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第九章 遠征討伐訓練
9-17 ミーティングルーム
しおりを挟む朝とは言え、まだ少し冷える空気の中、リュート様とロン兄様を筆頭にラングレイ邸から学園までの道のりを雑談しながら歩いていると、学園の正門から少し離れた場所に誰かが立っていることを遠目から確認することができた。
私の目では誰だかわからなかったのだがリュート様には誰か把握できたようで、その主に声をかける。
「おはよう悪先。校門の前にいるなんて珍しいじゃねーか」
「ああ……無事に到着しましたねぇ。良かった良かった」
学園の校門前で立っていたアクセン先生は、此方を見てから小走りで距離を詰め柔らかな笑みを見せてくれた。
少し疲れたように見えるのは、目的地が急遽変更になったための対応に追われていたからかもしれない。
「良い表情です。どうやら、色々と吹っ切れたようですねぇ」
「……まーな」
教師と言うよりは、幼い頃から知っている年の離れた親戚の子に声をかけるような柔らかさを持った言葉であると感じる。
アクセン先生なりに、リュート様の身を案じていたのだろう。
なんだか……朝から嬉しくなってしまいますね!
「いつも弟がお世話になっております。えーと、ここからは仕事モードで――今回参加の黒の騎士団を引率する、ロンバウド・ラングレイです」
「お久しぶりですねぇ。急な話が入って色々と大変だったと思いますが、どうぞよろしくお願いいたしますねぇ」
「此方こそ調査が不十分になり、申し訳ございません」
「いいえ、此方が無理を言ったのですし……学園長からお話があるようで、ロンバウドくんは一緒に来ていただけますか?」
「はい。……さて、お前たちは、リュートと一緒に行動しておいてね。俺が戻るまでは、リュートの指示に従うように」
「了解っす!」
「了解ー!」
何故か、モンドさんだけではなく、彼の肩にとまっている真白も元気に返事をするのだが、それを見たアクセン先生は言葉を失い視線をリュート様へ向ける。
「一つ質問して良いですか? その子は、ルナティエラさんの新しいスキルですかっ!?」
ぐいっと距離を詰め、顔を近づけてくるアクセン先生の迫力は久しぶりで、彼の奇行を失念していたが、そこは長年の付き合いなのかリュート様がすぐさま阻止してくれた。
リュート様の頼もしい背中に隠れながら、私とチェリシュと慌てて私のところへ弾んできた真白はアクセン先生の血走った目を見つめる。
あ、あの……寝不足やクマも相まって、いつもより迫力があるから恐ろしいのですがっ!?
「コイツは別口。てか、いきなり迫るな。条件反射で蹴り飛ばすぞ」
「それは恐ろしいですねぇ……しかし、今回の訓練に同行するのですよね? では、その子のことも知っておかなければならないので、説明をお願いします」
「い、いや……その……なんつーか……」
説明が難しいとリュート様が額を押さえて、私の肩にとまっている真白を見つめた。
そうですよね……説明がしづらいですよね……
真白のことは、最後までどうしようか悩んだのだが、本人とチェリシュたっての希望で、同行することが決定してしまったのだ。
本当は安全な場所に置いていきたかったのだが、オーディナル様が大切にしている真白をラングレイの家に置いてきたらどうなるか、このお転婆娘を放置したらどうなるのかと考えただけでも頭痛がしたので、これしかなかったのである。
「あの……アクセン先生。私に加護を与えてくださっている方の……神獣というか……詳しく話すと、とても面倒で……色々と引っかかってしまうのですが……」
「貴女に加護を与えている方は、私の記憶違いで無ければ……創造の……」
「はい」
「しかも、神獣……」
「は、はい」
リュート様と同じように額を押さえて呻いたアクセン先生なんて珍しい物を見た気がして、全員が黙って見つめていると、彼は深く息を吐いてから顔を上げた。
「ということは、それについての説明があるということですねぇ、時空神様……」
「そういうコト」
フッと姿を現した時空神様に、全員が違う意味で硬直する。
学園の門前は月曜日という事もあり、休日を家で過ごした生徒が登校してきていたのだが、時空神の神力を感じたのか誰もが足を止めてしまった。
中にはへたり込む人さえ出てきている始末だ。
やはり、いくらコントロールしているとはいえ十神の神力は一般人にキツイようである。
「時空神様!」
ああ、ようやく事情がわかっている助っ人が来てくれたと、安堵の表情を浮かべながら時空神様を呼ぶと、彼は手を合わせて「ゴメンネ」と頭を下げる。
「この子、いろんな座標を経由してルナちゃんのところへ行ったみたいでネ。探すのに時間がかかっちゃったヨ……それに、真白がいなくなったーって父上が大騒ぎしちゃってネ。ベオルフが宥めるのに苦労していたカラ、放っておけなくて……」
「い、いいえ、此方こそ……なんだかすみません。ベオルフ様の件も、ありがとうございます」
ペコリと頭を下げてからアクセン先生と時空神様を交互に見つめ「お知り合いだったのですね」と呟くと、時空神様はニッと笑ってくれた。
「まあ、彼は色々あるからネ」
「色々……ですか」
「とりあえず、真白が色々やってくれたからシステムエラーが出ていて、すぐに回収して帰すこともできなくてネ……ルナちゃんに任せて良いカナ。リュートくんも迷惑をかけるケド、この子をセーブ出来るみたいだし頼んダヨ」
「どこから見てたんだよ」
「え? アハハハ……地上に降りるにも手続きがいるカラ、ちょっとネ」
微妙な嘘が混じっていると感じながら、何かしらの問題があったのだろうと結論づけたらしいリュート様は、深い溜め息をついて承諾する。
そして、真白をもにゅっと掴んで睨み付けた。
「お前な……いろんなところを経由しているってどういう意味だ? 経路選択もミスってんじゃねーか」
「え、えっと……ま、真白には覚えが……ご、ございません……だよ?」
「おーまーえーはー! 雑な仕事してんじゃねーよ!」
「もにゅもにゅしないでぇぇぇ! 真白の可愛いマシュマロボディの形が変わっちゃうぅぅぅっ!」
「体じゃ無く頭の構造を少しは変えてこい!」
あ、ああぁぁ……リュート様……目立っています……目立っていますからあぁぁ!
「リュー!」
「ん? どうした?」
「チェリシュにも、もにゅもにゅして良いの」
「え……なんで?」
「していいのーっ」
「お、おう?」
わけもわからず、チェリシュのほっぺを軽く揉むようにもにゅもにゅしたリュート様に満足したのか、チェリシュは満面の笑みで此方を見る。
「えへへー、チェリシュもリューにもにゅもにゅされちゃったの」
嬉しそうに頬をピンク色に染めて可愛らしいことを言うチェリシュに頬が緩んで仕方が無く、必死に口元を引き締める。
も、もう、何て可愛らしいのでしょう! 貴女は間違いなく、私の癒やしです!
全員がチェリシュの愛らしさに和んでいると、時空神様がうんうんと頷く。
「うん、やっぱりリュートくんに頼むのが一番ダネ」
一連のやり取りを見て呟く時空神様の言葉に、異論など無い。
真白のとんでも行動や発言を諫める事が出来て、ストッパーになれるのはリュート様しかいないと誰もが確信したのだ。
「学園長と今回の遠征討伐訓練の責任者と話がしたいカラ、案内してくれナイ?」
「わかりました。では、此方へ……ロンバウドくんも一緒にお願いしますねぇ」
「了解しました」
アクセン先生と時空神様とロン兄様を見送った私たちは、とりあえず遠征討伐訓練に参加する人たちが集まるというミーティングルームというところへ移動する。
教室へ続く道とは違い、正門から少し離れた場所にある大きな建物を目指すのだが、様々な術式が張り巡らされているのか、奇妙な感覚がして不快だった。
それも、ある一定のラインを越えたら消えてしまい、ガラスのような透明度を誇る美しい廊下を歩きながら、正面に見える大きな扉へ向かう。
扉の前には職員が1人立っており、学生証を確認してから扉を開いてくれたのだが、黒の騎士団である元クラスメイトたちは、何か書類のような物を提示しただけで済んだようである。
リュート様に続いて開いた扉の中へ入ると、いつも使っている教室の6倍はありそうな大きな空間が広がっており、召喚獣を召喚したときに使っていた部屋に似ていると感じた。
白っぽい金属製の壁と床で覆われた頑丈そうな造りをした部屋は、多目的に使用されているのだろう。
設置されている収納庫から運び出されている椅子や机だけではなく、他の機材も遠目に見える。
職員が準備を終えて前方に大きなスクリーンを設置し終えると、そそくさと足早に立ち去るのだが、チラチラとリュート様の方を見ているようだ。
どうやら、リュート様が黒の騎士団を率いている姿を見て、いずれはそういう立場になる人であると改めて実感したのだろう。
普段からどういう扱いをしているのかわからないが、リュート様は自らが悪く言われることに慣れているため、裏で何を言っていても怒り出すことは無かったはずである。
だから、彼らは何を言っても平気だと勘違いしていたのかも知れない。
リュート様が言わなくとも、他の者たちがどう考えるか……そういう考えには至らなかったのだろうか。
黒の騎士団になった元クラスメイトの鋭い視線が、全てを物語っているような気がして、私は黙って一連の様子を眺めていた。
全く……あんな人たちが教壇に立ち、人に教える立場だということが信じられない。
そう考えると、やはりアクセン先生はクセがあってもとても優秀なのだと実感した。
「連中の顔を覚えましたが?」
「無駄な労力を使うな。放っておけ」
ジーニアスさんの言葉を聞き、溜め息交じりに返答したリュート様は近くの椅子を引いて私を座らせてから隣へ座り、全員の着席を促す。
異様な空気が漂っていることに気づき、もぞもぞしていた真白は、我慢の限界だというようにポンッと弾けた。
「何か……シーンとしていて真白の嫌いな空間だー!」
「お前はまた……」
「お、お口封印の術っ!」
「わかればいい」
全くもう……リュート様を刺激してはいけませんよと言いながら、チェリシュを抱える私のところへ飛び込んできた真白を抱きしめ、隠れるようにケープの中へ潜り込む小さな膨らみを撫でる。
しょうがないヤツだなと言いながら、リュート様が優しい声で「怒ってねーよ」と呟き、それを半信半疑でうかがい見るようにケープの裾から顔をのぞかせる真白の可愛らしさに、元クラスメイトが笑いを必死に堪えていると聞き慣れた声がリュート様の名を呼んだ。
「朝から元気に勢揃いでは無いか。良かったな、元気になったようで安心したぞ!」
『前より元気になった! 安心した!』
「大所帯ですわね」
『わー! いっぱいだー!』
「昨日ぶりですが、疲れは出ていませんか?」
『大丈夫ー?』
「顔色が良いから安心した」
『よかったぁ、今日も元気だぁ』
主人であるレオ様、イーダ様、シモン様、トリス様に続き、ガルム、ファス、タロモ、チルの言葉が合間に混じる。
やはり、黒い鎧を身に纏った黒の騎士団の迫力に物怖じせず話しかけられるのは、慣れている彼らだけかと苦笑が浮かぶ。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。もう、大丈夫です」
「無理はいけない。病み上がりが一番危ないからね」
「そうだよ~? 良いハーブを渡そうか?」
新たに声をかけてきてくれたのは、ボリス様とロヴィーサ様だった。
ボリス様の目の下にあるクマは相変わらずだが、今日は幾分顔色が良い。
ロヴィーサ様は、朝からハーブの手入れをしてきたのだろうか、顔に泥がついていた。
「え……えっと……春の女神様も参加されるのですか?」
「一緒なの!」
「そ、そうなの……ですか。リュート、本当に大丈夫っ!?」
ボリス様が頬を引きつらせて質問するのだが、問題無いと言うだけでとりつく島も無い。
「そうだ、ボクの可愛いハーブで美味しい料理は出来た?」
「はい! ロヴィーサ様のおかげでカレーが完成いたしました。遠征討伐訓練の間に作りますから期待していてくださいね」
「うわぁー! 楽しみーっ!」
ハーブをふんだんに使った料理ということだが、彼女のいうハーブは香辛料も含まれている。
ターメリック以外はロヴィーサ様のおかげで入手できたのだから、感謝してもしきれない。
カレーがあったからこそ、リュート様と家族の溝は埋まったようなものである。
「え、じゃあ、この方のおかげであのカレーが?」
「マジっすか! 心から感謝っす!」
「俺たちにとっての女神はルナ様だけど、天使と呼ばせてください!」
リュート様の背後に控えるように座っていた元クラスメイトの面々が口々にそう言い出すので、若干引き気味にロヴィーサ様は後ずさるのだが、トリス様とシモン様にもお礼を言われてわけがわからないという表情だ。
「ロヴィーサ様のハーブがそれだけ美味しかったということなのです」
うふふと笑いながら伝えると、彼女は嬉しそうに頬を緩めて、そっかと照れたように笑ってくれた。
「何だ、そのカレーという料理は……」
「わたくしも知りませんわ」
「昨日はとても有意義な時間でしたよ。まあ、そのぶん大変でしたけど……ね」
「クラーケンは暫く見たくない。知識の女神様も降りてこないで欲しい」
トリス様の言葉に、元クラスメイトの方々も深く頷き、出てきた名前からレオ様は顔を引きつらせてしまった。
「海の覇者と戦っていたのか……」
「逃げちまったがな」
「普通はそれで済みませんわよ……」
「アレンの爺さんとキュステもいたし、時空神やアーゼンラーナ、アスやバーローも居たからな」
「十神のうち3柱も揃っていたのかっ!? 正気か!?」
「しょーがねーだろ。ルナがいるんだから……」
その言葉で納得せざるを得なかったらしいレオ様は言葉に詰まり、イーダ様は眩暈を覚えたように席にストンと座った。
「お姉様、大丈夫ですか?」
「貴女も急な派遣に応じてくれてありがとう。でも、大丈夫ですわ……ところで、貴女は黒の騎士団と行動を共にしますの?」
「はい! ロン兄様とご一緒させていただきます。彼らは、周辺警護に当たらなければなりませんから、彼らの動きを把握しているロン兄様のそばが一番でしょう。本当はお師匠様のそばにいたいのですが!」
「心配しなくても、ロン兄だったらルナのそばにいるだろうさ」
「それもそうですね」
お口封印の術中の真白が物珍しそうに周囲の様子や会話を見聞きしながら、ぷるぷる震えている様が気になって会話の内容がなかなか頭に入ってこないが、何とか聞き取れるだけ聞き取っている状態だ。
しかし、昨日の件でわかったことが頭に浮かび、複雑な心境になってしまった。
あの黒い結晶――【混沌結晶】は、どこにあるのだろうか。
どういう経緯で発生して、魔物や人に取り付くのだろう。
それがとても気になってしまうのだが、今回の遠征討伐訓練には無関係であって欲しいと願うばかりだ。
そうこうしているうちに、クラスメイトたちも集まりはじめ、他の科の人たちもチラホラミーティングルームに入ってくる様子が見えた。
見たことも無い召喚獣を連れた一団が入ってきたのだが、その人たちが召喚術師科の他のクラスであると知り、どことなく敵意がこもった視線に居心地の悪さを感じてしまう。
ライバル視しているという感じでしょうか……
「真白、ああいう視線、キライ」
ボソリと呟かれた言葉に剣呑な色を感じて慌てるが、そんな真白をリュート様が包み込むようにして撫でた。
「相手にするな。ああいう奴らはこの先沢山見るだろうが、俺たちは何とも思っちゃいねーよ。ルナもチェリシュもお前も、俺が守る」
「……なら、無視してもいいかなー。真白もルナとチェリシュとリュートたちは守ってあげるねー」
「心強ぇーよ」
「えへへー、真白様に任せなさーい」
「そういうところがだな……」
リュート様と真白の会話を聞き真白が居ることに気づいたレオ様たちは、目を丸くして真白を見てから私を見る。
「いえ、分身ではありませんからね?」
言われる前に訂正しておいたが、疑わしげな視線を向けられてしまう。
だから、違います! まず、性格が違うではありませんか!
「真白は神獣なのです。しかも……オーディナル様が大切になさっている……」
最後だけ小さな声で呟くと、その言葉が聞こえたリュート様の幼なじみたちはガタッと椅子を揺らして立ち上がり、口をパクパクさせてからストンと座ってしまう。
「そ、それは事実……か?」
「ルナ……さすがに……」
「何かあったら、この世界が消滅しませんか?」
「あり得る……」
大げさですねぇと笑って言うのだが、誰も信じてくれない。
オーディナル様は、此方の世界でも畏れられている神なのだと感じ、誇らしいというよりも普段の姿を見せてあげたくなったのは言うまでも無いことであった。
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