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第六章 いつか絡み合う不穏な影たち

面白くて甘いソーダ

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 結局、もう一眠りしようとしていた私たちは、どうしても気になってしまった重曹である白丸石とクエン酸である月晶石を試してみたくて、ベッドから起き上がり身支度を整えたあと、チェリシュを真ん中にして手をつなぎ、ラングレイのお屋敷内にある大きな厨房へと向かいました。
 私たちが一番乗りだろうと考えていたのですが、厨房には既にカフェ、ラテ、カカオ、ミルクの四人が勢揃いしていて、忙しそうにパンを捏ねている最中のようです。
 四人はこちらに気づくと、頭を下げて挨拶をしてくれました。

「師匠、リュート様、春の女神様、おはようございますにゃ」
「みんな早いな、おはよう」
「おはようなのっ、パン作りなの!」

 カフェたちの邪魔をしないようにという配慮からか、いつの間にかリュート様に抱っこされたチェリシュが、もう既にはじまっていたパン作りに加わろうとジタバタしております。
 しかし、ここは行動の先読みの勝利なのか、笑顔のパパはしっかりキャッチ中です。
 父娘の攻防戦ですね……

「おはようございます。カフェとラテはお店に行かなかったのですか?」
「木曜日は定休日ですにゃ。昨晩はオーニャーの許可を得てこちらへお泊まりしましたにゃ」
「四人で久しぶりにお料理談義したですにゃっ」

 カフェとラテはそれがとても嬉しかったのか、朝から元気いっぱいなのに比べて、カカオはげんなりしている様子から、カフェとラテのヒートアップした話につきあわされましたといった感じですね。
 でも、パンを捏ねるのが楽しいのか、尻尾はゆらゆら揺れております。
 ミルクはジャムを煮ているようで、とっても甘い香りが厨房に広がっておりました。
 この香りはベリリのジャムですね。
 チェリシュが鼻をひくひくさせて気づいたのか、ミルクが作業をしている方へ視線を向けます。

「ベリリ……なの?」
「はい、ベリリのジャムを作っておりますにゃ」

 きゃーっと喜びの声をあげるチェリシュは、悪夢を見たと怯えていた影は跡形もなく消え、とても元気な様子に一安心ですね。
 まあ……なんというか、元気が良すぎてリュート様が大変そうですけど……
 ジャムの鍋を見てみると、糖度が高いためか少しだけ黒みがかっている様子です。
 あっと思い出して、私はリュート様に頼んで削ってもらっていた月晶石の粉をジャムに投入しました。

「え、あ、あの……師匠?い、今の粉はなんですにゃ?」
「月晶石の粉です」
「……は?げ、月晶石って食えるの?」

 驚いた様子のカカオは鍋を覗き込み、溶けてしまった粉に驚きを隠せない様子です。
 今までインテリアなどに使われていた石を粉末状にして入れられたら驚きますよね。

「発色を良くするためにレモン汁を入れたりしますが、レモンの香りがついてしまうので、クエン酸……月晶石の粉のほうが良いと思います」
「発色……」
「きれいな鮮やかな赤がベリリの色でしょう?」

 そこまで気を配るものなのかっ!?とカカオは驚き目を丸くしますが、カフェとミルクは急ぎメモを取っていて、残りの二人も慌ててそれに習います。
 勉強熱心な姿に、こちらのほうが緊張してしまいますね。

「きっとレシピでは伝えきれないことがたくさんあります。ですから、4人には私が料理をする姿を見て、私が自覚していない大事なことを見つけていって欲しいです」
「師匠が自覚していない?」
「私にとっては当たり前でも、4人にとっては当たり前ではないこと……ですね」

 今みたいなことですねとミルクがふにゃと表情を崩すので、そうですねと笑えば、他の3人も理解したように顔を見合わせて頷きあっておりました。
 レシピにも限界があります。
 それは、兄と一緒に料理をしたことで気付かされたこと……
 言葉では伝わらない、レシピの文字と数値だけではわからない些細なことが抜け落ちている。
 それが、味にどれだけ影響しているのか数値化できませんが、確かな違いは出てくるでしょう。

「でもさ、師匠はこんな手のこんだパンを毎日作っていたのか?力仕事をしているくらい負荷がかかっているのに腕が細いような……」
「え、えっと……わ、私は貴族の娘であったので、料理人たちもいましたし……」

 まあ、うちの使用人や料理人がこんな作業をしてくれるはずもなく、お願いなんてした日には聞かなかったことにして処理された可能性が高いです。
 
「いいとこのお嬢さんだったのか。確かに師匠はお上品だからなぁ」

 カカオはそれで納得してくれたようですが、ざ、罪悪感が……全部ウソではないのですが、真実でもありません。
 私の心を察したのか、リュート様が「パンを捏ねる道具も作る予定だから楽しみにしていろ」と宣言します。
 また仕事を入れて頑張る気ですねっ!?
 ……あ、そうでしたっ!
 リュート様にお説教する予定を入れていたのに、すっかり忘れておりました。
 しかし、今のは完全に助け舟ですし……このタイミングで言うのもなんですから、あとにしましょう。

「ルー、シュワシュワ……しないの?」
「あっ!」

 しゅわしゅわなソーダを作るためにこちらへやってきたんでしたね。
 私は慌てて蜂蜜と水とグラスとピッチャーを用意します。
 目安は500mlの水に対し白丸石と月晶石は4g程度で良いでしょう。
 ここで分量を間違えると、とんでもない味になりますからね……しっかり測ってからの方が良いです。
 白丸石である重曹はナトリウムが含まれているのでしょっぱいですし、クエン酸は酸っぱいので、どちらかが濃くなれば大惨事ですもの。

 ピッチャーに入っている冷水にまずは月晶石(クエン酸)を入れてしっかり溶かします。
 続いて同量の白丸石(重曹)を加えると、すぐさま反応して泡が立ちました。
 いい勢いですね……
 湯で溶かした蜂蜜をそこに加えて甘みを足してから氷を入れてみると、良い感じに仕上がりました。
 しかし、ここで終わりませんよ!
 チェリシュにもっと喜んでもらうために、私はベリリを取り出します。
 カットしたベリリをグラスの中へ入れてソーダを注ぎ「出来上がり!」とチェリシュに差し出せば、新緑色の瞳をこれでもかというほどキラキラ輝かせてグラスを受け取りました。

「どうぞ。飲んでみてください」
「あいっ!」

 一口こくりと飲んだチェリシュは驚いたように一旦口を離しましたが、再びおそるおそる口をつけて飲み、こくこくと飲んでいきます。
 いい飲みっぷりですね。

「お、おい、炭酸の一気飲みはヤバイからやめとけ」

 心配性のお父さんからストップが入り、チェリシュはグラスから口を離しましたが、目が先程よりもキラキラまぶしいほど輝いております。

「ルー、すごいの!あまあまで美味しいの!」
「炭酸は大丈夫でしたか?」
「しゅわしゅわ驚いたの、びっくりなの。でも、チェリシュは大好きなのっ」

 ベリリも美味しいのっ!と頬を上気させ、ソーダがどれだけ美味しいか伝えようと必死になっているチェリシュを見て、こちらも笑顔になってしまいました。
 リュート様もベリリの入ったソーダを飲んで「こりゃ美味いな……いいな、これ訓練のあとに欲しいかも」とおっしゃいます。
 そういえば、リュート様はもう少ししたらいつものように朝の鍛錬をしますよね。
 その時には、もっとさっぱりとした感じの……はちみつレモン風味のソーダなんてどうでしょうか。
 クエン酸は疲労回復にも良いですから、適した飲み物だと思います。

「師匠、それはなんですにゃ」
「さっきの月晶石ってこんなことになるのかよ」

 カフェとカカオが興味津々にたずねてくるので説明していると、ラテとミルクはグラスのチョイスと彩りに興味を持ったようで、じっくりと眺めておりました。

「ドリンクが華やかですにゃっ」
「奥様が喜びそうな飲み物ですにゃぁ」

 お母様が喜びそう……?
 確かにそうかもしれませんね。
 意外と目新しいものに興味を抱く様子ですから、喜んでくださったら嬉しいです。

 ベリリのソーダを手にきゃっきゃ喜んでいるチェリシュと、愛娘のはしゃぎように頬を緩ませるリュート様。
 そんな二人の姿を見ることが出来て、本当に嬉しいです。
 さて、忙しい朝はまだはじまったばかりですから、カフェたちが朝食の準備を邪魔しないように注意して、私はまだ途中であったものを完成させましょう。

「リュート様、寮の部屋にあった濾した状態で放置されていた物を出していただけますか?」
「ああ、アレか。……今から作るのか?」
「はいっ!」

 元気よく返事をする私にリュート様は苦笑を浮かべたあと「ほどほどにな」と言って額にちゅっと口づけをくださいます。
 ……え、えっと……え?
 ピシリと固まる私の周囲はというと、チェリシュが「美味しいの!」と見せ、グラスに注がれたソーダを少しずつ回し飲みしていておりました。
 皆揃ってベリリのソーダに夢中な様子で、それぞれの反応を見せながら口の中が騒がしいやらピリピリチクチクするにゃっと大はしゃぎ。

 ま……まさか、リュート様は……このタイミングを見計らって!?
 もしかして、ベリリのソーダでチェリシュを喜ばせたご褒美……でしょうか。
 本当に愛娘に甘いのですから───

 おしりフリフリダンスを披露しているチェリシュたちを見ながら額に触れた甘い熱を思い出し、ちょっぴり得した気分で「えへへ」と笑います。
 私がご機嫌で笑っているからか、何があったのかと不思議そうに見上げてくるチェリシュたちに何でも無いと誤魔化すのが大変でした。

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