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第八章 海の覇者
自慢の宝物
しおりを挟む「でも、その中途半端なパンの実ってのも気になるな。こっちの世界でも無いもんかね」
「さあ……失敗作だと言って、あまり良い印象をお持ちでは無かったようですから……」
ベオルフ様の話を聞いている限り、良い印象をお持ちでは無く、どちらかというと記憶から抹消したかった代物であったようです。
しかし、兄のおかげで活用法を発見し、ベオルフ様が自らの手で作ったことにより、今は「作って良かった」と笑ってくれて、とても安心したと聞きました。
今後、グレンドルグ王国ではパンの実を使ったパン作りが主流となることでしょう。
オーディナル様の太鼓判つきだと知れば、瞬く間に広まるはず……
神殿が介入してくることは無いと思いますが、下手なことをしてオーディナル様の機嫌を損ねないことを心から祈ります。
ベオルフ様ができるだけ抑えてくれるとは思いますが、一緒になって怒りだしたら被害拡大は免れませんものね。
「この世界にあったら、生イーストのような扱いができるかもしれません」
「そうなったら、天然酵母を作る手間が省けるから、新しいパン作りのハードルも下がるんだけどな……」
リュート様がおっしゃるとおり、天然酵母を仕込むのはなかなか手のかかる作業です。
日本とは違い、発酵石の器が簡単に手に入るようになれば、雑菌が繁殖して駄目になるということもなくなります。
しかし、レシピを購入して作ろうとしている方々が、それを知るはずも無いわけで……
やはり、オーディナル様が作ったパンの実が欲しいところです。
もしかしたら、どこかにあるかもしれませんが……可能性は低いでしょう。
「しかし、本当にいろいろあったんだな。ユグドラシルとか遠い存在だと思っていたのに、そんなホイホイ現れるようなもんなのか?」
「オーディナル様には珍しくないかもしれませんが、私たちには珍しいというか……あり得ないことのように思います」
「そうだよな」
オーディナルの次はユグドラシルか……と呟いたリュート様の瞳を見つめていて、ふと何かを思い出しそうになりました。
似ている誰かを見たことがある……ような?
気のせいですよね。
こんなイケメンが何人もいたら、此方の身が持ちません。
「さて、とりあえず仕事も一段落ついたし、朝の鍛錬をしねーとな。基礎訓練を怠れば、遠征討伐訓練に支障が出る」
「アイギスを念のために持って行かれるのですよね」
「まあな。今回の目的地になる森は、時々多くの魔物が出現することがあるから、念のために……だ」
「そうなのですか?」
「ロン兄が遠征討伐訓練を行ったときにも、そういう騒動が起こって、そのときは魔物の数を考えたら此方の被害は少なかった方だけど、数名の死者も出たんだ。それもあるから、油断は禁物だな」
そのときの記憶が鮮明に残っているからか、今回の引率を買って出たのだろうというリュート様の言葉に、ロン兄様らしいと感じました。
大切な弟を守るために、森で異変が起こらないかどうか確認しながらも、リュート様の元同級生たちを厳しく指導してくださることでしょう。
ロン兄様の時の騒動から考察して、自分ができる限りの準備を行っているリュート様も優しいですよね。
自分が傷つけば、ロン兄様にさらなる痛みを与えると知っているからこそ、今回の遠征討伐訓練に力を入れているのでしょう。
「今回は、守るべき者が多いからな。出し惜しみなんてしてらんねーし、全力を出して守り切るしかねーよな」
「守るべき者……?」
暫く言葉の意味を考えていた私は、はっとしました。
そうですよね。
今回は、レオ様たち幼なじみに付け加え、元同級生とチェリシュが参戦するのですもの。
絶対に守り抜かなければなりません。
両手で握りこぶしを作り力を込めて握っていると、リュート様から呆れたような視線が投げかけられました。
「あのさ……」
「はい?」
「なーんか、わかってないみたいだから言うけど、ルナも守るべき者の中に入っているからな?」
そうなのですか?
きょとんとしている私の表情を見つめていた彼は、盛大な溜め息をついて首を左右に振りました。
「あのなぁ……俺にとって、一番守りたいのはルナなの。そろそろ理解してくれっ」
「チェリシュは?」
「チェリシュも勿論だけど、ルナもなの。わかったか?」
「チェリシュも勿論……なの?」
「おーまーえーらーはー」
この困った二人めっ!
そういって、リュート様は私とチェリシュをぎゅーっと抱きしめます。
力が入っていて、ちょっと苦しいくらいですが、なんとも心地よくて嬉しくなってしまいました。
チェリシュもキャーと言いながら、リュート様を抱きしめ返しております。
わ、私も……しても……よ、良いでしょうか。
恐る恐るチェリシュもまとめて抱きしめるように、リュート様の背中に腕を回すと、ピクリと反応した彼の地球に似た青い瞳が此方を見下ろしてきました。
ほんのりと頬に赤味が差しているような気がしますが……
なんだか、私の行動でこういう反応をしてくれることが素直に嬉しく感じます。
「私も……リュート様とチェリシュが大事で守りたいので、頑張りますね」
「俺が戦闘に入ったら、チェリシュを頼む。魔物はチェリシュの神力を好むからな」
「お任せください」
「そのための、アレだからな。創世神ルミナスラが必要だと思って術を施したのは、ルナだけではなく、これから先も関わるだろう神族を守るためでもあると思うから……」
「ねーねたちも、守って欲しいの」
ああ……そういう意味合いもあったのですね。
チェリシュのお姉様たちは、季節ごとに訪れます。
その方々とどういうお付き合いになるかはわかりませんが、良好な関係を築き上げていきたいと心から願いました。
「チェリシュのお願いですもの。絶対に守って見せます」
「ありがとうなのっ」
姉思いの優しいチェリシュを抱きしめて頬ずりをしていると、リュート様が嬉しそうに私たちを包み込み、「俺の自慢の宝物だよ」と甘い声で囁いてくださいます。
リュート様に、これから先もそう思っていただけるように、私はもっと精進をしなければなりません。
私の中にある浄化の力は、ベオルフ様がそばにいないと使えないかもしれませんが、エナガの姿で少しだけ使えるのなら、やはり、飛行訓練をしなければっ!
ベオルフ様が教えてくれた訓練方法で頑張れば、いつか華麗に空を飛べる日が来るかもしれません。
大空を自らの翼で飛ぶなんて、夢のようですっ!
自由自在に飛べるようになれば、きっと気持ちよいのでしょうね。
脳裏に描くのは、大空を自由に羽ばたくエナガの姿───
何故か少しだけ凜々しく、キリッとした面持ちなのは、自由に空を舞うことができる己に自信が生まれたからでしょうか。
可愛らしいのに凜々しいとか、いろいろとお得な感じがします。
あれ?
でも……エナガに冠羽なんてあったでしょうか……ぴょこんと立った冠羽がとても可愛らしかったのですが……え、えっと……こういうイメージが上手にできないから、ウサギパンを作ったつもりがわんこパンだと言われる由縁だったりしませんよね?
「どうした? ルナ」
「うーん、うーん、なのっ」
「あ、いえ、すみません。え、えーと……」
さすがに、ウサギパンのことを暴露する気にはなれず、必死に他の話題を探します。
だ、だって、今更……アレはウサギパンでしたなんて言えませんし、チェリシュがあれほど喜んでくれているのに、言いたくもありません。
真実は、ベオルフ様だけが知っていればいいことです。
まあ……何故バレた……と思わなくもなかったのですが、いろいろと筒抜けなところがあるので、当然と言えば当然の結果だったのかもしれません。
あ、そうだ……リュート様に少しだけお願いしてみたいことがあったのです!
「飛行訓練の方法をベオルフ様に教えていただいたので、今度試してみたいなぁ……と」
私のその言葉を聞いた、リュート様とチェリシュの表情が固まります。
あ、えっと……い、今すぐでは……と言いつくろってはみますが、二人は顔を見合わせて「ベオルフなら……」「ベオにーになら……」とブツブツ呟いておりました。
えーっと、二人とも?
私の意見は危ないけれども、ベオルフ様なら大丈夫だろうというその根拠はどこから?
しかし、一度やらかしている私ですから、この件については何とも言えません。
飛行訓練を引き金に、アレが出てこないとも限りませんし……
結果、一度ラングレイ家で相談し、アレン様とキュステさんにも相談してからだということで話がつきました。
そうですよね、皆様が揃って万全の体制で臨めば、前回のようなことは起こらないかもしれません。
多くの人を巻き込んでの飛行訓練に、少しばかり罪悪感が募りますが、今後のことを考えると、飛べた方が良いですものね。
「あ、そうだ。ルナに確認を取らずに申し訳なかったんだが……」
リュート様が思い出したように声を上げてから、少しだけばつが悪そうに視線を彷徨わせました。
何かあったのでしょうか。
「あのさ……キュステに話したんだ」
何を? と問わなくても、それだけで理解しました。
そうですか……
親友だ、右腕だと言ってはばからない相手ですから、いつか話す日が来るだろうと思っておりましたが、こんなに早く決断して実行しているとは思いませんでした。
妙にさっぱりとした顔をしているリュート様の様子に、私も嬉しくなってしまいます。
「それは、本当に良かったです。これからは、キュステさんもいろいろ巻き込んでしまいましょう」
「そうなるのか?」
「大丈夫なの、キューちゃんは、リューとルーが何であっても、ちゃーんと協力してくれるの! とーっても優しいのっ」
チェリシュが、とても上機嫌でそんなことを言うので、昨晩なにかあったのかもしれません。
私の知らないところで二人の心に変化が起こり、良い方向へ風が吹いているように感じます。
そして、その小さな波紋が広がり、たくさんの人たちに広がっていくようなイメージが見えた気がしました。
───お前らは……無理をしてくれるなよ? 何かあったら、俺に似た奴に遠慮なく頼れ
そう言ったのは、果たして誰だったのだろうか……
少し大人びた感じの、リュート様に似た誰かに、そう言われた気がしました。
ベオルフ様の夢にお邪魔した前後は、こんな記憶の混濁というか……
過去の記憶が刺激されることが多く、不意に脳裏へ浮かぶワンシーンに戸惑うことが多くなってきたような気がします。
多分、ベオルフ様も同じなのでしょうね。
これを幾度となく繰り返し、私たちは元の記憶を取り戻すのでしょう。
「ん? ルナ。髪がどうかしたのか? ボタンに絡まったか?」
「くりんくりんしてるの。クセ……なの?」
「え……あ……いえ、そういうわけでは……」
何故か髪を一房手に取り触れていた私は、戸惑いながらも手を離そうとしたのですが、その手を引き留めるように大きな手で包み込んだリュート様は、髪に唇を寄せます。
ちゅっという音を立てて離れていく彼の横顔を見ながら固まっていると、すぐさまチェリシュが「チェリシュもー!」と催促をして、リュート様が軽くちゅっと脳天にキスをしているところが視野に入ります。
「おそろいなのっ」
「チェリシュは、すぐにルナと同じようにして欲しくなるんだな」
「えへへー、一緒でとーっても、うれしいのっ!」
「そうか。俺も喜んでくれて嬉しいよ」
可愛らしくも平常運転の父娘風景を眺めながら、赤くなる頬を両手で包み込み隠しました。
やっぱり、此方の方が……衝撃が強い……です……
バクバク激しく脈打つ心臓を感じながら、恨めしげにリュート様を見つめると、彼はとても良い笑顔───いいえ、良い笑顔なんて言葉では足りません。
今の彼を見たら、学園の女子生徒全員がめまいを起こしてしまいそうなくらい麗しい笑顔を、惜しげも無く向けてくれたばかりか、とても柔らかく耳から思考を溶かすような甘い声で「やっぱり、ルナは可愛いな」と、おっしゃってくださいました。
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