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第四章 心を満たす魔法の手

口から幸せになれば良いですね

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「できることなら……料理に集中してほしかったんだけどな」 
  
 私のところへ来て私を手のひらに乗せて視線を合わせたリュート様はそういうと、なんとも言えない表情で笑みを浮かべました。
 リュート様の様子を見ていればわかります。
 本当は知らないままで居てほしかった……そうおっしゃりたいのですよね。

「この世界の知識や常識がまだまだ不十分な私には、この世界の常識がわかりません。だから、そういうところはちゃんと教えて欲しいです」
「知らないほうが、ルナには良いことだとしても?」
「私には何もできないかもしれません。でも、一緒に考えて一緒に乗り越えていきたいと思うのは、ダメなことでしょうか」

 私が作る料理に関わることであるなら、知っておきたいというのは私のワガママでしょうか。
 リュート様が守ってくださろうとしていることは理解しておりますし、とてもありがたいです。
 でも、できることなら……一緒に悩み解決していきたい───

「私ではリュート様のお役に立てないでしょうか」

 小首をかしげて尋ねた私に、リュート様はハッとした顔をしてから、目を閉じて首を左右に振りました。

「そんなはずがねーだろ。そうだよな……一緒に……だよな」
「はい」

 笑顔で頷くと、リュート様は苦笑を浮かべて私の頭を指でよしよし撫でてくださいます。
 ふわふわな毛並みに癒やされたのか、リュート様の険しい顔が、ほんの少しだけ柔らかくなりました。
 ふふ……リュート様の撫で方は、とても優しくて大好きです。

「わかった。大地母神の神殿関連で俺達が掴んでいる情報を共有しよう」

 リュート様の言葉に、アレン様とキュステさん、それにサラ様とロン兄様が頷きました。
 どうやら、リュート様を含め5人でいろいろ調べていたようです。

「まずは、簡単な説明からだな。ルナはこの前グレンタールの背中から見た、ティエラ・ナタールを覚えているか?」
「確か、南門の街道を出てすぐにある、大地母神を祀る神殿がある町のことですよね」
「そうだ。大地母神マーテルの教えを守る者たちが集い、豊かな実りを約束された大地と豊かで澄んだ水があり、歴史的建造物も多く、古い様式を現在に伝える町としても有名だ」

 様々な魔石工学から発展している聖都とは異なり、古き良き時代を守っている町……というところでしょうか。
 用水路が張り巡らされ、澄んだ水には魚が泳ぎ、実りの多い畑が美しいのだと教えて下しました。
 しかし、そんなのどかな光景が広がるその場所に、以前見えたあの黒い影……何が起こっているというのでしょう。

「さっきあのバカが言ったとおりなんだ。そこの連中は『パンは大地母神から与えられた恵みであり、形を変えたり手を加えることは女神への冒涜だ』と言っていて、ルナの作るパンに文句を言ってくる可能性が高い」

 私が作ろうとしている柔らかいパンは、彼らにしてみれば『大地母神様の与えてくれた恵みに対しての冒涜』ですものね。
 そういえば、以前にもそんな話を少し聞いたような気がします。
 大地母神様が与えてから、ずっと形を変えなかったのは……そういう背景があったからなのですね。

「だが、あのマーテルがそんなこと考えているとは思えねーんだよなぁ」
「え?」

 リュート様がため息混じりにそうおっしゃった途端、お父様から「リュート!」と鋭い声が飛びますけど、リュート様は気にした様子もなくケロリとした顔をして「そう呼べって言うんだから仕方ねーだろ」と反論しておりました。
 だ、大地母神様からもそうお願いされているのですね。

「ハロルド、前から言うておるが、十神全員リュートには名で呼ぶことを許しておる。そなたが目くじらを立てる必要など無い。むしろ、呼ばぬほうが寂しゅうて……地上に降りてこなくなるかもしれぬ」
「は、はいっ!?そ、それは困ります!」
「ならば、うるさく言わずに黙認せんか。お主はうるさく言いすぎじゃ」

 愛の女神様とアレン様に注意されたお父様は困ったように天を仰ぎますが、多分、天にいらっしゃる神々も、お父様の味方にはならない気がします。
 神力に影響されないリュート様は貴重な存在なのですもの。

「リュート様は、大地母神様と面識があるのですか?」
「ヴォルフの墓参りをしにいったときに出会ったんだ。その時に、飯を奢ってやって話を少し話をした」
「……えっと、ご、ご飯ですか?」
「だって、すげー腹の虫鳴らしてたから……」

 あ、あー、それは……そうなりますよね。
 ていうか、お腹の虫を鳴らしてたって……いろいろインパクトに残る出会い方を……
 でも、それを言ったら木の上から落ちてきたチェリシュもそうですし、普通に登場された神様のほうが少ないのかしら。

「ちょっと気が弱くて、変なところが抜けてて、食いしん坊ってイメージだが……何か思いつめていた」

 そこがリュート様のすごいところだと感じました。
 他愛もない会話から、そういう心を感じ取ってしまう。
 多分、相手は悟られないようにしていたはずなのに……

『妹のことをお願いしたいんだよ』

 不意に時空神様の言葉を思い出しました。
 確か、ふさぎ込んでいるから元気づけて欲しい、話を聞いてあげて欲しいとおっしゃってましたよね。

「あ、あの……大地母神様は、時空神様から見て妹……ですか?」
「ああ、確かそうだよな?アーゼンラーナ」
「そうじゃな。夫に頼まれたか?」
「は、はい……妹をお願いしたい、ふさぎ込んでいるから元気づけて、話を聞いてあげて欲しい。そうすれば、踏ん切りがつくだろうから……と」

 私の言葉を聞いていた愛の女神様は、ふむと頷き、少しだけ寂しげな笑みを浮かべます。

「そうか……夫がそのようなことを申したか……あやつはマーテルに甘いからのぅ。ふさぎ込んでいる理由は聞いておらぬのか?」
「はい。ただ……私にしかできないとおっしゃられて……」
「そなたにしか……なるほどのぅ……確かにそうかもしれぬな」

 愛の女神様の中で納得がいったのでしょうか、ソレ以上は何も語ろうとはせず、黙ったままリュート様に視線を向けて先を促しました。

「理由は言わないのかよ」
「近い内にわかるはずじゃ。パンが成功すればな」

 柔らかいパンは私にしか作れない。
 そうですね。
 この世界の大地母神様の教えを破ろうとしている私にしか作れないものです。
 ただ、本当に大地母神様がそれを望んでいないのなら、現段階で妨害されているような気がします。
 愛の女神様や……多分チェリシュを通して見ていらっしゃる太陽神様や月の女神様も止めるはずですし……

 本当は、パンが進化していくのを待っていたのでしょうか。
 柔らかいパンを……待っていたとしたら?
 大地母神様が柔らかいパンを知っていて、自分の世界の人々がそこへ到達する未来を夢見ていたとしたら……

 いつまでも変わらないパンに、絶望を覚えたかもしれません。

「あの……愛の女神様」
「なんじゃ」
「自ら与えたもので制約が発生して、口を出せないことはありますか?」
「そうじゃな……そなたらが言う飲兵衛神たちじゃがな。あやつらは、酒を作る道具と作り方は教えても、配合やその後の改良について口を出すことはできぬ。出来上がる酒を楽しみに待つのみじゃな」

 源となる物を作り出せても、その後のことに口は出せない。
 それが、制約として発生することがある。
 つまり、パンを作ったとしても、そのあとを望んでも、大地母神様は口が出せないのですね。

「さて、ルナ。そなたはそれでも作るか?柔らかなパンというものを」
「……作ります。そのせいで大地母神様にお叱りを受けても、私は……リュート様に柔らかいパンを食べていただきたいですし、ベリリのパンをチェリシュに食べて欲しいのです」
「チェリシュも……なの?」
「勿論です。春の素材を取り入れたお料理だったら、チェリシュにとって良い効果が得られて、失われた神力も回復するのではないかと……」
「リューとチェリシュのため……なの?」
「そうですよ。だから、いっぱい食べてくださいね」

 そういうと、チェリシュはぱあぁっと顔を輝かせて、頬を紅潮させながら嬉しそうに何度も頷きます。
 チェリシュのためなのっ!と声を上げて喜ぶ姿が愛しくて、ソッとリュート様がチェリシュに私を近づけ、喜びを分かち合うように二人で頬を擦り寄せましました。
 ふふ、そんなに喜んでくれると私も嬉しいです!

「大地母神様は、進化を望んでいらっしゃるのだと思います。口が出せないだけで、ずっと……」
「ああ、俺もそう思ってる。じゃなかったら、クレープをあんな嬉しそうに食べて『大地の実りが料理になり、人々に笑顔が溢れ、あの国のように口から幸せになれば良いですね』なんて言わねーわな」
「あの国?」
「それがどこなのか教えてくれなかったが……マーテルは、様々な実りで人が笑顔になる世界を願っているんだってさ」

 だったら、私は……その実りを美味しく調理しなくてはなりませんね。
 そう言って笑うと、リュート様とチェリシュが嬉しそうに頷いてくださいました。

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