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第八章 海の覇者

華やかな菓子

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「えっと……ベオルフ様? どうして……声が聞こえるのでしょう」

 まさか、私は起きているわけではなく、ここも夢の中……とか?
 そんな疑問を抱きながら問いかけると、彼の少々困ったような気配が感じられました。

『混乱させてしまって申し訳ない。今は、主神オーディナルの力を借りて会話が出来ている状態だ』
「あ……そういうことですか。オーディナル様が……。それで、相談というのは? ベオルフ様を悩ませるなんて、よほどのことでしょう?」

 私で力になれたら良いのですが……
 そんなことを考えていると、体に感じていた違和感が霧散していることに気づきました。
 さすがはベオルフ様とオーディナル様の力です。
 違和感が完全に排除され、急速に力を失った黒いモヤはもとの場所へ戻り、なりを潜めてしまったのでしょう。
 精神に干渉してくる気配も感じられません。

『今日、南の辺境伯のところへ行くことになっていたことは話したな。それで、連れの商人が人を送って訪問の旨を伝えると共に、手土産の菓子を持参させたようなのだが、それが気に入らないと門前払いを食らったようなのだ』
「フルーネフェルト卿が……ですか?」
『会ったことがあるのか?』

 ベオルフ様に世代交代をしたと聞いたナルジェス・フルーネフェルト卿とは、一度だけ面識がありました。
 しかも、かなり最悪な形だったので、いま思い出しても頭痛を覚えるほどです。
 ここで話さないわけにはいかないのですが……どういう反応をするか気がかりで、チラリとリュート様の顔を見上げました。
 彼は、ベオルフ様の危機=私の危機でもあると理解しているのか、話が終わるのをジッと待っているようで微動だにしません。
 そんなリュート様の前で出したくは無い名前を出す羽目になるとは……
 す、すみません、リュート様。

「一度だけ、ちょっとした騒動に巻き込まれまして……」
『騒動?』
「えっと、以前、ミュリア様が絶賛した菓子があったのですが……何を思ったのか、セルフィス殿下が、その店を買収しようとしたのです」
『は?』
「その店は、南の辺境伯が贔屓にしている商会が運営している菓子店だったのです。そういうこともあって断られてしまったのですが、逆上したセルフィス殿下は嫌がらせまがいなことをしはじめまして……その苦情が、何故か私に来てしまい、対処することになったときに、直接お話をさせていただきました」

 本当に、何を考えているのか───

 辺境伯との関係を悪化させたくないはずの王家の人間が、率先して喧嘩を売りに行くなんて聞いたことがありません。
 南の辺境伯は、いつも国境を守ってくださっているというのに、「田舎者」などと言って罵倒するだなんて……

「あ……あーっ! もしかしたら、断られた理由は、それだけではないかも……」
『他にも、何か頭痛がしそうな話があるのか?』

 あ、声のトーンが低いですよ?
 で、でも……多分、これも理由の1つであるような気がします。

「え、えっと……『我が友ベオルフが、貴様のような田舎者の礼儀知らずを、あとで成敗してくれよう。首を洗って待っておくのだな』と……セルフィス殿下が捨て台詞を……ですね……」
「は? チンピラかよ」

 さすがに黙っていられなかったのか、リュート様の鋭いツッコミが入りました。
 そ、そうですよねぇ……やっていることが、王族からかけ離れておりますものね。

『チンピラ?』
「え、えっと、悪党の中でも下っ端のような感じでしょうか……って、あれ? リュート様の声が聞こえるのですか?」
『ああ、そちらの声は聞こえている』
「えっ!? じゃあ、此方の声は全部筒抜けなんですね」

 どういう仕組みでそうなっているのでしょう。
 私の耳を通して聞こえているということなのでしょうか……不思議です。

「へぇ……じゃあ、ベオルフに一つアドバイスだ。そういうヤツは、他にもお前の名をかたって人を脅している可能性がある。調べておいた方が良いぞ」
『了解した。全く……ろくなことをしない方だ』
「了解だそうです」
「しかし、王族のくせに、マジでろくなことをしてねーな。辺境伯っていったら国境を守っている要だろ? そこと喧嘩とか、正気を疑う行為だな」
「全くです。仲裁をするのが大変でした」

 当時のことを思い出して溜め息をついていると、私の耳にオーディナル様の声が聞こえてきました。

『やはり、早い段階で滅ぼしておくに限るか……』
「やめてくださいね、オーディナル様! それをしたら、本当に怒りますよっ!?」
『しかし……僕の愛し子を傷つけ、ベオルフの名を自らの欲望を満たすために使うとは……許しておけん』
「それ以上おっしゃるようでしたら、ベオルフ様から人間の世界について詳しくご説明願いますが、それでもよろしいでしょうか」
『ま、待て。わかった。やらん』

 私たちのことを思って怒って下さるのは嬉しいのですが、セルフィス殿下はアレでも王族ですし、百害あって一利なしでも、現時点ではマズイのです。

『随分な言いようだが、私も同意見だな』

 え……?
 あ、あれ?
 もしかして、声に出して会話をしなくても、伝わって……

『そのようだ』

 だ、大失態ですーっ!
 あ、でも、リュート様からアドバイスもいただきましたし、よしとしましょう。
 みんなが何事か、全くわからない状況よりは良いですよね?

『そういうことにしておこう』
「もうっ! すぐそうやって弄るのですからっ! 妙案があっても教えませんよっ!?」
『それは困るな。すまん、機嫌を直してもらえないだろうか』
「んー……どうしましょうか。そうですね、今度でいいので何か1つお願いを聞いてくださるなら、考えても良いですよ?」
『わかった。何でも聞こう』
「またっ! 私のお願いがとんでもないものだったら、どうするのですか? そういう言葉を簡単に言ってはいけないと、前にも言いましたよね」
『貴女にしか言わん』
「そ、そういう……ことなら、ま、まあ……いいのですけど……」

 隠せぬ喜びに口元がむにむに動いてしまいますが、仕方が無いですよね。
 ベオルフ様に頼られたことや、こうして特別に甘やかされている感じが嬉しくなってしまうのですもの。

「ルーが、ぷくーからむにむに~なのっ」
「意外やね……奥様って、そんなに表情豊かやったんやね。穏やかに笑ってはるんがデフォルトやと思ってたわ」
「どこにでもおる、兄に甘える妹という感じじゃな」

 はっ!
 し、しまった……こ、ここは、みんながいたのでした。
 慌てて口元を手で隠しますが、これは手遅れというものでしょう。
 恐る恐るリュート様の方を見ると、驚いたような表情で此方を見下ろしていて、数回瞬きを繰り返してから「ぷっ」と吹き出しました。

「あはははっ! マジか! ルナでもそういう感じに言うんだな。新鮮だわー。いいな、そういうのっ! すげー可愛いなっ」
「うぅぅぅぅーっ、べーオールーフーさーまー!」
『私のせいではない』

 お腹を抱えて笑っているリュート様と、苦笑混じりに返答するベオルフ様の声。
 そ、そんなにいつもと違う反応だったのでしょうか。

「なんや、いつもの奥様よりも子供っぽいというか、年相応で安心したわ」
「ルーは、ベオにーにの前だと、こんな感じなのっ」
「そうなん? ええことやね。兄妹仲がええと幸せやねぇ」
「とーっても、ほっこりさんなの。ノエルも一緒だと、もっとほっこりさんなのっ」
「チェリちゃんは、ええもん見てきはったんやねぇ」

 こうして見ていると、キュステさんは本当に良いお兄さんという感じですよね。
 まるで、保育士さんみたいです。
 キュステさんが地球にいたら、天職だったでしょう。

「さて、話は戻すが……」

 こみ上げてくる笑いをかみ殺しながら、リュート様はそういうと目尻に浮かんだ涙を指で拭いました。
 その仕草でさえカッコイイとか……どういうことですか?

「つまり、面会を断られたのは、セルフィスのその発言にも原因があると考えても、弱い気がするぞ。仮にも南の辺境を守る領主だ。荒事にも慣れているだろうし、他にも何かあって、それも相まって会いたくないっていうパターンじゃねーかな」
「他にも……ですか」

 確かに……
 セルフィス殿下の問題発言と、手土産が気に入らないから会わない……なんて、小さな理由で面会を断るような非常識な方では無かったように思います。

「ふむ……ベオルフの立場は、その辺境伯にとって『セルフィスの親友』だと考えられていれば、いろいろと問題はあるじゃろうな」

 いままで黙って話を聞いていたアレン様が、顎をさすりながらニヤリと笑いました。
 竜帝という位についていた方です。
 私たちには見えない何かが見えているのでしょうか。
 全てを見透かしたような余裕のある態度に、全員が口を閉ざし、次の言葉を待ちます。

「ルナとベオルフは良好な関係であるのは見ているだけでわかる。兄妹のようだと言えような。しかし、それは直接見た者にしかわからん。そちらの世界で、お主たちの噂はどう流れておる? もしも、ルナとお主が良い関係だという噂が流れているのなら、それをわざと流していると勘違いしている可能性だってあるじゃろう」

 私とベオルフ様に関する噂は、本人の口からどういうものであるか聞いておりました。
 それは、『神の花嫁と黎明の守護騎士の恋愛譚に、主神オーディナルが手を貸している』といったものです。
 ここでいう神の花嫁は私で、黎明の守護騎士はベオルフ様。
 結婚する気は無いし、万が一戻ってくることになっても不自然が無いように───と、ベオルフ様は私の帰る場所を作ってくださったのです。

 しかし、そんな彼の想いを、大半の方は知らない。
 知るはずが無いのです。

「セルフィスの陣営なのか、それとも国に忠誠を尽くす騎士なのか。それを見極めるために何か言われておらんか? 会う条件を提示してきている可能性が高いのじゃがな」
『こういうことに慣れている御仁がいるようだな。その方が言う通り、相手が提示してきた条件は、今日中に【華やかな菓子】を持参することだ』
「あ……そういうことですか。『華やかな菓子』……それで相談してきたのですね」

 納得です。
 菓子のことなんて、ベオルフ様はわかりませんものね。
 でも、華やかな菓子という言葉に、思い出したことがあり、思わず首をすくめて小さな声でベオルフ様に謝罪しました。

「あ……ご、ごめんなさい。『華やかな菓子』は……私の失言からかも……」

 長時間に渡る話し合いで疲弊していた私は、早く帰りたかったのですが、最後に菓子の話となり、思わず「イチゴやリンゴなどの赤味のある果実を使った、もっと華やかであれば、貴族の女性にも人気が出そうですね」と、あまり考えること無く発言してしまったのです。
 それを作れるのですかと問われた瞬間、自らの失言に気づいた私は曖昧に笑って誤魔化したのですが、彼の記憶に深く残ってしまったのでしょうか。

「つまり、噂通りルナと関わりがあり親しいのなら、『華やかな菓子』くらい作ることが出来るじゃろうと暗に言われておるということじゃな」
「では、私とベオルフ様の関係を、その菓子をもって示せと?」
「直接言葉にしなかったところを見ると、内通者でもおるんじゃろ。そして、それくらい理解できんようでは、相手にしたくも無いといったところではないか?」

 そういう少しクセのある者は、どこにでもおるもんじゃ……と、アレン様は呆れた顔をしておりました。

『なるほど。あの力の流れは、内通者に接触したことによるものか……南の辺境伯が黒狼の主に精神干渉されているわけではないのだな』

 ベオルフ様……もしかして、ある程度、フルーネフェルト卿の考えがわかっていたのですか?
 そういえば、別段……『面会する方法がわからない』と、言われていなかったような……

『まあ、ある程度は……な』

 わ、私が一人で騒いで頭を悩ませていたようではありませんか。
 は、恥ずかしい……!

『心配してくれたのだろう? いつも、その心遣いに感謝している。ありがとう』

 柔らかな声で感謝の気持ちを伝えられた私は、嬉しいやら恥ずかしいやら情けないやら……で、大変です。
 でも、私がとても心配するような事態に陥っても、冷静に対処するべく策を練っているベオルフ様を、さすがだなぁと感心してしまったのは言うまでもありません。

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