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第八章 海の覇者
お兄様たちと母の想い
しおりを挟むリュート様の言葉を聞き、暫く沈黙に包まれていた空間で最初に動いたのは、リュート様に一番甘いロン兄様でした。
席を立ち、うつむいているリュート様の顔を見るようにひざまずき、私が握っている方とは反対側の手を握った彼は、震える声で「ごめんね……」と言ったのです。
「ロン兄?」
「リュートが何か大きな物を背負っているのは、わかっていたんだ。でも、何か考えがあるんだろう、限界まで我慢することはない。いつものように、お兄ちゃんには相談してくれるだろうって考えていたんだ」
でも、何年経っても独りでいることを望み、リュートの顔から笑みが消えて、本当に焦っちゃったよ……と、泣き笑いのような表情を浮かべるロン兄様に、私も言葉が出ません。
ロン兄様がリュート様を溺愛しているのは、誰もが知る事実です。
本当は、誰よりも語りかけたかったはずなのに、弟のことを考えて黙っていたのでしょう。
「俺の考えが浅はかだった。こんなこと、簡単に言えることじゃなかったよね。怖かったよね……ずっと、その恐怖を一人で抱えていたんだよね……ごめんね、気づかなくて……」
そばにいたのに、何も出来なくてごめんねと謝罪するロン兄様の瞳が涙でいっぱいになっていました。
守りたいのに、守れなかった無念の思い───
優しいロン兄様のことですから、今回のお話は、とても辛かったはず。
「ロン兄のせいじゃない……俺が……」
「いいや、我々は……お前の強さに甘えていた。あの事故以降、お前は変わった。時々、私よりも鋭い洞察力を見せるようになり、表情を見るだけで相手が考えていることを見抜き、大人顔負けの判断力を身につけていた。だから、大丈夫だろうと安易に考えていたのだ」
テオ兄様は、腕組みをしたまま硬く目を閉じ、当時を思い出すように静かな声で語ります。
お二人にとって、可愛い弟のリュート様が、こんなにも苦しんでいた事実が辛い。
そして、己の行動を振り返り見て、さらに苦しくなっているのでしょう。
過去を思い出し、苦い思いが広がり、『こうしていれば良かった』という、後悔の念が押し寄せる。
お二人とも、責任感が強い方ですもの。
しかも、自分たちを守るために必死になっていた可愛い弟を守れなかったと、打ちのめされているはず───
「本当はね、リュートがジュストの転生体だと言われて、何故反論しないのか不思議だったんだ……でも、今、その理由がわかったよ。自分が、前世の記憶を持つから……だからこそ『あり得ない』とは言えなかったんだね」
リュート様はピクリと肩をふるわせたあと、小さくコクリと頷きます。
前世の記憶がジュストのものではなくても、不安になって当然でしょう。
自分が普通では無いという事実は変わらない。
それに違和感を覚えた人たちが怯え、排除しようとする。
もともとリュート様は、母子家庭で育った方ですから、日本でも様々な経験をしてきたと思います。
それは、とても大変なことであったはず……
だって、表情を見るだけで相手の考えが大体読めるなんて、これまでに積み重ねられてきた経験のなせる業です。
それだけ、沢山の負の感情を向けられてきたということでしょう。
どうして……私は、その時にリュート様の隣にいなかったのでしょうか。
そのことが悔やまれます。
「ジュストのこと、力のこと、それだけじゃない。沢山の知識や技術。母上でも舌を巻くほどの術式……人が妬むような要素は沢山持っていた。そんなくだらない奴らから、可愛い弟を守っていこうって動いていたはずなのに……守られていたのは俺たちだった……」
「頼りない兄で、すまん」
いつの間にかテオ兄様が背後に立っていて、リュート様とロン兄様の肩に大きな手を置きました。
「違う……俺が、もっと……信じていれば……頼れば良かったんだ」
「急にそんな状態になったら、わけがわからなくなるし、俺だったら間違いなく隠し通しちゃうよ」
「私もだ」
本当に、似た者兄弟です。
でも、そうするだろうということは、言われなくてもわかりました。
それくらい、似ているのですもの。
強くて、優しくて、あたたかい───
「本当の事を言うとね。リュートが人型の召喚獣を召喚したと報告を受けたとき、厄介なことになったって思ったんだよ。それでなくても敵が多いのに、ジュストの転生体説を強めるネタが出来てしまったって……考えていたんだ」
申し訳なさそうに私を見るロン兄様に、私はほほ笑み返します。
リュート様の今までを近くで見てきたロン兄様ですもの、そう考えてもおかしくはありません。
「早く現状を確認しようと思ったのに、恋の女神様関連で忙しくてね……すぐに行けなかった。海浜公園で二人に会えたのは幸運だったよ。普通に会話が通じる召喚獣や、お弁当っていうのにも驚かされたけど、何よりも……リュートが笑ってた。ルナちゃんを見て、笑っていたのが……嬉しかった。それと同時に気づいたんだ」
俺が本当にしなければならなかったのは、配慮して距離を取ることでは無く、リュートのそばにいて、ただ話を聞いて笑っていれば良かったんだって───
そう言ったロン兄様は、私の肩に手を置き、引き寄せます。
「ありがとう、ルナちゃん。リュートのところへ来てくれて……リュートの背負っているものを、半分背負ってくれて……可愛い弟に、笑顔を思い出させてくれて……本当にありがとう」
「私は……たいしたことをしておりません。ただ、リュート様に食べていただきたい料理を作っただけです」
「うん。それが何よりも有り難いよ」
何度も「ありがとう」と涙目で微笑むロン兄様に、うまく笑い返すことが出来たでしょうか。
涙がポロポロこぼれ落ち、みっともない表情をしていたはずです。
そんな私たちを丸ごと抱えるように抱きしめたテオ兄様は、言葉では無く態度で『変わらない』のだと教えてくださいました。
何を聞いても、何を知っても、兄弟の絆は変わらない。
大切なのだと、二人の兄はリュート様におっしゃっているのです。
それが何よりも嬉しくて、さらに泣けてきて唇を噛みしめていると、チェリシュは持っていたハンカチで真っ赤になった私の目元を、一生懸命に拭ってくれました。
「ありがとう、チェリシュ」
「あいっ」
抱きしめてくれる兄たちに、言葉を返すことが出来ないくらい熱い感情のうねりを感じているのか、リュート様は小さく震えて必死に奥歯を噛みしめています。
それを心配そうに見つめたチェリシュは、彼の腕にぎゅっとしがみつきました。
どんなに悲しくても、辛くても、苦しくても、人を思いやることを忘れないリュート様は、こんな時でも「大丈夫だ」というようにチェリシュの頭を優しく撫でます。
この心根の優しさが、リュート様ですよね……
「次は、お母様のターンね」
ふふっとお母様の笑う声が聞こえ、全員の視線が集まるのも気にすること無く、毅然とした態度で話し始めました。
「遅いわよ、リュート。お母様たち、みんなずーっと待っていたのよ?」
「……うん、ごめん」
「でも、話してくれて嬉しいわ。それと、タカヒトさん……かしら。リュートの前世の名前は……」
「ああ」
「彼のお母様は、貴方が家族を守れなかったと思っていないでしょう。同じ母親として、断言できるわ」
「どうして……」
「だって、家族のことを思い、自分のことを後回しにして必死に努力する息子を心配することはあっても、貴方の行動や努力を否定するような母親はいないわ。それとも、貴方の想いや考えを否定する冷たいお母様だった?」
問われたリュート様は前世の母を思い出して辛くなったのか、言葉にはせずに首を左右に振ります。
「妹さんは?」
この問いかけにも、首を振りました。
未だに思い出すだけで、痛みを覚える前世の家族との絆と思い出───
わかります。
私もそうだから……ある意味、兄に会えるだけでも私は幸運でしょう。
「貴方の家族は、とても素敵な方だったはず。それは、今のリュートを見ていたらわかるわ。前世の記憶と今世の記憶が入り交じったリュートは、私の知っているリュートと、何一つ変わらないのですもの」
「変わら……ない?」
「ええ。とても優しくて、面倒見が良くて、ちょっぴり泣き虫さんだけど、いざっていうときには誰よりも早く動き、弱き者を守り、いかなる苦境にも屈しない強さを持つ子よ」
「泣き虫は……ひでーな」
「情に厚いと言うのかしら。私は、その辺りが希薄で時々やり過ぎちゃうから、お父様やキュステやリュートみたいなタイプがそばにいると助かるの」
とてもそのように見えないのに、テオ兄様とロン兄様がお母様の言葉を肯定するように何度も頷く様子から見て、事実なのかもしれません。
私から見たら、とても優しいお母様ですのに……
「リュート。貴方の前世のご家族は、きっと感謝しているわ。貴方を恨んでなんていないわ。むしろ、もっと自分のために生きて欲しかったと願っていたはずよ」
今のような働き方をしていたら、そう言いたくもなるわ……と、お母様は不満そうな顔をなさいました。
まあ……言いたいことはわかります。
結構、無茶をされますものね。
「だから、『守れなかった』だなんて思わないで……それこそ、守って貰わなければならないほど弱くは無いと怒られるのでは無くて?」
「……確かに……そうかもしれない。あのバカだったら……グーで殴ってきそう……」
妹さんのことを思い出しているのでしょうか、リュート様は顔を少しだけ口元を歪めて懐かしむように目を細めます。
よく喧嘩をしていたようですが、基本的に可愛がっていたのだとわかる表情でした。
「大丈夫よ、リュート。貴方は、しっかり家族を守ることが出来たわ。無力などではないの。貴方は、その生が尽きるまで、必死に頑張ったわ。お祖父様とお祖母様の分も、シッカリとね」
お祖父様とお祖母様という言葉を聞いた瞬間、リュート様の体が大きく震えました。
母と妹守れなかったこと、そして、祖父母に恩を返せなかったことが、リュート様の心に深い傷を残しているのですね。
「貴方を大切に育ててくださったお祖父様とお祖母様は、貴方をずっと見守っていて、きっと……自慢の孫だと褒めてくださっているはずよ」
優しい声色で語りかけるお母様の言葉を聞いたリュート様の地球に似た瞳が涙の薄膜を張り、まぶたを閉じた拍子に涙の粒がこぼれ落ちました。
「爺さん……婆さん……俺……頑張れたかな……」
「貴方は、よく頑張ったわ。誰がなんと言おうとも、私はそう思います。そして、貴方がリュートであっても、タカヒトであっても変わらないわ。私の可愛い息子なのだから、遠慮無く甘えてちょうだい」
その言葉で、リュート様から嗚咽が漏れます。
きっと、色々な思い出が脳裏をよぎり、それに伴う感情が荒れ狂う波のように襲いかかっているのかもしれません。
守れなかったという無念の思い。
そして、自分の頑張りが無駄では無かったのだという安心感。
もっと出来ることがあったはずだという後悔の念……
あげれば切りの無い感情が、今はリュート様の胸を満たしていることでしょう。
テオ兄様とロン兄様が、弟がこれ以上傷つかないようにと祈るように抱きしめ、私と痛いくらい強く手を握っているリュート様の右手に、お母様がソッと触れて包み込んでくれました。
「リュート。過去を思い出して、そんな顔をするのはお止しなさい。今度からは、笑顔で語りなさい。それを、あちらのお母様も妹さんも望んでいるわ。私だったら、思い出して後悔で泣くよりも、未来を生きる力にして欲しいと───そう願うわ」
お母様の言葉に、私も涙がこみ上げてきて、言葉にならない想いが渦巻き、苦しくて仕方ありません。
まるで、私の母もそう言っているように聞こえてしまい、不覚にも声をあげて泣いてしまいそうになりました。
反射的にリュート様の腕にしがみつき、その感情をかみ殺します。
自分のことで精一杯のはずの彼から伸びてきた大きな手が私の頭を撫で、チェリシュが抱きついて来て、私の肩に乗せられていたロン兄様の力が強くなり、テオ兄様の抱擁が力強くなりました。
「貴方たち3人は、私の誇りよ。私の息子に産まれてくれて、ありがとう。そして、ルナちゃん、チェリシュちゃん、リュートをいつも支えてくれて、ありがとう」
お母様は、やはり素敵な母なのだと思います。
今世の母との思い出は無いのですが、ベオルフ様から後悔していると聞きました。
私も一度、ちゃんと両親と話をしたほうが良いでしょう。
父と母がしてきたことで、心に出来てしまった傷は未だ癒えません。
しかし、ちゃんと事実確認をしなければならないと、リュート様とお母様のやり取りを見ていて、強く感じました。
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