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第四章 心を満たす魔法の手

ふんわりもっちりまんまるパンなの

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 厨房へ行くと、カフェたちがすでに準備をしていてくれたので、手際よく天板をセットしてパンを焼き始めることができました。
 興味津々で眺めているカフェたちの視線を一身に浴びながら、白くて滑らかな丸っこいパン生地がふんわりとさらに膨らみ香ばしく焼けていきます。 
 パンが焼けていくと共に、ベリリの良い香りが広がり、うにゃうにゃとカフェたちが手を取り合って踊りだしました。
 どうやら良い香りに反応するのか、普段は嫌がるカカオも一緒になって輪になってぐるぐる回っています。
 甘くて幸せなベリリの香りと、パンの焼ける香ばしい香りはどうやらリビングにも届いたようで、ひょっこりと顔をのぞかせたリュート様とチェリシュが魔石オーブンレンジの中を、窓から覗き込みました。

「懐かしい……見慣れた形だ……」

 その言葉にキュステさんとセバスさんがキョトンとしていましたが、キュステさんは何か思うところがあったのか、何も言わずにセバスさんに目配せしたあと首を振り、それだけで彼も承諾したのでしょう、口元に笑みを浮かべて力強く頷きます。

「いい香りなの……美味しそうなの」

 ぺんしたいの!といっていたチェリシュも香ばしいパンの香りに気づいて、リュート様との攻防戦も終わりを迎えたようでなによりですね。

「な?ペンしなくて良かったろ?」
「あいっ!でも……またペンするの」
「また今度な?」

 悪戯っ子め……誰に似たんだかと呆れたようにチェリシュを見ていたリュート様は、懐かしい香りに目を細めました。

「パン屋の香りだ」
「そうですね……」

 焼き始めてから12分が経ち、どうやら頃合いのようですね。
 小さなまるパンなので、焼く時間はあまりかかりませんでした。
 火傷に注意しながら天板を出してみると、香ばしく幸せを運ぶ甘い香りがより強く漂います。
 ふわぁ……焼き立てパンの香りですね。
 天然酵母のストレート液を使っているから、甘酸っぱいベリリの香りもしっかりします。
 そう、これ……これをチェリシュに食べてもらいたかったのですよ!

 見たこともないパンにカフェたちはテンションが上っているのか、耳も尻尾もピーンッとしていて、目が輝いておりました。
 網の上に乗せて、粗熱をとりますねと最後の作業を行っている間も、全員がパンに釘付けです。
 粗熱がとれたパンを用意してくれたカゴに入れてリビングへ戻ると、みんなが待ちきれないとばかりに作業台の周囲に集まっていました。
 全員にお披露目です。
 カゴに入ったパンを台の上に置くと、感嘆の声が上がりました。

「平べったくない……」
「やば……なにこのすげぇいい香り」
「丸っこい……」
「うわぁ……俺たちが作ったまんまの形でふっくら仕上がっている……」

 黒騎士様たちが口々にそう言い、テオ兄様もロン兄様も「すごい……」と次の言葉が出ない様子です。
 愛の女神様とサラ様が、何だか眩しいものでも見るかのようにパンを眺めていたのが気になりました。
 みんなが驚きに満ちた表情を浮かべている中、リュート様は懐かしさに目を細め、口元に柔らかな笑みを浮かべております。
 きっと、懐かしくも優しい記憶を思い出していらっしゃるのでしょう。

「チェリシュがペンしていたら、こんなに丸くはなってなかったかな」
「そうですね、一応焼けますけど、このフォルムでは無かったと思います」
「反省なの。丸いパンのほうが可愛いのっ」

 ころころなの!とリュート様に可愛らしい笑みを見せてテンション高めにはしゃぎますが、危なかったですね。
 チェリシュの好奇心旺盛なところは誰に似たのでしょう。
 何故かリュート様は私を見て、小さく嘆息したのですが……え、わ、私のせいではありませんよ?
 違いますからね?

「奥様、もう食べてもええ感じ?みんな待ってはるみたいやけど」
「あ……すみません。どうぞ、お召し上がりください」

 いつもは一番に食べて、泣いてしまうのではないかと思える複雑な笑みを浮かべながら「美味しい」と言ってくださるリュート様ですが、今日は抱っこしているチェリシュの為にパンを取り「熱々で旨いから食べてみろ」と言って渡しておりました。
 チェリシュはというと、受け取る前にパンッと小さな手をあわせてペコリと頭を下げ「いただきますなのっ」と言ってくれて……なんだかそれだけで嬉しくなってしまいます。
 それから、警戒することもなく、チェリシュは大きな口を開いて焼きたてのまるパンをぱっくんと食べ「んにゃぁ」と声にならない声を上げて悶えているようですね。
 なんという感想が出てくるのか気になって、二人して様子を見守ります。
 こっくんと飲み込んだあと、チェリシュの瞳はキラキラ輝き、頬は紅潮して喜びいっぱいな様子で声を上げました。

「ルー、すごいの!ふわっもちっなの!ベリリのあまーい香りもするの、すごいの!」
「ふわふわでしたか?」
「あいっ!」
「ベリリのパン、気に入りましたか?」
「すごーく美味しいの!チェリシュ、また作るの、ぜったーい作って、パパとママとねーねに食べてもらうの!」

 その姿だけで嬉しくて……言葉にならないくらい嬉しくて、私のほうが涙ぐんでしまいそうです。
 良かった……チェリシュが喜んでくれました。

「ルナがチェリシュのために作ったんだ。ベリリ酵母から作ったパンは、きっとチェリシュの回復の手助けになるだろうって」

 ああ……だから、リュート様はチェリシュに食べて貰おうと考えてくださったのですね。
 その気遣いが嬉しくて、緩みそうになる涙腺をどうにか抑え口元に笑みを浮かべます。

「ルー、ありがとうなの。チェリシュは、このパンのおかげで元気いっぱーいなの」

 ふにゃりと笑っていかに元気になったか伝えようと手を振り回すチェリシュを抱えたままのリュート様が、無造作に突き出された手を避け「元気になりすぎだ」と苦笑しました。

「リューも食べて元気いっぱいなの」

 チェリシュが自ら一口食べたパンを差し出すので、遠慮がちに一口いただいたリュート様は、幸せそうに微笑んで「パンってこういうのだよな……」と呟きます。
 事情を知っている私とチェリシュにしか聞こえなかった小さな声に感じるものがあったのか、チェリシュも嬉しそうに手に持っているパンをパクリと食べ、二人で美味しいねと笑い合っている様子に、心がじんわりとあたたかくなりました。

 周囲を見れば、初めて口にする食感に驚き、目を丸くしている人もいれば、本当にコレがパンなの?と首を傾げている人たちもいらっしゃいます。
 手に持つパンが、どういう構造になっているのかと割って中をまじまじ見ていたり、外側と内側の違いを指で触って確かめていたりと様々な反応がうかがえました。

「外がカリッとして、中はふんわり……これが……パン……聞いていた通りの……パンだな」

 サラ様がそう小さな声で呟いていらっしゃいましたが、聞いていた?パンを?
 どうやら聞こえていたのは私だけだったのか、周囲の方々は何の反応も示しませんでした。
 もしかして、ヤマト・イノユエ経由の伝承やら記述が残っていた……とか?
 有り得そうですよね。
 ヤマト・イノユエは、レシピギルドと全くの無縁では無かったでしょうし……

「旨いな……噛めば噛むほど味が出て、ベリリの香りも良い感じだ。中にクリームが欲しくなるな」
「今度はクリームパンを作ってみましょう」
「それは楽しみだ」

 レシピを色々考えていると、足元に来たカフェたち弟子の4人が両手に持ったパンを掲げ、目をキラキラさせていました。

「すごいですにゃ!」
「ふわふわですにゃっ」
「すっげー旨い!今までのパンの常識が覆ったぜっ」
「このパンのレシピを取得すれば、キャットシー族でも作れますにゃぁ?」

 美味しいにゃ、スゴイにゃ、作れるにゃ?と4人が口々に言っているので、取り敢えずレシピさえ覚えれば作れるようになることを伝えると、感極まったのか、4人は「にゃーにゃー!嬉しいですにゃーっ!」と踊りだし、その愛らしいダンスにチェリシュが触発されて、リュート様の腕から抜け出して一緒に踊り始めます。

「こら、お行儀が悪いぞ。食べるか踊るか、どっちかにしなさい」

 リュート様が紛うことなきお父さんぶりを発揮し、5人の子供はハッとした顔をしてから、ペコリと謝罪の意味を込めた丁寧なお辞儀をしました。

「ごめんなさいですにゃ」
「オーニャーごめんにゃっ」
「つ、つい……ごめん」
「ごめんなさいですにゃぁ」
「ごめんなさいなの……ですにゃ」

 チェリシュが何故か語尾を揃えてしまい、リュート様がプッと吹き出し、周囲の方々も肩を震わせ笑いをこらえているようです。
 周囲が和んでいる中、ロン兄様だけはパンを食べては観察してを繰り返し、その頭の中で色々なことを考えている様子が伺えました。
 その真剣な表情には、はるか先の敵を見据えるような鋭さが感じられ、テオ兄様も同様に手に持っているパンを見つめているのですが、こちらは憂いが伺えます。
 もしかしたら……今回の件で暗躍している枢機卿が派遣したと思われる神官たちの言いなりにならざるを得ない状況になっているかもしれない、南の村や町の方々に思いを馳せているのかもしれません。
 兄たち二人の様子を悟られないようにチラリと見たリュート様は、すぐさまアレン様とキュステさんに目配せをし、二人が頷くのを見てから何かのハンドサインを出したようですね。
 何かが動き出すような予感に、私はリュート様の凛々しい横顔をジッと見つめるのでした。

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