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第六章 いつか絡み合う不穏な影たち

人には過ぎたる知識

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「少し遅れたか」

 私の耳元に突然聞こえた声に驚き飛び上がるようにリュート様に抱きつきながら声がしたほうを見ると、愛の女神様……いえ、アーゼンラーナ様が意味深に微笑みながら優雅に立っておりました。

「お、驚きました……」
「一番驚いておるのはリュートじゃな。それでは呼吸もしづらかろう」

 え?
 くぐもった声が私の胸元から聞こえてきて恐る恐るそちらを見ると、抱きついたというよりは、彼の頭を自らの胸元に押さえつけているような形になっていることに気づきます。
 あ、あれ?

「ひゃあぁぁっ! りゅ、リュート様ごめんなさいっ!」

 慌てて彼の頭を抱えるようにしていた腕を解くと、弾けるように勢いよく距離を取ったリュート様は、うろたえたようにこちらを見て何かを言おうとしたのですが、次の瞬間には両手で顔を覆い隠して下を向いてしまいました。
 こちらから表情は見えませんけど……お、怒ってしまったのでしょうか。

「リューが、ベリリなの」

 チェリシュからは丸見えだったようで得意げに報告してくれますが……さ、さすがに「そうなのですね」と笑えません。
 あわわわわ……と、とんだ……だ、大失態ですっ!
 謝罪の言葉も何も口から出ることはなく、羞恥心にプルプル震えるしかありません。

 私とリュート様を交互に見たチェリシュは、パンにたっぷりベリリのジャムを塗りつけてから誇らしげにかかげて一言。

「そっくりなの!」

 チェリシュ、お、追い打ちはいけません。
 更に恥ずかしくなってしまいますからねっ!?
 勘弁してくれぇ……とくぐもったリュート様の声がかろうじて聞こえましたが、原因となったアーゼンラーナ様は麗しい笑い声を響かせ、セバスさんに案内された席へと腰をおろしました。

「これじゃから、ついつい遊んでしまうのじゃ」
「反応が楽しいのですね」
「うむ。良い反応をするじゃろう?」

 お母様の言葉に頷いたアーゼンラーナ様は、テーブルにある朝食を興味深げに見つめ、何事もなかったかのようにサラダを食べます。
 も、もう……本当に困った女神様ですね。
 テオ兄様やロン兄様がからかうようなことを言わず、普通にしてくださっていることが救いです。
 と、とりあえず、リュート様が気になって仕方がないチェリシュが下から覗き込んで何かを言う前に気をそらしましょう。

「時空神様はお帰りになられたのですか?」
「うむ。あちらの親友とやらねばならぬことがあるようじゃ。父上から直接頼まれた件が多すぎて大変そうであったが……うらやましくもあるな」

 父上に頼られるくらい信頼されたいものじゃ……と、アーゼンラーナ様は少しだけしょんぼりとした様子を見せました。
 アーゼンラーナ様の管轄外である地球での調査ですから、さすがに頼れないと……なんてここでは言えませんから無言で苦笑を浮かべるだけに留めます。
 時空神様もお忙しいでしょうが、兄の手料理に癒やされながら頑張っていただきたいですね。
 父と母も一緒にいることですし、退屈はしないと思いますが……違う意味で心配になってきました。
 時空神様は兄に対して距離感が近いですから、色々と誤解をされていなければよいのですが……綾音ちゃんだったら笑い飛ばすか、ニヤニヤしながら「目の保養」とか言って見ていそうですけどね。

「忘れぬうちに伝えておかねばな」

 シェパーズパイを一口食べて満面の笑みを浮かべたアーゼンラーナ様は、チラリと視線を上げて睨みつけてから、思い出したように口元をナプキンで拭ってそうおっしゃいました。
 十神の誰かが騒いでいらっしゃるのでしょうか。
 一瞬だけ「うるさい」とでも言いたげな表情をされましたが……

「ルナへ夫から頼まれた伝言がある。ベオルフという男が随分と大変そうであるから、フォローしてやって欲しいとのことじゃ。なんでも、父上がワガママをおっしゃっているようでな。ありえぬと一蹴したのじゃが、珍しく疲れたような表情を見せていたので事実かもしれぬし……いや、父上に限ってそんな……しかも一人の人間にそこまで……」

 うーむと唸り悩み始めたアーゼンラーナ様には申し訳ないのですが、十分にありえることだと思い、その場に居なくても容易に想像がつくやり取りに私は小さく嘆息しました。

「オーディナル様はベオルフ様に甘えておりますから、十分にありえるお話です」
「……父上が?」

 私の言葉を聞いたアーゼンラーナ様は「むぅ……それはそれで羨ましいのぅ」と唇を尖らせるのですが、可愛らしい反応についつい笑みが溢れてしまいます。 
 私への伝言を聞いていたリュート様は気を取り直すようにコホンと咳払いをしてから「そんなにあっちはヤバイのか?」と尋ねました。

「さて……どうであろう。妾は関与できぬことゆえ詳しく聞いてはおらぬが……ルナは色々と父上や夫が口を滑らせたことを聞いたようじゃな」

 そういう報告はされているのですかっ!?
 い、いけませんよ時空神様。
 私は時空神様のように、何事もなかったかのような飄々とした態度など取れないのですから!
 ベリリのソーダで喉を潤したアーゼンラーナ様は、柔らかく微笑んでくださいます。

「まあ無理には問わぬが、限界になる前に相談してくれるとありがたい。それと、ルナが知った情報は人知を超えた物……わかっておるな?」
「は……はい。それは……も、勿論です」
「しかし、父上は何故ルナとそのベオルフという者にユグドラシルの知識を与えたのか……」

 人には過ぎたる知識であり、機密事項でもあるのじゃがな……と、アーゼンラーナ様は不思議そうに首を傾げましたが、得た知識や記憶をどうこうするつもりは無いようでした。
 それに、我が兄も聞いておりましたとはここでは言えませんね。
 まあ……兄は余計なことを口にしないので大丈夫でしょう。
 万が一にもお馬鹿さんなマネをするようでしたら、黒歴史からなにか引っ張ってきてチラつかせれば大丈夫です。

「良いかルナ。ユグドラシルの知識は本来、神々でも得られぬものであるから、扱いには十分に気をつけるのじゃぞ」

 再度念を押され、そのプレッシャーに言葉など容易に出るはずもなく、必死に首を縦に振っていると、横からリュート様の強い視線を感じましたが、お、お話はできませんよ?
 さすがに色々とマズいので……

「それと、件の魂じゃが……こちらでも調べることにしたという報告はしておこう」
「まさか……こちらへ渡っている可能性があるということでしょうか」
「全く無いとは言い切れぬ。ルナが元いた世界とこちらは密接な関係にある。父上がどこまで情報を開示したかわからぬが……それはわかっておるのじゃな?」

 えっと……それは、オーディナル様と創世神ルミナスラ様と地球の管理者である方と共に世界を相談して作った……というお話ですね。
 だから、似通っている部分があるとか……
 あ、他にも、【多種族主義】と【単一種族主義】や【カオスペイン】や【メノスウェーブ】
といった技術的なお話も聞きましたね。
 確か……多種族主義の世界は【カオスペイン】にかかりやすく【メノスウェーブ】を発生させることが少なく絶滅しづらいのですが、単一種族主義は【カオスペイン】にかかりづらいけど【メノスウェーブ】を大量に発生させ、病気などが主な原因で絶滅してしまうことがある……といった内容であったと思います。

 専門的すぎてイマイチ理解できていないところもありますが、これは人が持っていて良い情報ではありません。
 なにせ……世界にとって病気の一種である【カオスペイン】というものが魔物を発生させているだなんて、この世界の誰が知っているというのでしょう。
 私には過ぎたる知識ですから何の役にも立ちませんが、それは知っているからこそ言えることでもあります。

 この世界には魔物の発生原因を探している方もいるでしょう。
 その原因が【世界の実が患う病】であると知ったら……人の手ではどうすることもできない事実に絶望を覚えるのでしょうか……
 存外、人は簡単に絶望を覚えてしまうのかもしれません。
 だからこそ、私は気を引き締めないと……私の魂の核が輝きを失わないように、前を見つめていきましょう。
 背後でうごめく者たちが何の目的で大きな魂の核を集めているか知りませんが、絶対に良くないことに使おうと考えているはず。
 みんなを護るためにも、絶対に最後まで諦めないでいようと心の中で誓います。

 お話に出てきた前ミュリア様の魂が、今現在どういう状況なのかわかりませんが、全くの無関係ではないでしょうし、こちらで情報が見つかれば色々と進展しそうですね。

「まあ、難しい話と注意はコレくらいで良いじゃろう。何かあればリュートもおるのじゃからな」
「わかっている。俺がちゃんとルナを見ているから安心してくれ」
「うむ。先程のように突飛な行動に遅れを取るでないぞ」
「アレは仕方ねーだろっ!? ていうか、原因はアーゼンラーナじゃねーか!」
「そうであったか?」
「とぼけやがって……」

 楽しげにコロコロ笑っているアーゼンラーナ様と悪態をつくリュート様を眺めていたのですが、テオ兄様がジッと私の方を見つめていることに気づきました。
 どうかしたのでしょうか。
 もしかして、サラ様とのデー……いえ、打ち合わせの時に何か気になることでも……?

「そちらの話が一段落したようなので、こちらも話しておくことがあるのだが良いだろうか」

 私に視線を合わせたままテオ兄様がそうおっしゃるので、リュート様も何かを感じたようにピクリと眉を動かして黙り込むと、緊張して太ももの上で固く握っている私の手を包み込んでくれました。
 安心しろ、大丈夫だ。
 そうおっしゃってくれているように感じられ、体に入っていた余分な力を抜きます。
 リュート様がいれば大丈夫ですよね。
 それだけではなく、いつの間にかリュート様のお膝の上から私の膝の上に移動してきたチェリシュも、こちらを見て安心させるように元気な笑みを見せてくれました。
 私はリュート様とチェリシュに、こんなにも支えてもらっている。
 それがとても嬉しく、心に広がる安堵を感じながらテオ兄様に多少の緊張が残る声で「どういったお話でしょうか」とお尋ねしました。

「すまない。悪い話ではなく……面倒を頼むことになるということであったのだが……」
「変な迫力を出すからだよ」

 ロン兄様はわかっていたのか苦笑を浮かべ、慌てているテオ兄様をたしなめておりましたが……面倒なことですか?
 リュート様やチェリシュと顔を見合わせて何事かと首を傾げ、ただ全てを承知しているようにアーゼンラーナ様が優雅にベリリのソーダを飲みながら私達の様子を見守っておりました。

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