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第九章 遠征討伐訓練

9-1 額の傷に祝福を―――

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 ゆらりゆらりと歩いている感覚と同時に意識がハッキリとしてきて周囲を見渡すと、星のような光が煌めく黒く艶やかな空間がどこまでも続いていておりました。
 本来なら不安を覚える道でしょうが、この先に誰がいるのか知っているので、全く怖くありません。
 むしろ、浮き足だって駆け出しそうです。

「いや、駆けていったら転けるから駄目だよ?」

 聞き慣れてしまった声が聞こえてきたので振り返ると、時空神様が手をひらひら振って追いかけてきてくれたところでした。

「もう良いのですか? みんなと飲んでいたのでは?」
「ああ、気にしなくて良いよ。料理も楽しんだし結構飲んだからね」

 そう言って笑った時空神様は目の前に出現した扉を指さし、入らないの? と問いかけてきました。
 勿論入りますっ! 入るに決まっているではありませんか!

「ベオルフ様ーっ! ノエルーっ! オーディナル様!」
「わーい、ルナーっ!」
「僕の名が最後なのは仕方ないということにしておこう」

 私に飛びつくノエルを抱きしめ、オーディナル様の拗ねた表情をノエルと顔を見合わせて笑っていたのですが、肝心のベオルフ様の声が聞こえません。
 どうしたのでしょうか。
 周囲を見渡してみると、ソファーにもたれて眠る姿――――
 おや? 珍しい。
 静かに眠るベオルフ様へ近づきますが、全く反応がありませんね。
 どうしたのでしょうか……心配になって前髪を払い覗き込みますが、気づいている様子も無く、ただ静かな寝息を立てておりました。
 これはこれで良いのですが、何かあったのではないかと心配になります。

「どうやら、何かしらの干渉があったようだ」
「父上が何も対処しないで放置とは珍しいですね」
「問題が無い上に、どうやらユグドラシル関連のようだからヘタに手も出せないのだ」

 最近、ユグドラシルが干渉してくることが多いような気がします。
 それって、ベオルフ様が厄介ごとに巻き込まれているということではありませんか?
 ものすごく心配になってきましたが、此方から手を出すことは出来ないようですし、静観するしか無いのでしょう。

「この間に、魔力譲渡をしてやったら良いのでは無いか?」

 それもそうですね。
 ベオルフ様の隣に座り、無造作に放り出されていた彼の手を握ります。
 ゴツゴツして大きな手……本人が起きていたら出来ないので、指の形を一つ一つ確かめるように指を這わせてみるけれども、これはこれで楽しいですね。

「父上、ちょっとご報告が……」
「ああ、そうだな。では、少し席を外そうか。ノエルも来てくれ」
「はーい! ルナ、ちょっと行ってくるね!」
「はい、いってらっしゃい。気をつけてね」

 時空神様がひらひら手を振っていたかと思ったら、3人揃って消えてしまいました。
 一気に静かになってしまった空間で、魔力譲渡を始めます。
 すやすやと眠るベオルフ様の顔を見上げながら、もたれかかってもびくともしない体躯に驚き、思いっきり体重をかけたら少しだけ傾いたので慌てて元に戻しました。
 危ない危ない。
 でも、なんだか苦しそうですね。
 そうだ! 良いことを思いついたと私は彼の体を引っ張って自分の方へ倒すと、膝の上に頭を寝かせてみました。
 うんうん、こういう時は膝枕ですよね。
 うわぁ……ベオルフ様を見下ろすチャンスなんてなかなかありませんし、これは新鮮です。
 苦労して膝枕を成功させたのですから、ご褒美をいただきましょう。
 まずは、ほっぺをツンツンですね。
 表情筋が死滅しているので、鉄仮面のように硬いのかと思いきや、柔らかくてあたたかい。
 意外ですね。
 鼻も高いし、眉も形が良いです。
 そして、いけないと理解しつつも前髪を払って、彼の古傷を見つめました。
 深い傷は生涯消えることは無いでしょう。
 指で触れて撫でてみると、明らかに他の皮膚とは違う感触――――
 ベオルフ様は、この傷で苦労されましたものね。
 時々痛むこともあるみたいですし、怖いと距離を取られていましたし、成績優秀だと言われても、教員を脅したのでは無いかと噂する人までいたくらいです。
 そんな馬鹿な真似をするはずがありません。
 そういうことをするのは、セルフィス殿下でしょう。
 傷一つで何がわかるというのでしょうか。
 ベオルフ様の素晴らしさや、心根の優しさ、時々意地悪だけれど……ユーモアもあって、笑顔なんて芸術品の域なのです。
 私でも数回しか見たことがありませんし、他の方々が見るなんて難しいですよね。
 再度前髪を払うと、彼の眉間にかすかなしわが寄りました。
 あ……やっぱり、古傷を見られるのは嫌なのですね。
 でも……気になるのですよ? 時々嫌な気配を感じるのですもの。
 だから、痛みませんようにっておまじないです。
 小さい頃よくやっていたように――――と、そこまで考えて浮かんだ「いつ頃?」という疑問を打ち消すように「ああ、庭園でのことですよね」と納得している自分がいました。
 誰も見ていませんし、良いですよね?
 前髪を払って古傷に優しく口づけるおまじないは、昔オーディナル様から聞いた厄払いの方法から来ております。
 熱が出たり痛んだりする場所に口づけてくれるオーディナル様のマネをしていたら習慣化したのでしょう。
 久しぶりだから、なんだか悪戯をしているような気持ちになります。
 リュート様に「いってらっしゃいのちゅー」をするのとは違い、全くドキドキしませんし、羞恥心も刺激されませんでした。
 ただ、穏やかな笑みだけが浮かびます。
 これで暫くは痛みを感じなければ良いのですが……
 そんなことを考えながら魔力譲渡をしていると、かすかに彼の瞼が震えます。
 起きたのでしょうか。
 しかし、動いたのは瞼ではなく形の良い唇でした。

「ルナティエラ嬢……無理を……するな……必ずそばに……」

 何故……私の夢を見ているのでしょう。
 どうしてベオルフ様は、私の為にここまでしてくださるのでしょうか。
 私を妹のように思っているとおっしゃってくださいますが、私は……ベオルフ様の助けになっておりませんよ?
 むしろ、ベオルフ様がしてくださったことを忘れ、素っ気ない態度を取ったこともあります。
 逃げるように部屋に戻ったこともあるのですから、責めてくださっても良いのに……
 思い出すだけで胸が痛く、言葉にならない胸苦しさを感じました。
 謝罪したところで、彼は過去のことだと笑うのでしょう。
 呪いのせいだと気にもとめないのです。
 わかっているのですが、申し訳ないと感じてしまう。

「……何故そんなに難しい顔をしている」
「おはようございます。ベオルフ様」
「おはよう……というのも変な感じだがな」

 苦笑を浮かべる彼は、どことなく暗いように感じました。
 いつもと……違う?
 何かあった証拠……ですよね。

「何があったのですか?」
「何でも無い。ただ……少し、ままならないことがある物だと感じただけだ」

 彼の言葉にどんな意味がこめられていたのかはわかりませんが、ただ苦しげに呟く様子を見ているのは苦しくて、握りあっている手に力を込めました。

「ああ……いつも済まないな」
「お互い様なのです。私も、ありがとうございます」
「お互い様……か」
「はい。お互い様なのです」

 だから、必要以上に気にする必要は無いと視線で訴えると、彼は目を細めて表情を和らげます。
 まあ、他の人から見たら何も変わっていないように見えるのでしょうが……

「ベオルフ様は何があったのですか?」
「別に話をしなくても良いようなことだ」
「何ですか、やけに意味深ですね」

 こうして隠そうとするということは、私に関することなのでしょう。
 私が知れば傷つくようなこと――――
 こんなに優しすぎるベオルフ様を誤解していた時期があるなんて、黒歴史以外の何物でも無いように感じました。
 前世の兄も黒歴史を思い出すときには、こんな苦いような気まずいような感じなのでしょうか。
 クセになってしまったように前髪を払って額を撫でる私の指を、ベオルフ様は気持ちよさそうに受け入れている姿を見て、なんだかとてもくすぐったい気持ちになったのは内緒なのです。
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