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第八章 海の覇者
浄化とクラーケン討伐開始
しおりを挟む知識の女神様、トリス様、シモン様が力を合わせてくれた結果なのでしょう。
羽根ペンが甲高い音を立てて宙を舞ったかと思うと、一気に文字を書き記し始めました。
それはしばらくの間続き、固唾をのんで見守っていたら、いきなり力を失ったように落下しながら消えてしまいます。
もしかして……終わったのでしょうか。
恐る恐る様子を見ていると、ページを確認していたトリス様が悔しそうに唇を噛んでから、他の文字を目で追い、目を少しだけ見開くと、知識の女神様とシモン様へ目配せをしました。
「読めない場所も多いけれども、この解読が出来れば、きっとわかるよ」
「……良かった」
知識の女神様の言葉に、トリス様がホッと胸をなで下ろし、大事そうに本を抱える。
解読が必要ということは、もう少し時間はかかるのでしょうが、お父様を苦しめている黒い炎に関しての情報が手に入りそうです。
魔物にも関係することですし、今後に役立つ情報だと嬉しいですよね。
「お待たせしてすみません。ハロルド様の浄化をお願いします」
「は、はい! 任されました!」
シモン様の言葉に、そう返答したのは良いのですが、意思に反して体がうまく動かない。
おかしい───
先ほどから少しだけ感じていた違和感が、ここにきて大きくなっていた。
何かに遮られている?
いいえ、邪魔されている感覚です。
つまり……これには、黒狼の主の背後にいる者が関係しているということなのでしょうか。
皆が私の異変に気づき、どうしたのかと声をかけようとした時、左腕が不意に動いて私の契約紋に触れる。
その瞬間、ぱちんっという弾けるような音が響くと共に、黒い蔦が体から滑り落ちていった。
「な……ルナっ!?」
リュート様とチェリシュが慌てて私の体にまとわりつく黒い蔦を払ってくれるのですが、それは実態を持っているわけではないようで、二人の手をすり抜けてしまいます。
しかし、先ほどの衝撃で拘束する力を失っていたのか、パラパラと地面に落ち、じゅぅと嫌な音を立てて、ぐずぐずに崩れていく様は気持ち悪くて正視するのは難しいほどでした。
私にまとわりついていた黒い蔦は、お父様の腕にある炎と同じような色をしていて、嫌な考えが頭をよぎります。
全てが仕組まれていたこと───だなんてことは、ありませんよね?
とにかく、ベオルフ様が残してくれた力のおかげで助かりました。
「先ほどから、変な感じがして……どうやら、妨害をされていたようです。ベオルフ様の力で、何とか……」
「気づかなかったヨ。ちょっと変カナ? って思ったら、やっぱり確認するべきダネ」
嫌な汗が流れ、呼吸が乱れていて嫌な感覚は、まだシッカリと残っていますが、まだ動けます。
体が震えて仕方ありませんが、浄化の力を使うのに問題はありません。
「ルナ……大丈夫か? 気分が悪いとか、変化は?」
「大丈夫です……浄化しないと……お父様の苦しみを取り除かなければ……」
「いや……私は……まだいい……ルナちゃんこそ、無理をしないで欲しい」
「ダメです。ソレは早く排除したほうが良いと思います」
黒い蔦が消えたことにより、鮮明に見えるようになった黒い炎は、不気味で……私のように蝕まれてしまうのではないかと不安を覚えます。
そうだ、あの黒い炎は人を蝕む。
そのままにはしておけない。
人間の体だから力を回復させる効果が薄いような気がして、私は真っ白なエナガに変化して、お父様が腕を置いているテーブルの上に転がりました。
さすがに急いで砂浜の上に設置したせいか、平坦では無かったのですっ!
こーろーがーるーっ!
「ルーがころころなのっ」
「落ちる落ちるっ!」
勢いに任せて変化したせいか、目測を誤ってテーブルの上に出現したため、転がり落ちそうになる私を、リュート様が手で防いでくれました。
せ、セーフですっ!
ああ……やっぱり、この姿のほうが楽ですね!
体が小さい分、力の流れをコントロールしやすいのでしょうか。
「ルナ……頼むから、一言ことわってから変化してくれ」
「も、申し訳ございません。あの変なのにからまれたあとに回復するのは、この体の方が楽なので急いでしまいました」
「そうなのか?」
「はい。回復特化なのでしょうか。人型で辛いときは、この姿にかぎります」
「まあ……そう……だろうネ」
「やっぱり、そうなる……なの」
意味深な発言をする時空神様と、その隣でコクコクと頷くチェリシュは、口元を慌てて小さな手で塞いでコクコク頷きます。
何か、隠し事ですか?
リュート様の手に守られている私は、とりあえず息を整え、テオ兄様とロン兄様が平坦になるよう再設置してくれたテーブルの上へ、彼の手から注意して降り立ちます。
転げないようにリュート様の手がサポートしてくれておりますが、さすがに大丈夫ですよ?
視線でそう訴えても、リュート様の視線から全く信用の無いことだけが理解出来てしまった私は、お父様の腕へちょんちょんと歩き、近づいてみます。
距離が近くなるにつれ、威嚇するように炎を大きくするソレは、私に怯えているようにも見えました。
「威嚇してもダメですよ。そのままにはしておけません」
睨み付けてそう言うと、私へ襲いかかるかのように大きく揺らめきましたが、全く怖くありません。
私の中にあるベオルフ様の力が、炎に反応して私の力と共鳴するのを感じます。
りんっと鈴の音がしたように感じた瞬間、青銀色の光が広がり、黒い炎を包み込んでいきました。
黒い炎が暴れ回っても逃しはしません。
逃すこと無く全体を覆い、徐々に内側へ押し込め、全てを青銀色へ塗りつぶしていきます。
最後の抵抗とばかりに揺らめく小さな灯火を、左の翼で払い、全ての黒い炎が消えたことを確認しました。
「痛みが……消えた」
お父様の言葉に、固唾をのんで見守っていた人たちから安堵の吐息が漏れ、私はリュート様の手に包み込まれてしまいます。
「ルナ、ありがとう。すげーな。本当にすげーよ、ルナはっ!」
「お師匠様の浄化の力……凄まじいです……本当に……凄いですっ!」
「お見事。さすがは、父上の愛し子だよネ」
「ルーはすごいのっ!」
リュート様に頬ずりされながら、みんなの感謝の言葉やねぎらいの言葉を聞き、やり遂げた満足感に包まれますが、お父様は本当に大丈夫でしょうか。
心配になって視線を向けると、お父様にお母様が抱きつき、テオ兄様とロン兄様が、二人が倒れないように支えておりました。
あの家族の輪に入らなくて良いのですか?
目をパチパチさせてリュート様を見上げると、極上の笑みを浮かべた彼は、優しい声で「俺がルナをねぎらわずに、誰がするんだ?」と言ってくださいました。
う、嬉しいのですが……お、お父様の心配もしてあげてください。
「親父なら大丈夫。強い人だからさ。それに、ルナが浄化したんだから、絶対に大丈夫だ」
「さすがじゃなぁ……」
「パパもママもびっくりなのっ!」
そこまで褒めていただけると嬉しいのですが……これで、終わりではありません。
ここからは、キュステさんたちの方へ援護に行かなければっ!
「さて、ルナが頑張ってくれたし、シモンやトリスも頑張ってくれている。次は、俺とキュステの番だな」
「僕も行きましょうか?」
「いいよ。お前は、その本に書かれた文字の解読が必要だろ? トリスと二人で頑張ってくれ」
「わかりました。何かあったら、いつでも加勢します」
「俺たちがいるから、大丈夫だよ」
「任せて貰おう」
シモン様の心強い言葉に感謝しながらも、ロン兄様とテオ兄様がリュート様の左右を固めて不敵に笑います。
互いの顔を見て、拳をコツリとぶつけ合う3人の姿を見たシモン様は、本当に嬉しそうな表情で微笑みを浮かべてから頭を下げました。
「よろしくお願いします」
「解読は我々の専門外になる。万が一、此方が危うくなったら、対処をお願いしたい」
「はい。テオドール様ほどの戦力にはなりませんが、必ず……」
「まあ、こっちには来させねーよ」
「そうだね。俺たち三兄弟が揃っているのに、防衛ラインを突破されることなんてないよ」
好戦的なリュート様とロン兄様に、テオ兄様は苦笑を浮かべておりましたが、「アイギスを着用したら、まずはリュートから行ってくれ」と指示を出し、リュート様は「了解」と短く返事をします。
臨戦態勢に入った麗しの三兄弟は、それぞれアイギスを装着し、不具合が無いかどうかを素早く確認しているようでした。
何度見ても凄い……圧倒されるような力と美しさを感じます。
日本に居た頃に兄が勧めてくれた漫画の中でも、女神の闘士がこういう鎧みたいなものを身に纏っていましたが、黄金でも納得がいくようなデザインですよね。
もしかしたら、そのうち翼が生えてくるなんて事はありませんか?
そう考えても不思議では無いくらい、複雑でいて美しい造形です。
まあ、オーディナル様が創った鎧ですし、それくらいの奇跡が起こっても納得ですよね。
テオ兄様の雷獣。
ロン兄様のハーピー変異種。
リュート様の黒竜。
それぞれの特徴を持つアイギスは、装着者の力に共鳴しているように、淡く輝きます。
テオ兄様の一角獣みたいなモチーフはパリッと雷を帯びていますし、ロン兄様の足についているかぎ爪は、挟まれたらとても痛そう。
リュート様の黒竜は、角度によって色が青みがかったように見える不思議仕様で、所々にあしらわれている翼や爪や鱗のようなデザインが、とても神秘的です。
「親父は少し休んでろ」
「しかし……」
「指揮はテオ兄がしてくれるし、俺とロン兄が突っ込む。海の中に行く必要がある場合は、泳げる俺が行くから、ロン兄は無理しないでくれ」
「わかった。リュートも無茶をしないでね」
大まかな担当を決めたリュート様は、テーブルの上でちょこんと座っている私を拾い上げ、優しく微笑みます。
「よし。それじゃ……ルナ。行ってくる」
「お気をつけて……いってらっしゃいませ」
「リュー、ガンバなの!」
「チェリシュたちは、時空神の結界から出るんじゃねーぞ」
「あいっ!」
「魔物を相手にしているんだから、ヘタなことはしないデショ。俺に任せてイッテラッシャイ」
ひらりと手を振った時空神様の笑みを見て、大丈夫だと判断したリュート様は、私に数回頬ずりをしたあと、チェリシュの頭を撫でてから踵を返し、クラーケンと戦っているキュステさんの元へと急ぎます。
漆黒の鎧を身に纏った3人が駆けだし、それを待っていたかのように、ランディオ様とアレン様が動き出しました。
「キュステっ!」
「お父はんは大丈夫なんっ!?」
「ああ、待たせたな!」
「せやったら、思いっきりいくから、だんさん、任せたわっ!」
キュステさんはそう言うと、触手のみで本体が未だ海から出てきていない状態であるクラーケンの太い足に食らいつき、海中から引っ張り出そうとしているようです。
アレン様が身の丈ほどある大剣を引き抜き、砂浜に突き立てる。
「危ないから、一旦下がれっ!」
前方にいる騎士団の方々は、アレン様の声を聞き、慌てて後方へと飛び退きます。
アレン様の意図を理解したリュート様が、いくつもの術式を展開させ、アレン様の横に並び立ち、テオ兄様とロン兄様は、二人に襲いかかる触手を弾き飛ばしておりました。
「そろそろ……引っ張り上げるわっ!」
かみついていた触手を一旦離して叫んだキュステさんは、体に巻き付く触手を掴みながら、体を回転させ、太めの触手に食らいついて力を入れます。
海面が大きく盛り上がり、そこから驚くほどの巨体が顔をのぞかせ、そのままキュステさんの力に抗えず、体全体を海の上へ引っ張り上げられてしまいました。
宙に浮く巨体は、大きなタコのようで……胴体にへばりついている岩なのかフジツボなのか、よくわからない物が、妙に気持ち悪いです。
全員が驚きの声を上げる中、そのタイミングを待っていたアレン様とリュート様は、共に海面を凍り付かせました。
凍り付いた海面にクラーケンを思い切りたたきつけるキュステさん。
3人の見事な連係プレーですっ!
すかさず、氷の海面を走り、クラーケンに向かって攻撃を仕掛けるテオ兄様とロン兄様。
負けじと、リュート様のクラスメイトたちが走り出し、一番にたどり着いた問題児トリオが、それぞれの武器を手に、触手を切り落としていきます。
しかし、再生能力があるのか、切り落とされてもすぐに触手は元に戻り、再び攻撃をしてくるので厄介なことこの上ない状態。
「クラーケンって……イカかと思っておりました」
「ああ、雄はイカ、雌はタコみたいな外見ダネ」
「なるほど……」
私の呟きに時空神様が返答してくださいましたが、なんだか言葉にできないくらい圧倒的な戦闘を目の前にして、目の前で起きている出来事が現実なのかわからないような状態です。
リアルなのに、リアルだと思えないというか……私の常識を覆す状況なのですが、これがリュート様の日常なのだと知り、胸が苦しくなりました。
死が近い環境だと言葉ではわかっているつもりですが、自分の何倍もある敵に立ち向かう勇気は、どこから湧いてくるのでしょう。
こういう戦いを乗り越えるために、リュート様は毎日鍛錬をしている。
意識を失うことがあっても、体が動けるようにしないと───と、笑っていたリュート様が発した言葉の重みを、今になって少しだけ理解出来た気がしました。
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