殿と一緒にすんなよ? むしろ、お前より俺の方が稼いでいるからワイロも通じねーぞ? あー、あと、この姉貴の方も預かる。うちは寮完備だし、軽作業をする人員も募集していたんで丁度良い」
「え……リュート様……本気ですかっ!?」
「良かったっすね! これでトロちゃんも仲間っす!」
「と……トロちゃん?」
「うちは『ヤ』で始まるのがヤンだから聞き違いをしたら面倒だし、こういう時は愛称呼びって決まっているんだ」
「それで、ヤを抜いてトロス……も何だかなぁってなりまして、愛情を込めて『トロちゃん』になりました」
「……それ、絶対に面白がってつけたでしょう」
「嫌ですねトロちゃん、人の善意を疑うなんて……」

 モンドさん、ダイナスさん、ジーニアスさんに続き、ヤンさんまでがヤトロスさんにそんなことを言い始める。
 どうやら彼らはヤトロスさんの加入が嬉しいようで、良い笑顔を浮かべているのだが……半分以上はからかいの色が見えた。
 すかさず他の黎明ラスヴェート騎士団のメンバーからも『トロちゃん』と呼ばれたヤトロスさんは困惑の色を宿した瞳でリュート様を見る。

「諦めろ。コイツらがこうなったら止められねーから」
「そんなぁ……」
「とりあえず、お前は姉を守ることを考えろ。寮は広めだし、一緒は困るっていうなら他にも部屋はあるから好きにしろ。シロ、サラ姉、その辺のことも説明してあげて」
「お任せくださいです」
「ムユル……久しぶりだね、大丈夫だったかい?」

 すかさず駆け寄ってきたシロとサラ様。
 どうやらサラ様は知り合いだったようで、今まで緊張して強ばっていたムユルさんの表情が和らぐ。

「サラ様……お久しゅうございます……」
「あ、そういうのいいから……とりあえず、こっちへおいで」
「それがいい。妊婦は体を冷やしちゃ駄目だ。地べたに座っていたら腰から冷える」

 リュート様の指摘にサラ様が訝しげな視線を彼へ向けた。

「……リュート……アンタ……ヤケに詳しいね」
「リュート様はいつでもお子様を迎えられるよう、勉強なさったのですか?」

 何気ないシロの言葉にヤトロスの両親を忘れ去った一同は、何故か私の方を見る。
 此方へ向けられた視線の意味が判らず小首を傾げていると、ガンッ! という大きな音が聞こえた。
 何事かと音の発生源を見ると、リガルド様が近くのテーブルへ拳を振り下ろしている。
 な……何かありました?

「くぅ……こ、これは……色々と……意外すぎる……白くてフワフワ……コテン……だと」
「貴方は色々こじらせすぎですよ……」

 ジト目でメロウヘザー様がぼやくが、リガルド様には全く聞こえていないようだ。
 とりあえず、リガルド様は一旦放置して私は元の姿へ戻るとヤトロスさんの姉であるムユルさんのところへ足を運ぶ。
 細すぎる手足、皮と骨だと言われても納得してしまえるほどの細さであるというのに、赤子だけは必死に守っているようだ。
 至急、栄養を補給して休息して貰う必要がある。
 ここまで彼女やヤトロスを追い詰めた両親を、私は静かに睨み付けた。

「ここでこれ以上騒がない方が良いですよ? 時空神様とアーゼンラーナ様もいらっしゃいますし……これ以上オーディナル様に不快な思いをさせないでくださいね? 国どころか大陸も簡単に吹き飛ばせる方なのですから」

 脅しでもなんでもない。
 ただ単に事実を告げただけだ。
 現状、このまま暴言を吐き続けるようであれば、オーディナル様が彼らを消し飛ばすくらいはするだろう。
 
「本当に……短気な父上には困っちゃうヨネ」
「父上を怒らせるのが悪いのじゃ。しかも、妾の前で妊婦を痛めつけるじゃと? そのような所業、よくもまあ……できたものじゃな」
「うちの可愛い奥さんが『妊娠と出産』も司っていること……忘れてないカイ?」

 爽やかな時空神様の笑顔と怒りを滲ませるアーゼンラーナ様。
 そして、無表情で感情が読めないオーディナル様――。
 この世界において最高神と十神でも力を持つ二柱に見据えられたヤトロスさんの両親は情けない悲鳴を上げ、その場へ腰を抜かしたように蹲る。

「やってくれたね……これは、国王陛下に報告しないといけないな」
「……お、王太子殿下……」
「ランディオ、任せたよ」
「部下がすぐやってきますので、地下牢にでも放り込んでおきましょう」
「それはいいね」

 ニコニコと笑うシグ様と静かに対処するランディオ様。
 二人の背後には怒りのオーラが見えるようだ。
 こんな処まで来てやることではなかっただろうに……と周囲が呆れる中、二人は間もなく訪れた白の騎士団に連行される。

「とりあえず、ヤトロスとムユルさん……だっけ? 二人の身柄は俺が預かる。一気に居候は増えるが……シロ、頼んだぞ。クロとマロもフォローを頼む」
「はい、お任せくださいリュート様。頑張りますです」

 周囲の目を気にしてか、クロとマロは控えめにコクコク頷くだけだが、頑張るという意志は伝わってきた。
 商会の女性陣に任せていれば、ムユルさんのことは大丈夫だろう。

 しかし、そう考えていた私の目に何か……良からぬモノが見えたような気がして思考を一旦停止する。
 確かに見えた――かなりマズイ物だ。
 見間違いであって欲しいと願いながら、私は視線を落とす。
 そして、それを視認した私は絶望のあまりキツく瞼を閉じる。
 こんな残酷な話があってよいのだろうか――人が多い場所で話す内容では無いと判断した私は、一旦サラ様に抱えられた彼女を誘導し、元来た道を戻ることにした。
 

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